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「フィルリーネ様、なんてお美しいのでしょう」

 側使えのレミアは、婚約式以上の感激ぶりで涙をこぼした。本当に嬉しいのだろう。婚姻してルヴィアーレを婿にとるだけで、この国の女王として君臨できると考えている者は少ないのだが、レミアはそれを純粋に信じているのかもしれない。

 レミアが自分の側使えについたのは叔父が死んだ後だが、我が儘フィルリーネに振り回された割に、フィルリーネの婚姻を喜んでくれている。
 他の者たちもルヴィアーレが夫になれば、何か変わるかと期待しているのだろう。

 祝いの言葉を順々に述べ、マリオンネ行きの航空艇に乗り込むフィルリーネを見送った。
 まあ一人、呪いをかけんばかりの顔をしていた子がいるけれどね。
 ルヴィアーレの姿を見て見惚れていた女子も多かったが、それを見た後ムイロエはもっと恨みがましい顔をしていた。

「警備はベルロッヒではありませんの?」
「本日、私は城の警備を任ぜられておりますから。祝いに乗じて不届き者がいても困りますからな」

 そう言って航空艇には乗らず、見送りの列でルヴィアーレがフィルリーネを促す様子を鋭く見つめる。冬の館などどうでもいいように、ベルロッヒは城に戻ってきている。いや、冬の館になど戻っていないだろう。戻る気もないようだ。

 ルヴィアーレはフィルリーネの手をとって、航空艇に入るよう促した。
「フィルリーネ姫、おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」

 航空艇前に並ぶ城の者たち、航空艇の出発を音楽で彩る者たち。多くがフィルリーネとルヴィアーレを見送りに来たが、それらの何人が本当に祝いのために駆け付けただろうか。
 イムレスやガルネーゼも集まりに参加していたが、彼らをよく見ることはしない。祝いを口にする者たちを見回したが、王の姿はそこにはなく、後からマリオンネへと出発するとだけ耳にした。

 レミアが細かに編み込まれたレースの裾を取り、ゆっくりと航空艇の移動式通路へ入り込む。城の者たちを背にして航空艇に入ると、ルヴィアーレがかしこまりお辞儀をして、フィルリーネを部屋に連れて自分の部屋へ出て行った。

 婚約式と同じく、出発は部屋が別々だ。
 フィルリーネの部屋にはレミアやムイロエ、いつも通りの警備がついたが、警備の男たちは部屋の外で待機する。婚姻前に男たちが部屋を同じにすることはない。

 ルヴィアーレの警備には魔導院の者たちもついていた。ベルロッヒはいないが、騎士だけでなく魔導院の者たちを多く配備するようだ。ルヴィアーレの部屋の中にも魔導士は入るだろう。ルヴィアーレがここで最後の足掻きをすると王は警戒している。

 航空艇は静かに発進し機体を浮かせた。窓から街並みが見えてくる。今日は城も街も祝い一色だそうだ。王女の婚姻式が行われることは、国中に発信されている。何も知らない人々は祝いに乗じていつもより豪華な食事を口にするだろう。
 それが、偽りの祝いであるとも知らず。

「フィルリーネ様のお姿に、皆様浮き足立っているようでしたわ」
 レミアが涙声で言いながら、フィルリーネの衣装を整える。ソファーに座ると裾がふんわりと膨らんだが、皺にならないように丁寧に伸ばした。

「ルヴィアーレ様のお衣装も素敵でしたわね。美男美女のお二人が並ぶといっそう華やかになって…」
 まだ涙が出るらしく、レミアは言葉を呑み込んだ。涙を我慢するとそれ以上話せないと、口を閉じる。
 ルヴィアーレの衣装は乳白色で白より少し柔らかい色に見えた。厚手のマントに刺繍が施されており、時間のない中よく作らせたと思ったが、同じ商人に作らせたとのことだ。

 シニーユに会いに行った時、興奮しながら気合を入れて作ったと話してくれたので、ルヴィアーレを見て相当頭に血が上ったまま作ったようである。身体の作りの均整がどうとか詳細に教えてくれたが、半分以上右から左へ聞いたので覚えていない。

