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1章 春嬢編
第十三話~ケイン~
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第十三話~ケイン~
『私はケインの恋人でもなんでもないんだから。』
マリアの言葉が頭から離れない。そんなこと言われなくても分かっている。
俺はただ彼女に喜んでほしかっただけだ。
丘の上から彼方を見つめる瞳がひどく寂しそうで、そのままどこかへ行ってしまいそうに見えた。
海の見える故郷。彼女が望むならどこへだって連れていきたい。そうして笑っていてくれたら、俺は………。
「遠乗りは楽しかったか?」
振り返るとそこには執務を終えた親父が立っていた。
「マリアに言ったのか?俺のこと。」
親父は少し困ったように微笑んだ。俺がいない間に彼女と会っていたことは知っている。何を話したのか聞いてもマリアは答えなかった。
「彼女の方から聞いてきたんだ。お前には教育係なんて必要ないんじゃないかとね。いつまでも隠しておくわけにはいかないだろう?」
それでも、知られたくなかった。他の女のために彼女を利用している。そんなの最悪じゃないか。
「マリアさんと何かあったのか?」
「……。海が見たいと言うからいつか連れてってやると言ったんだ。そしたら、恋人じゃないんだからと断られた。」
帰り道、一言も話すことなく帰ってきた。次どんな顔で会いに行けばいいのか、まるで分からない。
「はぁ…お前は本当に馬鹿だな。」
「うるさい、クソじじい。」
「まさかとは思うが、彼女と体を重ねただけで心まで手にいれたつもりだったのか?」
唇を噛み締めた。そんなつもりじゃない。マリアはいつだって一線を越えてはこなかった。俺が答えたくないことは追及せず、心地いい会話ばかりした。
そのかわりマリアは自分の心を話さない。人形のような女が嫌だと言いながら、彼女を都合よく扱っているのは俺のほうだ。
「これから婚約者を決めると言っている男のいつかの約束など、なんの意味があるんだ。」
なにかを堪えるような笑顔なんか見たくなかった。そんな顔をさせているのは俺自身のせいなのに、彼女に八つ当たりした。本当に馬鹿だ。
「彼女は本当に素晴らしい女性だ。相手の求めるものを正確に読み取って、それを返してくれる。客たちが彼女を求めるのは当然だな。」
「俺がアイツの客と同じだって言いたいのか?」
「なにか違うのか?今のお前は彼女の客たちとなにも変わらないだろう。」
違う!そう言いかけて言葉を飲み込んだ。親父の言う通りだ。彼女を喜ばせることすらできないのだから。
「そんなに後悔しているなら、さっさと謝るんだ。時間を無駄にするなよ。」
謝って、そのあとはどうしたらいい?これまでと変わらず彼女を抱くのか。そんなことできるわけないだろ。
「もうすぐアルセインが帰ってくる。うじうじしている暇があるなら覚悟を決めろ。」
親父の背中を見送りながら、無性に兄貴と話したかった。
どうして突然真実の愛なんて言い出したのか。留学をしてなにを学んで、なにを思ったのか。
本当に婚約者を決めるのか?それが嫌でこの国を出てったんじゃないのかよ。
その日は結局マリアには会いに行けなかった。手を振り払ったときの彼女の傷ついた顔が忘れられなかった。
* * *
「どうかこのままここで働きませんか?」
ドアの隙間から聞こえる話し声。長く城に仕えるアゼルが誰かに深く関わるのを初めてみた。いつも冷静な彼女は自分が孤児という生い立ちのせいか、周りの者たちとも距離を置いている。
今日1日マリアが寝込んでいるときいて驚いた。昨日の外出で風邪でも引いたのかと思ったが、そうではないと知って安堵した。
女の体について詳しいわけではないし、今まであまり考えたこともなかった。寝込んでしまうほど痛いのか。毎月あの娼館の部屋でひとりうずくまっているのかと思うと胸が痛んだ。
毎月やってくる痛みと闘いながら、彼女はたった一人で自分の夢のために働いている。
「春嬢は身体を売りながら、心も一緒に少しずつ売っているんだって。全部の心が無くなる前にこの仕事から足を洗いなさいって。」
あと半月経てば、彼女はまたあの場所で客を取る。そうやって心を削っていくのだ。
考えなくなかった。他の男に抱かれている彼女を考えただけでおかしくなりそうだ。
俺の前だけで笑っていてほしい。彼女に触れるのは俺だけでありたい。
俺はマリアが好きだ。今さら気づいたところで一体どうしろって言うんだ。
「今回のお給料でたくさん稼げました。だからあと一年も働けば、娼館を出られます。」
彼女に触れたい。もっと彼女のことを知りたかった。故郷の話、夢の話なんだっていい。マリアの声を聞いていたかった。
そっとドアを閉めその場を離れた。
気持ちを自覚したいま、彼女に会えば何を口走るか分からない。これ以上彼女を困らせたくなかった。
たった半月で彼女の存在はこんなにも大きく成長した。絶対に失いたくない。
