氷の公爵はお人形がお気に入り～少女は公爵の溺愛に気づかない～

第８話 人形の外出

　第８話　人形の外出

　「わぁ…！」

　２ヶ月ぶりに吸う外の空気は生ぬるく、少しだけ夏の気配が漂っていた。部屋から眺めるだけだったフェルナンド家の中庭は思っていた以上に広い。

　クロードが後見人になってくれたおかげで、私はこのカルディアナ王国の国民として認められた。

　私は胸に手をあて、そこにあるペンダントを確認する。このペンダントにはフェルナンド家の紋章が刻まれており、これがあれば様々な場所に出入りすることができるそうだ。
　でもいきなり出掛けるのは私には難しい。今さらどうやって人と関係を築けばいいか分からない。

「渚、これを。」

　クロードが差し出してくれた真っ白な日傘。それを受け取ると並んで庭を散策する。今日は青い空が驚くほど眩しい。

「ありがとうございます。本当に何から何まで。」

　今日はジェロームさん、ジゼルさん以外の使用人の方々に挨拶をすませた。大勢の使用人の中には私と歳の変わらないような人もたくさんいて、そんな中で挨拶をするのはやはり緊張してしまう。
　皆さん私を驚いた顔で見つめていた。それもそうだ。自分が働いている屋敷に知らない人間が紛れ込み、２ヶ月近くも暮らしていたなんて気味悪いに決まってる。これから上手くやっていけるだろうか。

「なにも気にしなくていい。渚は今まで通り過ごしてくれればいいんだ。」

　クロードはそう言ってくれるけど、本当にそれでいいんだろうか。何かできることがあれば私も働いたほうが彼の役に立てるのではないか。

　どうしてクロードはこんな私に良くしてくれるんだろう？


　中庭を進むと中央に小さな噴水があり、その先は薔薇園になっていた。

「綺麗ですね。」

　そこにあるのは赤い薔薇、白い薔薇、そしてその二色が混ざった薔薇。

「不思議の国のアリスみたい。」

「アリス？それはなんだ？」

　こういうとき、ここは異世界なのだと実感する。

「いえ、なんでもないですっ。」

　この空の下に、私を知っている人は誰もいない。私の過去を知っている人も。それは少し寂しくて、限りなく自由だった。

「渚、少し話をしてもいいか？」

　振り返ると、クロードが銀色の眼鏡の奥からこちらを覗いている。

「アンジェリカの…、人形の契約のことなんだが…。」

「クロード、もし人形の契約が無くなったら、私をこのお屋敷のメイドとして雇ってもらえませんか？」

「…え？！」

「メイドが無理なら雑用でもいいです。私にできることなら何でもします。」

　後見人になってもらった上に、雇ってもらおうなんて図々しいと思われるかもしれない。それでも私にはこの場所しかないのだ。ここを一歩でも出たら、私には何もない。

「無くならない。契約はずっと…。君にはここに居てほしい。」

　クロードのその言葉に、私は心の底から安心した。

　＊　＊　＊　

　彼女の可愛らしい笑顔に、言わなければいけない言葉を全て飲み込んでしまった。

　どうして。今日こそは言わなければ。契約がなくても側にいて欲しいと。アンジェリカという人形ではなく、渚として、どうかここにいて欲しい。

　人形ではない彼女の前では、何故こんなにも素直になれないのだろう。彼女の笑顔をただ眺めていることしかできない。

　彼女はきっと私を受け入れてくれる。人形たちのこと、母のこと、渚は私の話を気味悪がることも笑うこともない。

　そう思っていても、万が一を考えてしまう。もし彼女に拒絶されたら、私はきっと生きていけない。彼女を知らなかった頃にはもう戻れないのだから。

「クロード？大丈夫ですか？」

　黙りこんだ私に、彼女が白い日傘を差しかける。白い頬に長い睫毛の影が落ちた。

「今日は暑いですね。もう部屋に戻りましょう。」

　彼女の心が欲しい。沸き上がる感情が私を支配していく。その頬に触れ、唇を重ねることができたら。

　それなのに私にはその方法が分からない。大切にしたいものがこんなにも近くにあるのに、触れ方ひとつ分からなかった。

「クロード？」

　彼女の声が名前を呼ぶだけで、こんなにも嬉しいのに。