魔王の花嫁(生け贄)にされるはずが、隣国の王子にさらわれました

オレンジ方解石

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 玲瓏たる美声だった。規格外の美姫は声まで麗しい。肩に乗る猫すら、気品ただよう希少種に見える。
 同性のエルヴィーラ王妃すら、言葉を忘れて見入っていた。ここまで規格外だと、嫉妬する気もわかない。
 が、美姫の名乗った名前に、わずかに残っていた理性が反応した。
 逆に完全に舞いあがったのが、フリューリングフルス国王である。もともと寵姫可愛さに後宮制度を復活させた、表で『博愛王』、裏で『多情王』と呼ばれる人物なので、この予想外の美姫の登場に喜ばないはずがない。

「なんと麗しい花嫁か。これほどの美女は神話にも語られてはいまい。まさしく女神の生まれ変わり。よう来た、よう来た。我が息子ながら、ジークフリートはすばらしい審美眼の持ち主だ。アレクシア姫、と言ったかな? そなたを迎えて、トゥルペ城はますます華やごうぞ。なあ、皆の者」

 どろどろに溶けたチーズのごとく相好を崩して、四男の花嫁を歓迎する。
 話をふられた大臣達も我に返り、いっせいに好意的な笑顔を浮かべて、まずは第四王子の結婚に賛同の意を示した。
 なるほど、これほど美しい女人なら、この第四王子が結婚を望むのも無理からぬこと。たとえ旅芸人だろうと罪人だろうと、反対はすまい。たとえ人妻でも王家の威を盾に…………。
 そんなことすら考えたのだが。
 一人の女性の声が男達の興奮に水を差した。
 賢明なるエルヴィーラ王妃である。
 四十歳前後の理知的な青い瞳をした金髪の王妃は「少々お待ちを」と、手をあげて発言した。

「アレクシア・フォン・プファンクーヘンと申しましたか。その名、聞き覚えがあります」

「プファンクーヘン将軍といえば、フリューリングフルスでも音に聞く名将です。そのせいでしょう」

 軍事を司る大臣が答え、アレクシアも(あら。父上は隣国でも有名なのですね)と誇らしげな顔をする。が、そこで「はた」というように一人、二人と興奮が冷めていく。
 シュネーゼ公国の名高き名将、プファンクーヘン将軍。
 彼は、絶世の美女を娘に持つことでも知られる。
 あまりの美しさに幼い頃から誘拐沙汰が絶えず、そのたびに勇猛果敢な父親に救出されていた娘は、やがて一介の将軍家の娘でありながら第一公子の婚約者に選ばれ、父親は伯爵位を賜った。
 絵に描いたような玉の輿物語だが、アレクシア姫の場合、つづきがある。
 公子の婚約者となってからも求婚者が絶えなかった令嬢はとうとう魔王に目をつけられ、泣く泣く婚約を解消して魔王に嫁ぐことになった、というものだ。
『佳人薄命』の体現のような姫は、神秘的な二色の瞳を持つという。
 その二色とは緑と紫。
 じわじわと、第四王子をのぞく王族や大臣達の間に一つの考えがひろがっていく。点と点がつながり、線となる。
『二色の瞳』と聞いた時、彼らの大半が「左右で瞳の色が違うのだろう」と解釈していた。珍しいが、そういう人間は時々いて、真偽のほどは不明だが「妖精が見える」とか「未来が見える」などと言われたりする。
 フリューリングフルス上層部は、問題の美姫をもう一度、凝視した。
 表情を消した花のかんばせの中の二つの瞳。
 その全体に薄い緑色と、上の縁だけ濃い紫色の、不可思議な瞳…………。
 さあ、と潮が引くようにその場にいる者達の血の気が引き、言葉が失われる。
 貴族でないので、部屋の隅で事態を見守っていたウィンフィールド(彼の父は一代限りの男爵のため、彼自身は貴族の身分を持たない)は、規格外の問題児の王子に今回もふりまわされる親や周辺に同情した。

「ジ、ジークフリート」

「はい、父上」

「そそっ、そなた。い、一応聞くが、この姫…………よもや、シュネーゼ第一公子の婚約者…………ではなかろうな!?」

 ジークフリートはきょとんと首をかしげた。飛び抜けた美貌のせいで、そんな仕草も妙に可愛らしい。

「どうでしょう? 公子の婚約者だったのか?」

 前半は父王に、後半は美姫へとかけた言葉である。

(普通、そういうことは連れ帰る前に確認するものですが)

「今さら」と思いながらもアレクシアは答えた。

「はい。シュネーゼ第一公子、オリス殿下との婚約が白紙になったばかりでございます」

 重臣達がいっせいに驚愕に顔をひきつらせる。

「で、ででで、では、その姫はまさか、まっ、まお、まお、はなよ」

 言葉を覚えはじめた幼児のように声をふるわせる父王の質問を察し、息子のほうが先回りで返事した。

「魔王の花嫁です」

 国王もその他の者達も恐怖の雷に打たれて硬直した。

(気の毒に)

