金色に輝く気流師は、第五王子に溺愛される 〜すきなひとがほしいひと〜

朝子

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オスカー×ユージィン編

36.気流師の過去

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 頭の中を突き刺すような光を感じた直後、散漫としていた意識が戻ってきた。


 目を開けてみると、自分が自覚していたよりも視界が低い。
 後ろから足音が


「ユージィン、どこにいたの、探していたのよ」
「おかあちゃ……」


 声が幼い、話し方が拙い。これは、本当に自分か。そうだ、自分だ。
 実際に視える物と、気流の区別もつかないような、幼子だ。
 優しく微笑む母が、目の前にくる。
 目の前に膝をつき、手をすくうように持ちあげ目線を合わせてきた。


「手が泥だらけ、お庭にいたの? 手を洗っていらっしゃい、おやつにしましょう」
「ん」


 テーブルにはユージィンの好きなクッキーが乗っていた。


「あなたこれ、好きでしょう。お父さんとお兄ちゃんが帰る前に二人で一緒食べましょうね」
「おとうちゃと、おにいちゃに、ないしょ?」
「そう、ないしょ。ないしょで食べるの、美味しいね」


 母が、ふふふ、と笑う。
 自分も、ふふふ、と笑った。
 ああ、大好きな母だ。
 父が仕事で、ウィレナーズが学校で、まだまだ乳離れしていないようなユージィンは昼間は母と二人で過ごす事が多い。
 母は優しく、お菓子作りが上手で、いつも微笑んでいて、ユージィンは母が大好きだ。
 いただきます、と、クッキーに手を伸ばした時、ただいま、と声がした。


「そこでウィレナーズに会ったよ、一緒に帰ってきた」
「あ、母さんがまたユージィンとつまみ食いしてる」
「あら、見つかっちゃったわ、みんなで食べましょう。美味しいわよ」


 家族が一緒で、みんなが笑っている。
 あんまり食べすぎないで、夜ご飯が入らなくなっちゃう、と母が微笑み、相変わらず美味しいな、と父も笑う。兄は無言で、でも、美味しそうに食べている。
 幸せだ。
 満たされている。
 まだ小さなユージィンは、この毎日が続くと信じている。
 終わることなんて、考えてもいない。
 そもそも、まだ、終わりなんて概念を知らない、まだ話し言葉も拙く、自分の考えている事を上手に伝える事も出来なかった、ただの乳児だ。


 でも、知っている。
 これは続かない。
 小さなユージィンは知らなくとも、なぜか、知っている。


 母が、お菓子を作らなくなった。
 ユージィンの手が汚れていても、何も言わなくなった。
 父が、帰って来なくなった。
 たまに帰ってきても、伏せるばかり。
 兄も、遊んでくれなくなった。
 いつも忙しそうにうちの事を手伝っている。
 ユージィンは。
 ユージィンは、わからないから、母や兄にまとわりつく。
 父はいないから、くっつけない。
 母は、幼いユージィンに表情を変えずに言う。


「離れて。離れてちょうだい。わからない? 近づかないでと言っているの」


 それでも、ユージィンは母が恋しい。
 優しくて、お菓子作りが上手で、いつも微笑んでくれた、母が恋しい。
 兄が気を利かせて、ユージィンを抱きあげてくれる。
 母は今疲れている、だから、兄と共にいよう、と、優しく諭してくれる。
 だけど、違う。
 兄も大好きだが、母に抱きしめて欲しい。
 だから、近づく。
 少しでも近くで、ほんの少しでも、母の温もりに触れたかった。
 手を伸ばす。その、まだ小さい手を。
 でも。


「ユージィン、わからないの? 私に触らないでちょうだい。金目を持ってるなら、教えてくれれば良かったのよ。視えていたんじゃないの? あの人の病気が。それを、教えてもくれないなんて。家族でいる意味がないわ。あなたなんか家族じゃないの。とにかく。触らないで!」
「母さん、言い過ぎだ、ユージィンは、まだ3歳だ!」
「なに? ウィレナーズまで、私を責めるの? あの人と同じこと言うのね。3歳だって、金目よ、視えているんでしょう!? それなら教えてよ! どうして、どうして教えてくれないのよ!!! この子のせいであの人が死ぬ!!!」
「母さん! 落ち着いて、父さんの病気はユージィンのせいじゃない!」


