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エルフィモーラ4
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エルフィモーラは美しい女性だった。
美しく輝いた長い金髪と、蜂蜜色の瞳。細い肢体に華奢な身体をしながら、意外にはっきりと意見を言う、笑顔の絶えない人だった。
ハルディオラが彼女に会ったのはいつだったのか。マリオンネに訪れた際、エルヴィアナ女王に付いていたムスタファ・ブレイン、フルネミアから紹介を得たと言っていた。
兄のラクレイン、妹のエルフィモーラ。二人は前女王エルヴィアナの双子の妹の子で、女王になるはずだったルディアリネのいとこでもある。
本来女王と同じ血を分ける双子の片割れは、人気のない島に送られて余生を過ごしたり、地上の王族に下賜されたりする。男が生まれることはないので、それが当たり前に行われてきた。
女王の妹は王族に下賜されることなく小さな島で暮らしていた。しかし、前女王エルヴィアナは実の妹が離島に閉じ込められていることを知り、何とか彼女を呼び寄せようとしたらしい。
女王の妹がいると女王の地位が揺らぐ可能性がある。そんな周囲の心配をよそに、前女王エルヴィアナは妹を呼び寄せることに成功した。自身が女王になった頃だ。
しかし、呼び寄せても妹を自由にすることはできなかった。女王の地位を揺るがすことのない、女王に忠誠を誓っている者に預けることを前提に妹をマリオンネの本島に呼び寄せたが、結局その預けた者の息子に嫁ぐことになった。
女王の妹がその時どう思っていたのか分からないが、その妹からラクレインとエルフィモーラが産まれた。
二人は特別な子であり、監視が必要だった。それに選ばれたのがシスティアだ。二人の父親の妹の子であり、二人とはいとこ同士にあたる。
ラクレイン、エルフィモーラ、システィア。三人が絆を深めるには時間は掛からなかった。
前女王エルヴィアナはラクレインとエルフィモーラを大切にしていたのだろう。ルディアリネは病気がちで気が弱いことから、ラクレインとエルフィモーラを話し相手としたほどだった。
前女王エルヴィアナが二人を丁重に扱ったため、二人の立場は大きく変わった。前女王エルヴィアナに近い立場として扱われるようになったのである。
しかし、次期女王であるルディアリネはその弱さで女王として立てるのか、周囲から厳しい目で見られるようになった。それを知ったエルフィモーラは、ルディアリネから離れるようになったようだ。
次期女王の代わりになるのが、エルフィモーラになる可能性が出てきたからだ。
そうして、前女王エルヴィアナはこう考えたのだろう。もしもエルフィモーラが地上に興味を持つならば、地上に降りることも構わないと。
ハルディオラと知り合ったのもその頃だろう。
前王が王として立った頃、グングナルドでは混乱が起きていた。
王都ダリュンベリから届いた王の訃報に、カサダリアでは情報が錯綜していた。
突如亡くなった王の死因を疑う者は少なくなく、ハルディオラもその訃報に動揺を隠し切れなかったほどだ。
王は第二王子であるハルディオラを次期王に望むのではないかと噂されていた。第一王子に魔導量がほとんどなく、第二王子であるハルディオラは魔導量の多さが桁違いにあったからだ。
しかし、突然崩御した王の代わりに第一王子が王になり、ハルディオラは王都ダリュンベリから追い出されるようにカサダリアに留まる副宰相に任命された。王都にいられては比べられるからだろう。
とはいえ、ハルディオラが王都ダリュンベリから遠ざけられることに安堵していたのは間違いない。
ハルディオラは兄を押し退けて王になる気はなく、静かな生活を好んでいたからだ。
年老いて引退する時には、マリオンネが見える場所でゆっくりしたい。そんな望みを持って冬の館近くに隠れ家を作っていた。
