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中編
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ふりかえれば、ジェットコースターのような数ヶ月だった。
橘聡に口説かれ、結婚を考えていた矢先に野村のような卑怯な女に奪われ、けれど導かれるようにレンと出会った。
『一夜の過ち』のようなはじまりだったが、二人は急速に、それでいて自然に惹かれあった。
「力を抜いて。流華はがんばりすぎだ。ここに流華の敵はいない。今は素直になっていい」
二度目の夜、レンは優しく熱い声で、そう流華に語りかけてきた。
「流華は初めて会った時から強いけれど、瞳の奥に哀しい心がのぞいている。ずっと寂しそうだ。だから、オレには本当のことを話してくれ。オレは流華の本当の心が知りたい。流華の傷を知りたいんだ。オレは流華のその傷ごと、抱きしめたいんだ――――」
「レン――――…………っ」
あたたかい腕に宝物のように大事そうに包み込まれた時、流華の頬に涙が一筋つたった。
流華は最初、大学卒業後に別の会社に就職し、そこで六歳年上の恋人と出会った。
優秀で女子社員の人気も高かった男だが、彼は八年も付き合った末に流華を捨て、別の女との結婚生活を選んだ。
傷ついた流華は会社を辞めて実家に戻り、数年間は仕事をさがすことすらできなかった。
その後、娘の状態を見かねた父に勧められ、KIKKAWAコーポレーションに身元を隠して入社し、もともと興味のあったデザインの課に配属してもらえた。
そこで結果を出してエースとなり、橘聡と出会い、もう一度男性を信じてみようかと思った矢先に、また別の女に奪われて絶望しかけた、その時にレンと出会ったのである。
「行きましょう」
レンの胸から顔を離し、流華は彼の手をとって会議室のドアへとうながす。
「お父様が、あらためてあなたにお礼を言いたいって。このあと、行きつけのホテルのレストランに予約を入れているの。あなたに期待しているのよ」
二人で会議室を出ると廊下で秘書が待っており『エントランスに車が待っている』と告げられる。父である社長は、少し重役達と話してから来る、とのことだった。
腕を組んでエレベーターへ向かうと、居合わせた女子社員達が一様に目と口を丸くする。
「え!? あれって、『シャルル』の『レン』…………!?」
「どうして、デザイン課の吉川さんと…………!?」
女達の会話に、流華はくすぐったいような胸のすくような思いを味わう。
「ちょっと寄り道させて。退社の前に、いくつか部下に引継いでおかないと」
言って、流華はレンをデザイン課まで連れていく。
入り口の前で彼を待たせ、自分の机へ向かった。
「吉川さん、さっき▽△社から電話が…………え!? 『レン』!?」
伝言しかけた同僚の一人が、入り口に立つ人影に気づいて声をあげる。
そこから波及して、他の女子社員達も次々入り口を見ながら黄色い声をあげはじめた。
その声に耳をかたむけつつ、流華は自分のパソコンを起動して受信したメールをチェックしていく。
(催促のメールばかり、まだ締切には間があるのに。仕事を引き受けすぎたかしら? とはいえ、このあとは挙式の支度で忙しくなるし、ここは思いきって部下にいくつか任せるべきね)
流華は周囲の女子社員達にてきぱき、指示を出していく。
「中山さん、この仕事はあなたがやってみて。林さんはこっちの二つ。佐藤さんは…………」
「斉藤です」
「そうね、斉藤さんはこっちをよろしく」
ファイルを差し出された斉藤が「ええ?」と声をあげた。
「待ってください、あたし、まだ○○社からの依頼が済んでなくて」
「それは、明日か明後日には終わる仕事でしょ。これはまだ一週間あるから大丈夫よ。少し大きな案件だけど、うまくいけば確実に次につながるから」
「でも…………」
渋る斉藤の不満顔に、流華はたまらず言い放っていた。
