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32 ー孤高のリング・ヴェルー
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「‥‥‥いない」
いないーっ。
庭園に沿った道を走りながら、ロンは心の中で叫んだ。
人が振り返ったので口から出ていたかもしれない。庭園の周囲を丸々一周した。走って一周し、もう二周目に入った。しかし眺める庭園の中、人陰はぽつぽつあるが、どれも鎧を着た騎士達。警備がいればリングはいない。
柵の周りには警備達だらけだが、中の方にいるのだろうか。それとも今日は来ていないのか。
ため息が出たが、ここで諦めてはシェインに黙って出てきた意味がない。
ロンはいきなり座り込んで屈伸をすると、柵の側の木立の影に身を潜めながら人気がないのを確認し、持っていたつるを柵の中の木の枝にからめた。
軽く跳躍した瞬間、ロンの身体は宙に浮き、つるに引っ張られるようにして飛ぶと、柵を楽々越えた。
これくらいはお手の物だ。何でもないと再び辺りを警戒する。木陰に隠れながらロンは素早く移動した。
遠めに警備の兵士が見えたが、彼等から気付かれないように屈んで動く。
暗くなってきても庭園は街灯があるので少々明るい。草木から顔を出せばすぐにも警備がよってきそうだ。
背の高い木が多いので、その影を使ってどんどん奥へ入り込んだ。
薬師ならば自分の使う薬草がどんな状態か、常に観察すると思うのだ。少なくともロンはそうだ。ちゃんと育っているか、虫はついていないか、病気になっていないか、毎日朝昼晩見回っては手を入れた。
王族専属薬師で庭師がいても母はそうだった。だから、彼が母の教えを乞うた時期が少しでもあれば、きっと毎日訪れていると思うのだ。そうであればいい。
植物園の中心に、水のたまった小さな池が作られている。街灯に照らされたその池の中に、鮮やかな花がひらき、それを眺めている者がいた。
そこに佇むリングは生気の無い人形のようで、彼の孤影をおもんばかる者はいない。孤独のまま植物に囲まれて生きていくのが運命か。ロンはそれを打ち消せればいいと思った。
何かを待つように、リングはその瞳を池に注いでいる。
孤高の頂きにその身を置いているようで、ひどく哀しく見えた。
リングは池に手を伸ばすと、濡れるのを気にせず優しく花を手にとり、地面にある木箱へ入れた。
あの花から何を作るのか、それを問う為にもロンは彼の側へ歩んだ。
「お前…」
「この間は、どうもありがとう」
ロンが現れて一瞬は驚愕したか、少しだけ表情が揺れた。けれどすぐに元の顔に戻ってしまってロンの顔を見つめた。
「間に合ったか」
「うん。本当にありがとう。あなたのおかげで助かった。間に合わなかったらどうしようかと思ったけど、今は話もできるようになったから。だから、あの時のお礼をしようと思って、これ、こないだのお礼」
ロンが鞄から出した包みを手にして、リングはその中身を確かめた。水色に光る真珠の様な小さな種を見てリングは目を細めた。
「ルティス。珍しい種だな。種と同じ色の花を咲かせ、その花びらですくった水を飲めば殆どの病を治し、老いを遅らせる」
「種は何十年昔のでも植えれば芽は出る。ただ花を咲かせるのに苦労するけどね。でも,あなたなら咲かせられるでしょう」
「太古の花だ。これを持つ者も珍しい」
「貰いものなんだ。でも、あなたに貰ってほしい」
母から譲り受けた薬草の中の一つだ。
これをいつか使うことになるとしても、リングに持っていてほしかった。母アリアの師事を得ていたのならば、その使い方を知っているだろう。
リングはそれを袋に入れ直すと、何か考えるようにそれを握りしめてロンを仰いだ。
「名を、聞いていなかったな。私は、リング。リング・ヴェルだ」
「俺…、私は、ロン」
「ロン。薬師のロンか」
確かめるように言いながら、目蓋を頬に落として、リングはその水色の瞳を伏せた。
「やはりお前が、ロンガニアか」
確信を得た口調に、ロンは瞠目した。
「アリアの娘ロンガニア。本当にシェインについていたのか。道理で失敗が多いわけだ。アリアの娘が攻撃を緩和しているのでは、マルディンもうるさく言ってくるわけだな」
「あなたが…っ」
「最近、注文が多い。初めは気付かれない程度のものでいいと言っていたものが、今ではどんなものでもいいから奴を倒せるものと言ってきた。あの力を前に戦える怪異など、簡単に作れるものではないのに」
リングにしかできないよ。あんな化け物を作るのはね。
ティオの言葉を急に思い出して、ロンは身体が震えてきた。
