上 下
40 / 103

22② ー帰宅ー

しおりを挟む
 セレスティーヌに初めて会った時、彼女はこちらをじっと見つめるだけの、その辺の女性と変わらなかった。

 クラウディオを公爵家の一人息子として扱う女性たちは皆同じ。次期公爵という色眼鏡でこちらに注目し、なんとか言葉を交わせないか、知り合いになれないか、いつもそれを見定めている。
 セレスティーヌはその中の一人だった。遠目にこちらをじっと見て、何を言うでもなくただ見つめ続ける。

 セレスティーヌは伯爵家の次女で、両親に似た美しい姿をしていた。姉と共に現れると華がある。そんな噂を聞いたことはあったが、実際見た時になにか思うことはなかった。セレスティーヌは容姿が美しくとも、とても気が小さく、他の令嬢に比べておどおどとした、自信のなさが分かるような女性だったからだ。

 令嬢たちが集まる中、セレスティーヌは一人視線を床に落とし、誰かの会話を耳にしているだけ。嘲笑されてもなにを言うこともなく、苦笑いをして過ごすような大人しい女性。

 だが、婚約が決まれば、大人しさはあっても意外に頑固で、時折せきを切ったように喚き散らすような情緒不安定さを持ち、人の話を聞かない独りよがりな人だと分かった。

 だから言ったのだ。あなたとは部屋を共にすることはない。
 その時のセレスティーヌの顔を、今でも覚えている。
 泣くのか、泣かないのか。悲しみを含んだような、複雑な笑み。

(ああいった顔は、今はしないな)

 セレスティーヌはクラウディオの隣ですやすやと寝息をたてていた。この姿だって、今までのセレスティーヌなら有り得ないだろう。人前で泣いたりすがったりしても、セレスティーヌはクラウディオの前で眠ることはない。一緒にいる時間を睡眠などで無駄にはしない。それならば何かを訴えたり、物欲しげに見つめたりする方が大切だからだ。
 屋敷の中ですら、話し掛ける隙はないかと部屋の周囲をうろつくほどである。

(それが今では、こちらから会おうとしない限り、姿を見ることはない)

 前のように予定を確認して待ち受けることはなく、遠目からのぞいたりもしていない。
 本当に偶然会わない限り、会うことはなかった。
 見掛けるのは、アロイスを散歩に連れて歩いている時くらいだ。

 セレスティーヌはアロイスを中心に生活するようになり、今ではクラウディオに偶然会うと、逃げるように去っていく。
 それが、計画的な、思惑のある避け方ではなく、気まずそうに退いて逃げていくので、こちらが何かをしたのかと不安になるほどだった。
 けれど、話をする時は毅然とし、時折クラウディオに注意をする。

 この人は、こんな人だったか?

 見たことのない、堂々とした態度。いつものように変に緊張した姿はない。人の目を真っ直ぐに見て、自分の意見をはっきりと伝えてくる。

 狩猟大会では特に顕著だった。守りのハンカチを持つことはなく、興味がなさそうにクラウディオを見送り、ドレスを汚されても犬の管理に喚き散らすことなく、いつもならば泣き叫ぶほど嫌うデュパール公爵夫人への礼をクラウディオに確認した。

 本当に、この人はセレスティーヌなのだろうか。
 別人と言われた方が、よほどしっくりくる。

(王も、驚いていたな)

『随分と雰囲気が変わったのだな』

 そう言われて、こちらも苦笑いしかできない。王ですら、まるで別人だと訝しんでいた。

『関係が改善せぬようならば、離婚も視野に入れるべきと助言するつもりだったのだがな』

 離婚はできない。借金をする際に契約に入っているからだ。セレスティーヌから破棄があれば話は別かもしれないが、彼女がそれを選ぶことはない。両親と仲が良いわけではないが、両親の命令に背けるほどの勇気もないからだ。
 だが、王は、このままであれば影響があると、眉を曇らせる。

 セレスティーヌの父親が各界に影響力を高めており、今後面倒になるかもしれないからだ。
 セレスティーヌの家は歴史ある家だが、父親が商才により一代で財を成し伯爵家を大きくさせた。高利貸しを行うこともあり、それによって癒着を増やし情報を集めるなどの画策をしているため、力を付けてきている。

 現在王には子がおらず、後継者が決まっていない。このまま子ができねば次代の後継者をどうするのか。そうなった時の基盤を作り始めているという。

 バラチア家は王族の血を引いており、クラウディオの母親が王の年の離れた姉だ。その関係もあり、王の次に後継者として相応しいと言われているのがクラウディオだった。

(自分が次期後継者など思ったことはないが……)

 もしセレスティーヌとの間に子供が生まれれば、セレスティーヌの両親が次期後継者として子供を祭り上げることは目に見えていた。
 だから王は、現状目障りな動きをし始めている彼らを、どうにかした方が良いと考えている。

『もっと早く、お前の婚約を決めるべきだった』

 そんな風に王は後悔を口にしてきたが、もしセレスティーヌとの婚約前に誰かと婚約していても、借金苦で婚約は破棄されていただろう。
 それほどバラチア領は困窮し、先が見えない状況だった。

 王はバラチア家だけを特別視できぬと言いながら、災害復興や病に関われる人手を送ったりもしてくれたが、それだけでは埒が明かなかった。
 セレスティーヌとの婚約が決まり、王は一番に反対したが、どうにもならなかったのだ。

