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ルヴィアーレ

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 美しい、紫の花弁。思わず、息を呑んだ。
 動物と、花。部屋の一面に描かれた、まるで本物と見紛うほどの色彩。

 見事だ。



 聖堂を出て、花を捧げるのを眺めた後、フィルリーネはいつもの大袈裟な批判を口にせず、ただ一人、雨に濡れることも厭わず回廊へ進んだ。

 側仕えのレミアが、フィルリーネの後を急いで追う。聖堂の広場から回廊までは然程の距離ではないが、王女をびしょ濡れにするわけにはいかない。そんな焦りを持ちながら、婚約者を置いて一人戻る真似をしたフィルリーネに、戸惑いを隠せなかったようだ。
 ムイロエにこちらの対応を任せながらも、フィルリーネに追い付くと、レミアは何度かこちらを確認した。

「申し訳ございません。フィルリーネ様が我が儘を。いつもああやって自由にされて、困った方です」
 主人を庇う気もないムイロエが、詫びるふりをして、フィルリーネの愚痴を付け足した。

 その主人を諌めるのも側仕えの仕事だが、ムイロエは勘違いしているのか、ぺらぺらと主人の不出来を話しはじめる。それが全て、自らの評価になることを理解していない。

 無能な主人には、無能な部下がお似合いか。

「ルヴィアーレ様、どうぞこちらに」
 自分を促したのは側仕えのムイロエではなく、騎士のメロニオルだ。この後は会食があるからと、会場への道を率先して案内する。

 メロニオルは王騎士団団員のアシュタルより介された騎士だが、フィルリーネの命令で任ぜられた割に随分まともで、正直なところ安堵していた。フィルリーネに近い場所にいる者たちはどれも能力が低く、その識見のなさに呆れるばかりだったからだ。

 まともに思えるのは、政務のカノイくらいか。カノイの話では、王騎士団団員のアシュタルもまともなようだが、あまり見識がなく、実際は分からない。そのアシュタルが王騎士団団長に許しを得て、自分の元にメロニオルを当てがった。

 メロニオルは普段無口だが、必要な時に必要な情報を的確に伝えてくる、生真面目さがある。口で言わなくとも、細かいところまで気付くので、騎士というよりも、側仕えの印象があった。
 そのお陰で、見知らぬ土地に来た当時より、不便さを感じなくなったのは事実だ。

 そのメロニオルが、サラディカにこれからのことを先に説明し、サラディカから自分に説明がなされる。メロニオルは騎士としての立場を理解しており、過分な真似をすることがない。側仕えに任せられることは必ず任せ、どうにもならない時にだけ差し出口をきいた。
 分別のある騎士で、剣の腕は分からないが、その点に関しては評価ができる男だった。

「会食ですが、本来ならばフィルリーネ様のエスコートをしながら、他の貴族との交流を得られるはずでした。メロニオルによると、初めは貴賓席で食事、その後は挨拶といった形になるそうです」
「席があるのならばそのままで良い。来る者の挨拶だけを済ませる」
「承知致しました」

 この国の催しがどのように進むのか、何度か出席しただけでも想像がつく。催しは二の次で、食事を行い、貴族たちと対話することが九割を超える。意味のない世辞に耳を傾け頷き、人々の噂話を聞き続ける、無意味な時間を過ごす。

 どの国でも同じだろうが、この国は特にひどい。皆が同じ会話をしてくるので、誰から聞いたのか分からなくなりそうなほどだった。

 フィルリーネは、好んで催しに出席し、会話を楽しむ。下手な世辞に喜び、噂話に花を咲かせ、時折勘違いをした発言をする。馬鹿にもほどがあり疲労感が募ったが、時間を共にすることが増えて、時折気になることが出始めた。

