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第十九話〜シュウ〜
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第十九話~シュウ~
「聞いたよ、カザンから来た幼馴染のこと。ずいぶん派手にやってるみたいだね。」
皇太子であるイアンの執務室は王城の奥、国王の居室に近い場所に設けられている。普段王城の中でも騎士たちの訓練所にしか立ち寄らない自分を呼び出して、第一声がこれだ。
「いまアイツの証言の裏を取っている所だ。」
「お父上の遺言なんて本当にあったの?」
イアンはいつも的確に痛いところを突いてくる。それが分からないからこうして調べているんだ。
「分からない。俺は親父の死に目に会っていないからな。」
予想通りの答えだったのか、イアンは薄い微笑みを浮かべこちらを見つめている。
「何が言いたい?」
「いいや…、リコリスさんはさぞ不安だろうなと思っただけだよ。いきなり敵国に連れてこられて婚約したと思ったら、自分が婚約者だって言い張る女性が突然現れたらさ。」
俺を信じると言ってくれたリコリス。せっかく仲直りができて距離が近づいたと思ったのに。キファのせいでまた彼女との時間が取れなくなった。
「あんなに美しい人を放っておくなんて、シュウはもう少し危機感を持った方がいいと思うよ。」
「…うるさい。くだらないことで呼び出すな。」
そのまま俺は執務室を後にした。最近はいつもこうだ。行く先々で彼女との仲を心配される。まさかイアンにまで同じような事を言われるとは思わなかった。
婚約式や茶会で彼女の姿を見た者たちは皆その美しさを讃え、あんな女性と婚約できるなんて羨ましいと言ってくる。アスタリオ人に嫌悪感を持つ貴族も多いはずが、彼女に対してそれを態度に表す者は少ない。
全ては彼女の美しさとそれ以上に清らかな性格のためだろう。
しかし、彼女が誰かに美しいと褒められるたび俺は言葉にできない苛立ちを感じる。彼女の美しさを一番知っているのは自分だという自負と、彼女を誰にも見られたくない想い。
彼女の全てを独占したい。こんな気持ちは初めてだ。
親父が病に倒れたのは亡くなる3ヶ月前だった。あの戦場の鬼と呼ばれた父親が病気になるなんて誰が予想しただろう。
俺は親父が倒れたと聞いても何も思わなかった。なんの病気かは知らないが、すぐにまた前線に戻る。なんの疑いもなくそう信じていた。
故郷の兄貴から、父の訃報が届いたとき何かの間違いだと思った。それほど現実味のない報せだったのだ。
「シュウ!今日こそ認めてもらうからな!」
屋敷に戻るとキファが玄関の前で仁王立ちをして、俺を待っていた。
「何度も言うが、俺はお前と結婚するつもりはない。」
「父上の言葉を違えるつもりか?!ソル将軍の最後の願いだ!」
親父の訃報を聞き馬を飛ばして故郷に戻った俺を、カザンの街は記憶のままの姿で迎えてくれた。
街中の人々が将軍の死を悼み、その葬儀は盛大なものになった。
俺は涙を流さなかった。泣き崩れる兄の横で、俺は父への尊敬の念でいっぱいだったのだ。葬儀にやってきたのは皆、どこかで親父に助けられた者たち。貴族も平民も関係ない。父への感謝を述べ、その棺の前で涙を流した。
あぁ、自分もこんな風に死にたい。
国のため、人のため、その命尽きるまで戦ったからこそ親父のために泣く人がいる。俺はそんな父の背中を一生をかけて追いかけるのだ。そう心に誓った。
「何度も聞くが、本当に親父の遺言を聞いたのか?」
勇敢だった父の姿とキファに息子と結婚して支えてやってほしいと言う父の姿がどうしても重ならないのだ。俺の知る父親はそんなことを言う男ではなかった。
死を前にして心が弱ったとでもいうのか。
「私はたしかに言われたんだ!お前を支えてやってほしいと!」
