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1章 春嬢編
第十二話
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第十二話
「わぁ!すごい!ケインもっと速く!」
「動くな!落ちても知らないぞ。」
王城の裏手、城に仕える人にしか許されない小路を抜けるとそこは国の郊外広い草原に繋がっている。
彼の愛馬に一緒に乗せてもらい草の上を駆ける。想像以上の気持ちよさだった。王城に来てから初めての外出。
「いいなぁ、ケインはこんなことが出来て。」
「馬に乗りたいなんていう女は初めてだ。」
そんなことを言いながら彼は楽しそうに笑っている。小さい頃から馬術を学ぶのが好きで、勉強そっちのけでやっていたというのは本当らしい。
「騎士団の演習はどうだった?」
「まぁいつも通りだ。でも城よりは自由でいい。」
演習から帰ってくるとケインはいつもより上機嫌だった。外にいるほうがきっと彼の性格には合っている。
「あの丘まで行ったら休憩するか。」
急な坂道でも馬は楽々と駆け上がっていく。自由に馬を操りどこへでも行くことができたら。どうしてだろう、そんなこと今まで考えたこともなかった。
「きれい…。」
小高い丘の上からはどこまでも見渡せる。白亜の城、城下町、その先には美しい緑が広がっていた。
「海は見えないんだね。」
「ここから海まで行くには三日間馬を走らせないと無理だ。海が見たかったのか?」
この世界でも海は青色なんだろうか。懐かしい潮風のにおいと波の音。
「私が生まれた町は海のすぐそばだったの。いつも潮のにおいがしてた。故郷が嫌でたまらなくて飛び出したのに。懐かしいなんて、変だよね。」
心から帰りたいと思ってるわけではない。それでも今は海を見てみたかった。
「いつか連れてってやる。俺の馬なら早い。」
「ありがとう、でもいいの。言ってみただけだから。」
笑いながら振り返るとケインの顔が険しかった。
「言いたいことがあるなら言えよ。お前なんか変だろ?作り笑いなんかするな。」
そんなことないよ、そう言って誤魔化そうと思っても言葉が出てこなかった。その真っ直ぐな瞳はいつだってそらせない。
「私、作り笑いしてた?」
「してるだろ。やめろよ、お前らしくない。」
その言葉がなぜか心に刺さった。私らしくない、私らしいってなに?貴方になにがわかるの。
「簡単に連れていくなんて言わないで。私はケインの恋人でもなんでもないんだから。」
自分で思っていた以上に冷たい声。突き放すような言葉に自分で驚いてしまった。
「ごめん、私のために言ってくれたのに。」
パシッ
彼の手を握ろうとした右手を振り払われた。突然のことに固まった私を見つめている彼のほうが傷ついた顔をしている。
「ケイン、ごめんなさい。」
そんな傷ついた顔をさせるつもりじゃなかった。
「戻ろう。そろそろ日が暮れる。」
無言のまま城に戻っても、もう顔を見てもくれなかった。
その日を境に彼はまた私に会いに来なくなった。
* * *
「マリア様お加減いかがですか?」
あの日の夜、女性の月のモノがやってきた。下腹部の痛みがひどく、気分の落ち込みもひどい。翌日はずっとベッドの中で過ごした。
「もうだいぶ楽になりました。ご心配かけてすみません。」
アゼルさんは体が暖まるというハーブティを淹れてくれた。飲むとじんわりとお腹が温かい。
「マリア様、どうか気を悪くせずに聞いていただけますか?」
「どうかしましたか?」
アゼルさんは言葉を選ぶようにゆっくりと瞬きをした。
「娼館で働く間、月のモノがきた時はどうされるのですか?」
「三日くらいは休んでもいいと言われます。でもその間はお給料が貰えないので、無理して働く人も多いですね。」
その日その日の稼ぎがなければ、私たちは生きていけない。お金がなくなれば、借金をするしかなく借金が膨らみ続ければ娼館からは一生出られない。
私は運が良かった。ただそれだけ。