「斉藤さん、あなた、そういうところ良くないわよ。あなたもこのデザイン課の人間なら、即座に『はい』と言えるようになって。私はあなたの実力を信用して言っているのに、どうしていつもそうやって、すぐに手を抜こうとするの? 他の人達はみんな、あなたのことを感じ悪いって言っているわよ?」
「そんな…………手を抜こう、なんて…………」
「そうやって、すぐに泣いてごまかそうとしないで。大人の女のすることじゃないわ」
ぴしゃりと切り捨て、流華はファイルを斉藤の机に置く。
泣き出しかけた斉藤を「まあまあ」と、やってきた課長がなだめた。
「一週間もあるなら、とりあえず斉藤さんには今の仕事を終わらせてもらって、それからでもいいだろう。それまでは、できる箇所まで吉川さんに進めてもらおう」
「課長、それでは斉藤さんのために――――」
「すいませーん。吉川さん、先週の伝票を出してくださ~い」
ちゃんと斉藤を叱らない課長に流華が反論しかけると、間延びした声が割り込んできた。
黒縁眼鏡のいかにも『陰キャ』という雰囲気の男が、領収書をひらひらさせて立っている。
「ちょっと斉藤君、今は…………!」
「佐藤です。佐藤一樹。人偏に左の『佐』に『ふじ』と書く佐藤に、『一』つの『樹』木と…………」
「わかったから、佐藤君。あとにしてくれる? 今とり込み中で…………」
「今日中に出してくれないと、経理が間に合いません~」
「…………っ、ああもう!」
流華はビジネスバッグを乱暴にあさり、数枚の領収書を佐藤に渡す。
「どうも~」と佐藤は受けとり、代わりに、
「あと、こちらの伝票は受けとれませ~ん」
と、数枚の領収書を流華に渡してきた。流華は内容を確認して声をあげる。
「これは必要経費よ!? 落ちないって、どういうこと!?」
「接待と認められませんので。自腹でお願いします~、じゃ」
すちゃ、と手を挙げて佐藤は足早にデザイン課を出て行く。
この間に斉藤も中山も林も流華の机から離れ、課長も我関せずという顔で席に戻っている。
(ああもう、ぬるい人間ばかり!)
流華は怒鳴りつけたい衝動に襲われるが、恋人を待たせていることを思い出し、ビジネスバッグをひっつかむ。早退届は今朝一番に提出してあるので問題ない。
「佐藤課長、早退します!」
「僕は加藤だよ」
のんびりした返答を無視してデザイン課を出、「行きましょ!」とレンの腕をとってエレベーターにむかう。
「大変そうだね?」
気遣ってくるレンに、「まあね」と流華はため息を返した。
「課長はなあなあの事なかれ主義だし、後輩はサボりたがるか、私の手柄を横取りしようとするばかりで、他人の恋人を寝取るようなのもいるし。――――本当は、もっと実力や才能に恵まれた、一緒に仕事をしたくなるような人材が欲しいのに…………」
ちょうど来たエレベーターに乗り込むと先客はおらず、期せずして二人きりとなった。
流華は独り言のようにつづける。
「…………わかっているのよ、自分が誤解されやすい人間だって。思ったことを口に出す性格だから、敵を作りやすいの。後輩のためを思って言っても、厳しいと避難されるだけで…………でも、いつかは私のそういうところを理解して、その上で愛してくれる人が現れる、と信じてやってきたの」
芸術品のように白い手が流華の肩に置かれて、強く引き寄せられる。
「つらかったんだね」
とても優しい声が降ってくる。
「わかるよ。オレもこんな仕事だから。トップモデルだのCMだの、もてはやされても、けっきょく頼れるのは自分一人。仲間は足を引っ張り合うか嫉妬するかだし、事務所の人間もオレを使ってどこまで儲けられるか、それしか考えていない。ファンだって、オレが悩んで苦しんでいることは知らない。みんなが知っているのは、あくまで『格好いいトップモデルのレン』だ。本当のオレじゃない」
「レン…………」
美しい双眸が遠くを見あげ、真剣に語りつづける。
「上を目指すと決めた時に、孤独は覚悟した。トップは孤独だ。ただ一人で戦わなければならない。それが才能を持つ者、選ばれた者の宿命なんだ。だからオレは一人で戦って、ここまできた。――――流華も同じだ」
レンは流華を見下ろした。