 その頃、母と兄は、喧嘩ばかりしていた。
 母のユージィンに対する態度を見過ごせずに口を出してしまうウィレナーズと、それすら我慢がならない余裕のない母。
 ユージィンは、自分で話せる言葉はまだ拙いけれど、母が酷いことを言っているのはちゃんと理解していた。
 悲しくて寂しくて、それでも、哀しい程に母が好きだった。
 そんな毎日が続く。
 ユージィンの心はどんどん傷ついていく。
 修復が難しい程に傷ついているが、多分、母も同じように、ユージィンとは違う意味で傷ついている。

 また、酷いことを言われるかもしれない。
 でも、今度は優しく、抱きしめてくれるかもしれない。
 だから、動くことも、意識を保つ事も難しくなった父が帰ってきて、それに付き添う母も帰ってきて、久しぶりに両親が家に揃った時、思わず近づいてしまった。

 ユージィンに気づいた母が、こちらに気づいた。大きなため息を吐き出す。


「金目なんて産んだって、何の役にも立たない、この人が死んでしまうのを、止められない。金目が役に立たないならせめてこの人の代わりにお前が死ねばいいのに」


 今まで聞いた酷い言葉の中でも、ユージィンの中に最も強く、きつく、入ってきた。

 でも、ユージィンは幼すぎて死に方なんてわからない。
 代わりに死ぬとは。
 どうやって死ねばいいか。
 でも死にたくなんてない。
 そもそも、死と言う概念がまだ理解できない。
 とてもとても怖い事だ、と言う事ぐらいしか、わからない。

 後ずさる。
 これは、母か。
 本当に、あの、優しくユージィンを抱きしめてくれた、母か。
 喉の奥が熱くなって、目の奥が痛くなって、涙が溢れて止まらなくなった。
 上を向いて涙を止めようとするけど、うまくいかない。
 開いた口から、叫びに近い泣き声が漏れた。


「うるさいっ! この人の近くで、煩わしい音を出さないでちょうだい!!!」


 母の怒鳴り声を聞きつけて、ウィレナーズがやってきた。
 立ち尽くし泣き続けるユージィンを抱き上げ、部屋を出る。


「大丈夫、大丈夫だユージィン。泣かなくていい、大丈夫だ」


 ウィレナーズが背中を擦りながら、優しく声をかけてくる。
 しゃくりあげて泣く。
 涙は止まらず、どうしていいかわからない不安感も消えない。
 もう、自分ではこの涙も、不安な気持ちも、どうすることもできないと思う。
 思いながら、兄の腕の中、意識が遠ざかる。
 だめだ。
 寝てはいけない。
 今寝てしまったら。

 今、寝てしまったら……?

 寝てはいけない理由はなんだったか。

 泣きつかれ、兄の腕の中で眠り込んだユージィンを、兄がベッドへ運んでくれた。
 布団をかけ、涙をふき、頬に優しく口付けを落とす。
 小さく「だいじょうぶだ」そう、誰に言い聞かせるともなくつぶやき、ユージィンの頭を撫でて兄は部屋を出ていった。

 ――しばらく。

 自分の目に違和感を覚えて、ユージィンの意識は覚醒する。
 まぶたが閉じてしまわないように、何かで押さえられている。
 眠りから覚め、目の前のものに焦点を合わせようとするがうまくいかない。
 これは一体、何だ。
 左右を見る。
 よく見えない。
 よく見えないけれど、気流を視て暗い室内に人が立っていることはわかった。

 光を反射して、銀色の何かを手に持っている事も。

 怖い。
 怖い、怖い怖い。
 何が怖いのかわからないまま、本能的に強い恐怖を覚えた。
 あまりに怖くて動けない。
 泣きたい、叫びたい、でも、口が何かで塞がれている。
 どうしよう、どうすれば。


