高飛車フィルリーネ王女、職人を目指す。

MIRICO

文字の大きさ
上 下
103 / 316

ヘライーヌ

しおりを挟む
「珍しい人が来た」

 椅子の上で小さく丸まっていたヘライーヌがこちらに気付くと、椅子に座ったまま、顔を後ろ向きに上げた。

 机の上には、いくつもの瓶や、何かを書き付けた紙や木札が散乱している。一人用の机はそれだけで埋まっており、棚には蓋のしまった瓶がいくつも置いてあった。乱雑に置かれている瓶は、地面にも転がっている。部屋は人が数人入られるくらいの部屋で、机と椅子と棚しか置いていない、さほど広くない部屋だった。

「何か、ご用ですかー」
「随分と、狭い部屋なのね。ここで植物増やしたって、聞いたけれど?」

 フィルリーネは、周囲を見回して頭上を見上げる。階高はあるが、イムレスの書庫と違って何もない。ただ白いはずの壁には、黄色や黄緑色のシミが残っていた。

 少しばかりすえた匂いがするのは、ヘライーヌが風呂に入らず、ここで実験を繰り返すからだろうと推測する。ここは、植物園の研究員の部屋と違ってガラスでできていないので、何の実験をしているかは分からないようになっており、窓もないので、換気もできないのだ。

「ここ、鍵かかってたんですけどー。入られないようにしてるんですけどー」
「そうね」

 後ろの扉だけでなく、この部屋全体に魔導が行き渡っている。扉から入るには、ヘライーヌの許可が必要だ。魔法陣の結界を解除するには、それなりの力が必要だろう。
「研究を邪魔されない程度の結界でしょう。大したことないわ」

 前に部屋から籠もって出てこなかった時、イムレスが魔法陣の解除を行ったところ、強力な毒性の罠が仕掛けられていたという。もしものことがあったら困ることより、ヘライーヌが食事も睡眠もとらず死んでいることも考えられるので、無駄に強力な結界は作るなと怒ったそうだ。
 それからは、そこまでの魔法陣は敷いていないと聞いていたように、解除に力はかからなかった。ただ、普通より癖が強かっただけだ。

「手前の部屋は無人なのね。そこは魔法陣がなかったから、失礼させていただいたわ」
「姫さんが入られるような結界じゃないんだけど」
「あら、そう」

 ヘライーヌは、暗闇のような瞳をこちらに向けてくる。不信に思っていると言うより、寝不足で虚ろな感じだ。怒られても、まだ眠らず、研究をしていたのだろう。

「いつものお付きがいないんだ? 一人?」
「そうね。もう一人いるわね」
「へえ」

 ヘライーヌがぴくりと眉を上げた。フィルリーネの肩に、ふわりと布が触れる。巻きついてきた腕に、ヘライーヌは半目だったその瞳を、大きく開いた。

「ラグアルガの谷の洞窟に行ったのよ。面白い物が動いていたのだけれど、お前は知っていて?」
「事によっては、抹殺ものなんだけど。あんた、分かってんの?」

 エレディナが、フィルリーネの肩からヘライーヌに凄んだ。浮き上がり、透けた身体を見上げて、ヘライーヌがぽかんと口を開く。

「姫さんが、興味を持つものだと思わなかったけど」
「誰もが興味を持つものだと思うけれど? あそこで、何が起こっているのか、お前は知っているのでしょう?」

 ヘライーヌは見開いた目を半目に戻す。そうして、くつくつと笑いはじめた。
「は、はは。姫さんすごいや。あの国王の娘だけあるね。精霊従えて、見に行ったの?」
「精霊たちが、恐ろしさで知らせてきたのよ」
「ああー。だから、周りにくっつけて歩いてたんだ。よく見てないふりできたね。あんなに囲まれてたのに」

 ヘライーヌは思い出したように、お腹を押さえて笑いはじめる。エレディナが、笑える話なんてしてないわよ。と凄むと。ピタリと笑うのをやめた。

「精霊たちが怯えている。何をしたか、分かっていて、研究に手を貸したの?」
「わたしは知らないよ。作ったのはわたしだけど。面白い実験だって」
 エレディナの魔導がぶわっと強まる。ヘライーヌが目を眇めて、丸くなっている身体に力を入れたのが分かった。

「話せないよ。わたしも楽しみだから。どうなってるか、知らないけど」
 ヘライーヌは洞窟へ行ったことはあるが、その後どうなったのか知らないと言う。イムレスがカサダリアに行っている間に訪れた時以降、あの洞窟には入っていないようだ。

「交換条件よヘライーヌ。お前が誰かに傅くなど考えていないわ。忠義などに囚われないことは分かっている」
 興味のあるものへの探究心。ただそれだけの、子供のような動機。ヘライーヌの欲求を満たせるものがあれば、それだけで引き込むことはできる。

「お前にとっての利益をあげるわ。冬の館で面白いものを見せてあげる。それを研究するのね」
 イムレスが精霊の書を訳していても、あの場所に興味を持たない研究者はいない。

「いらしゃい、ヘライーヌ。見せてあげるわ」



 冬の館の、芽吹きの儀式の洞窟。そこの入り口に魔法陣の結界はあるが、ラグアルガの洞窟で行ったのと同じく、穴を開けて通り抜ける。普段使われない儀式の舞台は結界だけで閉じられていて、それ以外守るものもなかった。ここが何のためにあるのか分かっていても、冬の館の中は、守りが弱い。