「才能があるばかりに、上を目指すばかりに、孤独に耐えなきゃならない。流華が人に厳しいのは、自分に対する厳しさの裏返しだ。自分が常に上に行こうと努力しているから、それが普通になって、同じレベルを他人にも要求してしまう。でも他人はそこまで上を目指さないから、流華が厳しい人間に見えるんだ。凡人は、流華ほどの才能や向上心を持ち合わせていない。だから、それを持っている流華は一人にならざるをえないんだ。宿命なんだよ、選ばれた者の」
「宿命…………」
「オレ達は似ている。俺と流華は、同じ魂を持つ者同士だ。才能を持つばかりに、選ばれたばかりに、周囲から孤立する。誰にも理解してもらえない。…………本当はオレ達だって寂しいのに、誰もそれをわかってくれない。――――流華だけだよ、こんなことを話せるのは」
「レン――――」
流華を真正面から見つめる真剣な、それでいて儚いげな表情と寂しげな声に、流華は胸がふるえて泣きそうになった。
心を言い当てられた気がした。生まれて初めて見つけてもらえたような、そんな心地。
「そうよ――――私だって本当は寂しいし、つらい時もあるわ。でも男達はみんな『君は強い女だから』って私を捨てて、都合のいい若い女に逃げ込む。私はずっと、一人ぼっち…………」
「つらいね。お互い」
レンは流華を抱擁した。
「でも、どんなにつらくても、オレ達はずっとこの孤独に耐えなきゃならない。宿命なんだ、オレ達みたいな選ばれた人間の。でも流華は孤独じゃない。今日からはオレがいる。オレは絶対に流華を一人にしない。オレ達はそのために出会ったんだ」
「そのため…………?」
「二人でいるために。オレ達は同じ宿命を負う者、同じ選ばれた者同士だ。他の男には無理でも、オレだけは流華の孤独を理解し、満たすことができる。安心して、流華。もう二度と君を一人にしない。それこそがオレの使命だって、いま理解できたんだ。運命だったんだよ、流華。オレ達は、こういう運命だったんだ――――」
「レン…………っ」
流華は光に照らされるように理解した。
そう、自分達は同じ人間。同じように天に選ばれ、才能を与えられ、上を目指し、それゆえ周囲に理解されず、嫉妬と羨望をうけて足を引っ張られ、孤立して――――一人ぼっち。
でも今日からは一人ではない。
「そうか…………」
流華は心からの言葉が出た。
「私達、同じ存在だったのね。私は出会うことかできたんだわ、同じ魂を持つ男性と。私達、これが運命だったのね――――」
レンの広い胸に閉じ込められ、流華は至上の幸福感を味わう。
『この男性だ』と悟った。
自分が長らくさがしてきたのは、この男性だったのだ。
今ならわかる。レンこそが本物。真実の運命の相手。
橘聡や、見る目のない|二流の男達からつけられた傷や汚れは、すべて消え失せた。
これからは、この本当に優れて美しい最高級の男が自分の夫なのだ。
流華はレンとかたく抱き合い、唇を重ね合う。
エレベーターはとっくに一階に到着して何度か人が乗り込もうとしたが、そのたびに『とり込み中』と察した相手によって扉は閉じられ、しばらく一階に留まっていた――――
その晩。レンは流華の家に泊まった。父親は接待で帰宅せず、翌朝、日もだいぶん高くなってからベッドから起きあがる。
「近所に、おいしい創作フレンチのお店があるの。モーニングもやっているから、そこで朝食にしましょ。支度をしてくるから、一時間ほど待って」
流華は着替えを持って、洗面所に向かう。
「わかった」
レンも自分の服を着ていく。
そして流華がシャワーを浴びはじめて、しばらくは戻ってこないであろうことを確認すると、彼女が仕事部屋として使っている隣室に移動した。
隣室には大きな机が置かれ、その上に大きいパソコンが一式、設置されている。
机の引き出しを一つ一つ開けていくと、一番下のひときわ大きな引き出しにスケッチブックが何冊も保管されていた。
レンはスケッチブックをとり出し、一冊一冊ひろげていく。
三カ月後。高級ホテルで何百人もの招待客を前に、吉川流華と藍谷蓮の結婚式が挙げられた。
有名モデルと社長令嬢の結婚は大いに耳目を集め、彼のファンを嘆かせる。