 率先して会話をする割に、周囲が話し始めると聞き役に徹する。かといって、いつまでも黙っているわけではないので会話はするのだが、一言二言口にして、話の流れを変える。

 気のせいなのか、勘違いなのか。ただ、違和感が残った。

 計算しているのか? そう思っても、想像できない間抜けな会話を入れてくる。自信ありげにしているが、周囲は全くそう思っていないことも多い。

 しかし、最近のロブレフィート演奏では、計算して言葉に出したようにも思えた。誰もがフィルリーネの演奏を止めるのだと、想定していたような。

「ルヴィアーレ様。ご機嫌よう。本日は、フィルリーネ様はいらっしゃらないのでしょうか?」
 早速話し掛けてきたフィルリーネの学友、ロデリアナは、わざとらしくフィルリーネの姿を探す。

「体調を崩されたようです。部屋へお戻りになりました」
「まあ、そうですの。フィルリーネ様は度々体調を崩されることがございますものね」

 つまり、度々体調不良を理由に席を外すことが多いのだ。王族にはあり得ない無責任さである。ロデリアナは狩猟大会の話も出し、席を外すことの多さを仄めかす。

 学友と言うが、ロデリアナはフィルリーネに好意がないことが良く分かる。ムイロエほどあからさまに否定的な意見は出さないが、裏読みすれば、分かりやすい悪意を感じた。

「先日のロブレフィートは素敵でしたわ。わたくし、感動のあまり、言葉も口にできませんでした。あのような演奏、他で聴くことなどできませんわ」

 ロデリアナは胸の前で両手を組むと、まるで崇めるように褒め称えてきた。予定ではフィルリーネに弾かせるつもりだったので、失敗したことを思い出させられる。
 途中まではその方向で進んでいたが、ロデリアナもそれを忘れて、人に演奏するように勧めてきた。

 こちらに話を振りたいために、人の情報を無駄に出す、面倒さしか印象にない。

「フィルリーネ様の演奏を楽しみにしておりましたが、残念です」
「まあ、そのような。フィルリーネ様でしたらいつでもお弾きになってくださるはずですわ。ルヴィアーレ様の演奏の後でも、あのような自信をお持ちですもの」
「そうですね。次の機会を待つつもりです」

 ルヴィアーレが肯定すると、ロデリアナは内心ほくそ笑んだのだろう。満面の笑みを見せて、是非。と勧めた。フィルリーネに恥をかかせたいのだと言わんばかりだ。

 フィルリーネに演奏させようと思ったのは、噂に聞いた腕がどの程度なのか、実力を図るためだ。だから、自分が演奏するつもりなど毛頭なかった。
 実力がないのならば、フィルリーネは嫌がると思っていた。その避け方を、どうするのかも、知りたかった。それなのに、率先して弾こうとする。ならば、やはり芸術に秀でているのかと思ったが、結局流れが変わり、自分が弾くことになってしまった。

 しかし、ロデリアナの言い方では、然程の腕でもないのだろう。
 それも周囲の話と同じなので、もう勧める必要もない。

 これ以上ロデリアナに話を聞いても、フィルリーネの評価は低いものとして話されるだろう。悪意のある情報はもう充分だ。挨拶をしたがっている他の者に視線を向けて、ロデリアナの話を切り上げた。

 その後は、貴族たちの好奇の目だった。一人でいることで、話す機会を得ようとする女性たちと、フィルリーネがエスコートを受け入れず、部屋に戻ったと考える輩が探りを入れてくる。
 女性たちはともかく、未だ婚約の儀式すら行われていない婚約者に、下手に出るべきかどうか悩む者たちが多い。狩猟大会でもフィルリーネは途中退出しているので、貴族たちには懸念材料なのだろう。