カザンからの調査報告書には、たしかに親父が病に倒れた後キファと二人きりで何か話をしていたらしいことが書かれていた。しかし証人もおらず、キファの言う遺言を他に聞いた者もいない。
「私はずっとお前を想ってきた。カザンを離れたあともずっとだ。」
「ならどうして今まで何も言わなかった?親父が死んで、もう5年も経っている。遺言だというならすぐに俺に伝えるべきだろう。」
するとキファは目を泳がせ、言い淀む。
「それは…あの頃は国境での諍いも多かったし、落ち着いてから話そうと…。」
昔からキファは嘘が吐けない。こうして自分に都合が悪いことになるとすぐに目を反らす。
「俺はリコリスと結婚する。誰に何を言われようとそれは変わらない。」
立ち尽くすキファの横を通り過ぎ、俺は屋敷に入った。すぐにバタバタと足音が付いて来る。
「あんな女のどこがいいんだよ?馬にも乗れないし、狩りもできないじゃないか。体もガリガリでなんの役にも立たない。」
「おい…彼女への侮辱は俺への侮辱だと受け取るぞ。」
キファを睨みつけると、その瞳にジワリと涙が浮かんだ。それを無視して俺は自宅の執務室へ向かう。
しかしキファは懲りずについて来た。
「私は…ずっと…ずっとシュウが好きだ!いつか帰ってくるって信じてた!どうしてカザンに戻ってこないんだ?お前の故郷だろう!」
「カザンは俺の居場所ではない。」
父親の跡を継ぐ兄貴がいればカザンは安泰だ。俺にできることなどない。それよりもこの首都で俺は自分の力を試したかった。誰よりも強く、国のために己の力を使う。
そのおかげで俺はリコリスと出逢えた。今は彼女のためにこの力を使いたい。
「リコリスがいるここが俺の居場所だ。」
俺を見つめるキファの目からボロボロと涙が溢れた。リコリスの涙を見ると驚くほど胸が痛むのに、いまは何も感じない。
「俺はお前を家族だと思っていた。一緒に馬を走らせ、同じ師から武術を学んだことは良い思い出だ。でも、俺はお前を女だと思ったことはない。これからもきっとないだろう。」
すると、キファは床に座り込みわぁわぁと泣き出した。
「お前も!お前もアイツと一緒なのか!皆そうだ!お前は女じゃないって、陰で猪女って呼ばれてるのだって知ってるんだ!」
ぎゃあぁと声を上げるキファの横をすり抜けユノが部屋に入ってきた。
「どうした?」
「カザンから追加の報告書が届きました。すぐにお持ちするべきかと思いまして。」
それはキファの生家ユースタス家からの謝罪から始まっていた。
つい3ヶ月前、キファに縁談が持ち上がった。相手はカザンから少し離れた辺境の男爵家の三男でキファの3歳年下。俺と一歳しか変わらないキファはすでに行き遅れだ。この縁談が最後のチャンスかもしれない。両親は喜び、縁談は進められた。
しかしそれを知った本人は突然俺と婚約の約束をしていると言い出した。その頃には首都で俺が婚約式をしたことがカザンまで届いていたし、キファもそれを知っていたはずだ。
「アイツというのは、お前の本当の婚約者のことか?」
その言葉にキファの肩がビクリと震えた。
「お前の両親が迎えに来ると言ってるぞ。聞くのはこれで最後にする。お前は本当に親父の遺言を聞いたのか?」
ゴシゴシと涙を拭うとキファは小さく呟いた。
「お前のことを頼むと言われたのは本当。妻になれとは…言われてないけど。」
俺とユノは大きく溜息をついた。
「つ、ま、り。お前の嘘に振り回されて、俺は彼女にも会えず不安にさせた挙げ句、変な噂をたてられたと?国王の前で誓った婚約を破棄にしろと言ったのか?」
「お前を好きなのは本当なんだ!お前なら私を女として見てくれると思った!だって昔、私のこと抱きしめてくれたじゃないか?!」
俺は記憶を探りながら、ある出来事を思い出していた。
「それはお前の乗った馬が突然暴れだしたとき、落馬しないように支えたことを言っているのか?あの場ではそうしなければお前が怪我をした。それも10歳の頃の話だろう。」
まさか本当にそんな子供の頃のことを頼りにして俺を好きだと言っているのか?
