高飛車フィルリーネ王女、職人を目指す。

MIRICO

文字の大きさ
上 下
6 / 316

政務

しおりを挟む
 ぽつん、とフィルリーネは石でできた台座の前に佇んでいた。

 花束が置かれている台座を、静かに見つめる。
 黒光りした艶のある石は正方形で、そこには名前が刻まれていた。

「叔父様、わたくしに婚約者ですって。……なんて可哀想な方でしょう」

 答える声はないと分かっている。フィルリーネは一度静かに瞼を下ろし、次に開いた時は踵を返していた。




「婚約の儀式が延期、ですか」
「女王の体調が良くないそうだ。マリオンネの精霊たちが安定しないのならば、儀式を行うことができない」

 食事の席で王は表情なく言った。フィルリーネが笑顔で嬉しそうに聞いているのとは違い、隣にいたルヴィアーレは真剣な眼差しを向けて、王の話を聞いていた。

「マリオンネの女王の体調が良くなければ、精霊も婚約の儀式が行えないのでしょう。仕方がありませんわね」
 王が言った言葉をそのまま口にして、フィルリーネはくすりと笑う。これで時間ができたと喜んでいるのだろう。表情から丸分かりだ。

 天の司マリオンネの女王は高齢だ。世界を支配する者は常に女性で、それは絶えたことがない。しかし、次代の娘は早くに亡くなり、次のマリオンネを継承するのは、女王の孫になる。

「仮に女王が亡くなれば、婚約の儀式は当分の間行えなくなるだろう。葬儀や継承の儀式が続けば、一年は行えぬかもしれぬ」
「まあ、それではルヴィアーレ様がお困りでしょう。一度、国に戻られたらいかがかしら」

 フィルリーネの満面の笑顔は、ルヴィアーレに向けられた。存外に帰れと言っているが、ルヴィアーレは小さく微笑むだけだ。そして王に向き直すと、どうすべきかを問うように見つめた。

「ルヴィアーレには政務を行なってもらう。フィルリーネは卒院まで、まだ学生だ。フィルリーネの執務室には仕事を用意してあるので、早速行うように」
「お父様!?」

 フィルリーネが噛み付く前に、王は席を立った。反論は許さないと無言でその場を離れていく。フィルリーネはテーブルに両手を置いたままその拳を握った。瞬間立ち上がると、何も言わずに席を立つ。
 レミアはその後をついていくだけだ。残されたルヴィアーレは、どんな顔をして部屋に戻るのだろうか。



「政務を手伝わせるですって!? お父様はどうかされているわ! まだ婚約も済ませていない他国の者に、なぜ我が国の政務を手伝わせると言われるの!?」

 フィルリーネが行うよりずっと良いのではないかと思うが、口にはすまい。フィルリーネは激昂しているか、顔を真っ赤にしてがなっている。
 腹立たしいのは、フィルリーネの執務室にルヴィアーレが入ることのようだ。自分のテリトリーに見知らぬ者が入るのが許せないのだろう。

「ルヴィアーレ様の様子を見る良い機会ではないでしょうか。何か失態でもすれば、王にお伝えできますし、フィルリーネ様がルヴィアーレ様のお人柄を確認できます」

 情報が欲しいと思っているのはフィルリーネなのだから、いつも通り尊大な態度で確認すればいい。そうしないのは、それなりに警戒しているからなのだろうか。いつものフィルリーネならば、失礼なほど存外に、何に釣られてこの国に来たのか問うている。

「レミアの言う通りね。あの男がどれ程できるものか、この目で確かめればいいのだわ。そうして、お父様に言ってやるのよ。いるだけで、無意味な者なのだと」

 やる気になったのか怒りは消えて声が弾みはじめた。
 まったく、現金なものだ。この単純さは羨ましく思える。ある意味、精神力が強靭なのだから。



 ルヴィアーレは王に言われた通り、政務のためにフィルリーネの政務室に訪れた。
 試験前なのにルヴィアーレの仕事振りを確認するため仕事をしながら待っていたわけだが、フィルリーネの瞳は既に虚ろだ。書類を見ているふりをして、どんどん印を押している。

 政務官の一人、若手のカノイはちらちらとフィルリーネの印を横目にして見ていた。真面目な彼のことだ、一体どの書類に印を押しているのか、気になって仕方がないのだろう。

「ふぃ、フィルリーネ様、その書類は少々予算より高めに設定されているようなので、一度発案者に戻された方が」
「大したことではないでしょう。予算など増やせば良いではないの」

 緊張して声が上ずっていたが、もう我慢できなかったのだろう。カノイは意を決して発言したが、フィルリーネに一蹴された。

「これに、印をなされたのですか?」
 気になったのか、言われた書類に目を通したのはルヴィアーレだ。それを確認すると、微かに眉を顰めた。

「あら、何が悪いと言うの?」
 自分が行なったことに文句を言われるのが一番嫌いなフィルリーネが、ルヴィアーレを睨みつけた。しかし、何も気にならないらしいルヴィアーレは、その書類をカノイに渡すと、仕事の説明をしてほしいと、カノイに頼んだのだ。