「王は、いつ出られるのかしら。姿が見えなかったけれど」
「…フィルリーネ様が出発後、すぐに出られるとは聞いておりますが」

 鼻を啜りながらレミアは言うが、娘の婚姻式の出発に顔も出さないことに疑問は持たないのだろうか。こうなると城に留まる可能性が出てきた。だが、式が行われることによりルヴィアーレやラータニアの王族を拘束できるのだから、ぎりぎりに出発し、婚姻式を長引かせるつもりなのかもしれない。

「女王様が亡くなり、婚姻式も無事行えるのか不安がありましたが、早くに婚姻式を行っていただけて、ようごさいました」
「そうね。アンリカーダ様にはお礼を申し上げなければ」

 女王が亡き後、一ヶ月と言う短い時間でアンリカーダは婚姻式を挙げることを許可してきた。それがムスタファ・ブレインの入れ知恵で行われるのかと思っていたが、シエラフィアの言葉を信じれば、アンリカーダもグングナルド王と通じていることになる。

 女王となったアンリカーダが一国の王、しかも魔導のない者を懇意にする必要性が分からない。マリオンネで派閥争いはあるだろうが、女王が個人的に王と懇意にする例は今までなかった。
 若き女王だからか、分別が付かないのか、ムスタファ・ブレインに権力が偏っているのか、情報は得られていない。しかし、こうも急に婚姻式が行われることを鑑みれば、アンリカーダが良き女王となれるか疑問に思っていた方がいい。

 嘆きに活動がなくなる精霊たち。いっ時はエレディナもヨシュアも気がそぞろで、何度もマリオンネへと意識を向けていた。地上の精霊たちは尚更だろう。
 警備騎士から、魔獣が増えていると言う報告も入っている。
 そんな中、婚姻式が行えるとマリオンネから通達が来た。

 婚姻前に禊を行う儀式があるはずなのに、それを無視し慣例と違った行いを許す通達に内心顔を曇らせたのは自分だけである。王は嬉しそうに頬を緩め、口端を上げた。
 女王が死去したことは、マリオンネにとっても重大な損失だったのではないだろうか。

『王が城を出たわよ』
 エレディナの声にフィルリーネは窓の方へと顔を向ける。
「もう、お父様も城を出られたかしら。レミア、航空艇が飛んでいないか見てちょうだい」

 フィルリーネの言葉にレミアはいそいそと窓に向かう。後方を出発しても目視できる近さではないが、レミアは文句も言わず窓の外を確かめた。その様をムイロエや他の側使えたちも目で追った。

「まだ、見えないようですけれども」
 そうレミアが呟いた時、何かが倒れ込む音がした。
 レミアが何かと後ろを向いた時、フィルリーネは立ち上がり、静かに魔法陣を描いていた。

「フィルリー…」
 最後の言葉を口にする前に、レミアはずるりと窓に身体をもたれさせ、そのまま地面へと崩れるように倒れ込んだ。

「側使いだけで良かったわね」
「ルヴィアーレしか警戒していないからね。魔導士が入ってこなくて良かったわ」
 フィルリーネは言いながらおもむろに婚姻衣装を脱ぎ出す。首元の鎖を後ろ手で取り、アクセサリーや髪飾りをソファーに放り投げた。

「はい、シニーユの服」
「ありがと」
 エレディナに手渡された服はシニーユに仕立ててもらった動きやすい服だ。それを着てブーツを履く。動くにしても街の服を着るわけにはいかない。これから動くのは王女としてであって、街を歩くフィリィではないからだ。

 婚姻衣装の袖に手は通したが、やはり婚姻式で使うことはできなかった。それについてはシニーユに謝りたい。代わりに作ってもらった戦闘服は一日で破れるほど使うことになるだろう。
 身体にあった真っ赤な上着。スカートはひだのある膝丈のもので、下には黒のズボンを履いた。そして刺繍の施された真っ赤なマントを羽織る。

 どこからどう見てもバカ目立ちする色の衣装は、わざとそうなるように作らせた。ブーツの紐をしっかりと結び、首元を見せるために編まれた髪をほどき、邪魔にならないようまとめ直した。王女らしく飾りは忘れない。

 地面に転がるレミアやムイロエ、側使えたちはすやすやと夢の中だ。マリオンネに到着する頃に目覚めるだろう。

「さて、じゃあ、行くわよ、エレディナ」
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