「ユージィン、動いちゃ、だめよ」


 優しい優しい、母の声。
 こんな優しい声を聞いたのは、一体いつ以来のことか。
 どうしていいのか、わからない。


「動かないでじっとしているの。すぐに済むわ。どうしてこんな良いこと、思いつかなかったのかしら。本当に……あなたが代わりに死ねば良いのよね。もっと早く気付けばよかった」


 母は微笑む。
 銀色に光る何かを、ユージィンの目に当てる。
 酷く硬く、酷く冷たく感じる何かを。
 怖い。
 怖い怖い。
 誰か。
 ……誰か。
 ユージィンの緊張が頂点に達し、母の手に力が入り、刃先が目にめり込み痛みを覚えたとき。
 どん、という音と衝撃と共に、ユージィンに馬乗りになっていた母の姿が消えた。


「何を!!!!! やっているんだ!!!!」


 兄が、母をベッドの下へ突き落としたらしい。
 転がり落ちた母はそれまでの優しい様子から打って変わって、無表情になり座り込んだまま動かない。
 ウィレナーズに抱き上げられ、口を塞いでいたものと、まぶたを押さえられていたものを剥がされる。
 瞬きをして、目に違和感を感じた。
 痛い。
 でも、それ以上に怖くて、自分を抱く兄ですら恐怖で、ユージィンは暴れた。
 暴れて、叫んで、泣いた。
 おかあちゃ、と、母を何度も呼んで、泣いた。
 ウィレナーズは自室にユージィンを連れて行き、泣き叫ぶ弟を宥めようと、抱きしめて大丈夫だと繰り返した。
 だが、ユージィンは暴れ続け母を呼ぶ。
 痙攣し、えずくようになりながらも、ユージィンは暴れ、泣き、母を求めて叫び続けた。
 暗闇が白み始めてもおさまらないユージィンに対し、既に大人のように大きくなっていたウィレナーズは、その大きな手のひらで弟の目を覆う。
 そして、耳元で何かを囁き続ける。
 繰り返し繰り返し囁き続ける。
 がくり、と、ユージィンの身体が倒れこみ動かなくなる。
 涙は止まり、呼吸も正常に戻り、ウィレナーズに強く抱きしめられ、安心したように眠っている。
 反対に、ウィレナーズは泣いていた。
 声を殺して、まだ小さい弟を抱きしめ、誰にも気づかれないように、静かに泣き続けた。

 それから。
 母はどんどんおかしくなっていく。
 昼夜構わずユージィンを付け狙う。
 ウィレナーズは学校を休み、常にユージィンの側にいるようになった。
 学校は父の病気ですんなり休めたようだった。

 ある時、ウィレナーズがユージィンを膝に乗せて抱きしめながら言った。


「ユージィン……しばらくの間、ズィーロの家に、行こう」
「やーだよ!」


 ユージィンは笑ってウィレナーズにまとわりつく。
 あれだけ母に狙われ続けて、目の周りには小さな傷がつき眼帯までつけているのに、楽しそうに笑っている。
 ユージィンに悲壮感はない。


「俺は……何が正しいのか、もう、わからないよ、ユージィン。
 ただお前がかわいい。お前は俺の弟だ。
 でも、これ以上お前の記憶を隠すのは……わからないが、良くないように思う。
 ……。
 間も無く父さんは死ぬ。その時母さんがどうなるか、わからない。お前を守りたいのに、守れないかもしれない。
 だから。……せめてお前だけでも、ズィーロの家に」