 アレクシアとウィンフィールドが同情する。
 この事態になんとも思っていないのは、元凶の第四王子と、アレクシアの肩で眠るねこさんくらいだろう。

「そ、そ、そなたは!! まお、魔王の花嫁を連れて来て、どうするつもりだ!! 何故、そんなことをした!?」

「何故って」

 美麗な王子は真剣な視線を宙にただよわせて記憶をたどる。

「魔王がシュネーゼ評判の美姫を娶る、と聞きました。公子の婚約者に横恋慕し、今夜、迎えに来る手はずになっている、と。あ、公子は最近認定された新しい聖女と婚約したそうです。聖女カロリーヌはシュネーゼの大神殿長の養女となったそうだし、あそこの神殿はあれこれ画策しているようで」

「いや、し、神殿はいい。何故、魔王の怒りを買うような真似を…………」

「魔王と戦いたかったからです」

 けろりと答えた王子は、潔いというより軽かった。

「いや、そもそもはニジマスが本題だったんです。なんだか急に獲れたてが食べたくなって。で、ウィンを誘ったら『自分も食べたい』と言うので、ラッヘに乗ってシュネーゼに行ったんです。その途中でベルの所に顔を出したら、まあ、前回のことがあるので『さっさと帰れ』と追い出され。その際、魔王の話を聞いて。これは好機だ、と」

「なんの好機だ」

「魔王と戦う」

「何故だ!!」

 国王は地団太踏んで叫んだし、居合わせた王妃も兄王子も、大臣や従者達にいたるまで、同じ気持ちだった。

「だって普通、戦いたくなるでしょう。魔王と聞いたら」

「ならん!!」

「私はなりました。他に相手がいないので」

 けっこう真剣な苦悩の表情を浮かべて、第四王子は説明していく。

「最近は、もう国内では良い稽古相手が見つからず、いっそ国外へ、と考えていたのですが。魔王が来ると聞いて、これは絶好の相手だ、と。ベルから約束の場所と時間を聞いて、時間があるのでニジマスを買って、夕食を済ませてからラッヘに乗って聞いた場所へ。ちょうど魔王が来ていて彼女を連れていくところだったのですが、実際は魔王の部下でした。あ、ニジマスはウィンに持たせていたので、無事です。傷んでいません」

「ニジマスはいい!!」

 国王は怒鳴った。大臣達も眉間に深い皺を刻んで絶望に耐えている。

(気持ちはわからないでもないけれど)

 アレクシアは思った。

(ニジマスは今が旬だから。特にこの時期、白の湖で獲れたニジマスは、ただ焼いて塩をふっただけで、とてつもなく美味しいから…………それを熱々のうちに…………)

 父が指揮する騎士団の訓練に同行した時の、焚火にじゅうじゅうと焼ける魚を思い出し、アレクシアは(そんな場合ではない)と、さすがに唾をこらえる。
 表面的には「これぞ天上の最高傑作でござい」という美しい無表情を崩さないが。

「ニジマスならニジマスで、どうして買ったら、さっさと帰ってこなかった!!」

「食事くらい、いいじゃないですか。ラッヘは速いとはいえ、朝からぶっ通しだったのですから、腹くらい空きます。正直、食事はそこそこでしたが、カシスとラズベリーのケーキはうまかった。今ちょうど旬ですから」

「食事もケーキも、どうでもいい!!」

 いっそ悲壮に叫ぶ国王の横顔を見つつ、アレクシアは(いいな)と思った。

(カシス…………ラズベリー…………我が家のブルーベリーが大量に収穫中だというのに、魔王のせいで…………ああ、ベルティーナの所で出されたさくらんぼケーキキルシュ・トルテも…………こうなるとわかっていたら、おかわりしていたのに。昼間はさすがに食欲なくて、一切れしか入らなかったから…………いつもなら二切れはいただくのに…………さくらんぼケーキ…………)

 聖女の友人が励ましの意を込めて用意してくれた、クリームをたっぷり塗ってさくらんぼのブランデー漬けを並べたケーキが、今さらのように惜しまれる。
 憂いを帯びた美姫の横顔に、周囲の者はみな「第四王子の破天荒に巻き込まれたことを嘆いているのだろう、気の毒に」と、いたく同情の念を抱いたが、真実は「さくらんぼケーキ」である。

「儂が訊きたいのは、『何故、魔王の怒りを買うような真似をしたのか』、ということだ! 誰でも花嫁を奪われれば、激怒する! まして魔王なら!! それを『戦ってみたかったから』だと!? そなたがやったことは、このフリューリングフルスを危機に追い込むことだぞ、何故それが理解できん!? 花嫁を追って魔王がこの国に来たら、どうするつもりだ!!」

「倒せばいいじゃないですか」

 美麗なる第四王子は、清しい夏空のごとく爽やかな笑顔で言いきった。
 アレクシアとウィンフィールドをのぞく、全員が同じ表情になる。
 人間、あまりに驚愕と絶望が一緒くたに襲ってくると『無』になるのだ、とアレクシアは自身の経験から知っていた。
 自分も時々父親にさせていた反応だ、申し訳ない。

「…………っ、この…………」

『大馬鹿者』という国王の絶叫がトゥルペ城中に響いた。
 アレクシアの肩のねこさんが「うにゃっ!?」と目を覚まし、かぎ尻尾がぼわっとふくらむ。
 国王の怒鳴り声が聞こえた夜番の人間達は「また、第四王子殿下がなにかやらかしたな」とそろって察した。
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