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ウィレナーズ×ズィーロ編
05.満身創痍で切れる人
しおりを挟むびっくりした。
まさかウィレナーズが朝食を作ってくれているなんて思わなかった。
もう会わないと言われたのに、その話のほとぼりが冷める前に無理やりのように押し掛けてきたから、迷惑がられていてもおかしくないと思っていた。
見ただけでわかるズィーロの好物ばかりが並ぶ朝食に、驚きと共に喜びが湧き上がる。
だけど、起きた時点で絶食六日目に入っていたズィーロのお腹は訴える。
今これを全部食べるのは無理だよー!
……腹の声を聞かなくてもわかっている、絶対に無理だ。
仕方ないから、師団に持って行って少しずつ食べよう。
そう、ウィレナーズへ言ったら、具合でも悪いのか? と、身体を気遣われた。
なんだか、泣きそうだ。まだ自分の身体の事を考えてくれるなんて。
冷静になって考えれば当たり前の事だ、恋人と言う括りがなくても自分達は長いこと家族のように過ごしてきた。家族の身体くらい誰だって気遣うだろう。
ここ数日思考も涙腺もバカになっていて、そんな事にもすぐに思いが至らない。ようやく、大丈夫ありがとう、と返したが早めにここを出ないとまた無様な所を見られてしまう。
無様な所を見られる前に急いでウィレナーズから離れようとしたのに、声をかけられた。
また夜に。
ウィレナーズは確かにそう言った。夜に、何だ。夜に、何を言われる? 夜に、何がある? 一気に緊張が増してしまった。
食べなければますます弱ると思い、もらってきた食事を食べている時も。朝礼で師団長が挨拶している時も。その後警備団との連携について話し合いがもたれた時も、何をしていても気になってしまう。
午前中を何とか乗り切ったものの、食べてなかった、睡眠が足りてなかった、その上、ウィレナーズの言葉が気にかかった、で、午後、体術の取組稽古中に相手との距離を見誤り胸に強烈な一撃を食らって、ズィーロはそれはそれは綺麗に吹っ飛んだ。
取組相手や周囲の同僚の「えええ、うっそ?! ズィーロ??!!」の声を聞きながら、宙を舞った。もしかしたら、自分のバカさが原因でできた肩の打撲を庇うように動いていた事も原因ではあったかもしれないが、とにかく、完璧な弧を描いて吹っ飛んだ。
取組相手が困惑しながらも駆け寄ってくるのを見ながら、地面に落ちたズィーロは咳き込んだ。自分でも困惑の極みだ。
周囲からも実力者と認識されているズィーロにこんな初歩的な取組がガン決まりして、相手もまさかの気持ちが強いらしい。「え、え? 本当に入っちゃった?! ズィーロ、大丈夫??!!」困惑と心配が半々にきているらしい。
頭を打ってたらまずいだろ、と、周囲がご丁寧に担架を用意してくれて、体術師団付きの医術室まで運ばれる羽目になってしまった。情けなさが極まる。
「あれ、君、ズィーロ?」
運ばれた先の医術室で、ズィーロは顔見知りに会う。気流師で、第四王子の配偶者のシェルフェストだ。
なんだってまた医術室に気流師が、……それも、王族の気流師がいるんだ。普段気流師なんてここにいないじゃないか。間の悪さにズィーロは頭を抱えたくなる。
気流師はダメだ。色々バレる。今一番会ってはいけない種類の人間だ。
「て、わぁ、……君、大丈夫かい……? 辛くない? いや、これは辛いね、満身創痍だね……」
付き添ってきていた同僚たちが、え? 満身創痍? 大丈夫なの? とざわつく中、シェルフェストが立ち上がり「あとは僕が診ておくから、君たちの持ち場に戻って良いよ、ご苦労さま」と皆を帰してしまった。
何だか急に心細くなる。気流師が苦手なんて思った事無かったのに、どこまで視られているのか分からず少し怖い。
簡易ベッドの上で、若干緊張しながらもズィーロはシェルフェストを見た。
「久しぶりだね、オスカー殿下とユージィンの婚姻の儀以来かな?」
「はい、ご無沙汰しております」
「体術師団の医術室に友達がいてさ、ちょっと話があってきていたんだよ。ついさっきあっちで怪我人が、って呼ばれて出てっちゃったから、僕がお留守番してたんだけど……」
「あぁ……そう言う……」
「で、……視ていいのかな……? 事情がありそうな感じだけど……」
「視えてる、んですよね? でしたら、それはいいのですが……この身体の事、ユージィンとかには言わないで欲しいんですけど……」
「うん、もちろん、僕には守秘義務があるからね、言わないよ。でも、ユージィンには黙っていても会えば即ばれると思うけど……」
そう言いながらも、シェルフェストは手際よくズィーロの上衣を緩めてはだけさせると「ああここが酷いね、痛みを止めてあげよう、庇わないと動けなかったでしょ」と針を取り出す。
