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1 華鈴

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 華鈴の手を力強く引くのは、見知らぬ青年。

 まるで絵の中から抜け出したような、現実に存在するとは思えないほど整った顔を持つ青年が、華鈴を軽々と抱き上げた。
「彼女が、僕の花嫁になる人です!」
 大勢のモノの前で、そう高らかに宣言され、華鈴はただ呆然と、その青年を見上げていた。




「華鈴さん、大丈夫ですか?」

 車で墓場から家まで送ってもらう途中、弁護士が問うた。
 曽祖父は自分の葬儀などの手配は生前に全て決めていた。華鈴はそれにのっとり、進めるだけだった。だから、苦労はなかった。曽祖父の選んだ寺では、火葬の後四十九日を待たず、そのまま墓に骨を入れる。風も出てきて墓場はやけに肌寒かったが、弁護士と共に小さな骨壷が納められるのを眺めていただけだ。

 長い一日だったため、疲労は濃いと慮ってくれたのかと思ったが、家の門扉の前でたむろしている二人に気付き、そういう意味かと華鈴は息を吐く。

「大丈夫じゃなさそうです」
「華鈴さんはすぐに家に入っていただいて結構ですよ。話はこちらでしますから」

 弁護士の心強い言葉に頷いて、華鈴は眼鏡を押し上げて停まった車から降りた。すぐに華鈴の伯父が近寄ってくる。後ろには、視線を合わせようともしない華鈴の父親が、居心地悪そうに立っていた。

「随分と質素な葬式だったな。じいさんだったら、もっと広い場所で豪華にやった方が良かったんじゃないか?」
「自宅で行ったのは故人の希望ですよ。お二人は、何用ですか? いらっしゃらなくても問題ありませんが」
 弁護士の冷たい言葉に、伯父は片眉を上げた。

「ひどい言い草だね、弁護士さん。じいさんが死んだんだ。これから遺産相続の会議が必要だろう。だから待っててやったのさ」
「あの、俺は相続があっても放棄しますので」
「放棄されるのならば、三ヶ月以内にどうぞ」

 父親が口を挟んだが、弁護士にきっぱり言われて、怖じけるように小さく頷いた。伯父はその予定はないと、弁護士にお腹を向ける。その横柄な態度にも弁護士は毅然としていた。門扉前に立ち、伯父をそれ以上入らせないようにしている。

「相続権は、まず、華鈴さんにあります」
「はあ? 父親が相続放棄したんだから、華鈴に相続権はないだろ」

 それならば、曽祖父と住んでいた家に住むこともできなくなるのだろうか。
 隣で聞いていて、不安が膨らんでくる。

 高校を卒業後、華鈴は大学にも職にも就かず、家事をしたり、曽祖父の手伝いをしたりしていた。人と接するのが不得意で、外に出ることを苦手としていたからだ。唯一の趣味は書道で、いくつかの賞をもらったが、書道を仕事にしているわけではない。

 曽祖父の手伝いではお金を扱うこともあり、経理関係の資格を得ようと勉強はしていたが、それだけだ。曽祖父の家を追い出されたら、住む場所も仕事もなく、生きていくのは難しいだろう。
 そう考えると、突如不安に駆られた。華鈴は曽祖父との生活に依存していたからだ。

 曽祖父は年の割にボケることのない、背筋をピンと伸ばした若々しい人だった。九十五歳を過ぎながら、そんな年に見られることはなく、言動もしっかりしていた。
 しかし、最近の急な気温差のせいで風邪を引き、そのまま肺炎になった。そうして、あっという間に亡くなったのだ。

「華鈴さん、アトリエの机の上に、源蔵さんからあなたへ渡すよう言われたものを置いておいたので、確認してください」
 弁護士の言葉に華鈴が頷くと、伯父がすぐにがなる。

「おい、土地の権利書とかじゃないだろうな。もしかして絵か? じいさんの絵だったら高額で売れるだろ!?」
「兄さん、大声を出さないでくれよ」

 父親は掠れるような弱々しい声を出す。細い体を丸め、怯えるようにして伯父を止めようとするが、それはフリだけのようにも見えた。止められないと分かっているのだろう。伯父を押さえようとしつつ、触れることもないまま、ちらりと華鈴を見て、すぐに視線を泳がせて地面に向けた。

 その姿は父親としてあまりにも情けない様だったが、同じように華鈴も体を丸めて、その場から逃げ出すように玄関へ向かう。

「相続については追って連絡しますが、遺言がありますので、それに乗っ取ることになります」
「遺言? なにを遺言したっていうんだ」

 二人は言い合うが、父親は帰りたそうにしていた。その姿を横目で見ながら、華鈴は玄関に入り込み、扉をしっかりと閉めた。

 位牌を手にしたまま、家の中の寒さにブルリと震える。これから一人になるのだ。寒さが身に染みるだけではないだろう。華鈴は位牌を持ったまま、座り込みそうになるのを我慢し、弁護士に言われた通り、曽祖父のアトリエへ向かった。




 独特な匂いが残るアトリエに行けば、曽祖父の姿が思い出される。その姿が見て取れないことに、位牌を握りしめた。曽祖父が何を残したのか。机の上を確認すれば、置いてあったのは巻物だった。

「掛け軸?」

 開けば、曽祖父が描いた絵が貼られている。その絵は山景色で、人が描かれていた。朝日か夕焼けか、おそらく朝日だろう。山の稜線の向こうから光が漏れて、その光に照らされた青年が一人、野原にぽつねんと立っている。遠目に寺か神社か、いくつかの瓦屋根の建物や五重の塔のような建物が見え、それらの屋根も照らしていた。

 空からの光だけが明るく、絵のほとんどが暗く描かれていたおり、その雰囲気は神々しくも寂しげだが、青年の存在がそれを打ち消していた。

 青年は着物を着ており、見返り美人のように首だけこちらに傾げている。少しだけうねった黒髪は首元まで伸びており、瞳の色は光に照らされて、片目だけ怪しげに紫色が灯っていた。

「珍しい。ひいじいが人を描くなんて。でも、幽霊画みたい」

 妖怪のような化け物はともかく、人どころか現実の生物を描いた絵など一度として見たことがないのに、青年を描いている。なんとも珍しいものだ。

「結構、古そう。現実にいる人を描いたのかな? すごい美男子だけれど」

 描いたのは随分昔のようだ。絵自体は色褪せていないが、それを貼り付けてある表装が日に焼けて色が変わっている。棚にでもしまっていたのだろう、筒の先っぽだけが色落ちしていた。長く同じ場所に置いておいたようだ。

「これを、どうして私にわざわざ託したんだろう」

 どこか幽霊のような、人とは思えない怪しい美しさが青年にはある。じっと見ていれば寒気さえ感じるような、美麗ながら冷淡な雰囲気があった。

 それでも、人をモチーフに描くことはなかった曽祖父の絵だ。貴重な物だろう。
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