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ウィレナーズ×ズィーロ編
03.振られた人
しおりを挟むこんなことで泣いてはいけない、と思いながらも勝手に流れてくる涙をそのままに、なんとか家までたどり着いた。
部屋のベッドで倒れ込んで丸五日、そのまま動けずにいた。衝撃が大きすぎると人は動けなくなるらしい。
いや。五日そのまま動けず、と言ったがそれは嘘だ。
人間は水を飲まなければすぐに死ぬし、排泄せずにはいられない生き物だ。その場で出す程には理性は無くなっておらず、それでも便所のついでに水を飲み、帰りにまた同じ場所まで戻ってきて倒れ込んで、ただ目を見開いていた。
理性は無くなってはいなかったが限りなく底辺だったのだと思う。
理性が底辺だと言うのに突き抜けることのできないこの中途半端さ、本当に、どこまでも自分は物語の主人公にはなれない類いの人間だ。などとぼんやり考えた。
何度か水を飲み排泄を繰り返して、同じ場所に戻って、ふと何をやっているんだと我に返り、ああ、自分はなんだか心に凄い衝撃を受けたんだな、と五日もかかって実感してしまった。
ウィレナーズから捨てられる事なんて、想定していなかった。とは言わないが、……「いつか捨てられるかもなんて不安が消えない」なんて言いながら、その実本気で捨てられるとは思っていなかったのだと思う。
だって、十年だ。
彼は他に親しくしていた人はいないはずだ。彼の弟以外で個人的に一番近くにいたのは自分のはずで、それならどうして。
いくら考えてもわかるわけがない。だいたいウィレナーズの事なんて、わかったと思えた事は長い付き合いで一度もなかった。
会いたいと言うのはいつも自分だった。
会いにいくのも、いつでも自分で。
好き、大好きと言って、答えてくれる言葉は「ああ」「わかった」いずれかだ。
抱いて欲しい時だって、ズィーロが乗っかって行かなければ動いてすらくれなかった。
酷い男だ。
いつも無表情で、優しくもなくて、何も返してくれず、何を考えているのか言葉にもしてくれない、酷い男だ。
それでも大好きだった。今でも大好きで、今すぐにでも会いたい。
どうして好きなのかはわからない。
普段表情に乏しいウィレナーズは、ユージィンを見る時だけは顔に表情が乗るから、それを自分にも向けてほしいと欲したのが最初だと思う。
自分に、自分だけに対する表情を向けてくれたらどんなに良いだろうと幼心に思ったのだ。
そう思ったらどんどんウィレナーズから目が離せなくなった。ただ、その目に自分だけを映し続けて欲しくて、自分をウィレナーズの一番の存在にしてもらいたかったのに、ウィレナーズの中での一番はいつでも、いつまで経っても弟のユージィンだった。
それを理解してからは、それなら、と思った。
一番が無理なら、世界で二番目に大事な存在にして欲しい。弟以外の他人の中では自分を一番にして欲しい。
でも十年の間そう言う意味で近くに居て、それも難しそうだな、と気づいていた。
ウィレナーズは誰の事も特別には扱わない。ズィーロは幼馴染だから、そう言う意味では特別なのだろうが、そうではなく。ウィレナーズの心の中での特別にはなれていないと、ずっと、本当は気づいていた。
だから考えた。特別になれないなら一緒にいてくれるだけでもいいと。
自分がすきすき言いながら近くをうろうろして彼を思い続けていたら、ずっとこのままで居られるんじゃないかと、消極的に共にいる方法を模索していた。
結果捨てられたのだから、この消極的な方法は失敗だったと今ならわかる。
とは言え、失敗だったと分かった所で何が正解かはわからない。
わからないけど、このまま転がっているのは不正解だと言うのはわかる。それぐらいの理性は戻ってきた。
ズィーロはがばりと起き上がった。直後目眩を覚えてそのまま床に倒れ込んだ。本当に締まらない。肩を強かに打ち付け「いっっってええ」と、全く喋ってなかったせいでしゃがれたような声で叫びながら、五日もまともに動かず食べず眠らずにいたら倒れもするだろ、と己に突っ込んだ。
湯に浸かって、まずは師団に出向こう。人生で初めての無断欠勤をしてしまった。この五日間仕事のことなんて思い出しもしなかったくせに、思い出してみれば後ろめたい。
ズィーロは、今度はゆっくりと、注意しながら立ち上がった。