「私は運良く人よりたくさんお金をいただけるので三日くらい休んでもなんとかなります。」
私が同僚たちから良く思われていないのはきっとそういう部分もあるのだろう。
「マリア様、厚かましいと思われてもかまいません。どうかこのままここで働きませんか?」
「えっ…?」
「町では保証人がいなければ住むところを探すのも難しいでしょう。だから春嬢をされているのではないのですか?ここならば、マリア様の身元は私が保証いたします。侍女としてこのままここに残ってください。」
私より10歳年上のアゼルさん。十代の頃から侍女として王城で働いている彼女は誰よりも陛下の信頼が厚い。
「どうしてそこまでしてくれるんですか?」
ふと彼女の表情が緩んだ。なにかを懐かしんでいるみたいに。
「私は孤児でした。ここで働いていられるのは本当に奇跡なのです。孤児院でともに過ごした者の中には春嬢になった娘も大勢います。しかしみな心を病んでいきました。マリア様にはそうなってほしくありません。」
優しい瞳には涙が浮かんでいた。たった半月一緒に過ごしただけの私に、こんなことを言ってくれる人がいるなんて。私は本当に恵まれている。
「昔、同じ仕事をしていた人に言われたことがあります。春嬢は身体を売りながら、心も一緒に少しずつ売っているんだって。」
「…心もですか?」
「はい。心を少しずつ少しずつ削ってるんだって。だから、心が全部無くなる前に早くこの仕事から足を洗いなさいと言われました。」
そう教えてくれた人も今はどこで何をしているのか分からない。
「それならっ。」
「…ごめんなさい。アゼルさんの気持ちは本当に嬉しいです。でも私は自分でこの仕事を選びました。たしかに選択肢は多くありませんでしたが、それでも後悔はしていません。だからどうか心配しないでください。」
涙を堪え、彼女の細い腕に抱き締められた。
「今回のお給料でたくさん稼げました。だからあと一年も働けば、娼館を出られます。」
私をこんなふうに思ってくれた人がいる。それだけで私はきっと大丈夫。
そのときふと部屋の扉が少し動いた気がした。
「わぁ!すごい!ケインもっと速く!」
「動くな!落ちても知らないぞ。」
王城の裏手、城に仕える人にしか許されない小路を抜けるとそこは国の郊外広い草原に繋がっている。
彼の愛馬に一緒に乗せてもらい草の上を駆ける。想像以上の気持ちよさだった。王城に来てから初めての外出。
「いいなぁ、ケインはこんなことが出来て。」
「馬に乗りたいなんていう女は初めてだ。」
そんなことを言いながら彼は楽しそうに笑っている。小さい頃から馬術を学ぶのが好きで、勉強そっちのけでやっていたというのは本当らしい。
「騎士団の演習はどうだった?」
「まぁいつも通りだ。でも城よりは自由でいい。」
演習から帰ってくるとケインはいつもより上機嫌だった。外にいるほうがきっと彼の性格には合っている。
「あの丘まで行ったら休憩するか。」
急な坂道でも馬は楽々と駆け上がっていく。自由に馬を操りどこへでも行くことができたら。どうしてだろう、そんなこと今まで考えたこともなかった。
「きれい…。」
小高い丘の上からはどこまでも見渡せる。白亜の城、城下町、その先には美しい緑が広がっていた。
「海は見えないんだね。」
「ここから海まで行くには三日間馬を走らせないと無理だ。海が見たかったのか?」
この世界でも海は青色なんだろうか。懐かしい潮風のにおいと波の音。
「私が生まれた町は海のすぐそばだったの。いつも潮のにおいがしてた。故郷が嫌でたまらなくて飛び出したのに。懐かしいなんて、変だよね。」
心から帰りたいと思ってるわけではない。それでも今は海を見てみたかった。
「いつか連れてってやる。俺の馬なら早い。」
「ありがとう、でもいいの。言ってみただけだから。」
笑いながら振り返るとケインの顔が険しかった。
「言いたいことがあるなら言えよ。お前なんか変だろ?作り笑いなんかするな。」
そんなことないよ、そう言って誤魔化そうと思っても言葉が出てこなかった。その真っ直ぐな瞳はいつだってそらせない。