なお、披露宴には三ヶ月前に退職した橘聡と野村紫の姿もあり、隅に席を用意された二人の姿を見て、流華は思いきり溜飲を下げたのだった。
橘聡に口説かれ、結婚を考えていた矢先に野村のような卑怯な女に奪われ、けれど導かれるようにレンと出会った。
『一夜の過ち』のようなはじまりだったが、二人は急速に、それでいて自然に惹かれあった。
「力を抜いて。流華はがんばりすぎだ。ここに流華の敵はいない。今は素直になっていい」
二度目の夜、レンは優しく熱い声で、そう流華に語りかけてきた。
「流華は初めて会った時から強いけれど、瞳の奥に哀しい心がのぞいている。ずっと寂しそうだ。だから、オレには本当のことを話してくれ。オレは流華の本当の心が知りたい。流華の傷を知りたいんだ。オレは流華のその傷ごと、抱きしめたいんだ――――」
「レン――――…………っ」
あたたかい腕に宝物のように大事そうに包み込まれた時、流華の頬に涙が一筋つたった。
流華は最初、大学卒業後に別の会社に就職し、そこで六歳年上の恋人と出会った。
優秀で女子社員の人気も高かった男だが、彼は八年も付き合った末に流華を捨て、別の女との結婚生活を選んだ。
傷ついた流華は会社を辞めて実家に戻り、数年間は仕事をさがすことすらできなかった。
その後、娘の状態を見かねた父に勧められ、KIKKAWAコーポレーションに身元を隠して入社し、もともと興味のあったデザインの課に配属してもらえた。
そこで結果を出してエースとなり、橘聡と出会い、もう一度男性を信じてみようかと思った矢先に、また別の女に奪われて絶望しかけた、その時にレンと出会ったのである。
「行きましょう」
レンの胸から顔を離し、流華は彼の手をとって会議室のドアへとうながす。
「お父様が、あらためてあなたにお礼を言いたいって。このあと、行きつけのホテルのレストランに予約を入れているの。あなたに期待しているのよ」
二人で会議室を出ると廊下で秘書が待っており『エントランスに車が待っている』と告げられる。父である社長は、少し重役達と話してから来る、とのことだった。
腕を組んでエレベーターへ向かうと、居合わせた女子社員達が一様に目と口を丸くする。
「え!? あれって、『シャルル』の『レン』…………!?」
「どうして、デザイン課の吉川さんと…………!?」
女達の会話に、流華はくすぐったいような胸のすくような思いを味わう。
「ちょっと寄り道させて。退社の前に、いくつか部下に引継いでおかないと」
言って、流華はレンをデザイン課まで連れていく。
入り口の前で彼を待たせ、自分の机へ向かった。
「吉川さん、さっき▽△社から電話が…………え!? 『レン』!?」
伝言しかけた同僚の一人が、入り口に立つ人影に気づいて声をあげる。
そこから波及して、他の女子社員達も次々入り口を見ながら黄色い声をあげはじめた。
その声に耳をかたむけつつ、流華は自分のパソコンを起動して受信したメールをチェックしていく。
(催促のメールばかり、まだ締切には間があるのに。仕事を引き受けすぎたかしら? とはいえ、このあとは挙式の支度で忙しくなるし、ここは思いきって部下にいくつか任せるべきね)
流華は周囲の女子社員達にてきぱき、指示を出していく。
「中山さん、この仕事はあなたがやってみて。林さんはこっちの二つ。佐藤さんは…………」
「斉藤です」
「そうね、斉藤さんはこっちをよろしく」
ファイルを差し出された斉藤が「ええ?」と声をあげた。
「待ってください、あたし、まだ○○社からの依頼が済んでなくて」
「それは、明日か明後日には終わる仕事でしょ。これはまだ一週間あるから大丈夫よ。少し大きな案件だけど、うまくいけば確実に次につながるから」
「でも…………」
渋る斉藤の不満顔に、流華はたまらず言い放っていた。
「斉藤さん、あなた、そういうところ良くないわよ。あなたもこのデザイン課の人間なら、即座に『はい』と言えるようになって。私はあなたの実力を信用して言っているのに、どうしていつもそうやって、すぐに手を抜こうとするの? 他の人達はみんな、あなたのことを感じ悪いって言っているわよ?」
「そんな…………手を抜こう、なんて…………」
