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オスカー×ユージィン編
44.剣術師団長の帰還
しおりを挟むまずいな、と、オスカーは呟いた。
聞こえにくい状況ながらもオスカーの呟きを正確に拾った副師団長のディズィーグが緊張感を滲ませながら、何か、と返す。
後ろに数名の部下を共にしているが、二人は現在、羽馬で空を駆けている。
近衛師団員数名と剣術師団員数名を引き連れ馬と馬車で中草国を発ち、南海国、東砂国、北山国を順にまわり二日ほど前に西浮国を発った所だ。
正式な各国訪問とは本当に手間だ、とオスカーはぼやいていたが、今この時に下手に手を抜きいらぬ火種を撒く必要がないことぐらい理解しているので、正式な手順を踏んで訪問していた。
それもようやく終わった。
後は国に帰り、各国が間違いなく集まってくるのを待てば良い。
その後は晴れて平和条約を結ぶのだ。
引き連れていた近衛師団員と剣術師団員は地馬で陸路を使い帰路についている。
彼ら全員が中草国へ戻ってくるのは一週間ほど先になるだろう。
オスカー本人は、と、言うと寝る間も惜しんで羽馬の背中だ。
出来る限りで急ぎたかったために最初は一人で帰路につくと言ったが、当然それは許されずディズィーグ以下数名がついてきた。
地馬で十日かかる距離も、羽馬でおよそ三日、あと一日空を駆ければ中草国へと帰ることができる。
あと、一日だ。
今以上に急げば、一日かからず帰れるか? と、オスカーは自身の乗る羽馬の様子を伺う。いや、無理は禁物。無理にならない範囲ぎりぎりのところで無理をさせ……結局は無理をするのだが、これ以上急ぐことは難しそうだ。
「で、何か? まずいこととは……」
自分の返事が聞き取れなかったのかと、ディズィーグが再度問いかけてきた。
「ユージィンに初めて会ってから、ここまで長い時間会わずにいたのがはじめてだからな、これはまずい」
「はぁ……?」
「緊張感が高まるな……」
「はぁ……大変ですな、閣下も……」
全く大変とは思っていなさそうな声で返された。
「まぁ……ユージィン様は元から人外みたいなものでしたからね、いっそ本物の人外ですと言われた方がしっくりきますよ」
「わかるか」
「いえ、わかりませんが」
「そうなんだよな……元々アレは俺の手に負えるような美しさではないんだ……。
それが、あんなことになって……その美しさに磨きがかかったからな……益々手に負えんぞ……まずい、緊張感から吐きそうだ」
「羽馬から吐くのはよしてくださいよ」
正直、ディズィーグの忠告なんて全く耳に入らないし、ディズィーグが何と答えてようとどうでも良いのだ。それでも、吐くわけないだろうと返し、前を見る。
目指す空の先に、ユージィンが待っていると思うと否応無く動悸が激しくなってくる。
婚姻を結んでおいて良かった。自分が帰る先にユージィンがいると言う事実の幸せさを改めて感じながら、オスカーは手綱を握る手に力を入れた。
翌日、日が昇り、その日がまた沈んだ頃、オスカー達は中草国へと帰り着いた。
供をしてきたディズィーグ以外の師団員は皆帰り着いたその場に倒れこむ。オスカーは倒れている場合ではない。ディズィーグも、オスカーの行動を予想していたようで特に表情を変えずについてきた。
「これから父上に報告に行くが」
「ええ」
「終わったら帰って良いぞ」
「ええ、仕事が終わりましたら帰ります、ご心配なく」
「あのな、ディズィーグ」
「はい、なにか」
「感謝している。俺の私的な都合で振り回して悪かったな」
「おお、閣下! なんと! ……いや、そんな言葉をお聞かせいただけるとは。付いてくるものですね、私もいい年なのでそろそろ身体は限界ですが、珍しく殊勝な閣下を見られたので付いてきた甲斐がありました」
腕を組みながらうんうんと頷き、何ということのない様子で斜め後ろを付いてきているが、実際限界が近いのだろうと思う。
普段の態度や物言いからは全く窺い知れないが、本来ディズィーグは忠誠心に溢れた優秀な男だ。
余程のことがない限りは、任務中オスカーの側から離れる事はないだろう。だからこそ、羽馬で三日もほぼ眠らずついてきたのだ。
その後、王への任務完了報告をつつがなく行い、ディズィーグは「そのうち褒賞ください」などと調子のいい事を言いながら帰っていった。
さて。
宮だ。
通い慣れた、住み慣れた、己の宮だ。
一歩近づく毎に、頭の中がユージィンで染まっていく。
いや、赴くままにユージィンのもとへ行ってはいけない。まずは湯を使わなければ。自覚はあるが、酷い有様だ。三日の間、まともに湯を使っていない。
宮に入ると、まだ休んでいなかったらしいウィレナーズがでてきた。
「おかえりなさいませ、オスカー殿下」
「いま帰った。ユージィンの様子は?」
「本日はもう休んだようです。最近はだいぶ回復しており、一人で庭の探索をすることを日課にしていますよ」
「……そうか、……良かった。三日寝ずに駆けてきたんだ。湯を使ったら休む。お前も休め」
「はい、お疲れさまでした」
湯殿に向かおうとしたら、後ろから声をかけられた。
「オスカー殿下。弟は……あまり口にはしませんでしたが、随分とあなたを恋しがっていたようです」
「……そうか、……わかった。……おやすみ」
振り向かず、平静を装って落ち着いた声を出すのが精一杯だ。
この兄弟は、二人揃ってオスカーの心臓を止めにくるから困る。
ユージィンは直接的に。
ウィレナーズは間接的に。
……恋しがっていたって?