その後反王派が集まる場所として使うことになるとは、この時は思いもしなかっただろう。
ハルディオラが王都ダリュンベリを去ってしばらくして、王妃レディアーナの懐妊が報じられた。
「カサダリアにレディアーナ様が滞在されるのか?」
「あまり体調が思わしくないようだ。ダリュンベリにいるよりカサダリアの方が実家に近い。療養に王都を離れても問題はないだろう」
ハルディオラは穏やかにそう言うが、王妃レディアーナが子を孕んでから体調を崩している話はカサダリアまで届いていた。
レディアーナは王族に入ることを恐れていた。魔導量が多く精霊の気配を感じられるほどの力を持っていたせいか、精霊への畏怖が強い。マリオンネに訪れるにも緊張で気を失うほど気も弱かった。
そして、王の気質にも恐れを抱いていた。前々より野心家と言われ、前王を殺したとも噂されたのだから、その妻としては恐怖しかなかったのだろう。
そのレディアーナが王との子を孕んだ。レディアーナは王との子を産むことに憂いしかなかったのだ。
「レディアーナ様には少し落ち着く場所があった方がいい。何なら隠れ家に連れていくことも考えているよ」
「王の妃をあの場所に連れるのか? 王に話したらどうする気だ。あそこには、お前の……」
「エルフィモーラとも打ち解けられると思うんだ」
ハルディオラは王である兄に比べて性格が穏やかだ。頑固なところはあるが、普段はのんびりして、自然や精霊、絵や音楽を愛していた。芸術気質な割に剣の腕も魔導を扱う腕もあるのだから、王がハルディオラに対して妬みを持ったのも内心納得をしていた。
だからこそ、マリオンネの人間が訪れる隠れ家をその妃に教えることは、危険ではないのか。仲間内からそんな声もあった。
しかし、カサダリアに訪れたレディアーナを見て、静かな場所での療養が必要なのだと思い直した。
「レディアーナ様。ガルネーゼと申します。こちらでは私があなたをお守りします」
「あの、お願いいたします」
薄い金髪に白い肌。白いと言うより青白く顔色が悪い。瞳の色は美しい碧眼だがどこか生気を感じさせない。怯えるように身体を小さくする姿は、王妃という身分が不似合いだった。
ここまで痩せていた方だっただろうか。元々華奢だったが、頬が削げてしまっている。眠れていないのか、目の下には化粧で隠し切れないクマがあった。
「カサダリアはダリュンベリに比べて狭く階段が多いですが、レディアーナ様には不自由のないよう努めさせていただきます」
「大丈夫です。どこでも、静かであれば……」
人の目を見ずにすぐにうつむくレディアーナは、ハルディオラとの面会でもほとんど顔を上げなかった。
レディアーナは身重ながら階段を上り下りし、聖堂へと足繁く通う。マリオンネの女王に祈りを捧げると落ち着くのか、良く聖堂に出入りをしていた。
聖堂に精霊がいるらしく、その光を見ていると安心するそうだ。
しかし落ち着いているのはその時くらいで、部屋にいると突然涙を流したり、子を産みたくないとヒステリーを起こしたりと、情緒不安定な面を見せていた。
「生きる気力が少ないというか、食事の量も少なく、健康な子を産めるかも不安があるな。侍女の話では夜中どこかへ行こうとしたりするそうだ。それに、食事中も注意が必要なようだ。鋭い金属は渡さないようにしている」
部下が見ていただけでも数回手首を切ろうとした。食事にナイフは渡せない。先の丸いフォークを与えている。ペーパーナイフも危険だ。
「魔導量があるのならば魔法陣でも作り何かを攻撃するかもしれない。その辺りの警戒もした方がいいだろう」
「自らに攻撃は魔導ではできない。けれど、魔導を使い何かをしないように結界を強めた方が良いかもしれないな。イムレスをこちらに呼び寄せよう」
ハルディオラの提案で、すぐにイムレスが駆け付けた。その後王妃レディアーナの気持ちを落ち着けるために、ハルディオラはレディアーナにエルフィモーラを紹介した。
