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事件4

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 のっそりと現れたのは土まみれになった男だ。体格が良く頬に傷があり、背中に弓矢を背負っている。
 アシュタルは腰の剣に手を伸ばしていた。

「おや、どうしました。もう狩りが終わったんでしょうか?」
 クラッセムがその男に近付いた。男は血走った目をしていたが、クラッセムを見てすぐにベビーベッドを見遣ると、ホッと息を吐いて目を垂れさせた

「ちょっと予定外のことがあったから戻って来たんだ。うちの子は眠ってるのか?」
「ええ。ああ、その靴では上がらないようになさってください。子供たちのために絨毯が敷いてあります。靴に泥が付いているようですから、少々お待ちなさい」

 クラッセムが目配せすると、シーナが赤ん坊を抱き上げた。眠っていたのに抱き上げられて、うくうくと泣き始める。

「悪いなあ。せっかく狩りが出来るはずだったのに、魔獣が多すぎて引き返して来たんだ」
「魔獣が多すぎて?」
 クラッセムがそれなら好都合ではないかと首を傾げた。

「何かあったんですか?」
「何があったわけではないんだけどよ。陥没した穴蔵に魔獣が多く出るって聞いて行ったんだよ。けど、あまりに多すぎて、俺じゃ相手ができなかった。その魔獣に追い掛けられてさ、ほうほうで帰って来たんだ。そこで矢を使い切っちまって、まったく大損だよ。また矢を作らなけりゃならない」
「そりゃ災難だったようですね」
 クラッセムは特に気になったことはないと、眉を垂れさせる。

「最近、魔獣が増えたんですか?」
 最近どこも魔獣は増えてきていたが、多すぎると形容するほどではない。地下に魔獣が巣食っていたのだろうか。

「俺もここんとこ外に出ていなかったから知らなかったが、前より増えただろうよ。陥没した穴蔵には魔獣が多いからと聞いて行ったけれど、あそこまで多いとは思わなかった。あれは一人では無理だ。もっと話をしっかり聞いとけば良かったよ」
「穴蔵って、どこのことなんでしょう?」

「森の中にある穴蔵だよ。俺も聞いたのはこの間だけど、最近陥没が起こったらしくて、そこに穴が出来たんだと。地下洞窟みたいになっていて、魔獣が出てくるんだ」
「ああ、その話? 狩人一人じゃ無理って聞いたよ。街に近付く様子はないから、今は放置しているけれど、街に近寄るようなら門兵に伝えようって話だったからね」

 デリは商人で外から商品を得ることが多い。魔獣が多い場所は避けて通る必要があるので、魔獣が多く出没する話には耳が早い方だ。
 それを聞いて男はがっくりと肩を下ろした。子供が生まれてから噂も耳にしていないようで、現状を知らなかったそうだ。

 クラッセムは男に矢を作る間赤ん坊は預けておけばいいと提案した。お金を稼がなければ生きていけないのだから、武器は早めに補充した方がいい。
 男は喜んでその提案を受け入れた。




「先程の話、騎士団に確認を取らせましょうか」
 聖堂での預かり所を後にして、フィルリーネは人気のない路地裏へと進んでいた。アシュタルはダリュンベリの王城へ戻る前に街の警備騎士に伝えた方がいいと提案する。

 フィリィは、んー。と唸って、にっこり笑顔を見せた。
「場所なら分かるから、行きましょっか」
「だ、ダメです!」
 即座に首を左右に振られたが、それで頷くフィルリーネではない。

「じゃあ、アシュタルは城に戻りなさい」
「なんでそんなこと言われるんですか! 戻りませんよ!」
「じゃあ、探しに行きましょー」
 ああ言ったらこう言う。フィルリーネの返しにアシュタルがぶるぶると震えた。