 そこに、母が入ってきた。
 痩せ細り、見る影もないが、それでもユージィンは、喜ぶ。
 おかあちゃ、と、笑顔を見せて手を伸ばす。


「ウィレナーズ……ユージィンをどこかに、つれていくの」
「……」


 兄が言い淀んだ。
 何と答えるのが最善なのかを必死に考えている。


「あの人のためにユージィンが必要なのよ、つれていかないで、つれていかないでちょうだい、つれていかれたら、あの人助からない」
「母さん……、父さんは、助からない。助からないんだ。
 こんなことしてないで、近くにいてあげてよ。父さんが望むのはきっとそれだけだ。
 本当は俺だって父さんの側にいたい、でも居られない、母さんがユージィンを攻撃するから、居られない!」
「まあ……ウィレナーズ……」


 ボロボロになっているのに、母は綺麗に微笑む。
 その表情だけを見れば、まるで以前の母のようだ。


「あなたったら……それなら、一緒にあの人の近くに居ましょう。
 ユージィンを押さえてちょうだい。すぐに済むの。くり抜くのよ。それを食べさせれば、助かるの。あの人はまた元気になるのよ」
「違うっ……! そんなこと、俺は……っ! 俺も、父さんも、望んでない!!!」


 ユージィンを抱き上げ、ウィレナーズは部屋を出ようとする。


「だめ! つれていかないで! あの人が助からなくなる!!!」
「んぐっ……」


 腕に鋭い痛みを受けながらも、走る。
 ウィレナーズは、母を振り切り、走る。
 ユージィンを抱く腕から、だらだらと血が流れる。
 腕を斬り付けられたくらいで立ち止まっては、母に捕まってしまうとばかりに、走る。
 裏庭から裏路地を抜けて、ユージィンを抱えて走り続ける。
 脇目も振らずに走り、誰かに腕を掴まれてウィレナーズは悲鳴をあげた。
 それでも弟を落としたりしない。
 腕を掴んだのは、ズィーロの父親だった。
 一瞬かたまり、――兄は。
 父より、母より、まるで自分自身がいますぐにでも死にそうな顔でその場にへたりこんだ。


 ウィレナーズ!
 これ以上兄が苦しむ様を見ている事が耐えきれずに、そう名を呼び、叫んだつもりだった。
 だけどそれは声にはならず、ユージィンの意識はまた、溶ける。


 頭に霞がかかったように思い出せずにいた幼少期の記憶が全て現れ、ユージィンは、酷く苦しい、と思った。


 母の事を思い出すたびに、何も思い出せないのに関わらず、背中を氷が伝うような得体の知れない恐怖と戦い、それが大人になっても心底怖くて、これ以上考えてはいけないといつも言い聞かせていた。

 ……しかし。
 今になって全てを思い出してみれば、思い出した事の中で一番苦しかったことは、母に何度も殺されかけていた事実よりも兄が自分を護るために辛い目にあっていたことだ。
 なぜ、兄の苦労に気づかなかったのか。
 なぜ、そこに思いが至らなかったのか。
 心底自分が嫌になる。
 少し考えれば分かったはずだ。
 幼いユージィンを母から護る為に、兄がどれ程自分自身を犠牲にしてきたのかを。
 殺されかけていた事を忘れていたとは言え、母から辛く当たられていた事は覚えていたのに。
 そんな兄がいてくれたからこそ、全て思い出しても心を強く保てているのかもしれない、とも思えるので、それについては感謝しかないが。
 感謝しか無いが、兄の献身的な守護に気付けなかった。
 そんな風だから、人の心の機微に鈍感だとズィーロに言われるのだ。
 本当だ。
 自分は、本当に鈍感な、気の利かない人間だ。
 気をつけなくてはと思ってはいても、どこに気をつければ良いのかがそもそもわからないのだから失敗ばかりだ。

 だが、そんな気がきかない不完全な人間でも構わないと言ってくれた人が。
 いた。
 はずだ。
 その人と共にいることを、兄も喜んでくれて。
 その人は、もう二度とないと思っていた、兄と一緒に暮らす事を可能にしてくれて。
 その、人は。

 涙が溢れた。
 ように、思ったが、実際にはそんな感覚は無い。
 ただ、涙が溢れたかも、と思うだけだ。

 その人を想うと、ますます涙が。

 溢れそうに、





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