「そうやって、すぐに泣いてごまかそうとしないで。大人の女のすることじゃないわ」
ぴしゃりと切り捨て、流華はファイルを斉藤の机に置く。
泣き出しかけた斉藤を「まあまあ」と、やってきた課長がなだめた。
「一週間もあるなら、とりあえず斉藤さんには今の仕事を終わらせてもらって、それからでもいいだろう。それまでは、できる箇所まで吉川さんに進めてもらおう」
「課長、それでは斉藤さんのために――――」
「すいませーん。吉川さん、先週の伝票を出してくださ~い」
ちゃんと斉藤を叱らない課長に流華が反論しかけると、間延びした声が割り込んできた。
黒縁眼鏡のいかにも『陰キャ』という雰囲気の男が、領収書をひらひらさせて立っている。
「ちょっと斉藤君、今は…………!」
「佐藤です。佐藤一樹。人偏に左の『佐』に『ふじ』と書く佐藤に、『一』つの『樹』木と…………」
「わかったから、佐藤君。あとにしてくれる? 今とり込み中で…………」
「今日中に出してくれないと、経理が間に合いません~」
「…………っ、ああもう!」
流華はビジネスバッグを乱暴にあさり、数枚の領収書を佐藤に渡す。
「どうも~」と佐藤は受けとり、代わりに、
「あと、こちらの伝票は受けとれませ~ん」
と、数枚の領収書を流華に渡してきた。流華は内容を確認して声をあげる。
「これは必要経費よ!? 落ちないって、どういうこと!?」
「接待と認められませんので。自腹でお願いします~、じゃ」
すちゃ、と手を挙げて佐藤は足早にデザイン課を出て行く。
この間に斉藤も中山も林も流華の机から離れ、課長も我関せずという顔で席に戻っている。
(ああもう、ぬるい人間ばかり!)
流華は怒鳴りつけたい衝動に襲われるが、恋人を待たせていることを思い出し、ビジネスバッグをひっつかむ。早退届は今朝一番に提出してあるので問題ない。
「佐藤課長、早退します!」
「僕は加藤だよ」
のんびりした返答を無視してデザイン課を出、「行きましょ!」とレンの腕をとってエレベーターにむかう。
「大変そうだね?」
気遣ってくるレンに、「まあね」と流華はため息を返した。
「課長はなあなあの事なかれ主義だし、後輩はサボりたがるか、私の手柄を横取りしようとするばかりで、他人の恋人を寝取るようなのもいるし。――――本当は、もっと実力や才能に恵まれた、一緒に仕事をしたくなるような人材が欲しいのに…………」
ちょうど来たエレベーターに乗り込むと先客はおらず、期せずして二人きりとなった。
流華は独り言のようにつづける。
「…………わかっているのよ、自分が誤解されやすい人間だって。思ったことを口に出す性格だから、敵を作りやすいの。後輩のためを思って言っても、厳しいと避難されるだけで…………でも、いつかは私のそういうところを理解して、その上で愛してくれる人が現れる、と信じてやってきたの」
芸術品のように白い手が流華の肩に置かれて、強く引き寄せられる。
「つらかったんだね」
とても優しい声が降ってくる。
「わかるよ。オレもこんな仕事だから。トップモデルだのCMだの、もてはやされても、けっきょく頼れるのは自分一人。仲間は足を引っ張り合うか嫉妬するかだし、事務所の人間もオレを使ってどこまで儲けられるか、それしか考えていない。ファンだって、オレが悩んで苦しんでいることは知らない。みんなが知っているのは、あくまで『格好いいトップモデルのレン』だ。本当のオレじゃない」
「レン…………」
美しい双眸が遠くを見あげ、真剣に語りつづける。
「上を目指すと決めた時に、孤独は覚悟した。トップは孤独だ。ただ一人で戦わなければならない。それが才能を持つ者、選ばれた者の宿命なんだ。だからオレは一人で戦って、ここまできた。――――流華も同じだ」
レンは流華を見下ろした。
「才能があるばかりに、上を目指すばかりに、孤独に耐えなきゃならない。流華が人に厳しいのは、自分に対する厳しさの裏返しだ。自分が常に上に行こうと努力しているから、それが普通になって、同じレベルを他人にも要求してしまう。でも他人はそこまで上を目指さないから、流華が厳しい人間に見えるんだ。凡人は、流華ほどの才能や向上心を持ち合わせていない。だから、それを持っている流華は一人にならざるをえないんだ。宿命なんだよ、選ばれた者の」
