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2 睦火

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「華鈴!!」

 力強く呼ばれたその声に応えるように、華鈴はもう一度その手を強く握りしめた。髪を引っ張っていた黒い影が何かに弾かれると、暗闇に吸い込まれるように遠ざかっていく。
 瞬間、浮いていた身体に重力がかかり、ボスンと顔と体を打ちつけた。

「いたた」

 地面に叩きつけられたわけではなさそうだ。硬くもなく柔らかくもない。肌触りの良い布地に指を沿わせると、くすぐったいよ。と上から声が届いた。

「無事でよかった。華鈴」

 穏やかな笑顔を向けた青年の、柔らかな黒髪が、華鈴の頬をくすぐるほど近くにある。華鈴の眼鏡がずり落ちて、息がかかるほど接近した口元がはっきり見えた。

「きゃっ!」
「怪我はなさそうだね。良かった」

 華鈴は仰け反りそうになった。絵の中の青年が目の前で微笑んでいる。触れていたのは青年の胸元、着物だ。急いで飛び退いて離れようとしたが、青年が華鈴の腰をしっかり押さえて離さない。

「あ、あの」
「久し振りに会えたね。華鈴」
「久し振り?」

 初めて会ったはずだが。口にする前に、青年はそのまま華鈴を抱いて立ち上がった。細身の身体に見えるのに、軽々と持ち上げる。抱き上げられて逃げることができずに周囲を見回せば、華鈴は唖然とした。

 アトリエへ走ったはずなのに、視界に入ったのは広大な庭園。
 華鈴が立っているのは、大きな屋敷の縁側だった。建物は和風で木造建築物だが、パッと見ただけでも観光地にある神社かお城の一部かと思うほど長い縁側だ。そして、その縁側を舞台がわりにするかのように、多くのモノが集まって青年と華鈴に注目していた。

 まるで、妖怪がいる時代劇の中にでも入ってしまったみたいだ。
 そこに集まっているモノたちは、着物のような和風の装いで、地面に膝を突いていた。しかも、人間と同じ姿のモノの他に、後ろの方には獣の頭をしていたり、頭からツノを生やしたり、尻尾を生やしたりしているモノがおり、まるで仮装大会のようだった。

 けれど、それらが人間ではないモノだと、すぐに気付く。

 普段ならば顔などよく見えず、黒い影のように見えるモノ。しかし、ここにいるモノたちは、はっきりとその姿が見て取れるのだ。

 華鈴を離そうとしないこの青年は、見目は人間と変わらない。柔らかな白に近い灰色の和風の衣装で、紺色の長い羽織を羽織っている。少し癖のある艶のある黒髪。鼻筋の通った整った顔。そして、曽祖父が描いた絵と同じく、紫色の瞳をしていた。

 しかし、彼もまた、人間ではない。

「宗主。彼女が源蔵のひ孫、華鈴です。僕はこの子と結婚します!」
 青年に、そう高らかに宣言されて、華鈴は再びあんぐりと口を開いた。

「源蔵のひ孫とは。なんとも懐かしい名を聞くねえ」
 宗主と呼ばれたのは、身長の低いお爺さんだ。真っ白な顎髭を床に引きずるくらい伸ばして、フクロウのようにホ、ホ、と笑う。

「二人のどちらかを選ぶことはできません。僕は彼女と結婚します」

 青年の言葉に、宗主はチラリと視線を移す。その先には二十歳前後の女性が二人。皆が膝を地面に突いている中、明るい色の振袖を着、美しく装って立っていた。

 一人は茶色の髪をゆるく結んだ、目の大きな可愛らしい女性だが、華鈴を鋭く睨んでいる。もう一人の女性は長い黒髪を背中に流しており、凛とした聡明そうな顔立ちで、無表情なまま目を眇めて華鈴を見つめた。

 彼女たちも人間ではない。見目は人間に見えても、華鈴にはそうでないことがわかった。

睦火ムツヒの願いは理解した。けれど、彼女たちはここに来てしまったからな。では、こうしよう。もともと相手を選ぶために来てもらったのだから、源蔵のひ孫も合わせて三人との時間を過ごし、もう一度考えるのはどうだろうか」
「お待ちください! 最初のお話では、我が灰家ハイケと、尉家イケとの二名と伺っておりました。今日この日に、いきなり一人増えるなど、聞いておりません」

 茶色の髪の女性が反論する。

「私は構いませんわ。今回お呼ばれいただきましたのも、確実に決定という話ではなく、顔合わせの意味合いも強いとのことでしたでしょう? 今までも、婚約候補が訪れてはこの家を去っております。私たちどちらかで決まるとも伺っておりませんもの」
「尉の方? 何をおっしゃいますの? わたくしは、どちらかの家を選ぶのだと伺っておりますわ」
「灰家の方、それは宗主のご希望であって、睦火様の望みではございません。それに、睦火様のお眼鏡に叶うことがなければ、帰路に着くのは当然のことですわよ。それとも、灰家の方は、睦火さまのお心を得る自信がないということかしら?」

 二人の女性は睨み合った。話を聞くに、睦火と呼ばれた青年の婚約相手として二人が選ばれているようだ。そして、どちらかを選ぶとは決まっておらず、今までも何人かの女性が訪れて、その相手とされず帰っていったのだろう。

「わしとしてはどちらかを選んでほしかったのだが。とはいえ、源蔵のひ孫となれば、無視もできない。かといって、睦火の相手となるならば、その資質も問わねばならない」
「大丈夫ですよ。僕が選んだ人ですから」

 華鈴が目を回しそうになっているのをわかっているのか、睦火がぎゅっと華鈴の肩を抱いて、その体を支えた。

「とにもかくにも、二家の令嬢たちは歓迎しよう。しばらく屋敷に滞在し、睦火の承諾を得てほしい。源蔵のひ孫も、お前の相手に相応しいかは、見させてもらうよ、睦火」
「見る必要もないですけれどね。では、華鈴、行こうか」

 宗主の言葉を終わりにして、睦火が華鈴の手を引っ張った。後ろから鋭い視線が飛んでくる。女性だけでなく、その周囲にいるモノたちからもだ。

 そこから逃げるようにして、華鈴は睦火に手を引かれながら後をついていった。
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