 エレディナに連れられて、フィルリーネはヘライーヌと儀式の洞窟へと入り込む。洞窟の魔導に、ヘライーヌは目を瞬かせた。先ほどまで虚ろな顔をしていたのに、今ではぱっちり瞳を開き、子供のように口を大きく開け、周囲を見回している。

「転ぶわよ。こっちにいらっしゃい」
「姫さん、ここ何!? すごいすごい」
「声が大きいわよ。もっと凄い場所があるから、大人しくついてきなさい」

 ヘライーヌは周りを見ながらも、大人しくついてくる。興味が優っているようで、フィルリーネの言うことを聞いた。洞窟を歩き、広い場所に出た時、ヘライーヌは当然のように頭上を見上げた。

「何あれ。うわーお。魔導の塊!? 姫さん、ここ、何!?」
「私も知りたいのよ」
「知りたいだらけだね! あの壁の魔鉱石から上に繋がってるの? この魔導は、魔鉱石だらけってことじゃん。すごいね。これだけあれば、何百年城が動けるかな」
「芽吹きの枝を入れる穴があって、そこから魔導を奪うと、上の球体に魔導が届くの。それから何処かへ、その魔導が飛んで行ったわ。王の選定と言われているらしいけど、詳しくは分かっていないそうよ。原文はイムレス様が持っているから、あとでお借りしなさいな」
「姫さん、これはすごいよ。この国にもこうゆーのあるんだね。ラータニアにはありそうだけどさ」

 浮島があるのならば、ラータニアにも似たような場所はあるだろうか。だが、ここが最後の、芽吹き。この舞台はここにしかないだろう。

「調べたいのならば、エレディナが連れてくるわ。どうするの、ヘライーヌ?」
 残念ながら、ヘライーヌが興味を持ちそうなことが、これくらいしか思い付かない。この場所は、エレディナの転移の力がなければ来られない。エレディナが監視できるのだから、ここが一番適当な場所だった。

「いいよ。姫さんにつこうか」
「そんなのいらないわ。面白いものがあったら、すぐに気が変わるのでしょう」
「はは。面白いなあ。姫さん。意外だ」
 ヘライーヌは口を大きく半月の形にすると、にんまりと笑った。

「分かるところまでしか教えられないけど、教えてあげるよ。実験が成功したかは聞いてないから、聞いてみる。それからでいい?」
「……構わないわ。けれど、何かあれば、分かっているわよね?」

 こんなことで脅しにはならないだろうが、ヘライーヌはフィルリーネの瞳を見つめると、真面目な顔をして、静かに頷いた。




「フィリィ姉ちゃん」
「マットルー!」

 癒しの笑顔が駆け寄ってきて、自分も駆け寄ると、ぎゅっと上から抱き潰した。久し振りすぎて、羽交い締め状態に、マットルがバシバシ人の腰を叩く。

「さっきから、変なおじさんが、フィリィ姉ちゃんのこと待ってる」
「うん。ありがとう。これ、玩具ね。みんなで遊んで」

 フィリィはマットルを離すと、カバンから新しい玩具を渡す。マットルは花が咲くような笑顔を見せて、子供たちを呼びに走った。
 はあ、私の癒したち。可愛すぎる。まだまだグングナルドは暑いので、みんな水場で水遊びだ。いいねえ。私も飛び込みたい。

「こんなとこに呼び出すのはいいがよ。あんた、結構適当にうろついてんだな」
「むしろ城にいる方が少ないわよ」

 用水路の側で寝転がっていた男は、ゆっくりと座り直す。ニュアオーマは制服姿だったが、気にせず寝転がっていたようだ。相変わらず、皺だらけの服を着ている。

「うるさいやつが時々戻ってくるの、何とかしてくれねえかなあ。他の奴らと話してる時に話し掛けられると、何言ってるのか分からなくなるんだよ」

 それは同感だ。ほんのり生暖かい目で見て、返答を避ける。ヨシュアには時々、ニュアオーマに情報を得に行ってもらっている。今はずっとついているわけではないが、時と場合を気にせず話し掛けるようで、邪魔なのだろう。
 私、いつもそんなだけどね。

「そんで? 洞窟がどうのって、何の話だ? ヨシュアだと話が通じなくてよ」
『通じなくない。精霊が変な精霊で、大きい魔獣がいる』

 合っているが、それで理解しろという方が無理だ。ニュアオーマには直接話すつもりだったので、ヨシュアには詳しく話していない。ここに連れてこいと伝えただけだった。

「情報があって。ラータニアに繋がる谷、知っているでしょう?」
「ラグアルガの谷か?」
 ニュアオーマは言いながら、水を指につけると、長い線を描く。

 ラグアルガの谷と言っても、川の跡全てを言うので、どこの谷か分からない。フィルリーネはその線に、村や町を水で記す。ラータニアの国境に近い場所だ。
 精霊の集まる木の付近は、人がうろつく場所ではない。森も多く、岩だらけの場所が続くからだ。この場所は、小型艇に乗る者くらいが知っている程度だろう。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。

木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。 彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。 こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。 だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。 そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。 そんな私に、解放される日がやって来た。 それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。 全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。 私は、自由を得たのである。 その自由を謳歌しながら、私は思っていた。 悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

処理中です...