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調査5

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「わ、わたくしは、何も!」

 蒼白になった側使えはフィルリーネの専属だ。ヨナクートを側使えに上げる際、彼女が指名してきた信頼できる者の一人である。

 がたがたと震え出した彼女は震えるだけで顔を地面に向けたまま、こちらを見上げようとしない。近付けばアシュタルが顔を上げさせたが、嗚咽が漏れそうなほど目に涙を溜めて唇を噛み締めていた。

「理由を聞きましょうか」
「わ、わたくしは…っ」
「あなたには確かお子さんがいたわよね。まだ一歳にも満たなかったのではなかった? 夫は王騎士団に所属。子を見ているのは、一体どなた?」
「そ、それは、」

 ぶるぶると身体を揺らすようにすると、側使えはつかえが取れたように涙を溢れさせた。

「申し訳ございませんっ! 子供が、子供を奪われてっ!」
「毒はどうやって手にしたの」
「子供の、揺り籠に、手紙と、一緒にされて。夫は、犯人を、探しに行きましたが、子供は、まだ一歳にもなっていないのです! わたくしには、他に手は!」
「わたくしを弑しても赤ん坊が帰ってくるとは限らなくてよ」
「あ、ああっ!」

 側使えは泣き崩れた。この声は扉の後ろにも聞こえているだろう。
「そこのあなた。ハブテルに赤ん坊の行方を探すよう伝えなさい。秘密裏に行うように」
 護衛はすぐに頭を下げて扉から出ていく、イアーナが扉の外で待機していたが、側使えの泣き声は聞こえただろう。
 アシュタルが側使えを外に出し、待機していた護衛に秘密裏に移動させるよう命令する。

「ヨシュア。助かったわ」
「変な匂いしたし」
 ヨシュアがどすんと地面に降り立ち現れると、先程の紅茶を見遣った。

「危なかったな。毒か」
 ガルネーゼがカップを手にして匂いを確認する。嗅いでも分からないようだが、ヨシュアは獣の嗅覚で気付いたようだ。
 カップの種類が毒を確認できる物ではなく陶器であった時点でおかしいわけだが、側使えが慣れた者だったこともあって完全に油断していた。

「信頼している者でも、人質を取られたらどうにもならないわね…」
「関係者の周囲を警戒させるしかあるまい」
 徹底させるしか方法はない。赤ん坊など抵抗できない者を誘拐されては、衝動的に犯人の言うことを聞いてしまうだろう。

「毒の入手方法も調べさせんとな」
 溜め息混じりだが厳しい顔をしたガルネーゼの言葉に、フィルリーネは静かに頷いた。
 



 側使えが毒殺を試みたことにより、にわかにフィルリーネの周囲は騒がしくなった。
「申し訳ございません。わたくしが推薦しておきながら、このようなことになり」
 ヨナクートは深々と頭を下げた。握られた両手が力強く血管が浮き出て見える。

「ヨナクート、あなたのせいではないわ。頭を上げて。皆には警戒するよう周知しました。親しい者を人質に取られては、信頼のおける者でも決断は難しいことよ」
「いいえ。王族に従うことを誓う者として、周囲に危険が及ぶことは簡単に想定できることでございます。例え親や子が人質に取られたとしても、主人の安全を優先するのは当然のこと。この度の件はわたくしの不徳と致すところでございます。厳正な罰をお下しください」

 そう言うとは思っていたが、今は騒ぎ立てたくない。
 元々少ない側使えの数が減ったのだから、ヨナクートに罰を下し謹慎でも言い渡して側使えたちをまとめられる者を失いたくなかった。

「罰であれば本人に与えられたわ。頭を上げなさい。犯人は殺され、子も亡くなりました。彼女の夫には謹慎を言い渡してあります。罰が欲しいと言うのならば、彼女たち夫婦に悔やみの品を選んで送ってちょうだい。話はこれで終わりよ」
「…寛大な処置、言葉もありません」

 ヨナクートは頭を下げたまま、静々と部屋を出ていく。沈鬱な空気にフィルリーネはつい溜め息をついた。
 幼な子を手に掛けた犯人は足切りに合い命を落としている。命じた者を追わせているが、犯人のいた小屋は放火にあい、焼け焦げた骨組みしか残っていなかった。

 妙な輩が空き部屋を出入りしていることから発覚したが、赤ん坊の遺体から見て誘拐犯の遺体であろうと結びつけられた。赤ん坊が身に着けていた守りの魔導石も証拠となっている。間違いないだろう。

「それで、犯人の目処はついているの?」
 脇に控えていたハブテルに問うと、ハブテルは左右に首を振る。

「証拠と言えるものは何もなく、犯人に繋がる物は見付かっておりません。協力者であった乳母も殺された後小屋に放置されたようで、誘拐したその日に全員殺された模様です」

 胸糞の悪い話である。まだ一歳にもなっていない赤子を無情にも誘拐し、あまつ殺害した。子供と違い泣くことを制御しにくいため、連れてすぐに殺されたのかもしれない。

「どこかの件と同じね。場所は分かっていながら、大本の犯人は得られない」
「申し訳ございません。そちらも未だ真犯人に繋がる情報は得られておりません」
 ロデリアナを使った者も細目の男も情報がない。ワックボリヌ夫人も行方が分からぬまま、モルダウンを殺した犯人も分かっていない。その協力者も。