「宿命…………」
「オレ達は似ている。俺と流華は、同じ魂を持つ者同士だ。才能を持つばかりに、選ばれたばかりに、周囲から孤立する。誰にも理解してもらえない。…………本当はオレ達だって寂しいのに、誰もそれをわかってくれない。――――流華だけだよ、こんなことを話せるのは」
「レン――――」
流華を真正面から見つめる真剣な、それでいて儚いげな表情と寂しげな声に、流華は胸がふるえて泣きそうになった。
心を言い当てられた気がした。生まれて初めて見つけてもらえたような、そんな心地。
「そうよ――――私だって本当は寂しいし、つらい時もあるわ。でも男達はみんな『君は強い女だから』って私を捨てて、都合のいい若い女に逃げ込む。私はずっと、一人ぼっち…………」
「つらいね。お互い」
レンは流華を抱擁した。
「でも、どんなにつらくても、オレ達はずっとこの孤独に耐えなきゃならない。宿命なんだ、オレ達みたいな選ばれた人間の。でも流華は孤独じゃない。今日からはオレがいる。オレは絶対に流華を一人にしない。オレ達はそのために出会ったんだ」
「そのため…………?」
「二人でいるために。オレ達は同じ宿命を負う者、同じ選ばれた者同士だ。他の男には無理でも、オレだけは流華の孤独を理解し、満たすことができる。安心して、流華。もう二度と君を一人にしない。それこそがオレの使命だって、いま理解できたんだ。運命だったんだよ、流華。オレ達は、こういう運命だったんだ――――」
「レン…………っ」
流華は光に照らされるように理解した。
そう、自分達は同じ人間。同じように天に選ばれ、才能を与えられ、上を目指し、それゆえ周囲に理解されず、嫉妬と羨望をうけて足を引っ張られ、孤立して――――一人ぼっち。
でも今日からは一人ではない。
「そうか…………」
流華は心からの言葉が出た。
「私達、同じ存在だったのね。私は出会うことかできたんだわ、同じ魂を持つ男性と。私達、これが運命だったのね――――」
レンの広い胸に閉じ込められ、流華は至上の幸福感を味わう。
『この男性だ』と悟った。
自分が長らくさがしてきたのは、この男性だったのだ。
今ならわかる。レンこそが本物。真実の運命の相手。
橘聡や、見る目のない|二流の男達からつけられた傷や汚れは、すべて消え失せた。
これからは、この本当に優れて美しい最高級の男が自分の夫なのだ。
流華はレンとかたく抱き合い、唇を重ね合う。
エレベーターはとっくに一階に到着して何度か人が乗り込もうとしたが、そのたびに『とり込み中』と察した相手によって扉は閉じられ、しばらく一階に留まっていた――――
その晩。レンは流華の家に泊まった。父親は接待で帰宅せず、翌朝、日もだいぶん高くなってからベッドから起きあがる。
「近所に、おいしい創作フレンチのお店があるの。モーニングもやっているから、そこで朝食にしましょ。支度をしてくるから、一時間ほど待って」
流華は着替えを持って、洗面所に向かう。
「わかった」
レンも自分の服を着ていく。
そして流華がシャワーを浴びはじめて、しばらくは戻ってこないであろうことを確認すると、彼女が仕事部屋として使っている隣室に移動した。
隣室には大きな机が置かれ、その上に大きいパソコンが一式、設置されている。
机の引き出しを一つ一つ開けていくと、一番下のひときわ大きな引き出しにスケッチブックが何冊も保管されていた。
レンはスケッチブックをとり出し、一冊一冊ひろげていく。
三カ月後。高級ホテルで何百人もの招待客を前に、吉川流華と藍谷蓮の結婚式が挙げられた。
有名モデルと社長令嬢の結婚は大いに耳目を集め、彼のファンを嘆かせる。
なお、披露宴には三ヶ月前に退職した橘聡と野村紫の姿もあり、隅に席を用意された二人の姿を見て、流華は思いきり溜飲を下げたのだった。
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