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オスカー×ユージィン編
14.剣術師団長の求婚と口づけと喧嘩
しおりを挟むあと10日と、本当に、そう言ったのか。
来るとは思っていたが、予想以上に早かった。
閉まりきった扉を見つめていても、当たり前だが末妹は戻らない。何だか嵐に巻き込まれたような気分で、酷く消耗している。
振り返ると先程と変わらない無表情でユージィンがすぐ後ろに立っていた。
「本当に今日は師団に顔出ししなくて良いのでしょうか……?」
ぱちぱち、と瞬きをしながら、昨日の今日なんですけどねと問いかけてくる。
「ユージィン、貴様……今すぐ先程より酷く弄り倒されたいのか……?」
「はあ? いじ?! ……いえ、いや、オスカー殿下? 突然何を言い出すのですか」
「オスカーと呼べと。他人行儀な話し方もやめろと。貴様はわかったと答えたのに、先程から元に戻っているではないか」
「えぇ……? そんな理不尽な……。いや、でも……」
無言で数秒見つめ合い、先に諦めたユージィンが目を逸らしながら、小さく何かを呟く。
その言葉を拾おうと、少し近づいたオスカーの両頰が細くしなやかなユージィンの両手に挟まれる。
ぐい、と、顔を下方に引っ張られ、耳元にユージィンの唇がついたと理解したとき
「そんなに虐めないでください、オスカー。今は、まだ、名前を呼ぶ事で精一杯なんです。これから、少しずつ、がんばりますから」
密やかな声が耳に入った。
耳から入った言葉が脳に正しく到達するまで、一瞬にも満たない時間を刻み、気づけばオスカーは頰にあったユージィン両手を己の両手で掴み、その手をユージィンの腰から後ろ手にまわして強く抱きしめていた。
なんだその可愛い行動は。
なんだその可愛い仕草は。
なんだその可愛い言い様は。
自分とのこれからを、考えてくれているのか。
精一杯頑張ってくれていると言うのか。
本当に、俺の心臓はこのままユージィンと居たらいつの日か可愛さのあまり止まる。
戦場で自国民を守る為に死ねたら本望と思っていたが、そんな死に方だめだ。
ユージィンの為に、ユージィンの可愛さのあまりにこの鼓動が止まって死にたい。
「ユージィン」
「はい」
「ユージィン……」
「はい……?」
「頼む。心から、頼む。……俺と、婚姻を結ぶと言ってくれ。俺は一生お前を思い続ける、一生大事にする。お前の命が尽きるその時まで、お前は俺のものだと思わせてくれ。俺と共に、一生を側で過ごすと、そう、答えてくれ。……頼む……」
「オスカー、……。あの、私は……」
オルシラがつい先程目の前で断られたのだから、自分も例外ではないかもしれないと思ったら、間髪入れずに言葉が出た。
「……先程お前はオルシラの求婚を断ったな。
なぜ断ったのか、俺にはわからんが。わからないが、お前と初めて会ってから1年、お前を、ユージィンを思い続けてきた俺のためだと、少しでも俺の存在が心にあったからと自惚れさせてくれ」
「……随分と饒舌に、私を口説くのですね」
きつく抱きしめているせいでユージィンの表情は見えないが、冷たく聞こえる言葉と裏腹に話し方は随分と優しい。
「今、饒舌にならずしていつ饒舌になるのだ。言っておくが、ここまで本気で口説いたのは生まれて初めてだぞ」
「……少し、意外ですね、あなたはいつも言葉がそう多い方ではなかったように思います」
「口に出さないようにしていた。少しずつお互いを知り近づいて行きたいと、そう思っていたが、状況が変わって悠長にしていられなくなった。
それから、……誤解しているかもしれないが、口に出さなかっただけで、頭の中はいつでもお前を想う言葉で溢れていた」
「……昨日からの言動で、最早誤解も無いとは思いますが……あなたは王族なのだから、口説いたりせず命令なされば?」
ユージィンに気づかれぬように、小さく息を吐く。
いや、視ようと思えば彼には視えるのかもしれないが。
それを全く考えたことがないわけではない、後ろめたさを払拭したかった。
「欲が、でてな」
「欲……ですか」
「自分の想いの半分でも構わないから、お前からも、想いを返して欲しいと。そう、願ってしまった。その願いを叶えるためには、命令して義務で側にいてもらうのでは意味がないと、そう思ってな。南の戦の話が無ければ、ユージィンの気がこちらに向くまで待つつもりだった」
きが、むく…そう小さく呟きながら、腕の中のユージィンが少し身じろぐ。
手を、と言われて初めて、後ろ手に押さえつける形になっていた事にようやく気がついた。
「ああすまん、痛かったか」
慌てて離してみれば、そのまま距離を取るかと思っていたユージィンは、オスカーが今の今まで握りしめていたその手をオスカーの腰に回してきた。
向かい合ったまま、その額はオスカーの胸元にコツリと当てられる。
