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二日後の夜。
ナイトメアはステラの部屋の窓の前に来ていた。
むろん、外から。空を飛んで、だ。
手には二、三輪の小さな青い花。
窓をふさぐ木戸を叩こうとして、ふと、手をとめた。
たった今、この瞬間まで、この花を見せればあの少女は喜ぶだろう、その喜んだ顔を、反応を見たいと気が急いていた。なのに、いざ木戸を叩こうとしたら、急に迷いが襲ってきた。
あの少女は本当にこの花を喜ぶだろうか。二日前の夜の、自分との会話を忘れているのではないか。あれはただの戯言だったのではないか。
そもそも『世界にとっての悪夢』とされる自分が、あんな吹けば飛ぶようなか弱い少女相手に、なにをやっているのか。これではまるでご機嫌伺いではないか。
そんな考えが急に頭にわいて、気恥ずかしさにとらわれる。
やはりやめよう――――そう思ったものの、わざわざ採ってきた花をそこらに捨てるのも、労力を無駄にするようで惜しく、バルコニーに置いて行くことにした。
コン、と一回だけ窓を叩く。目を覚まさなくとも明朝、窓を開けた時に気づくだろう。
そう思ったのだが。
バタン、と即座に大きな窓が開いた。
色白の顔が飛び出し、ライムグリーンの瞳がこちらを見あげる。
少女は一瞬、驚いた表情になり、すぐに顔を輝かせた。
「こんばんは、おひさしぶりです」
嬉しそうな顔がナイトメアを見あげる。彼に会えて嬉しいと、その表情が語っている。
「…………二日前に会ったばかりだ」
ナイトメアは動揺をそんな言葉でごまかすしかできなかった。
「でも、会えて嬉しいです。今夜は、どうされました? ひょっとして、またお怪我をされたのでしょうか?」
「…………」
うまい返答が見つからず、ナイトメアは無言で手に持っていた花をさし出した。
二、三輪の、どうということのない野草のような花だったけれど。
「わたくしに? いただけるのですか?」
ステラはふんわりほほ笑んで受けとる。
しげしげと花を見つめ、なで、気がついた。
「ひょっとして…………これは冬告げ草でしょうか? わたくしが見たいと言ったから…………?」
そこで、ようやくナイトメアは思い当たった。
今宵の月は、まだ二日目。人間の眼では色を正確に見分けることはできないのだ。
「…………明日、太陽の下で見れば、花の色がわかる」
「――――っ、ありがとうございます!」
愛らしい声が弾んだ。
その声の一音一音が、紙を一枚一枚剥がしていくように、ナイトメアのかたい心を露わにしていく。
「少々お待ちください」
ステラは室内に引っ込んだ。
戻って来た時には、手に包みを抱えている。
「今日のティータイムに出たクッキーです。とっておいて正解でした」
ステラは笑う。
ナイトメアは意表を突かれた。
はじめから、自分と食べるつもりで用意していたのか? だから彼が窓を叩いた時、すぐに出て来れたのか?