 当然の憂いだろうが、王が決定したことをフィルリーネのように伝えると、すぐに憂慮を消した。フィルリーネの意志よりも、王の意見が重視される分かりやすい例だ。

 食事はずっとそんな調子で、結局同じ話を何度もし、反復する会話に、ただ疲労を重ねただけだった。




「ルヴィアーレ様、お疲れのところ申し訳ありません。王がお呼びになっているようですが……」
 サラディカは気遣わしげに言いながら、言葉を濁した。

 珍しく明確に言葉を伝えないサラディカを、ソファーに座りながら見上げると、サラディカは、フィルリーネ王女と共にお呼びですが、フィルリーネ王女が部屋から出てこないと、側仕えが申しており。と付け加えた。

 それをこちらに言ってどうするつもりだと、サラディカは異を唱えたそうだが、魔法陣によって結界が張られているため入れない。そのため、ルヴィアーレに呼んでもらいたい、という話になったようだ。

 だが、サラディカの印象では、誰もがフィルリーネに怒られてまで部屋に入ることはしたくない。ということだった。

「申し訳ありません。王から呼ばれて、待たせるのも問題になるかと思い、ルヴィアーレ様にお伝えしました」
 王の不況を買うのが面倒なのは確かだ。
 ルヴィアーレはサラディカの判断に頷くと、仕方なしにフィルリーネの部屋へ訪れることにしたのだ。

 フィルリーネの棟の前まで行くと、レミアではなく、ムイロエが案内をしてきた。
「フィルリーネ様にも困ったものですわ。どれだけ扉を叩いても、全く反応がありません。お部屋には魔導が掛けられていて、私たちは入ることができませんし、困ってしまっていて」

 品を作り、ムイロエは溜め息を吐きながら、ルヴィアーレを上目遣いで見遣る。王女の側仕えが上目遣いをして男を見るのだから、躾が全くできていないことに閉口する。

 淑女は男を上目遣いで見るものではない。媚びているように見えるからだ。フィルリーネはそのような真似はしないが、側仕えが行えば、王女の質が問われる。
 全てが呆れることばかりで、その目を見ないことで、ルヴィアーレは過ごした。

 フィルリーネの棟が、どれだけの広さかは分からない。ロブレフィートを演奏した、植物園のような部屋は奥にあったが、そこだけでも相当な広さがあった。王女の棟だとしても、ラータニアの王族の部屋配分とは全く違う。屋敷一つを、王女の棟にしているようなものだ。

 植物園の部屋よりも更に奥に、その部屋はあった。
「ルヴィアーレ様、申し訳ありません。フィルリーネ様のお部屋は、こちらになります」

 部屋の前にいたのはレミアだ。何とか部屋を開けてもらおうとしたのか、手の甲が赤くなっている。扉を叩き続けていたようだ。
 フィルリーネの警備に、魔導士がいないことが問題だと思うが、言う気も起きない。

 部屋の扉には、簡単な結界が張られていた。扉だけでなく、部屋全体を囲っているので、術としては大きいが、結界自体は強力なものではない。

 それでも、面白い術を使うなと思った。会議などで会話を聞き取られないために行う防音の魔導と、侵入を拒むための結界魔導が重ねて掛けられているのは普通だが、それ以外に、隠された魔導が見える。

 扉の握りに、人を指定する力が加えられている。特定の人間ならば、力もなく入れる魔法陣だ。ただ、これもそこまで強力に作っていない。作れないのかもしれないが、この魔法陣を強力にすれば、自分でもこの部屋には入れなかっただろう。

 誰が許されて、この部屋に入れるのかは分からないが、側仕えや騎士たちではないのは確かだ。
 男でも秘密裏に入れるのかと思ったが、この奥の部屋にまで誰にも会わずに入るのは無理があった。対象の人間が誰になるのか、気になるところだ。

 それから、もう一つ気になるのが、扉全体に掛けられている、中を見せないための魔法陣だ。これは特別誰かを避けるものではなく、ただ単に扉を開けても布が掛けられたように、中を見ることができなくなるものである。余程見られたくないものがあるのだろう。

 不謹慎だが、部屋の中が気になった。フィルリーネが、この部屋に何を隠しているのか、若干だが、興味を持った。
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