当然、オスカーの胸中はユージィンの可愛さ大賛辞により、全く意味をなさない大騒ぎが起こっているが今はその騒ぎを甘受することよりも、抱きしめ返す事が先決だと、ユージィンが苦しくないよう注意しながら肩に手を回した。
「私のことを、調べたりは……?」
何を聞かれているかわからず、いや、と答えた。
ユージィンは既婚者ではなかったので、それさえ知っていれば他の事はどうとでもなると、呑気に構えていた。
「オスカー。私は。……私は、……幼い頃に両親を亡くしています。兄に、育てられました。その為、人を好きになる事の意味が、あの……本当の所で、あまりよくわからないのです」
「……その兄は、お前を大事にしなかったと?」
「いえ! いいえ。兄は、兄なりに精一杯大事にしてくれました。
多分、幼い頃から今まで、私を一番に優先して思いを寄せてくれてきたのは、兄です。
ただ、兄もまだ若く、生活の為に殆どの時間をお金を作る事に充てましたので……関係が薄いと言うか、いえ、兄と私が生きる為なので、それは良いのですが、そう考えれば、関係が薄いと言う言葉は適切ではなく、……1人では身の回りもままならない年でしたので、幼馴染の一家にお世話になったりしまして……」
「随分と歯切れが悪いな。それと、人を好きになる事がわからない、とは、どう繋がるのだ」
そうですよね、と、ユージィンは呟く。仕方ない、全部話さないと。とも。
「……父は、病に臥せっていたので正直なところ記憶があまりありません。
ただ、母が。私も、いつまで幼い時の事に拘るのだと自分自身叱咤したいのですが……ですが、母が。私は金の瞳を持って生まれたので。気流が視える息子がいるのに、父が弱っていく事に、耐えられなかったのだと、思う、のですが、……金目を生んでも役に立たない。役に立たないならせめて代わりに死ねと。そう、母から、言われて」
ぴくり、と、ユージィンの肩を抱くオスカーが反応したが、ユージィンは話し続ける。
「その後のことは、あまり記憶にないのです。何か、酷いことをされた気もするし、そうでもないかもしれない。
なぜかわかりませんが、それ以降の記憶は酷く曖昧です。思い出そうとしても、何も、思い出せない。
そのうちに母は、父の後を追うように亡くなったので、その言葉が只の八つ当たりだったのか、それとも本気で言っていたのかも確かめる術もないのですが。
ただ、それ以来、ずっと、誰かを想うことは周りの人を傷つける事になるのかと思ってしまい、好き、が、よくわからないのです」
オスカーは、何も答えない。
「もしかして、この話で、求婚も取り消されるかもしれないのでこの際全部話しますが、だから、人を好きになるのが怖い、と言う事もあると思います。
そこまでの想いを持つ事が、怖い、と思います。
そして、その時父を助けられなかった代わりのように人を亡くしてはいけないと必死になるんです。
今の自分なら、助けられると、そう思いたくて。
自覚はありますが、急患を亡くした時に異常に落ち込むのは、父を助けられなかった時の気持ちを再び味わうせいです。
自分が代わりに死ねばいいのか、などと他者から見れば酷く馬鹿げた思考に陥ります。
だから、私が必死で人を助けようとするのは、その人やその家族のためではなく、自分自身の心の平穏を守るためなんです。
そんな、そんなことの為に、自分の能力を使う、自分本位な人間なんです」
答えないのではなく、答えられない。
母親とは言え、俺のユージィンになんて事を、俺のものを、しかも、まだ幼い時分に傷つけやがって、どうしてくれよう今から殺しに行くか、いや、既に鬼籍に入ってる2度は殺せないだろう。では死んだ人間に地獄を見せる方法はないのか。
そもそも親だろう。親がここまで、自分の子どもが大人になるまで引きずるほどに、酷く傷つけてどうする。守るべき対象を傷つけやがって。その口二度と聞けないように塞いでやろうか。いや、もう塞がっている。
などと、おおよそ身内には聞かせられない物騒なことばかりが頭の中をまわる。
とにかく。
このまま何も答えずにいたら、ユージィンが不安になるだろう。
そう思い、オスカーはユージィンを抱きしめたまま、口を開いた。
「求婚は、取り消さない。
当然だろう。俺は、お前が、……お前の事を。
初めて会った時からずっと今まで、心底求め続けていると言うのに。
きっとこの先も、一生お前を求め続けて、想い続けて、焦燥感が募っていくばかりだ」
伝わったか。
少しでも己の気持ちは、この腕の中の、自分にとって何より可愛い存在に伝わったか。
ぎゅう、と、少し力を込め更に抱きしめた。
腰に回ったユージィンの手は、特に動きを見せない。
だめか。伝わらないか。
もしもこの求婚を断られたら、自分はどうなるか。
きっと一生1人だろう。