まさか、昨夜もこんな風に菓子を用意して待っていたのだろうか。約束もしていないのに。
ナイトメアの胸の壁がどんどん崩れて、ほのかな熱が流れ込んでくる。
「どうぞ」
差し出されたクッキーを、ナイトメアは黙って素直に受けとった。
数枚のクッキーを人間と人ならぬ存在が分け合う。
翌朝、令嬢の部屋には見たことのない青い可憐な花が活けられていたが、その正しい出所を知る者はいなかった。令嬢本人をのぞいて。
一週間後。ステラは叔父のメープル男爵と共に、王宮で催されるパーティーに出席していた。
貴族間の親睦を目的とした定期的なダンスパーティーで、三十分前には会場に到着しているのがスマートだが、ステラは叔父のはからいでぎりぎりに到着する。
ダンスホールに入る前、男性はシガールームでかるい食事やアルコールを味わい、女性は化粧室を兼ねた控え室で身支度の最後の確認をするのが作法だが、叔父が馬車を遅らせてくれたおかげで、ステラはこの化粧室での滞在時間を最短で済ませることができた。
それでもステラが入室した時には、すでに中にいた貴婦人達がぴたりとおしゃべりをやめてステラに注目したし、彼女が鏡をのぞいている間も「ほら例の…………」「王太子殿下の結婚式で…………」と、ひそひそ話が絶えなかったけれど。
(ああ。やっぱり来なければ良かった)
化粧室を出てダンスホールに入ったステラは、貴族の令嬢らしく慎ましい表情をたもちながらも、心の中では肩をおとす。お気に入りの白のドレスと水晶の髪飾りも、今夜は気持ちを上向かせる手伝いにはならない。
王太子と公爵令嬢の結婚式から、はや四ヶ月。それでも噂話は絶える気配がない。
王宮では相変わらずステラ・オータムフォレスト伯爵令嬢は『王太子ハーバートに失恋した哀れな令嬢』のままで、今なお周囲からは同情と好奇の視線が送られてくる。
ステラは平静をよそおった。
(叔父さまはどちらかしら)
父が病床にある今、代役は叔父にお願いしているので、叔父からあまり長い間、離れるのは未婚の令嬢としては推奨されない。
広い会場をさまようが、ちょっと足を止めた途端、声をかけられた。
「まあ、オータムフォレスト嬢。お久しぶり。殿下の結婚式では災難でしたわね」
一人に声をかけられると、たちまち他の客にもつかまってしまう。
「殿下もつれなさすぎますわ。なにもあんな大勢の前で…………」
「親切なお言葉ありがとうございます、男爵夫人、子爵夫人。ですが幸いなことに、春以降は心穏やかに過ごしておりますので、ご安心ください。悩みは父の体調くらいですわ」
ステラはちょっとわざとらしいくらい明るい笑顔を作って、はきはきしゃべる。
王太子夫妻の結婚式は初夏。つまり、これは『その前から普通に過ごしております』=
『結婚式の件は誤解です』と、やんわり主張しているのだが、目の前の貴婦人達にはどこまで通じていることか。老若と身分の貴賤を問わず、醜聞好きの女は存在するのだ。
「叔父を探しておりますので、いったん失礼させていただきます」
ステラが貴族令嬢らしい愛想笑いと共にその場を離れると、今度は王都の友人達が彼女をとり巻く。
「大丈夫だった? ステラ。お手紙がないから、皆と心配していたの。あなたが結婚式の件で、ずっと泣いてるんじゃないかって」
「あなたったら、私達にもなにも言ってくれなくて」
「殿下もひどいわよね。なにも結婚式でおっしゃることはないのに」
「落ち着いて、皆」
口々に話す令嬢達の瞳は、本気で悲しんでいるのか、形だけ同情しているのか、たんに新たな情報を引き出したいのか、あるいはそのすべてか。