それが正しかったことなのか。未だに答えは出ない。ただ、自分たち三人が集まらなければ、あそこまでスムーズにことは運ばなかっただろう。
ハルディオラが妊婦であるレディアーナを不憫に思わなければ、起きなかったことかもしれない。そう考えれば、あれは運命だったとしか言いようがなかった。
「妊娠されているのですか? わたくしと同じ」
「ええ。もうお腹を蹴るくらいなんですよ」
隠れ家に秘密裏に連れてきたレディアーナは、同じ妊婦であるエルフィモーラにすぐに打ち解けた。マリオンネの人間を恐れるかと思ったが、それよりも妊婦であることが大きかったようだ。
エルフィモーラはマリオンネと繋がる転移魔法陣を使い、ハルディオラに会うようになっていた。婚姻をすることなく妊娠させたことに呆れたが、王に気付かれればエルフィモーラとその子に危険が及ぶ。
ハルディオラは王の所業に文句を言うことはなかったが、狙われる可能性は考えていたのだろう。それを鑑みれば、王に知らせず隠れ家に住まわせることは正解だったのだ。
エルフィモーラはこの隠れ家に一人住んでいたが、そこが静かだったことはない。エルフィモーラと一緒に人型の精霊と翼竜が訪れていたからだ。
「エレディナ、レディアーナ様を脅かす真似はするなよ。ヨシュア、お前もだ。レディアーナ様は心の弱い方だから、お前たちを見て卒倒するかもしれん」
「人を化け物みたいに言わないでよね」
「今、人の形してるから、驚かない」
エレディナとヨシュアは口答えをしてくるが、エルフィモーラがやんわりと注意すると、二人は口を尖らせながら姿を消した。
「エルフィモーラの言うことしか聞かんのか」
「ハルディオラの言うことも聞くのよ。女王様の血が入っているからかしら。私とほとんど変わらないからかしらね」
エルフィモーラは緩やかに言って微笑む。そうは言うが、あの二人は王に絶対好意を持たないだろう。そこはやはり魔導量によるのだろうか。
「レディアーナ様の体調は心配だわ。ここで少しでも落ち着ければいいのだけれど」
カサダリアにいてもあまり眠れていないようだったが、隠れ家に来て睡眠をとるようになっていた。精霊も多くいるこの場所だと、聖堂にいるように気分が落ち着くようだ。
妊婦の身体に何かあっては困るため、一緒にイムレスも連れてきている。イムレスはレディアーナが眠ったのを見計らい、庭に降りてきた。
「いつもよりずっと落ち着いているよ。ダリュンベリにいた時に比べて随分顔色がいい。レディアーナ様は自然に近しい場所にいた方が落ち着くようだね」
「あまりご無理をされずにお子を産めるといいのだが」
ハルディオラが憂えるように言うと、イムレスは少々眉を傾げる。
「けれど、ここに彼女を連れてきて良かったのかい? レディアーナ様が王に話すとは思わないけれど、精神を病んでいる時に何を言うかは分からないよ」
「その時はその時だ。今はレディアーナ様とお子の方が心配だから、できるだけゆっくりしてもらいたい」
ハルディオラの言葉にイムレスは肩を竦めて呆れ顔をしていたが、エルフィモーラはハルディオラに寄り添って穏やかな笑みを見せていた。
何度か行き来をし、レディアーナの体調が少しずつ良くなっていった頃、エルフィモーラの出産予定日がやってきた。
マリオンネからラクレインとシスティアが訪れ、産婆としてヨナクートが呼ばれた。
ラクレインは名をどうするかとハルディオラに問うていたが、顔を見てから決めると言うハルディオラの返答に、候補も決めていないのかと呆れ顔をしていた。
穏やかな日の、幸福な一時。
しかし、その時は一変し、予想以上の難産になったエルフィモーラに隠れ家では緊張が走っていた。
自分とイムレスはカサダリアに戻り、産声を上げるのを待っていたが、カサダリアでは別の問題が起きていた。
レディアーナが切迫早産で苦しみ出したからだ。
「レディアーナ様! ゆっくり息をして、大丈夫ですから、心を落ち着けてください!」
「嫌よ! わたくしは産みたくない!! ここから出して!! ここは嫌!!」