自分の方が間違いなく恋しがっていたはずだ。
そもそも、先に好きになったのはこちらの方だ。
自分ではどうしようもない程に、自分の気持ちの制御を諦める程に、彼に惹かれた。
それが、ようやく手に入れた瞬間に、拐われた。
焦燥感にさいなまれながらも探し求め、ようやく見つけた時には、彼は彼ではない他の者になろうとしており、まるでその邂逅が自分達の最期の様な言葉を吐いたのだ。
思い出しただけで背筋が震える程の話だ。
帰還してからは、無理やり時間を作ってユージィンに張り付いた。
わかっていた。
自分には任務があり、張り付き続ける事はできないと。
それでも、ユージィンの元へと足を運んでは、語りかけた。
まさか、夢と混合してしまうとは思わなかったが。
それほど、現実味がなかったのだ。
毛細血管すら透けるような瞼が震えて、烟るように生えるまつ毛の先に、久しぶりにユージィンの瞳が見えた時から夢と混同していた気もする。
幾分深みを増した金色の瞳が自分を捉えた時のあの気持ちを、彼はわかっているのか。
直後、いたい、と叫び出した様には全身から冷や汗がつたったが待機していたシェルフェストにより事なきを得た。
まさか。
まさか、泣き出すとは思わなかった。
また会えて嬉しいと泣くその人を目の前に、この人を危険に晒したのは自分だと喉の奥が焼かれるような後悔を覚えたのもその時だ。
会えて嬉しいと言えば、私も会えて嬉しい、と返される。
探しながらお前を思い続けていたと言えば、待っている間思い続けていた、と返される。
側にいないと呼吸が苦しいと言えば、私も側にいないと不安で苦しい、と返される。
会えなくて辛かったと言えば、私も心の中で早く会いたいとオスカーに呼びかけていた、と返される。
しまいには、愛してるに愛してると返された。
現実のわけがない。
本物のユージィンが、自分に向かって愛を囁くわけがない。
もし囁く事があったらそれは、妄想だ。
妄想では、幾度となく繰り返されたユージィンからの愛の言葉だ。
自分自身が若干痛々しくてかわいそうになるが、本人から言われなくとも妄想の愛の言葉で満足できる程に彼が好きだ。若干ではない。心底痛々しい。
自分でも驚く程あなたを想っていた
そう言われて、平手で顔を叩かれたような衝撃を受け目が覚めた。
いや、元々起きてはいたのだ。正気に戻った。いや、それも違う。正気に戻ったと思っていたが、大声でシェルフェストを呼んでしまい、ユージィンが起きたなら仕事しろとばかりに招致の任務に出る事になり、それ以来会えていない。
こんな間抜けでも、まだ、ユージィンは自分が好きなのか。
先ほどのウィレナーズの言葉を思い出し、湯を浴び終わったオスカーは恐る恐る寝室へと向かう。全くしまらない話だ。
そういえばウィレナーズが、ユージィンはもう休んだと言っていたな。あまり音を立ててはいかんな。
そんな事を考えながらも、自身の寝室の扉をそっと開ける。そこには、オスカーにとっては夢のように美しいユージィンが休んでいるのだ。
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