「わたくしは大丈夫よ。実を言えば、殿下が何故あんなことをおっしゃったのか、いまだにわからないの。ひょっとして殿下は、誤解か人違いをされているのではないかと」
「あなたと別の殿下を想う令嬢をとり違えられた、ということ?」
「それ以外に説明がつかなくて」
ステラは困ったように、それでいて元気にうなずいた。
とにかく「あれは無関係だ」「誤解だ」と周囲に印象づけなければならない。何度でもきっぱり否定しておかないと、社交界ではあっという間に、ただの噂が事実としてまかりとおってしまう。
正直、今は話しかけてくる者すべて、仲の良い友人達さえわずらわしい。こういう時は黙って知らない顔をしてくれたほうがありがたいと、身を持って思い知った。
「叔父さまを、メープル男爵を見かけなかった? さっきから探しているの」
「ああ、男爵に父君の代役をお願いしているのだったわね。私はお見かけしなかったけれど。…………お父様は、まだ?」
「大事をとって、伯爵領にいてもらっているわ。困ったわ。叔父さまったら、どちらに行かれたのかしら」
友人達といったん別れて、ダンスホールをまわる。そろそろ開始の時間だ、と焦った時に、見覚えある鳶色の髪の背中を見つけた。
「叔父さま」
「ああ、ステラ」
ステラがひかえめに声をかけると、叔父は困った顔でふりむく。
どうして、思う間もなく答えは明らかになった。
「おお、オータムフォレスト嬢」
口ひげを整え、上等の礼服に身を包んだ中年の紳士が両腕をひろげて喜びをあらわす。
「こんばんは、愛らしい私の春の妖精さん。結婚式以来だね、会えて嬉しいよ」
「お久しぶりです、サマースカイ侯爵閣下」
ステラは令嬢の作法として表には出さなかったが、内心で大きく怯んだ。
フォーシーズン王国の大貴族の一人、サマースカイ侯爵は、ステラにとって苦手に分類される人物だ。
「お話し中と知らずに失礼しました。叔父上、わたくしはあちらにおりますね」
「いやいやいや、遠慮しないで。今ちょうど、君の話をしていたところだ。相変わらず初々しい。『無垢なる天使』とは君のためにある言葉だ。まったく殿下も、こんな愛らしい天使を何故あんな風に傷つけたりするのか。私だったら…………」
「わたくしの心配はご無用ですわ。殿下はなにか誤解を…………」
「国王陛下、王妃殿下、ご入場――――!」
オーケストラが華々しい音楽を奏でて、ホール中のおしゃべりがかき消される。貴族達はいっせいに姿勢と表情をあらため、一点へと体ごと向き直った。
王冠と真っ赤なマントを身につけた国王が、黄金のティアラと緋色のドレスを着た王妃の手を引いて、最高権力者の席へとやってくる。
次いで国王の子供達が。
白の礼装に身を包んだハーバート王太子が、紫のドレスとダイヤモンドの髪飾りが輝くセアラ妃をエスコートして現れる。
瞬間、ステラは周囲からいっせいに注目された気がした。
王太子に失恋した令嬢が、新妻を連れた王太子をどのような目で見るか。周囲は興味津々に違いない。
ステラはちょっとおおげさなくらい、にこにこと笑顔をうかべた。
王太子夫妻につづいて王女が入場して所定の位置につき、国王の長めの挨拶がはじまる。それから国王夫妻がホール中央に移動して、ダンスを一曲。ついで王太子夫妻が一曲。王女はまだ婚約者がいないので、父親である国王がパートナーを務める。
最後に「では、みなも今宵のパーティーを楽しんでくれ」と国王が挨拶をして、やっと招待客達の番だった。
そこここでペアが生まれて踊り出す。
ステラはサマースカイ侯爵に誘われかけたが「今宵のステラの父の代理は私だから」と、叔父がすかさず割り込んで、ステラをダンスの集団へと導いた。