「レディアーナ様!!」
レディアーナはヒステリックに泣き叫び、寝台から降りようとして侍女を押し退けた。どこにそんな力があったのか、身体を引き摺るようにして部屋を飛び出そうとしたのだ。
「レディアーナ様! 部屋にお戻りください! このままではお子が!!」
「ハルディオラ様は、ハルディオラ様はどこにいらっしゃるの!? お願いよ。わたくしを、あの場所へ!! わたくしは産みたくない。産みたくないの!!」
暴れるレディアーナは落ち着くことがなく、泣き喚いてハルディオラを呼んだ。
落ち着かなければ生まれてくる子供に支障が出る。隠れ家ではエルフィモーラが分娩中であちらも切迫していただろう。しかし、こちらは迷っている暇がなかった。
放っておけばレディアーナの命にも危険が及ぶ可能性があったからだ。
「先に向こうへ行っている。イムレス、レディアーナ様を連れてこい!!」
隠れ家へ転移魔法陣を使い転移すると、こちらは先ほどの喧騒が嘘みたいにしんとしていた。ただ、赤子の声が部屋から聞こえる。
無事に生まれたのか。そう安堵しつつも隠れ家の静まり返った雰囲気に嫌な予感しかしなかった。
「ラクレイン、どうしたんだ。何を泣いて……」
一階のソファーでうずくまるようにして、ラクレインが啜り泣いていた。部屋の隅でヨシュアが小さくなって無言で膝に顔を埋めている。
赤子の声は大きいが、喜んでいる雰囲気がない。そうして、ゆっくり階段から顔を真っ赤にしたシスティアが降りてくると、嗚咽を漏らして地面に崩れ落ちた。
「エルフィモーラは……?」
「……息を引き取ったわ」
その言葉を、転移してきたばかりのレディアーナが聞いていた。
それから、どうしてそうなったのか、今でも分からない。
レディアーナは、自分は子供を産んだりしないと喚いたが、破水してしまったレディアーナが子を産まぬ選択をすることはできなかった。
そうして早産で生まれた赤子は息をすることなく引き取り、レディアーナは喜びに笑いながら言ったのだ。
「エルフィモーラの子を、わたくしの子としてください」
美しく輝いた長い金髪と、蜂蜜色の瞳。細い肢体に華奢な身体をしながら、意外にはっきりと意見を言う、笑顔の絶えない人だった。
ハルディオラが彼女に会ったのはいつだったのか。マリオンネに訪れた際、エルヴィアナ女王に付いていたムスタファ・ブレイン、フルネミアから紹介を得たと言っていた。
兄のラクレイン、妹のエルフィモーラ。二人は前女王エルヴィアナの双子の妹の子で、女王になるはずだったルディアリネのいとこでもある。
本来女王と同じ血を分ける双子の片割れは、人気のない島に送られて余生を過ごしたり、地上の王族に下賜されたりする。男が生まれることはないので、それが当たり前に行われてきた。
女王の妹は王族に下賜されることなく小さな島で暮らしていた。しかし、前女王エルヴィアナは実の妹が離島に閉じ込められていることを知り、何とか彼女を呼び寄せようとしたらしい。
女王の妹がいると女王の地位が揺らぐ可能性がある。そんな周囲の心配をよそに、前女王エルヴィアナは妹を呼び寄せることに成功した。自身が女王になった頃だ。
しかし、呼び寄せても妹を自由にすることはできなかった。女王の地位を揺るがすことのない、女王に忠誠を誓っている者に預けることを前提に妹をマリオンネの本島に呼び寄せたが、結局その預けた者の息子に嫁ぐことになった。
女王の妹がその時どう思っていたのか分からないが、その妹からラクレインとエルフィモーラが産まれた。
二人は特別な子であり、監視が必要だった。それに選ばれたのがシスティアだ。二人の父親の妹の子であり、二人とはいとこ同士にあたる。
ラクレイン、エルフィモーラ、システィア。三人が絆を深めるには時間は掛からなかった。
前女王エルヴィアナはラクレインとエルフィモーラを大切にしていたのだろう。ルディアリネは病気がちで気が弱いことから、ラクレインとエルフィモーラを話し相手としたほどだった。