「なんで!?私だって女なのに!どうして誰も認めてくれないんだ!」
キファのヒステリーな叫び声に俺は頭を抱えた。
あぁ早く彼女に会いたい。
「聞いたよ、カザンから来た幼馴染のこと。ずいぶん派手にやってるみたいだね。」
皇太子であるイアンの執務室は王城の奥、国王の居室に近い場所に設けられている。普段王城の中でも騎士たちの訓練所にしか立ち寄らない自分を呼び出して、第一声がこれだ。
「いまアイツの証言の裏を取っている所だ。」
「お父上の遺言なんて本当にあったの?」
イアンはいつも的確に痛いところを突いてくる。それが分からないからこうして調べているんだ。
「分からない。俺は親父の死に目に会っていないからな。」
予想通りの答えだったのか、イアンは薄い微笑みを浮かべこちらを見つめている。
「何が言いたい?」
「いいや…、リコリスさんはさぞ不安だろうなと思っただけだよ。いきなり敵国に連れてこられて婚約したと思ったら、自分が婚約者だって言い張る女性が突然現れたらさ。」
俺を信じると言ってくれたリコリス。せっかく仲直りができて距離が近づいたと思ったのに。キファのせいでまた彼女との時間が取れなくなった。
「あんなに美しい人を放っておくなんて、シュウはもう少し危機感を持った方がいいと思うよ。」
「…うるさい。くだらないことで呼び出すな。」
そのまま俺は執務室を後にした。最近はいつもこうだ。行く先々で彼女との仲を心配される。まさかイアンにまで同じような事を言われるとは思わなかった。
婚約式や茶会で彼女の姿を見た者たちは皆その美しさを讃え、あんな女性と婚約できるなんて羨ましいと言ってくる。アスタリオ人に嫌悪感を持つ貴族も多いはずが、彼女に対してそれを態度に表す者は少ない。
全ては彼女の美しさとそれ以上に清らかな性格のためだろう。
しかし、彼女が誰かに美しいと褒められるたび俺は言葉にできない苛立ちを感じる。彼女の美しさを一番知っているのは自分だという自負と、彼女を誰にも見られたくない想い。
彼女の全てを独占したい。こんな気持ちは初めてだ。
親父が病に倒れたのは亡くなる3ヶ月前だった。あの戦場の鬼と呼ばれた父親が病気になるなんて誰が予想しただろう。
俺は親父が倒れたと聞いても何も思わなかった。なんの病気かは知らないが、すぐにまた前線に戻る。なんの疑いもなくそう信じていた。
故郷の兄貴から、父の訃報が届いたとき何かの間違いだと思った。それほど現実味のない報せだったのだ。
「シュウ!今日こそ認めてもらうからな!」
屋敷に戻るとキファが玄関の前で仁王立ちをして、俺を待っていた。
「何度も言うが、俺はお前と結婚するつもりはない。」
「父上の言葉を違えるつもりか?!ソル将軍の最後の願いだ!」
親父の訃報を聞き馬を飛ばして故郷に戻った俺を、カザンの街は記憶のままの姿で迎えてくれた。
街中の人々が将軍の死を悼み、その葬儀は盛大なものになった。
俺は涙を流さなかった。泣き崩れる兄の横で、俺は父への尊敬の念でいっぱいだったのだ。葬儀にやってきたのは皆、どこかで親父に助けられた者たち。貴族も平民も関係ない。父への感謝を述べ、その棺の前で涙を流した。
あぁ、自分もこんな風に死にたい。
国のため、人のため、その命尽きるまで戦ったからこそ親父のために泣く人がいる。俺はそんな父の背中を一生をかけて追いかけるのだ。そう心に誓った。
「何度も聞くが、本当に親父の遺言を聞いたのか?」
勇敢だった父の姿とキファに息子と結婚して支えてやってほしいと言う父の姿がどうしても重ならないのだ。俺の知る父親はそんなことを言う男ではなかった。
死を前にして心が弱ったとでもいうのか。
「私はたしかに言われたんだ!お前を支えてやってほしいと!」
カザンからの調査報告書には、たしかに親父が病に倒れた後キファと二人きりで何か話をしていたらしいことが書かれていた。しかし証人もおらず、キファの言う遺言を他に聞いた者もいない。
「私はずっとお前を想ってきた。カザンを離れたあともずっとだ。」