「気流師が視ても違和感を覚えなくなるのって……何日くらいかかりますか……?」
「んー……どうかな、……気流師ねぇ……最低でも二日は必要だと思うよ。
あまり眠れていなそうなのと栄養が足りてなさそうなのは、一日二日眠ってちゃんと食べれば回復していくだろうけど、……肩と胸の打撲は……今治療して、動かさないようにして二日、大事をとって三日かな。ただ、ユージィンは……戻ってきてから力が増してそうだから……四、五日は必要だろうねぇ」
「四、五日……」
「……私も、ユージィンのちからがどこまで増しているのか、測りかねているんだよ。でも、それぐらいは見ておいたほうが間違いないと思うよ。
それから、さすがに取組は良くないね。無理に動かすと回復が遅れるよ。今日はもう帰って、二、三日休んだらどうかな。幸いオスカー殿下が戻らないと事態は動かなそうだし、まだ帰ってこないから今なら休みやすいでしょ」
「そう、ですね……」
「三日後の朝にもう一回視てあげるよ。オズタリクアの宮においで、君なら入って来られるだろう? それで大丈夫そうならユージィンの見舞いに行ったらどう?」
「はい、……お言葉に甘えさせてもらいます……」
「うん、甘えて。……さ、どうかな、もう痛みは感じないと思うけど」
シェルフェストの言う通り、肩も胸も、もう痛まない。その上、頭の痛いのが徐々に治ってきたのもなんかすごい。
生まれてこの方気流師にお世話になった事なんて無かったけど、今まで心の機微に疎いとか、デリカシーが足りないとか散々バカにしてごめんな、とズィーロは心の中だけでユージィンに謝った。本人に謝るつもりは今後もない。
自分の所属する部隊長に事情を話したら、シェルフェスト殿下がそう仰るなら、と全面的に笑顔で賛成してくれた。もともと人気の高かった気流師だが、ユージィンの一件以来気流師が言う事は大抵通るザルの如しだ。大丈夫か、この国の気流師信仰は……。少し怖い気持ちになりながらも調子が悪い事は本当なのでありがたく家路につく。
いや、家路とは?
自分の家に帰るべきか、執事棟に戻るべきかしばらく迷い、執事棟に戻ることにした。自身の日用品を沢山持って行ってしまった事と、ウィレナーズから、また夜に、と言われた事が引っかかった。
……うそだ。何かが引っかかったから執事棟に戻るわけじゃない。ただ、どんな理由をつけても会いたいだけだ。だから、執事棟に戻った。そうでなければそもそも、無理矢理な理由をつけて居座ったりしないじゃないか。
この期に及んで尚自分への言い訳ばかりを連ねる自分の中の自分に若干キレながら、執事棟の扉を開けたがウィレナーズはまだ戻ってはいないようだ。
貸してもらった部屋のベッドに倒れこむ。不甲斐ない。体調を崩すこともそうだし、自身がやらかしたアホな理由の怪我が原因で、咄嗟に動けず更に怪我をする所もそうだ。こんなんで実力者なんて笑ってしまう。
どうしようもなさすぎて、ウィレナーズに捨てられてもおかしくないな。と、うっすら笑いながらズィーロは自分でも気づかないうちに眠りに入っていった。
次に目を開いたのは、もう窓の外がすっかり暗くなってからだ。寝入ったことにすら気づいていなかったのだから、目を開いて一瞬混乱した。
「あー、……ほんっと、どうしようもねぇなぁ……」
口をついて出るのは自分自身への文句ばかりだ。
自分はこんなに弱い人間だったのか。弱かったのだろう。弱かったから、今こうなっている。
もうぐだぐだしたくないから現状を何とかしたいと思って執事棟まで入り込んだのに、また夜に、なんてたった一言言われただけで心を揺さぶられているのだから世話はない。
あまり頻繁に会えなくても、好きだと言葉をくれなくても、行動を起こしてくれなくても、それでも、心のどこかでいつでもウィレナーズを拠り所にしていた。
それが無くなったと思うと、それだけで足元がおぼつかない、不安定な気持ちになる。
バカみたいだ。みたい、じゃなくて、バカなんだな。ウィレナーズに依存しないと生きていけません、だなんて、自分がまともな大人かどうか疑わしい。
こんなんじゃだめだ、本当にだめだ。
ウィレナーズに「もう会わない」と言われてから一体何度自身へのダメ出しをしたのかわからなくなってきたが、せずにはいられないのだからしょうがない。
「湯でも使うか……薬……」
湯から出てくる頃には多少はすっきりして、また夜に、と言っていたウィレナーズの話も正面からまともに聞けるといい。
そう思いながらズィーロは、師団でかいた汗を流すために、それからシェルフェストにもらった打撲の薬を塗りなおすためにも、湯を使うべく部屋についていた風呂場へ向かった。
結果的に、湯を使った事は良かった。
気分転換にもなったし、身体もさっぱりした。