「わ、私がご説明して、よろしいのでしょうか」
 言わんことは分かっていると、ルヴィアーレは頷く。
「慣れた者に説明を受けた方が仕事は早いでしょう。どのような書類があるのか、見せていただけますか」
 そう言って、もう既にフィルリーネが印を押した書類を見始めたのだ。

 カノイは唖然とした。カノイだけでなく他の政務官も目が泳ぎ始めている。フィルリーネの存在を無視した態度。フィルリーネが黙っているはずがない。

「もうよろしいわ。このような仕事、わたくしがする必要があって!?  カノイ、ルヴィアーレ様とお前がやりなさい。わたくしは部屋にいます!」

 案の定、フィルリーネががなった。勢いよく席を立つと、怒りを顔に出して、地面が揺れるように、大股でずかずかと部屋を出て行った。レミアは急いでその後を追ったが、怒りにかられたフィルリーネは、足早に引き籠もり部屋に閉じ籠もってしまった。




「あの男、案外いい性格してるなあ」

 勢いよく閉めた扉を押さえたまま、フィルリーネは小さく呟く。手の平に集まった熱を扉の真ん中辺りにかざして、部屋全体に軽い侵入防止の魔法陣がしっかり起動するのを確認した。

 見目は抜群、女性陣にはうきうきの秀麗さ。正面からまともに見たことはなかったが、よく見ると瞳が濃い青と薄い青に銀が混じったような不思議な色をしていた。
 すごい綺麗な目だなあ。発光してるみたいだね。なんてぼんやり思いながら話を聞いていると、普通にこちらに聞かず、カノイに話を聞く。

 状況をしっかり把握できて能力を重視する、素晴らしい上司になると思う。しかし、王女を蔑ろにするとは。やるな、ルヴィアーレ。

 なんて、そんなのどうでもいいや、とフィルリーネは机に向かった。

「あー、試験、試験。もう政務とかやってられないよ。今回、何点狙おう。いらいらしてたから7割しかできなかったがいい? いや、時間があったから8割がいいかな」

 ぶつぶつ言いながら、机の上を片付ける。この部屋は誰にも入らないように命令してあるので、掃除や片付けは自分で行わなければならない。そのためどこかしらに物があり、本や紙が乱雑に置かれていた。

 この間作った玩具のゴミがそのままなのを見付けて、まずはそこを片付ける。窓は開けられるので、窓を開けて埃を叩いた。机に乗っていた教科書を端に寄せ、軽く雑巾掛けをする。長テーブルには設計図や木くずが散乱しているので、そこも掃いて雑巾がけをし、綺麗にした。

 部屋はそれなりに広いので、本棚や机、長テーブルに、大型の鍵盤楽器ロブレフィート、ソファーを置いても隙間があるくらいだ。それでも棚には作り途中の玩具や、昔作った物が細々と置いてあり、絵の具やキャンパス、鋸や彫刻などの道具も置いてあるので、誰かがこの部屋に入れば、一体どこの職人の部屋かと考えてしまうだろう。

 高飛車フィルリーネ王女、職人を目指す。
 うむ。他の人間が聞いたらなんの冗談だと思うだろうが、自分は本気である。まったく誰だろうね、他国の王族を婿にしようなんて思ったのは。

 自分の意思そっちのけで勝手に婿を連れてきた王に、悪態をつくことしか思いつかない。やってきたルヴィアーレは微笑んでばかりだが、間違いなくあれは癖のある人間だと思う。

「私の嫌味に微笑んで返す男が、まともなはずないじゃない」
 嫌味を言うたび後ろの若い騎士が身を乗り出してきて、それじゃあ王に目を付けられるよ? って注意したくなるのだが、ルヴィアーレに至っては全く無関心である。軽く笑んで人の言葉を流す辺り、いい神経をしていた。

 先程も人が印を押した書類を、わざわざ自分の前で確かめるのである。皆が余計な怒りを買わないようにしている中、カノイが噛み付いてきたが、まさかルヴィアーレまで便乗するとは周囲も思わなかっただろう。ここぞとばかりに返された気分だ。やはり、自分の嫌味と態度に思うところがあったのだ。

 いや、あるに決まってるけど。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪

naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。 「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」 まっ、いいかっ! 持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!

ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」 ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。 「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」 そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。 (やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。 ※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

弟に裏切られ、王女に婚約破棄され、父に追放され、親友に殺されかけたけど、大賢者スキルと幼馴染のお陰で幸せ。

克全
ファンタジー
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。

このやってられない世界で

みなせ
ファンタジー
筋肉馬鹿にビンタをくらって、前世を思い出した。 悪役令嬢・キーラになったらしいけど、 そのフラグは初っ端に折れてしまった。 主人公のヒロインをそっちのけの、 よく分からなくなった乙女ゲームの世界で、 王子様に捕まってしまったキーラは 楽しく生き残ることができるのか。

処理中です...