「ならどうして今まで何も言わなかった?親父が死んで、もう5年も経っている。遺言だというならすぐに俺に伝えるべきだろう。」
するとキファは目を泳がせ、言い淀む。
「それは…あの頃は国境での諍いも多かったし、落ち着いてから話そうと…。」
昔からキファは嘘が吐けない。こうして自分に都合が悪いことになるとすぐに目を反らす。
「俺はリコリスと結婚する。誰に何を言われようとそれは変わらない。」
立ち尽くすキファの横を通り過ぎ、俺は屋敷に入った。すぐにバタバタと足音が付いて来る。
「あんな女のどこがいいんだよ?馬にも乗れないし、狩りもできないじゃないか。体もガリガリでなんの役にも立たない。」
「おい…彼女への侮辱は俺への侮辱だと受け取るぞ。」
キファを睨みつけると、その瞳にジワリと涙が浮かんだ。それを無視して俺は自宅の執務室へ向かう。
しかしキファは懲りずについて来た。
「私は…ずっと…ずっとシュウが好きだ!いつか帰ってくるって信じてた!どうしてカザンに戻ってこないんだ?お前の故郷だろう!」
「カザンは俺の居場所ではない。」
父親の跡を継ぐ兄貴がいればカザンは安泰だ。俺にできることなどない。それよりもこの首都で俺は自分の力を試したかった。誰よりも強く、国のために己の力を使う。
そのおかげで俺はリコリスと出逢えた。今は彼女のためにこの力を使いたい。
「リコリスがいるここが俺の居場所だ。」
俺を見つめるキファの目からボロボロと涙が溢れた。リコリスの涙を見ると驚くほど胸が痛むのに、いまは何も感じない。
「俺はお前を家族だと思っていた。一緒に馬を走らせ、同じ師から武術を学んだことは良い思い出だ。でも、俺はお前を女だと思ったことはない。これからもきっとないだろう。」
すると、キファは床に座り込みわぁわぁと泣き出した。
「お前も!お前もアイツと一緒なのか!皆そうだ!お前は女じゃないって、陰で猪女って呼ばれてるのだって知ってるんだ!」
ぎゃあぁと声を上げるキファの横をすり抜けユノが部屋に入ってきた。
「どうした?」
「カザンから追加の報告書が届きました。すぐにお持ちするべきかと思いまして。」
それはキファの生家ユースタス家からの謝罪から始まっていた。
つい3ヶ月前、キファに縁談が持ち上がった。相手はカザンから少し離れた辺境の男爵家の三男でキファの3歳年下。俺と一歳しか変わらないキファはすでに行き遅れだ。この縁談が最後のチャンスかもしれない。両親は喜び、縁談は進められた。
しかしそれを知った本人は突然俺と婚約の約束をしていると言い出した。その頃には首都で俺が婚約式をしたことがカザンまで届いていたし、キファもそれを知っていたはずだ。
「アイツというのは、お前の本当の婚約者のことか?」
その言葉にキファの肩がビクリと震えた。
「お前の両親が迎えに来ると言ってるぞ。聞くのはこれで最後にする。お前は本当に親父の遺言を聞いたのか?」
ゴシゴシと涙を拭うとキファは小さく呟いた。
「お前のことを頼むと言われたのは本当。妻になれとは…言われてないけど。」
俺とユノは大きく溜息をついた。
「つ、ま、り。お前の嘘に振り回されて、俺は彼女にも会えず不安にさせた挙げ句、変な噂をたてられたと?国王の前で誓った婚約を破棄にしろと言ったのか?」
「お前を好きなのは本当なんだ!お前なら私を女として見てくれると思った!だって昔、私のこと抱きしめてくれたじゃないか?!」
俺は記憶を探りながら、ある出来事を思い出していた。
「それはお前の乗った馬が突然暴れだしたとき、落馬しないように支えたことを言っているのか?あの場ではそうしなければお前が怪我をした。それも10歳の頃の話だろう。」
まさか本当にそんな子供の頃のことを頼りにして俺を好きだと言っているのか?
「なんで!?私だって女なのに!どうして誰も認めてくれないんだ!」
キファのヒステリーな叫び声に俺は頭を抱えた。
あぁ早く彼女に会いたい。
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