明日は必ず彼女を訪ねよう。なにを持っていけば、彼女は喜んでくれるだろう。女への贈り物なんてしたことのない俺には難しい問題だった。
『私はケインの恋人でもなんでもないんだから。』
マリアの言葉が頭から離れない。そんなこと言われなくても分かっている。
俺はただ彼女に喜んでほしかっただけだ。
丘の上から彼方を見つめる瞳がひどく寂しそうで、そのままどこかへ行ってしまいそうに見えた。
海の見える故郷。彼女が望むならどこへだって連れていきたい。そうして笑っていてくれたら、俺は………。
「遠乗りは楽しかったか?」
振り返るとそこには執務を終えた親父が立っていた。
「マリアに言ったのか?俺のこと。」
親父は少し困ったように微笑んだ。俺がいない間に彼女と会っていたことは知っている。何を話したのか聞いてもマリアは答えなかった。
「彼女の方から聞いてきたんだ。お前には教育係なんて必要ないんじゃないかとね。いつまでも隠しておくわけにはいかないだろう?」
それでも、知られたくなかった。他の女のために彼女を利用している。そんなの最悪じゃないか。
「マリアさんと何かあったのか?」
「……。海が見たいと言うからいつか連れてってやると言ったんだ。そしたら、恋人じゃないんだからと断られた。」
帰り道、一言も話すことなく帰ってきた。次どんな顔で会いに行けばいいのか、まるで分からない。
「はぁ…お前は本当に馬鹿だな。」
「うるさい、クソじじい。」
「まさかとは思うが、彼女と体を重ねただけで心まで手にいれたつもりだったのか?」
唇を噛み締めた。そんなつもりじゃない。マリアはいつだって一線を越えてはこなかった。俺が答えたくないことは追及せず、心地いい会話ばかりした。
そのかわりマリアは自分の心を話さない。人形のような女が嫌だと言いながら、彼女を都合よく扱っているのは俺のほうだ。
「これから婚約者を決めると言っている男のいつかの約束など、なんの意味があるんだ。」
なにかを堪えるような笑顔なんか見たくなかった。そんな顔をさせているのは俺自身のせいなのに、彼女に八つ当たりした。本当に馬鹿だ。
「彼女は本当に素晴らしい女性だ。相手の求めるものを正確に読み取って、それを返してくれる。客たちが彼女を求めるのは当然だな。」
「俺がアイツの客と同じだって言いたいのか?」
「なにか違うのか?今のお前は彼女の客たちとなにも変わらないだろう。」
違う!そう言いかけて言葉を飲み込んだ。親父の言う通りだ。彼女を喜ばせることすらできないのだから。
「そんなに後悔しているなら、さっさと謝るんだ。時間を無駄にするなよ。」
謝って、そのあとはどうしたらいい?これまでと変わらず彼女を抱くのか。そんなことできるわけないだろ。
「もうすぐアルセインが帰ってくる。うじうじしている暇があるなら覚悟を決めろ。」
親父の背中を見送りながら、無性に兄貴と話したかった。
どうして突然真実の愛なんて言い出したのか。留学をしてなにを学んで、なにを思ったのか。
本当に婚約者を決めるのか?それが嫌でこの国を出てったんじゃないのかよ。
その日は結局マリアには会いに行けなかった。手を振り払ったときの彼女の傷ついた顔が忘れられなかった。
* * *
「どうかこのままここで働きませんか?」
ドアの隙間から聞こえる話し声。長く城に仕えるアゼルが誰かに深く関わるのを初めてみた。いつも冷静な彼女は自分が孤児という生い立ちのせいか、周りの者たちとも距離を置いている。
今日1日マリアが寝込んでいるときいて驚いた。昨日の外出で風邪でも引いたのかと思ったが、そうではないと知って安堵した。
女の体について詳しいわけではないし、今まであまり考えたこともなかった。寝込んでしまうほど痛いのか。毎月あの娼館の部屋でひとりうずくまっているのかと思うと胸が痛んだ。
毎月やってくる痛みと闘いながら、彼女はたった一人で自分の夢のために働いている。
「春嬢は身体を売りながら、心も一緒に少しずつ売っているんだって。全部の心が無くなる前にこの仕事から足を洗いなさいって。」
あと半月経てば、彼女はまたあの場所で客を取る。そうやって心を削っていくのだ。
考えなくなかった。他の男に抱かれている彼女を考えただけでおかしくなりそうだ。
俺の前だけで笑っていてほしい。彼女に触れるのは俺だけでありたい。
俺はマリアが好きだ。今さら気づいたところで一体どうしろって言うんだ。
「今回のお給料でたくさん稼げました。だからあと一年も働けば、娼館を出られます。」
彼女に触れたい。もっと彼女のことを知りたかった。故郷の話、夢の話なんだっていい。マリアの声を聞いていたかった。
そっとドアを閉めその場を離れた。
気持ちを自覚したいま、彼女に会えば何を口走るか分からない。これ以上彼女を困らせたくなかった。
たった半月で彼女の存在はこんなにも大きく成長した。絶対に失いたくない。
明日は必ず彼女を訪ねよう。なにを持っていけば、彼女は喜んでくれるだろう。女への贈り物なんてしたことのない俺には難しい問題だった。
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