「私、作り笑いしてた?」
「してるだろ。やめろよ、お前らしくない。」
その言葉がなぜか心に刺さった。私らしくない、私らしいってなに?貴方になにがわかるの。
「簡単に連れていくなんて言わないで。私はケインの恋人でもなんでもないんだから。」
自分で思っていた以上に冷たい声。突き放すような言葉に自分で驚いてしまった。
「ごめん、私のために言ってくれたのに。」
パシッ
彼の手を握ろうとした右手を振り払われた。突然のことに固まった私を見つめている彼のほうが傷ついた顔をしている。
「ケイン、ごめんなさい。」
そんな傷ついた顔をさせるつもりじゃなかった。
「戻ろう。そろそろ日が暮れる。」
無言のまま城に戻っても、もう顔を見てもくれなかった。
その日を境に彼はまた私に会いに来なくなった。
* * *
「マリア様お加減いかがですか?」
あの日の夜、女性の月のモノがやってきた。下腹部の痛みがひどく、気分の落ち込みもひどい。翌日はずっとベッドの中で過ごした。
「もうだいぶ楽になりました。ご心配かけてすみません。」
アゼルさんは体が暖まるというハーブティを淹れてくれた。飲むとじんわりとお腹が温かい。
「マリア様、どうか気を悪くせずに聞いていただけますか?」
「どうかしましたか?」
アゼルさんは言葉を選ぶようにゆっくりと瞬きをした。
「娼館で働く間、月のモノがきた時はどうされるのですか?」
「三日くらいは休んでもいいと言われます。でもその間はお給料が貰えないので、無理して働く人も多いですね。」
その日その日の稼ぎがなければ、私たちは生きていけない。お金がなくなれば、借金をするしかなく借金が膨らみ続ければ娼館からは一生出られない。
私は運が良かった。ただそれだけ。
「私は運良く人よりたくさんお金をいただけるので三日くらい休んでもなんとかなります。」
私が同僚たちから良く思われていないのはきっとそういう部分もあるのだろう。
「マリア様、厚かましいと思われてもかまいません。どうかこのままここで働きませんか?」
「えっ…?」
「町では保証人がいなければ住むところを探すのも難しいでしょう。だから春嬢をされているのではないのですか?ここならば、マリア様の身元は私が保証いたします。侍女としてこのままここに残ってください。」
私より10歳年上のアゼルさん。十代の頃から侍女として王城で働いている彼女は誰よりも陛下の信頼が厚い。
「どうしてそこまでしてくれるんですか?」
ふと彼女の表情が緩んだ。なにかを懐かしんでいるみたいに。
「私は孤児でした。ここで働いていられるのは本当に奇跡なのです。孤児院でともに過ごした者の中には春嬢になった娘も大勢います。しかしみな心を病んでいきました。マリア様にはそうなってほしくありません。」
優しい瞳には涙が浮かんでいた。たった半月一緒に過ごしただけの私に、こんなことを言ってくれる人がいるなんて。私は本当に恵まれている。
「昔、同じ仕事をしていた人に言われたことがあります。春嬢は身体を売りながら、心も一緒に少しずつ売っているんだって。」
「…心もですか?」
「はい。心を少しずつ少しずつ削ってるんだって。だから、心が全部無くなる前に早くこの仕事から足を洗いなさいと言われました。」
そう教えてくれた人も今はどこで何をしているのか分からない。
「それならっ。」
「…ごめんなさい。アゼルさんの気持ちは本当に嬉しいです。でも私は自分でこの仕事を選びました。たしかに選択肢は多くありませんでしたが、それでも後悔はしていません。だからどうか心配しないでください。」
涙を堪え、彼女の細い腕に抱き締められた。
「今回のお給料でたくさん稼げました。だからあと一年も働けば、娼館を出られます。」
私をこんなふうに思ってくれた人がいる。それだけで私はきっと大丈夫。
そのときふと部屋の扉が少し動いた気がした。
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