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6 蛇

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『ひいじい。変なのがついてくるの』

 黒い影。人の服を着た、顔のないモノ。それが華鈴の後を、ひょこひょこついてくる。歩き方はぎこちなく、人形劇に出てくる割り箸についた紙の絵のようだった。

『名前がわかっても、強く呼んではいけないよ』
『呼んでないよ。でもついてくる』

 曽祖父の手をぎゅっと握り、後ろを振り向いては、その姿を見つめた。

 真っ黒い、何もない顔なのに、大きな口が開いて牙が見える。
 来ないでと言ってもついてくる。名前を呼んではいけないので、ただ、来ないで。と叫んだ。

『ちゃんと名前を呼ばないように、我慢しているんだね』
『名前を呼んだりしていないよ。我慢してるもん』
『そうだね。華鈴。けれど、本当に危険を感じるのならば。……』





「ひいじい……?」
「ひいじいはひどいな。僕が源蔵に見える?」
「む、睦火さん!」

 目の前にいた睦火に、華鈴は何事かと飛び起きた。眠っていたのは華鈴にあてがわれた部屋で、寝台に寝かされていた。

(私は、露天風呂にいたはずなのに)

 隣で睦火が目を細めると、正座をしたまま、にっこりと口元を上げる。

「気分はどう? 驚いたよ。丸吉が泣きながら僕を呼ぶものだから」
「丸吉君が泣きながら?」

 言われて思い出す。華鈴がのんびり露天風呂に入っていると、ピンク色の湯が波立った。そこから蛇がいきなり飛び出してきたのだ。近くにあった桶で叩きつけ、なんとか退治はしたが、その時に手首を噛まれてしまった。

 丸吉の声が聞こえたが、そのまま気を失ってしまったのだろう。その後の記憶がない。
 丸吉が運んでくれたのだろうか。

 部屋には睦火しかいない。そろりと横目で確認すれば、それでだけで察したと、睦火はクスリと笑う。

「僕が運んだんだよ。丸吉が僕を呼びにきて、急いで君のところへ。蛇に噛まれていたから、すぐにここに連れてきたんだ」
「そ、それじゃ……」

 華鈴は寝巻きの浴衣姿で、誰かが着せてくれたことになる。丸吉が睦火を呼んだのならば、露天風呂に入っていた華鈴を運んでくれたのだ。その上、浴衣を着せてくれたのか?

(み、見られた? 見られたよね!?)

 睦火はただにこにこと微笑んでいる。
 顔から火が出そうとはこのことだ。貧相な体を見られてしまった。恥ずかしくて顔が上げられない。

「大丈夫かい? 心配したよ。あの風呂に蛇などは出たことないんだけれどね。露天だから、どこからか侵入したのかもしれないけれど、まさか噛まれるとは」
「へ、蛇も、温泉に入りたかったみたいで」
「ふ、はは。蛇と一緒に入るくらいなら構わないけれど、噛まれてしまっては困るよ」

 言いながら睦火は華鈴の噛まれた方の手をとると、包むように両手で触れた。手首には包帯が巻かれており、手当てをした跡がある。

「傷が残らなければいいのだけれど。露天風呂ではゆっくりできなくて残念だったね」
「いえ、とんでもない! 堪能しました!」
「そう? 次に入る時は僕も一緒しようかな」

 何を一緒!? 口に出しそうになってそれを呑み込む。一緒に入りたいなどと言われたら、なんと返せばいいのかわからない。なにを言っても丸め込まれそうな気もする。
 その通り、真っ赤になっているであろう顔で黙っていると、小さく吹き出した。やはりからかっているのだ。

「あの湯は傷も癒す力があるからね。他に妙な侵入がないかどうかしっかり確かめて、また入るといい。いつでも使うといいよ。僕以外に入ることはないから」

 それはどう返事をしていいのやら。しかし、からかっているのは間違いなさそうなので、深くは追求せず頷いておく。睦火はくすくすと笑うと、その手を顔に寄せて口付けた。

「ひえっ!」
「すぐ治るように、おまじない。食事をし終えたら薬を飲むようにね。毒は抜いたから大丈夫だと思うけれど、人間の体力ではわからないから」

 毒蛇だとは思わなかったが、顔がほてっているのは、恥ずかしいからだけではなさそうだ。熱のせいで顔が熱いのだと心の中で唱えて、その口付けは見なかったことにする。反応すればもっとからかわれてしまう。

「少し熱があるからね。食事の後、薬を飲むように。ゆっくり眠るんだよ。じゃあ、僕は行くからね」
「わ、わかりました。ありがとうございます」
「華鈴さま! 目が覚められましたか!?」

 入れ替わりに丸吉が入ってきた。濡れタオルと桶を持ってきてくれたようだ。真っ青な顔をしたまま、桶を置いて座り込むと、床に額を擦り付けるように土下座をしてきた。

「申し訳ありません! 私のせいです! 入り口さえ守っていれば平気だと慢心して、ちゃんと調べなかったから!」
「丸吉君のせいじゃないですよ」
「でも、入られる前に確認すべきでした!」
「温泉に蛇って入るんですね。あったかいから入り込んじゃったのかも。だから、大丈夫ですよ」
「華鈴様……」

 丸吉は涙目になって、ごしごしとまなじりを無造作に拭う。確かに驚いたが、丸吉が早く気付いてくれたおかげで事なきを得たのだ。

「ちなみに、誰が私を運んでくれたの?」
「睦火様です。他に誰も呼んでおりませんので、ご安心ください!」

 やはり睦火が運んでくれたのだ。微かな希望として女性が来てくれたのかなと思ったが、睦火以外誰にも知らせなかったと胸を張ってくれる。丸吉からすれば気を利かせてくれたのだろう。

(し、仕方ないわ。他の男の人に見られなかったと思えば)

 そう自分で慰めつつも、恥ずかしいことに変わりはなかった。運ばれた上に、浴衣を着せられたのだから、次に睦火に会った時どんな顔をすれば良いのか。

「安静になさってください! ずっと眠っていたんですよ。今、食べられる物を持ってきますから。お薬も飲まないと。すぐに持ってきますね!」

 丸吉は返事も待たず部屋を出ていった。先ほどより顔色は悪くなかったので、華鈴が目覚めて安堵したのだろう。丸吉も怖かったに違いない。

「はあ。迷惑かけちゃったなあ」

 布団の側に眼鏡が置いてあったのでそれをかけて、左手首を見やる。
 そこまで痛んだりしないが、ピンク色の温泉に、似たような淡いピンク色の蛇が泳いでいきなり飛び込んできたのだ。さすがに驚いた。
 毒蛇だったというのだから、丸吉が気付いてくれなければどうなっていただろう。そう思うとぞっとする。

(蛇って泳ぐんだっけ。やっぱり、温泉でも入りにくるのかな)

 せめて色が違えば、もっと早く気付いてお湯から出ていたのに。なんとも悔やまれる。
 服も着ずに倒れていたのだから、お湯から助け出されたわけだ。

 そう考えただけで顔がカッと熱くなる。丸吉に見られたのも恥ずかしいが、睦火に見られたとなると、さらに恥ずかしくて悶えそうになった。
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