「言っておきますが、時間を費やせば費やすほど、お仕事の締め切りが短くなり、苦しむのはご自身かと!」
「やなこと言ったな。でも、確認だけしておきたいわ。場所が少し気になるところなのよね」
「何か、お気付きですか?」
「ちょっとね…」

 正確な言葉は避けて、フィルリーネはエレディナに移動を頼む。男から聞いた場所は街に一番近い森で、山際にある広大な樹海だ。そこに地下洞窟があるとは聞いたことがなかった。
 しかし、魔獣が多く住むため調査がなされていないのも確かだ。

 森の奥に洞窟があるのかもな。
 魔獣は地下から出てくることが多い。日を好まない種類が多いからだ。
 普段は別の洞窟から現れていたのが、新しい出入り口ができてそこから姿を現すようになった可能性が高い。
 そのせいで人里近くに出没しやすくなったのなら、早めに対処した方がいいだろう。

 アシュタルは一度大きく息を吐いたが、剣を確かめて頷いた。
「軽く見るだけですよ」
「物分かりのいい護衛騎士で助かるわ」
「今回だけですからね!」

 ぎーぎー文句を言ってくるが、共に外に出るのは初めてなので、反論するくせにやる気はみなぎっているようだ。エレディナが移動すると、すぐに剣を出した。

「フィルリーネ様、下がっていてください!」
「私もやるのに」
「下がっててください!」

 辿り着いた森の中、移動した目の前に黒い影が横切り、アシュタルがすぐに対応する。煙のような気体を纏う魔獣。グラクトだ。
 小さな核のような球体の身体を持っており、纏った気体を網のように動かし大小させて襲ってくる。それに捕まると呼吸困難になるため、意外に危険な魔獣だ。

 アシュタルはさっと剣を一振りするとその煙を両断する。魔導の輝きを見せるアシュタルの剣は簡単に煙を切り裂いた。中心にあった核のような身体も同じく切り付けてとどめを刺す。

「お見事。ダリュンベリにはいない種類なのに、倒し方良く知ってるわね」
「知識ぐらいあります。あの手の魔獣には弓矢の方が良いと言うことも知っていますよ」

 弓矢で倒した方が煙に剣を取られずに済む。ただの剣では煙が絡み、腕を取られるのだ。その間に顔を覆われれば窒息してしまう。
 魔導を纏わせた剣を使用すると煙は絡まない。その知識も当然あるようだ。さすが王騎士団である。

「この辺じゃよく出る種類なの。小さな魔獣でしょう。それを燃やすと長く火が灯るらしいわ。燃料代わりね」
「暗いとこに結構いんのよねー。木の隙間とかにいるの。気持ち悪いのよ」
 エレディナが姿を表し、さっと氷を飛ばした。遠目にいたグラクトにぐさりと刺さり、雄叫びが響く。

「森の中に転移したとは言え、この辺りはさほど暗くはないですが」
 うっそうとした木々の中ではないので、上を見上げれば空が見える。日差しも地面に届く明るい場所だが、グラクトが木々の隙間からもやもやと移動した。

「多いは多いんじゃない? この明るさであまり動かないはずなのに、やたらいるじゃない」
 エレディナはさっと氷を飛ばす。攻撃しようとしたアシュタルが拗ねるように口を歪ませた。

「活躍する場は残しておいてくれ」
「私の分も残してよ」
「フィルリーネ様は私の後ろで控えてください!」

 えー、身体鈍っちゃうよー。最近戦いの練習をする時間がないので、運動不足である。しかし、アシュタルとエレディナが気張ってざしゅざしゅ魔獣を倒してくれるので、残念ながら彼らの後を追うだけだった。二人いると何とも楽である。

「いつもよりは多いねえ。森の中に転移したからとは言え、少ないとは言い難いわ」
「まだ時間も遅くないですしね」

 振り抜いた剣を脇に納め、アシュタルが周囲を警戒する。グラクトばかり出てくるが、頻度は高い。あちこちに切られたグラクトの黒い身体が転がり、来た道を追って戻れるほどだ。