「これ以上分からないことは増やしたくないわね」
 ハブテルに当たるつもりはないが、ぼそりと言うと、常に冷静で無表情のハブテルも微かに目を眇めた。

「どれもが隠れた場所で動いている者たちだわ。根気よく調べてちょうだい」
「承知しております」

 頭を下げるハブテルは悔しさを滲ませるような声を出したりしないが、その雰囲気に凄みを感じた。
 ハブテルは感情を表に出さないながら、仕事に真摯な態度を持つ男だと知っている。犯人像も掴めない状態に本人も思うところはあるだろう。

「毒について分かったことはある?」
「毒の原料は劇薬でも薬として使用される薬草でしたので、医療用の薬草園であればどこにでもある物でした。育てるのに許可は必要ですが、ここから犯人を見付けるのは難しいと存じます」

 王都だけでなく別の州での取引もある。全て調べてもそれが薬になっているか調べるのは難しそうだ。
 薬草園のリストに連ねる名は多いわけでもないが、そんな簡単に足がつく程度の相手ならば全員殺したりしないだろう。

「ただ、即死するほどの量ではなく、内臓に損傷をきたす程度だろうと」
 その言葉にガルネーゼが首を上げた。
「殺す気はなかったと言うことか?」
「飲んだ量にもよりますが、普段の生活が行えなくなる可能性はあったようです」
 身体に支障をきたすのは間違いないようだ。生き残れても寝台にいる時間が長くなったかもしれない。

「乳母に接触した者の調べはどうなっている?」
 ガルネーゼは眉間を狭めながらハブテルに問うた。

「乳母は父親の借金で悩んでいたようで、金の工面に親戚を尋ねておりました。多額の負債を負ったのも詐欺にあったからだと」
「身分は調べて雇っていたのではないの?」
「身分に問題はありません。乳母の任に就いた後、父親が病になり、病に効くと言う薬に大枚をはたいたそうです。病は悪くなる一方でしたが、父親は金を注ぎ続けたとか。その時に大きな借金をつくったようです」
「それはつまり…」

 淡々と調べられた内容を話すハブテルに、ガルネーゼは眉を逆立てた。フィルリーネは溜め息を我慢して髪を耳にかけながら、腹立たしさを余所に追いやる。

「謀られたことでしょう。父親は重度の薬物依存の症状がありました。最初の病と言うのも薬を盛られた可能性があります。病を診た医師を追っておりますが、存在自体偽ったものでした」

 他人を使う仕事ぶりがロデリアナを使った事件を思い起こさせる。真犯人は隠れたままで表に出ようとしない。
 ガルネーゼはハブテルに引き続き調べを進めるよう伝えると、後味の悪さに大きな溜め息を吐いた。

「徹底しているな…。子供を使う非道など、許すことはできんぞ」
「勿論よ。そっちは何か分かったことはないの?」
「前王に関わっていた商人たちの話なら、今調査中だ。ただ、魔鉱石を不当に集めていた商人の一人が、魔導院元副長インスティアの保護を受けていると言う噂を得ている」
「おじいちゃん一味がそろそろ動くとは思っていたけれど、ロデリアナを使ったのもインスティアかもしれないわね。あの男がロデリアナを使っても疑問に思わないわ」
「インスティアはワックボリヌを嫌っている節があったからな」

 魔導院院長だったニーガラッツに比べて地位を重視するインスティアは、ニーガラッツのように魔導や研究に没頭する人間ではなかったため、魔導院での影響力も増やしていた。
 実力的にニーガラッツを抜き魔導院院長になることも、ニーガラッツを操るほどの力もなく、魔導院の影響力を増やそうと裏で画策していた。

 そして、インスティアは魔導の少ない前王を侮っているきらいがあり、魔導院の力を高めて前王を操れればと言う欲深さもあった。
 無論、そう簡単にニーガラッツや前王を出し抜けるわけではない。

 若手ながら前王の手となったワックボリヌはその逆だ。
 前王の頭となるだけの能力を持ち、若い内に前王の信頼を勝ち得た男である。
 インスティアは若手でありながら宰相へと上り詰めたワックボリヌを忌々しく思っていた。ただの一方的な恨みではあるが、嫉妬深さを考えればロデリアナを使うのは想像ができた。

「逆恨みも甚だしく、だからこそ何をやるか想定できないわ」
「小さい男だ。イムレスにも嫌がらせの類はないか確認しておくか」
 インスティアはその昔、魔導士として能力の高いイムレスに嫌がらせを行っていたことがあるのだ。可能性はなきにしもあらずである。

「何にせよ、毒に関しては引き続き注意しましょう。コニアサスたちもだけれど、あなたやイムレスも同じよ。何が起きるか分からないわ。周囲の者たちの状況も再度確認しておきなさい」
「承知した」
 ガルネーゼの頷きに、さすがに同じ真似はしないだろうと考えたが、そのまさかがすぐに起きたのだ。


 いつも通りと書類に目を通している時、ばたばたと騒がしい音が廊下から聞こえて、アシュタルたち護衛が緊張の面持ちをした。
「申し上げます。キグリアヌン王子が、毒に倒れられたと!」

 思いも寄らない言葉に、ただ呆然と顔を上がるしかなかった。
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