前女王エルヴィアナが二人を丁重に扱ったため、二人の立場は大きく変わった。前女王エルヴィアナに近い立場として扱われるようになったのである。
しかし、次期女王であるルディアリネはその弱さで女王として立てるのか、周囲から厳しい目で見られるようになった。それを知ったエルフィモーラは、ルディアリネから離れるようになったようだ。
次期女王の代わりになるのが、エルフィモーラになる可能性が出てきたからだ。
そうして、前女王エルヴィアナはこう考えたのだろう。もしもエルフィモーラが地上に興味を持つならば、地上に降りることも構わないと。
ハルディオラと知り合ったのもその頃だろう。
前王が王として立った頃、グングナルドでは混乱が起きていた。
王都ダリュンベリから届いた王の訃報に、カサダリアでは情報が錯綜していた。
突如亡くなった王の死因を疑う者は少なくなく、ハルディオラもその訃報に動揺を隠し切れなかったほどだ。
王は第二王子であるハルディオラを次期王に望むのではないかと噂されていた。第一王子に魔導量がほとんどなく、第二王子であるハルディオラは魔導量の多さが桁違いにあったからだ。
しかし、突然崩御した王の代わりに第一王子が王になり、ハルディオラは王都ダリュンベリから追い出されるようにカサダリアに留まる副宰相に任命された。王都にいられては比べられるからだろう。
とはいえ、ハルディオラが王都ダリュンベリから遠ざけられることに安堵していたのは間違いない。
ハルディオラは兄を押し退けて王になる気はなく、静かな生活を好んでいたからだ。
年老いて引退する時には、マリオンネが見える場所でゆっくりしたい。そんな望みを持って冬の館近くに隠れ家を作っていた。
その後反王派が集まる場所として使うことになるとは、この時は思いもしなかっただろう。
ハルディオラが王都ダリュンベリを去ってしばらくして、王妃レディアーナの懐妊が報じられた。
「カサダリアにレディアーナ様が滞在されるのか?」
「あまり体調が思わしくないようだ。ダリュンベリにいるよりカサダリアの方が実家に近い。療養に王都を離れても問題はないだろう」
ハルディオラは穏やかにそう言うが、王妃レディアーナが子を孕んでから体調を崩している話はカサダリアまで届いていた。
レディアーナは王族に入ることを恐れていた。魔導量が多く精霊の気配を感じられるほどの力を持っていたせいか、精霊への畏怖が強い。マリオンネに訪れるにも緊張で気を失うほど気も弱かった。
そして、王の気質にも恐れを抱いていた。前々より野心家と言われ、前王を殺したとも噂されたのだから、その妻としては恐怖しかなかったのだろう。
そのレディアーナが王との子を孕んだ。レディアーナは王との子を産むことに憂いしかなかったのだ。
「レディアーナ様には少し落ち着く場所があった方がいい。何なら隠れ家に連れていくことも考えているよ」
「王の妃をあの場所に連れるのか? 王に話したらどうする気だ。あそこには、お前の……」
「エルフィモーラとも打ち解けられると思うんだ」
ハルディオラは王である兄に比べて性格が穏やかだ。頑固なところはあるが、普段はのんびりして、自然や精霊、絵や音楽を愛していた。芸術気質な割に剣の腕も魔導を扱う腕もあるのだから、王がハルディオラに対して妬みを持ったのも内心納得をしていた。
だからこそ、マリオンネの人間が訪れる隠れ家をその妃に教えることは、危険ではないのか。仲間内からそんな声もあった。
しかし、カサダリアに訪れたレディアーナを見て、静かな場所での療養が必要なのだと思い直した。
「レディアーナ様。ガルネーゼと申します。こちらでは私があなたをお守りします」
「あの、お願いいたします」
薄い金髪に白い肌。白いと言うより青白く顔色が悪い。瞳の色は美しい碧眼だがどこか生気を感じさせない。怯えるように身体を小さくする姿は、王妃という身分が不似合いだった。