国の為ならどこぞの誰かを娶っても良いと思っていたが、今となってはいくら国のためとはいえ、無理だろう。ユージィン以外欲しくないのだからどうしようもない。
――最初は、見た目に惹かれたのだ。
いや、惹かれたなんて生易しいものではない。
ユージィンを見た瞬間、オスカーの心の全てを持っていかれて、人となりを知る度に、全て持っていかれたと思っていたはずの、それでも僅かに残っていた残滓すら、削り取られるように持っていかれた。
あまりに動かないユージィンに、流石に少し焦れてきて、ぎゅうと抱いていた腕を緩め顔を覗いた。
途端、下を向かれた。
「見ないでください。ちょっとまって……何でか、わからないのですが……顔が。熱くて。みっともない……。オスカーの全てが、こちらに向いているのが視えてしまって、こんなの……。恥ずかしい……」
それを言われて、そこで見ない男がいるのか。
ユージィンは、同じ男だと言うのに、男心に酷く疎い。
両手で、男にしては小さな顔を掬うように上を向かせる。
ああ。
こんな。
俺の心を射抜くだけではなく、こんなに胸が締め付けられそうな表情もできるのか。
何かの表情を作ろうとして失敗して、戸惑っている眉間あたりと震える唇。
困惑して、揺れて潤んだ瞳。
頬から耳の先まで、赤らんだその色。
わるい…、低く小さく呟くと、え?と何を言ったのか確認するように開いたユージィンのその唇に、自身のそれを、そっと重ねた。
初めは、ただ、くっつけて重ねるだけの。
何度か、ちゅ、ちゅ、と小さく重ね、唇で、唇を食むように。
開いていた唇に、舌先を潜り込ませ、歯をなぞるように。
咄嗟のことに状況理解が遅れているであろうユージィンの反応がないのをいい事に、密かに開いた前歯を割り込むように舌を入れた。
前歯の裏側をくすぐるように舌を這わせ、そのまま口蓋をひと舐めした所で、ユージィンの鼻から「うんっ……」と息が抜けた。
もっと深く味わえるよう角度を変える。
ユージィンの舌を自身の舌で絡めとる。
自分の舌の厚さよりも幾分薄い、つるりとした感触に背中が震えた。
両手の指で、耳の後ろあたりをくすぐりながら、更に舌を舐め、唇を食んだ。
「んっ……や、ぁ、んっ……!」
鎖骨の下辺りを、手のひらでぐいと押され、唇が離れた。
顔を赤くして、金色の瞳でこちらを凝視するユージィンはやはり可愛い。
と、のんきに思ってから、は、と我に返った。
ああ、やってしまった。
一応謝りながらしたことだが、謝ればしても良いということでもないだろう。
オスカーからすれば、それもこれもすべてユージィンが可愛いのが悪いのだが、当然それは理由にはならないし、そもそも理由があるからと言ってやって良いわけではない。
「は……」
「は?」
「……はずかしいって言いました! まって、て! もう、何なんですか、あなたは! ちゃんと聞いてください!」
「……っぐ……! ユージィン……お前こそ! 何なんだ、そんなに可愛い事ばかりして、可愛い事ばかり言って、可愛い反応ばかりではないか!! そんなお前に、手を出さずにいられると思うのか?! 無理を言うな、こちらは既に散々我慢して、いっぱいいっぱいの状態だぞ!」
「えっ……なっ!! も、もう、知らないですよそんなの! かっ……かわいいとか! しらない! 俺はまってって言った! まってって言ったら待ってくれればいいのに、なんで待てないの! そんなの、オスカーの馬だってそれぐらい待てるでしょ!? 地馬にできることがどうしてオスカーにできないの! 求婚の返事だってまだしてない、ちゃんと返事だってしたいのに! もおおおおっばかっ!!!」
「ああ、ばかで結構。俺は馬鹿だからな。待てなんてできんよ。
そもそも、いちいちいちいち可愛いお前が悪い。お前が可愛いことをしなければこちらだって、待てと言われれば待てる。当然だろう、何年王族をやっていると思っているのだ。王族は己を律して生きなくてはならんのだぞ、待てるさ。お前が無駄に可愛いことをしなければな!」
「しっ……! してないし! そんなこと、可愛いことなんてしてない! そんな風に見えるなら、オスカーの目がおかしいし、俺は悪くない!」
「ああ、そうだな、目がおかしいのかもな。では、治療してくれ、気流師殿」
少し離れて文句を言っていたユージィンへ、一歩近づく。
ぴく、と肩を震わせ動きをとめたユージィンを見つめながら、「治療を」と言いつつ、更に近づく。
ああ、人生詰んだかも。みたいな顔をしたユージィンを認めたところで、扉をノックする音が響く。
それと同時に、第4王子の配偶者であるシェルフェストが笑いながら顔を出した。
「あなたたち、なんですかそれ、じゃれ合いですか? 朝食お持ちしましたけど、召し上がります?」
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