風呂場で薬を塗るのは暑いから、出てから塗るか、と長衣を肩に羽織っただけで出てきた所までは何の問題もなかったはずだ。
そこに、ウィレナーズが「ズィーロ、いるか?」と、扉を叩かなければ。
「うひ、やわ、わ、え?! わ、わぁ!」
言葉にできない声を上げながら、ズィーロは長衣の前をかき合わせながら慌てて下半身を隠した。
「すまん、驚かせたか」
ウィレナーズはいつもとあまり変わらない様子で部屋に入ってきてそう言うが、下半身丸出しのズィーロにしてみたら驚いたなんてもんじゃない。つい先日自分を振った男の前に下半身を晒すなんてありえない、下手したら、欲求不満か痴漢の所業だ。
冷静になって考えれば、ちょっと待って、と答えれば良かったのだ。そうすればウィレナーズだって入っては来なかった。余りに慌てて変な声をあげた自分がいけない。
重ねて自己嫌悪に陥りながら、なに? と答える。驚きすぎて、また夜に、と言われた事を失念していた。
「今夜から宮の執事業務室に移る。ズィーロが居る間は戻らないが、食事は運んでやるから安心してこの棟は好きに使え」
何を言われたのか、一瞬理解が及ばず、でも、及んでからも脳が理解を拒否するものだからズィーロの中は真っ白だ。何も無い。
何も無い、真っ白な状態なのに、ウィレナーズが「わかったか?」なんて聞いてくるものだから。
わかるわけない。わかりたくもない。
ここで「わかった」なんて答えてしまったら、きっとこの恋は本当に一生、終わる。二度と恋人には戻れず、中途半端な、だけど家族だ、とか言われながら一生を過ごすのだ。
そんなのいやだ。わかったなんて言いたくない。だけど、言わないといけない。状況を考えたら、わかったと答えて笑顔でウィレナーズを送り出すのが大人のやることだ。それでもいやだ。大人になんてならなくて構わないし、いやなものは、どれだけ好きな人に言われる言葉であっても、……嫌だ。
拒否したいものが拒否しきれず、ズィーロの心は決壊した。
涙がぼたぼたと流れて落ちる。喉の奥から声にならない声が出る。そのまま大きな声をあげながら、ズィーロは泣き出した。
もうだめだ、ぐちゃぐちゃだ。何とか戻りたいと願って、多少ずるい手を使って近くにきたけど、それすら拒否されてしまった。自分がいる間はここには戻らないなんて。そんなこと。
自分にはこれ以上出来ることが無い。
そう思ったら、涙とウィレナーズへの文句が止まらない。幸い、泣きに泣いているので、ウィレナーズにはほぼ文句には聞こえなかっただろうが。
一方でその様子を見ているウィレナーズは表面上はいつもと変わらなさそうだ。大きな声で何かを喚きながら泣いているズィーロを、静かに見ながら手を伸ばし、頭を撫でて、言う。
「どうした」
「ど、うしたも、なにもっ!!! ないっ、ないよ、うう、も、もぅ、頭なでるなよ、もおおおおっ!!
何でわかってくれないの、なんで! なんでなんでなんでっ! ウィレナーズ、ウィル、かって、勝手すぎっっ、すぎる!!! 自分のことばっかり、じぶ、ひとりでっ、決めて、ッばっかり、ばっか、で、ッ、」
「過呼吸になるぞ」
「なったっていいっ!!!」
「……そうか……」
「そうかじゃないっ!!! いっつもそう、いっつも、そう、だっ、ウィルは何も言ってくれ、ないっ俺に、なんの興味もないっ!!」
「興味はあるが」
「うっっっそつきいいいいいいいいいいいいいっっっっ!!!!!!! じゃあなんで、なんでっ、捨てたの、捨てるの、俺を、っなんで……ひど、ひどい、ひどいよう……離れたくないって俺、言ったのに……頑張って、すっごいすっごがんばっ、って、近づいてるのにっ!!! また、離そうと、離れようとする、もう、も、っもうっ、俺どうすれば、どうう……どうすれば、……ウィルの気を、ひけるんだよぅ……うぅ……」
「……」
「ほらまた……っなんも……言ってっ、……くれないぃ……」
撫でるなと言って、手を振り払ったのに、まだ撫でられているのがむかつく。
こっちがこんなに泣いているのに、泣くなとも言わず余裕で見ているのがむかつく。
勝手だと、詰っているのに、そうか、しか言ってくれないのがむかつく。
興味なんてないくせに、「ある」と無表情で言ってくるのがむかつく。
ひどいひどい、本当にひどい。何をやっても自分はウィレナーズの気も引けない。本当にむかつく。
でも、心底むかつくのは、こんなに興味すら持ってもらえないというのに、まるで雛の刷り込みのようにウィレナーズから全くもって離れられそうもない自分だ。離れろと言われて尚、大好き、大好きだよ、と心の中でウィレナーズに愛を告げ続けている自分が、心底から、むかつく。
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