ここまで痩せていた方だっただろうか。元々華奢だったが、頬が削げてしまっている。眠れていないのか、目の下には化粧で隠し切れないクマがあった。
「カサダリアはダリュンベリに比べて狭く階段が多いですが、レディアーナ様には不自由のないよう努めさせていただきます」
「大丈夫です。どこでも、静かであれば……」
人の目を見ずにすぐにうつむくレディアーナは、ハルディオラとの面会でもほとんど顔を上げなかった。
レディアーナは身重ながら階段を上り下りし、聖堂へと足繁く通う。マリオンネの女王に祈りを捧げると落ち着くのか、良く聖堂に出入りをしていた。
聖堂に精霊がいるらしく、その光を見ていると安心するそうだ。
しかし落ち着いているのはその時くらいで、部屋にいると突然涙を流したり、子を産みたくないとヒステリーを起こしたりと、情緒不安定な面を見せていた。
「生きる気力が少ないというか、食事の量も少なく、健康な子を産めるかも不安があるな。侍女の話では夜中どこかへ行こうとしたりするそうだ。それに、食事中も注意が必要なようだ。鋭い金属は渡さないようにしている」
部下が見ていただけでも数回手首を切ろうとした。食事にナイフは渡せない。先の丸いフォークを与えている。ペーパーナイフも危険だ。
「魔導量があるのならば魔法陣でも作り何かを攻撃するかもしれない。その辺りの警戒もした方がいいだろう」
「自らに攻撃は魔導ではできない。けれど、魔導を使い何かをしないように結界を強めた方が良いかもしれないな。イムレスをこちらに呼び寄せよう」
ハルディオラの提案で、すぐにイムレスが駆け付けた。その後王妃レディアーナの気持ちを落ち着けるために、ハルディオラはレディアーナにエルフィモーラを紹介した。
それが正しかったことなのか。未だに答えは出ない。ただ、自分たち三人が集まらなければ、あそこまでスムーズにことは運ばなかっただろう。
ハルディオラが妊婦であるレディアーナを不憫に思わなければ、起きなかったことかもしれない。そう考えれば、あれは運命だったとしか言いようがなかった。
「妊娠されているのですか? わたくしと同じ」
「ええ。もうお腹を蹴るくらいなんですよ」
隠れ家に秘密裏に連れてきたレディアーナは、同じ妊婦であるエルフィモーラにすぐに打ち解けた。マリオンネの人間を恐れるかと思ったが、それよりも妊婦であることが大きかったようだ。
エルフィモーラはマリオンネと繋がる転移魔法陣を使い、ハルディオラに会うようになっていた。婚姻をすることなく妊娠させたことに呆れたが、王に気付かれればエルフィモーラとその子に危険が及ぶ。
ハルディオラは王の所業に文句を言うことはなかったが、狙われる可能性は考えていたのだろう。それを鑑みれば、王に知らせず隠れ家に住まわせることは正解だったのだ。
エルフィモーラはこの隠れ家に一人住んでいたが、そこが静かだったことはない。エルフィモーラと一緒に人型の精霊と翼竜が訪れていたからだ。
「エレディナ、レディアーナ様を脅かす真似はするなよ。ヨシュア、お前もだ。レディアーナ様は心の弱い方だから、お前たちを見て卒倒するかもしれん」
「人を化け物みたいに言わないでよね」
「今、人の形してるから、驚かない」
エレディナとヨシュアは口答えをしてくるが、エルフィモーラがやんわりと注意すると、二人は口を尖らせながら姿を消した。
「エルフィモーラの言うことしか聞かんのか」
「ハルディオラの言うことも聞くのよ。女王様の血が入っているからかしら。私とほとんど変わらないからかしらね」
エルフィモーラは緩やかに言って微笑む。そうは言うが、あの二人は王に絶対好意を持たないだろう。そこはやはり魔導量によるのだろうか。
「レディアーナ様の体調は心配だわ。ここで少しでも落ち着ければいいのだけれど」
カサダリアにいてもあまり眠れていないようだったが、隠れ家に来て睡眠をとるようになっていた。精霊も多くいるこの場所だと、聖堂にいるように気分が落ち着くようだ。