フォーシーズン王国のダンスパーティーでは、未婚の令嬢は婚約者がいれば婚約者と、いなければ父親、もしくは兄弟と最初と最後の一曲を踊るのがしきたりなので、これは無作法でもなんでもない。
「いいかい、ステラ。私も気をつけるが、サマースカイ侯爵には近づかないようにね」
温和な叔父が一族に多いライムグリーンの目を心配そうに細めて、姪に忠告する。
「殿下との一件で、社交界にその、噂が生じているのは事実だ。そのせいで、侯爵がここぞとばかりに売り込んでもいる。けれどステラに後ろ暗いところはないのだし、オータムフォレスト伯爵家と縁続きになりたい家はいくらでもいるのだから、不安がらず、ゆったりかまえていなさい」
「はい。わかっております、叔父さま」
ステラも真剣にうなずいた。
二人は踊りながら、さりげなくサマースカイ侯爵から離れていく。
ナイトメアはステラの部屋の窓の前に来ていた。
むろん、外から。空を飛んで、だ。
手には二、三輪の小さな青い花。
窓をふさぐ木戸を叩こうとして、ふと、手をとめた。
たった今、この瞬間まで、この花を見せればあの少女は喜ぶだろう、その喜んだ顔を、反応を見たいと気が急いていた。なのに、いざ木戸を叩こうとしたら、急に迷いが襲ってきた。
あの少女は本当にこの花を喜ぶだろうか。二日前の夜の、自分との会話を忘れているのではないか。あれはただの戯言だったのではないか。
そもそも『世界にとっての悪夢』とされる自分が、あんな吹けば飛ぶようなか弱い少女相手に、なにをやっているのか。これではまるでご機嫌伺いではないか。
そんな考えが急に頭にわいて、気恥ずかしさにとらわれる。
やはりやめよう――――そう思ったものの、わざわざ採ってきた花をそこらに捨てるのも、労力を無駄にするようで惜しく、バルコニーに置いて行くことにした。
コン、と一回だけ窓を叩く。目を覚まさなくとも明朝、窓を開けた時に気づくだろう。
そう思ったのだが。
バタン、と即座に大きな窓が開いた。
色白の顔が飛び出し、ライムグリーンの瞳がこちらを見あげる。
少女は一瞬、驚いた表情になり、すぐに顔を輝かせた。
「こんばんは、おひさしぶりです」
嬉しそうな顔がナイトメアを見あげる。彼に会えて嬉しいと、その表情が語っている。
「…………二日前に会ったばかりだ」
ナイトメアは動揺をそんな言葉でごまかすしかできなかった。
「でも、会えて嬉しいです。今夜は、どうされました? ひょっとして、またお怪我をされたのでしょうか?」
「…………」
うまい返答が見つからず、ナイトメアは無言で手に持っていた花をさし出した。
二、三輪の、どうということのない野草のような花だったけれど。
「わたくしに? いただけるのですか?」
ステラはふんわりほほ笑んで受けとる。
しげしげと花を見つめ、なで、気がついた。
「ひょっとして…………これは冬告げ草でしょうか? わたくしが見たいと言ったから…………?」
そこで、ようやくナイトメアは思い当たった。
今宵の月は、まだ二日目。人間の眼では色を正確に見分けることはできないのだ。
「…………明日、太陽の下で見れば、花の色がわかる」
「――――っ、ありがとうございます!」
愛らしい声が弾んだ。
その声の一音一音が、紙を一枚一枚剥がしていくように、ナイトメアのかたい心を露わにしていく。
「少々お待ちください」
ステラは室内に引っ込んだ。
戻って来た時には、手に包みを抱えている。
「今日のティータイムに出たクッキーです。とっておいて正解でした」
ステラは笑う。
ナイトメアは意表を突かれた。
はじめから、自分と食べるつもりで用意していたのか? だから彼が窓を叩いた時、すぐに出て来れたのか?