「フィルリーネ様、足元お気を付けください。地面にヒビが」
「陥没したって、ここのことね…」

 木々が倒れめり込んでいるのが目に入る。その先にぽっかりと穴の空いた箇所が見えた。木々が倒れ傘のようになっているが、その下が空洞だ。グラクトがこちらの気配に気付きふわふわと浮いてくるのをアシュタルがすかさず倒す。

「落石はなさそうですが、中に入られるのは危険が…」
 そんな言葉で怖気付くわけがない。アシュタルは最後まで言わず、剣を握り直した。

「エレディナ、降りれそうな場所を探してくれ」
「分かったわー」

 なだらかな坂になっていた道を見付けて、エレディナはそちらへ誘導した。折り重なった太い木々の隙間を抜け陥没した穴へと入り込む。
 アシュタルが明かりを穴の奥へ飛ばすと、ぽっと周囲が明るくなった。その影になるグラクトがこちらに気付き、ふわふわと近寄ってくる。

「間違いなくここから魔獣が出てきていますね。それに、洞窟が続いているようです」
「地面の薄い部分が崩れたみたいね。自然にできた洞窟みたいだけど、どこまで続いているのか…」
「行きますか?」
「軽く調査はしたいわね」

 ただの洞窟ならば問題ない。魔獣が出てこないように塞ぐだけだ。
 洞窟はかなり広く、長く丸い道が続いている。アシュタルが再び明かりを飛ばすとグラクトが寄ってきた。他の魔獣は住んでいないのか、グラクトだけがふよふよと浮いている。

「グラクトの住処みたいですね」
 その洞窟が崩れたせいで地上に出る数が増えたのかもしれない。
 地盤沈下したのは洞窟が広いため長年の重みに耐えかねただけだろう。

「あまり長居しない方がいいかもね。グラクトしかいないようなら、入り口を塞げばいいけれど」
「懸念がありますか?」
「懸念ってほどではないんだけれどね…」

 念の為洞窟の全容を調べたいのだが、あまり長居するとガルネーゼに小言を言われるだろう。
 しばらく暗い洞窟を歩いたがまだ先は長そうだ。暗闇に度々現れるグラクトを倒しながら進むと、アシュタルが声を上げた。

「フィルリーネ様、あれを見てください。人工物です!」
 光に照らされたのは突然現れた研磨された道だ。石に模様が描かれているか、規則的な柄が目に入る。

「土に埋もれていますが、壁も床も人工物で造られていますね。古い遺跡でしょうか」
「前に、ヘライーヌがこちらの方向に何かがあるんじゃないかって言ってたんだけど、本当に何かあるとは思わなかったわ…」
「ヘライーヌがですか?」
「冬の館で発見された精霊の書に、冬の館と同じような洞窟があるんじゃないかって」

 冬の館で行われる儀式について書かれていた精霊の書。その精霊の書の地図が確かであれば、カサダリアにも同じような洞窟があるのではないか。
 そんな見立てをヘライーヌはしたわけだが。

「冬の館には儀式の祭壇があると聞いてますが? ここにも魔鉱石の洞窟があるかもしれないと?」
「古い時代の建物が埋まっててもおかしくないんじゃない?」
 エレディナが嘆息しながら言った。それぐらいあるだろうと口にして。

 冬の館にある洞窟は魔鉱石が丸出しになったもので、模様などはなかった。しかしこちらは魔鉱石ではなく、乳白色の石に模様が刻まれ回廊のようになっていた。

 冬の館の洞窟より、ダリュンベリで見付かった地下遺跡に似ている気がする。

「なんかいるわ!」
「フィルリーネ様、お下がりください!」

 広い空間を目前に、二人が同時に叫んだ。
 そこにいたのは巨大な黒煙で、煙の中の赤い瞳が、ぎろりとこちらを睨み付けた。
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