妊婦の身体に何かあっては困るため、一緒にイムレスも連れてきている。イムレスはレディアーナが眠ったのを見計らい、庭に降りてきた。
「いつもよりずっと落ち着いているよ。ダリュンベリにいた時に比べて随分顔色がいい。レディアーナ様は自然に近しい場所にいた方が落ち着くようだね」
「あまりご無理をされずにお子を産めるといいのだが」
ハルディオラが憂えるように言うと、イムレスは少々眉を傾げる。
「けれど、ここに彼女を連れてきて良かったのかい? レディアーナ様が王に話すとは思わないけれど、精神を病んでいる時に何を言うかは分からないよ」
「その時はその時だ。今はレディアーナ様とお子の方が心配だから、できるだけゆっくりしてもらいたい」
ハルディオラの言葉にイムレスは肩を竦めて呆れ顔をしていたが、エルフィモーラはハルディオラに寄り添って穏やかな笑みを見せていた。
何度か行き来をし、レディアーナの体調が少しずつ良くなっていった頃、エルフィモーラの出産予定日がやってきた。
マリオンネからラクレインとシスティアが訪れ、産婆としてヨナクートが呼ばれた。
ラクレインは名をどうするかとハルディオラに問うていたが、顔を見てから決めると言うハルディオラの返答に、候補も決めていないのかと呆れ顔をしていた。
穏やかな日の、幸福な一時。
しかし、その時は一変し、予想以上の難産になったエルフィモーラに隠れ家では緊張が走っていた。
自分とイムレスはカサダリアに戻り、産声を上げるのを待っていたが、カサダリアでは別の問題が起きていた。
レディアーナが切迫早産で苦しみ出したからだ。
「レディアーナ様! ゆっくり息をして、大丈夫ですから、心を落ち着けてください!」
「嫌よ! わたくしは産みたくない!! ここから出して!! ここは嫌!!」
「レディアーナ様!!」
レディアーナはヒステリックに泣き叫び、寝台から降りようとして侍女を押し退けた。どこにそんな力があったのか、身体を引き摺るようにして部屋を飛び出そうとしたのだ。
「レディアーナ様! 部屋にお戻りください! このままではお子が!!」
「ハルディオラ様は、ハルディオラ様はどこにいらっしゃるの!? お願いよ。わたくしを、あの場所へ!! わたくしは産みたくない。産みたくないの!!」
暴れるレディアーナは落ち着くことがなく、泣き喚いてハルディオラを呼んだ。
落ち着かなければ生まれてくる子供に支障が出る。隠れ家ではエルフィモーラが分娩中であちらも切迫していただろう。しかし、こちらは迷っている暇がなかった。
放っておけばレディアーナの命にも危険が及ぶ可能性があったからだ。
「先に向こうへ行っている。イムレス、レディアーナ様を連れてこい!!」
隠れ家へ転移魔法陣を使い転移すると、こちらは先ほどの喧騒が嘘みたいにしんとしていた。ただ、赤子の声が部屋から聞こえる。
無事に生まれたのか。そう安堵しつつも隠れ家の静まり返った雰囲気に嫌な予感しかしなかった。
「ラクレイン、どうしたんだ。何を泣いて……」
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赤子の声は大きいが、喜んでいる雰囲気がない。そうして、ゆっくり階段から顔を真っ赤にしたシスティアが降りてくると、嗚咽を漏らして地面に崩れ落ちた。
「エルフィモーラは……?」
「……息を引き取ったわ」
その言葉を、転移してきたばかりのレディアーナが聞いていた。
それから、どうしてそうなったのか、今でも分からない。
レディアーナは、自分は子供を産んだりしないと喚いたが、破水してしまったレディアーナが子を産まぬ選択をすることはできなかった。
そうして早産で生まれた赤子は息をすることなく引き取り、レディアーナは喜びに笑いながら言ったのだ。
「エルフィモーラの子を、わたくしの子としてください」
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