まさか、昨夜もこんな風に菓子を用意して待っていたのだろうか。約束もしていないのに。
ナイトメアの胸の壁がどんどん崩れて、ほのかな熱が流れ込んでくる。
「どうぞ」
差し出されたクッキーを、ナイトメアは黙って素直に受けとった。
数枚のクッキーを人間と人ならぬ存在が分け合う。
翌朝、令嬢の部屋には見たことのない青い可憐な花が活けられていたが、その正しい出所を知る者はいなかった。令嬢本人をのぞいて。
一週間後。ステラは叔父のメープル男爵と共に、王宮で催されるパーティーに出席していた。
貴族間の親睦を目的とした定期的なダンスパーティーで、三十分前には会場に到着しているのがスマートだが、ステラは叔父のはからいでぎりぎりに到着する。
ダンスホールに入る前、男性はシガールームでかるい食事やアルコールを味わい、女性は化粧室を兼ねた控え室で身支度の最後の確認をするのが作法だが、叔父が馬車を遅らせてくれたおかげで、ステラはこの化粧室での滞在時間を最短で済ませることができた。
それでもステラが入室した時には、すでに中にいた貴婦人達がぴたりとおしゃべりをやめてステラに注目したし、彼女が鏡をのぞいている間も「ほら例の…………」「王太子殿下の結婚式で…………」と、ひそひそ話が絶えなかったけれど。
(ああ。やっぱり来なければ良かった)
化粧室を出てダンスホールに入ったステラは、貴族の令嬢らしく慎ましい表情をたもちながらも、心の中では肩をおとす。お気に入りの白のドレスと水晶の髪飾りも、今夜は気持ちを上向かせる手伝いにはならない。
王太子と公爵令嬢の結婚式から、はや四ヶ月。それでも噂話は絶える気配がない。
王宮では相変わらずステラ・オータムフォレスト伯爵令嬢は『王太子ハーバートに失恋した哀れな令嬢』のままで、今なお周囲からは同情と好奇の視線が送られてくる。
ステラは平静をよそおった。
(叔父さまはどちらかしら)
父が病床にある今、代役は叔父にお願いしているので、叔父からあまり長い間、離れるのは未婚の令嬢としては推奨されない。
広い会場をさまようが、ちょっと足を止めた途端、声をかけられた。
「まあ、オータムフォレスト嬢。お久しぶり。殿下の結婚式では災難でしたわね」
一人に声をかけられると、たちまち他の客にもつかまってしまう。
「殿下もつれなさすぎますわ。なにもあんな大勢の前で…………」
「親切なお言葉ありがとうございます、男爵夫人、子爵夫人。ですが幸いなことに、春以降は心穏やかに過ごしておりますので、ご安心ください。悩みは父の体調くらいですわ」
ステラはちょっとわざとらしいくらい明るい笑顔を作って、はきはきしゃべる。
王太子夫妻の結婚式は初夏。つまり、これは『その前から普通に過ごしております』=
『結婚式の件は誤解です』と、やんわり主張しているのだが、目の前の貴婦人達にはどこまで通じていることか。老若と身分の貴賤を問わず、醜聞好きの女は存在するのだ。
「叔父を探しておりますので、いったん失礼させていただきます」
ステラが貴族令嬢らしい愛想笑いと共にその場を離れると、今度は王都の友人達が彼女をとり巻く。
「大丈夫だった? ステラ。お手紙がないから、皆と心配していたの。あなたが結婚式の件で、ずっと泣いてるんじゃないかって」
「あなたったら、私達にもなにも言ってくれなくて」
「殿下もひどいわよね。なにも結婚式でおっしゃることはないのに」
「落ち着いて、皆」
口々に話す令嬢達の瞳は、本気で悲しんでいるのか、形だけ同情しているのか、たんに新たな情報を引き出したいのか、あるいはそのすべてか。
「わたくしは大丈夫よ。実を言えば、殿下が何故あんなことをおっしゃったのか、いまだにわからないの。ひょっとして殿下は、誤解か人違いをされているのではないかと」
「あなたと別の殿下を想う令嬢をとり違えられた、ということ?」
「それ以外に説明がつかなくて」
ステラは困ったように、それでいて元気にうなずいた。
とにかく「あれは無関係だ」「誤解だ」と周囲に印象づけなければならない。何度でもきっぱり否定しておかないと、社交界ではあっという間に、ただの噂が事実としてまかりとおってしまう。