目眩は起きても、もう倒れるなんて無様なことにはならなかった。
◇◇◇
生まれて初めての無断欠勤は、拍子抜けする事に全く咎められずに終わった。
ユージィンの数少ない家族枠の自分は、常にユージィンの元に行っていると思われていたらしく、周囲からはなぜか労われ、ユージィンが望んでいるならもっと近くに居てやれなどと言われる始末だ。
〝大小合わせてさまざまな戦が常に起きている現状が変わるかもしれない、それは、第五王子が婚姻を結んだ気流師が金龍と同化してまで皆を護ろうとしてくれた事がきっかけになった〟と、最近のユージィンはむしろ神格化すらされている。
……若干違うような気もするが、せっかくなのでユージィン神の威光に便乗する事にした。
こんな時に、周りに嘘で勘違いさせてしまって申し訳ない。なんて思えるほどズィーロは繊細な人間ではない。使えるものはなんでも使い、自分の目的を完遂するのだ。
たかが恋、だけど、この先のズィーロの人生を左右する恋だ。
さて、今のズィーロは何をするべきか。考えろ。考えて考えて、正解を導き出せ。
あるかどうかすらわからない次の機会を間違えたら、多分もう二度とウィレナーズと一緒にはいられない。だから、考えろ。
そして、その日の夜、ズィーロは大荷物を持ってウィレナーズの元を訪れた。
ウィレナーズはズィーロが来た事に少し驚いたようだったが、無理やり帰す事はしなかった。この甘さがウィレナーズってものだ、とズィーロは予想通りの展開に少し笑った。幸か不幸か付き合いが長すぎるせいで、本当の意味で彼が自分を手酷く拒絶する事は無いだろう、と分かってる。
「……何か、あったか」
ズィーロよりも頭一個半程高い位置から、ウィレナーズが聞く。ウィレナーズの亜麻色の瞳はこちらを見下ろしズィーロを見つめているが、色味が薄い事も手伝って感情は全く読めない。
これならユージィンの瞳のほうが百倍は雄弁だ。
「……」
「部屋、余ってるだろ。使わせて。第七王子からそう言われた」
「オルシュレイガー体術副師団長か?」
「そう。今日たまたま師団で会って。ユージィンの話を聞かれたからそのまま様子を伝えたら、自分たちは会いに行けないからできるだけユージィンの近くにいて様子を聞かせてほしいって。見舞いに行きたいらしいけど、ユージィンが治っていない所に、無理をさせられないからって。
オスカー殿下がお帰りになってないのに宮に寝泊まりするの、気が引けるって言ったら、部屋なんて執事棟にいくらでも空いてるだろうって言われた」
「……そうか、わかった……こっちだ」
特に文句もなく泊めてくれるらしい。王族の力はすごい。
オルシュレイガー殿下、ありがとう! そして、ユージィン神、王族の面会をすべて断っていてくれてありがとう!
執事棟には二度来たが、今までは入り口とウィレナーズが使っている部屋くらいしか出入りをしなかった。ウィレナーズの部屋の斜め向かい、入ったことのない部屋へと通される。
ここを使え、と通された場所は、ウィレナーズが使っていた部屋が家族用で大き目だったのとは違い、一人用の部屋だった。ベッドが大きいし風呂も付いているのでもしかすると二人用かもしれない。
ありがとう、と振り向いた時にはウィレナーズはもう部屋にはおらず、ズィーロはひとりぼっちだったが。
別に構わない。これで日々会う事ができる。理由が無くても会うことができる環境にいられるのなら、今はそれだけで構わない。
安心したら、眠くなってきた。当たり前だ。ここ五日もまともに寝ていない。
その上酷く身体が怠いことに気づく。まともに食べてなかったからな……とは思ったが、持ってきた大荷物の中は服や日用品ばかりで食べ物は入っていない。
ユージィンの所に行けば何かしら食べ物があるだろうけど、寝ていたら悪い。その上押しかけておいて食べ物くれ、とウィレナーズに言うのももっと悪い。
あー、しくじった。なんか頭も痛い。明日ユージィンの見舞いに行く前に自分の身体を何とかしないと体調がおかしい事を悟られてしまう。気流師ってのは、体調が悪い時に会うにはあまり良くない相手だな……。
そんな事を考えながら、ズィーロは眠りの中へと引きずりこまれていった。
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