『奴らが少しでもおかしな動きをすれば、娘ごと排除することも考えている』

 それならば公爵家も落ち着くだろう。
 そう提案されたことは、セレスティーヌには絶対に言えない。

「お帰りなさいませ。旦那さ……」

 屋敷に到着すると、モーリスたちがぎょっとしながらクラウディオとセレスティーヌを迎えた。

「このまま寝室に運ぶ」

 眠ったまま起きぬセレスティーヌを抱き上げて屋敷に入ると、皆は慌てるように道を開き、セレスティーヌの部屋の扉を開く。

 そっとベッドに乗せると、そそと皆が部屋から出ていった。リディまで出ていかなくて良いのだが。この衣装のまま、装飾品なども着けたまま寝させるわけにもいかない。
 そう思ったが、呼びかける気も起きなかった。

「はあ……」

 ため息混じりでセレスティーヌを見遣ると、余程気を張っていて疲れたのか、一向に起きる雰囲気はなかった。
 頬にかかった髪を直してやると、ううん、と顔を背けてくる。

 その顔を見ているだけで、なんだか胸がドキドキしてくるのは気のせいだろう。

 出ている肩まで毛布をかけてやって、クラウディオは唇を噛み締めた。

 セレスティーヌに好意を抱いたことはない。

 セレスティーヌを見ていると、母親を思い出す。母親は夫に異常なまでに執着していた人だった。
 忙しさに放置されれば愛されていないと泣き叫び、屋敷を留守にされれば発狂するようにメイドたちに当たり散らした。
 子供がいるせいで夫に相手にされないのだと、クラウディオを虐待するほどだった。

 あれを思い出していたのに。

 だが、心を入れ替えたように変化したセレスティーヌの態度に翻弄され、アロイスへの愛情あふれる対応に混乱させられていると、いつの間にかセレスティーヌを気にしている自分がいることに気付くのだ。
しおりを挟む
感想 75

あなたにおすすめの小説

【完結】惨めな最期は二度と御免です!不遇な転生令嬢は、今度こそ幸せな結末を迎えます。

糸掛 理真
恋愛
倉田香奈、享年19歳。 死因、交通事故。 異世界に転生した彼女は、異世界でエマ・ヘスティア・ユリシーズ伯爵令嬢として暮らしていたが、前世と同じ平凡さと運の悪さによって不遇をかこっていた。 「今世こそは誰かにとって特別な存在となって幸せに暮らす」 という目標を達成するために、エマは空回りしまくりながらも自分なりに試行錯誤し続ける。 果たして不遇な転生令嬢の未来に幸せはあるのか。

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

【完結】愛され公爵令嬢は穏やかに微笑む

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
「シモーニ公爵令嬢、ジェラルディーナ! 私はお前との婚約を破棄する。この宣言は覆らぬと思え!!」 婚約者である王太子殿下ヴァレンテ様からの突然の拒絶に、立ち尽くすしかありませんでした。王妃になるべく育てられた私の、存在価値を否定するお言葉です。あまりの衝撃に意識を手放した私は、もう生きる意味も分からくなっていました。 婚約破棄されたシモーニ公爵令嬢ジェラルディーナ、彼女のその後の人生は思わぬ方向へ転がり続ける。優しい彼女の功績に助けられた人々による、恩返しが始まった。まるで童話のように、受け身の公爵令嬢は次々と幸運を手にしていく。 ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/10/01  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、二次選考通過 2022/07/29  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、一次選考通過 2022/02/15  小説家になろう 異世界恋愛(日間)71位 2022/02/12  完結 2021/11/30  小説家になろう 異世界恋愛(日間)26位 2021/11/29  アルファポリス HOT2位 2021/12/03  カクヨム 恋愛(週間)6位

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます

下菊みこと
恋愛
至って普通の女子高生でありながら事故に巻き込まれ(というか自分から首を突っ込み)転生した天宮めぐ。転生した先はよく知った大好きな恋愛小説の世界。でも主人公ではなくほぼ登場しない脇役姫に転生してしまった。姉姫は優しくて朗らかで誰からも愛されて、両親である国王、王妃に愛され貴公子達からもモテモテ。一方自分は妾の子で陰鬱で誰からも愛されておらず王位継承権もあってないに等しいお姫様になる予定。こんな待遇満足できるか!羨ましさこそあれど恨みはない姉姫さまを守りつつ、目指せ隣国の王太子ルート!小説家になろう様でも「主人公気質なわけでもなく恋愛フラグもなければ死亡フラグに満ち溢れているわけでもない至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます」というタイトルで掲載しています。

悪役令嬢は処刑されないように家出しました。

克全
恋愛
「アルファポリス」と「小説家になろう」にも投稿しています。 サンディランズ公爵家令嬢ルシアは毎夜悪夢にうなされた。婚約者のダニエル王太子に裏切られて処刑される夢。実の兄ディビッドが聖女マルティナを愛するあまり、歓心を買うために自分を処刑する夢。兄の友人である次期左将軍マルティンや次期右将軍ディエゴまでが、聖女マルティナを巡って私を陥れて処刑する。どれほど努力し、どれほど正直に生き、どれほど関係を断とうとしても処刑されるのだ。

【完結】偽物と呼ばれた公爵令嬢は正真正銘の本物でした~私は不要とのことなのでこの国から出ていきます~

Na20
恋愛
私は孤児院からノスタルク公爵家に引き取られ養子となったが家族と認められることはなかった。 婚約者である王太子殿下からも蔑ろにされておりただただ良いように使われるだけの毎日。 そんな日々でも唯一の希望があった。 「必ず迎えに行く!」 大好きだった友達との約束だけが私の心の支えだった。だけどそれも八年も前の約束。 私はこれからも変わらない日々を送っていくのだろうと諦め始めていた。 そんな時にやってきた留学生が大好きだった友達に似ていて… ※設定はゆるいです ※小説家になろう様にも掲載しています

処理中です...