正直、今は話しかけてくる者すべて、仲の良い友人達さえわずらわしい。こういう時は黙って知らない顔をしてくれたほうがありがたいと、身を持って思い知った。
「叔父さまを、メープル男爵を見かけなかった? さっきから探しているの」
「ああ、男爵に父君の代役をお願いしているのだったわね。私はお見かけしなかったけれど。…………お父様は、まだ?」
「大事をとって、伯爵領にいてもらっているわ。困ったわ。叔父さまったら、どちらに行かれたのかしら」
友人達といったん別れて、ダンスホールをまわる。そろそろ開始の時間だ、と焦った時に、見覚えある鳶色の髪の背中を見つけた。
「叔父さま」
「ああ、ステラ」
ステラがひかえめに声をかけると、叔父は困った顔でふりむく。
どうして、思う間もなく答えは明らかになった。
「おお、オータムフォレスト嬢」
口ひげを整え、上等の礼服に身を包んだ中年の紳士が両腕をひろげて喜びをあらわす。
「こんばんは、愛らしい私の春の妖精さん。結婚式以来だね、会えて嬉しいよ」
「お久しぶりです、サマースカイ侯爵閣下」
ステラは令嬢の作法として表には出さなかったが、内心で大きく怯んだ。
フォーシーズン王国の大貴族の一人、サマースカイ侯爵は、ステラにとって苦手に分類される人物だ。
「お話し中と知らずに失礼しました。叔父上、わたくしはあちらにおりますね」
「いやいやいや、遠慮しないで。今ちょうど、君の話をしていたところだ。相変わらず初々しい。『無垢なる天使』とは君のためにある言葉だ。まったく殿下も、こんな愛らしい天使を何故あんな風に傷つけたりするのか。私だったら…………」
「わたくしの心配はご無用ですわ。殿下はなにか誤解を…………」
「国王陛下、王妃殿下、ご入場――――!」
オーケストラが華々しい音楽を奏でて、ホール中のおしゃべりがかき消される。貴族達はいっせいに姿勢と表情をあらため、一点へと体ごと向き直った。
王冠と真っ赤なマントを身につけた国王が、黄金のティアラと緋色のドレスを着た王妃の手を引いて、最高権力者の席へとやってくる。
次いで国王の子供達が。
白の礼装に身を包んだハーバート王太子が、紫のドレスとダイヤモンドの髪飾りが輝くセアラ妃をエスコートして現れる。
瞬間、ステラは周囲からいっせいに注目された気がした。
王太子に失恋した令嬢が、新妻を連れた王太子をどのような目で見るか。周囲は興味津々に違いない。
ステラはちょっとおおげさなくらい、にこにこと笑顔をうかべた。
王太子夫妻につづいて王女が入場して所定の位置につき、国王の長めの挨拶がはじまる。それから国王夫妻がホール中央に移動して、ダンスを一曲。ついで王太子夫妻が一曲。王女はまだ婚約者がいないので、父親である国王がパートナーを務める。
最後に「では、みなも今宵のパーティーを楽しんでくれ」と国王が挨拶をして、やっと招待客達の番だった。
そこここでペアが生まれて踊り出す。
ステラはサマースカイ侯爵に誘われかけたが「今宵のステラの父の代理は私だから」と、叔父がすかさず割り込んで、ステラをダンスの集団へと導いた。
フォーシーズン王国のダンスパーティーでは、未婚の令嬢は婚約者がいれば婚約者と、いなければ父親、もしくは兄弟と最初と最後の一曲を踊るのがしきたりなので、これは無作法でもなんでもない。
「いいかい、ステラ。私も気をつけるが、サマースカイ侯爵には近づかないようにね」
温和な叔父が一族に多いライムグリーンの目を心配そうに細めて、姪に忠告する。
「殿下との一件で、社交界にその、噂が生じているのは事実だ。そのせいで、侯爵がここぞとばかりに売り込んでもいる。けれどステラに後ろ暗いところはないのだし、オータムフォレスト伯爵家と縁続きになりたい家はいくらでもいるのだから、不安がらず、ゆったりかまえていなさい」
「はい。わかっております、叔父さま」
ステラも真剣にうなずいた。
二人は踊りながら、さりげなくサマースカイ侯爵から離れていく。
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