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「待ってくれミシェーラ!誤解なんだ!一曲!一曲ダンスを踊っただけなんだよ!浮気なわけないじゃないか!」

 僕の言葉も聞かず、妻は手早く荷物をまとめ侍女に手渡した。こうして実家に帰ることを想定していたのか驚くほど準備が早い。
 すでに玄関先に待たせていた馬車に乗り込むとミシェーラはやっとこちらを振り返った。

「イーサン…貴方を信じてたのに!!!」

 バタンと大きな音をたてて扉が閉まり、そのまま馬車は走り出す。

 こうして今月3回目の妻ミシェーラの家出が始まった。

 * * *

 我がカシュバール公爵家は300年の昔から聖女メリンダの生家としてその地位を確立してきた。この国で、いやこの世界で聖女メリンダの功績を知らない者はいないだろう。
 魔族との争いをなくし、魔王ハデスに嫁いだ聖女。メリンダは私の遠い先祖だ。

 イーサン・カシュバールは公爵家の当主として25歳の若さで爵位を継ぎ、その翌年侯爵令嬢ミシェーラを妻に迎えた。つい半年前のことだ。
 10代の頃から憧れていたミシェーラと結婚できたときイーサンは心の底から喜んだ。3つ年上の彼女は美しく淑やかでまさに理想の女性だった。これから始まる新婚生活に心が踊り、全てが薔薇色に見えた。

 しかし、その理想はたった3ヶ月で脆くも崩れ去る。

 ミシェーラは驚くほど嫉妬深い女性だった。それはもう驚くほどに。女性経験がまったくないイーサンにはどうにもできないほどに。

 始まりは結婚後初めて参加した夜会だった。美しい妻を伴ったイーサンは浮かれていた。集まった友人にミシェーラを自慢し、その素晴らしさを語りまくった。友人たちは惚気話に呆れながらも微笑ましく見守っていた。

 そこへある友人の妻がやって来た。年若い妻は公爵であるイーサンを褒め、こんな立派な男性が旦那様だなんて羨ましいと語った。
 正直いまとなってはその友人の妻に自分がなんと返事をしたか、正確には覚えていない。お褒めいただいて光栄だと、ありがとうと返したような気がする。

 帰りの馬車の中で、ミシェーラは突然泣き出した。

「ミシェーラ?どうしたんだ?一体なにがあったんだ?」

「だって…だってイーサンが…若い女性とあんなに楽しそうに話すんですもの。やっぱり若い人の方がいいわよね?私みたいな年増より、若い人の方が…。」

「何を言っているんだ!あんなのただのお世辞じゃないか?僕が愛しているのは君だけだ。」

 この時はこれで済んだ。可愛らしい嫉妬だと思ったのだ。それすらも嬉しかった。嫉妬するほど、僕のことを愛してくれているのだと。

 でも、これは始まりに過ぎなかった。そこからミシェーラの嫉妬は日に日に増し続けた。

 女性と少し手が触れた。歩いている女性に視線を向けた。優しく笑いかけた。何をしてもミシェーラは怒り、泣き出した。

 そして最後は実家に帰っていく。馬車で10分ほどの侯爵家に帰り、彼女は両親に泣きついた。
 最初の頃、僕はすぐに迎えに行った。必死に謝り、二度としないと許しを願う。そしてミシェーラを連れて帰った。

 しかし、それが月に何度も何度もあると僕も疲れてきた。

 女性と目を合わせても笑いかけてもいけない。会話も出来ないし、握手なんてもってのほか。それでは仕事どころか日常生活すらままならない。

「一体どうしたらいいんだ。」

 魔法具を扱う貿易業をするカシュバール家。昨日は仕事のためどうしても出席しなければならない夜会があった。

 友人の妹のデビュータントも兼ねている夜会だと知ったのは会場に着いてからだった。
 社交界デビューのダンス相手を頼まれたのは、私がその場にいた中で一番位が高かったからだ。その他の意味などない。

 そもそも私は年上好きなのだ。16歳の少女などまったくの守備範囲外。商談のあと一曲ダンスを踊りさっさと帰ってきた。

「なんで!他の人とダンスなんて!浮気よ!裏切りだわ!」

 妻は叫び、泣き喚いた。そもそもなぜ夜会に行っていないミシェーラがそのことを知っているのか。
 その時初めて僕は妻が怖くなった。まさか、私に監視役でも付けているのか?

 そして冒頭に戻る。彼女の実家に迎えに行く気力もない私は力なくソファに座り込んだ。

「もう疲れた…。一体僕がなにをしたと言うんだ。」

 公爵という地位があろうと、仕事が上手くいっていようと、好きな女性ひとり理解することができない。


 そのとき、バタバタと足音が近づいてきた。


「イーサン様!大変でございます!」

「うるさいぞ、爺!疲れているんだ、静かにしてくれ!」

 普段声を上げることなどない執事が息を切らし走ってきた。

「そんな場合ではございません!メリンダ様が!メリンダ様がお帰りになりました!」

 ………?うちの執事もとうとうボケたようだ。なぜそこで聖女の名が出てくるんだ。暑さにでもやられたか?

「爺…お前にも苦労をかける。そんなに疲れているなら、夏休みでも取ったらどうだ?」

「ご当主様!冗談ではございません!メリンダ様がお帰りになられたのです!」

 ハァハァと息を整える執事の後ろから、女性の声が聞こえた。

「まぁ!屋敷の中は全然変わっていませんわ!」

 公爵家当主が代々受け継ぐ執務室。そこへ現れたのはそれはそれは美しい女性だった。
 輝くような金髪と青色の瞳。しなやかな女性らしい体つき。まるで聖女メリンダを描いた絵画から出てきたような人だ。

「貴方がイーサン?わたくしの弟ラディオルの子孫ですわね。会えてよかった!」

 ツカツカと私の目の前にたった彼女に無理矢理握手をされた。こんなところを妻に見られたら本当に離婚になってしまう。

「初めまして!メリンダと申します!どうかしばらくの間、こちらに泊めてくださいませ。」

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