恐ろしさにではない、怒りにだ。
母親はそんな調薬を教えたりしない。薬は助ける為にあるのだと言った母に、大きく反する行為だ。
「あなたは薬師なのに、人を攻撃することしかしないの?薬はそんな事の為にあるの?」
信じていた。そう、信じていたのだ。会って数日も経っていないリングを、そんな真似をするはずないと信じていた。
感情の表れない顔でも瞳の中には意志があった。他に諂い権力を手に入れる事を望む者の目には見えなかった。だから彼は違うと思っていたのに。
「薬師は、他を助ける為に存在する者。他を傷つけてはならない」
「え?」
リングはぽそりと呟いた。微かな声はロンの耳に届く。
「使い方を間違えるな…。お前は、アリアと同じことを言う」
「その言葉を覚えていながら、何故」
「専属薬師にその考えは浸透していない。王族を守る為には攻撃の力が必要だと説いている。けれど、アリアだけが薬師と逆のことを言った」
瞬きもせずに見つめられた瞳は、サファイアの輝きを持っていた。
見とれている暇などないのに、その瞳には力があり、逸らすことができない。
意志のある中に小さな哀しみを感じて、ロンは食い入るように見つめた。
「お前は、アリアだけに教わったんだな」
その声音は確かに穏やかな優しさを含んでいた。
まるで母親の教えを憂いていたような、ロンが母親と同じ意志を持っていたことに喜ぶような、暖かな響き。
「…あの人は、本当に死んでしまったのか?」
微かな月明かりがリングをひどく美しく見せた。
いないーっ。
庭園に沿った道を走りながら、ロンは心の中で叫んだ。
人が振り返ったので口から出ていたかもしれない。庭園の周囲を丸々一周した。走って一周し、もう二周目に入った。しかし眺める庭園の中、人陰はぽつぽつあるが、どれも鎧を着た騎士達。警備がいればリングはいない。
柵の周りには警備達だらけだが、中の方にいるのだろうか。それとも今日は来ていないのか。
ため息が出たが、ここで諦めてはシェインに黙って出てきた意味がない。
ロンはいきなり座り込んで屈伸をすると、柵の側の木立の影に身を潜めながら人気がないのを確認し、持っていたつるを柵の中の木の枝にからめた。
軽く跳躍した瞬間、ロンの身体は宙に浮き、つるに引っ張られるようにして飛ぶと、柵を楽々越えた。
これくらいはお手の物だ。何でもないと再び辺りを警戒する。木陰に隠れながらロンは素早く移動した。
遠めに警備の兵士が見えたが、彼等から気付かれないように屈んで動く。
暗くなってきても庭園は街灯があるので少々明るい。草木から顔を出せばすぐにも警備がよってきそうだ。
背の高い木が多いので、その影を使ってどんどん奥へ入り込んだ。
薬師ならば自分の使う薬草がどんな状態か、常に観察すると思うのだ。少なくともロンはそうだ。ちゃんと育っているか、虫はついていないか、病気になっていないか、毎日朝昼晩見回っては手を入れた。
王族専属薬師で庭師がいても母はそうだった。だから、彼が母の教えを乞うた時期が少しでもあれば、きっと毎日訪れていると思うのだ。そうであればいい。
植物園の中心に、水のたまった小さな池が作られている。街灯に照らされたその池の中に、鮮やかな花がひらき、それを眺めている者がいた。
そこに佇むリングは生気の無い人形のようで、彼の孤影をおもんばかる者はいない。孤独のまま植物に囲まれて生きていくのが運命か。ロンはそれを打ち消せればいいと思った。
何かを待つように、リングはその瞳を池に注いでいる。
孤高の頂きにその身を置いているようで、ひどく哀しく見えた。
リングは池に手を伸ばすと、濡れるのを気にせず優しく花を手にとり、地面にある木箱へ入れた。
あの花から何を作るのか、それを問う為にもロンは彼の側へ歩んだ。
「お前…」
「この間は、どうもありがとう」
ロンが現れて一瞬は驚愕したか、少しだけ表情が揺れた。けれどすぐに元の顔に戻ってしまってロンの顔を見つめた。
「間に合ったか」
「うん。本当にありがとう。あなたのおかげで助かった。間に合わなかったらどうしようかと思ったけど、今は話もできるようになったから。だから、あの時のお礼をしようと思って、これ、こないだのお礼」
ロンが鞄から出した包みを手にして、リングはその中身を確かめた。水色に光る真珠の様な小さな種を見てリングは目を細めた。
「ルティス。珍しい種だな。種と同じ色の花を咲かせ、その花びらですくった水を飲めば殆どの病を治し、老いを遅らせる」
「種は何十年昔のでも植えれば芽は出る。ただ花を咲かせるのに苦労するけどね。でも,あなたなら咲かせられるでしょう」
「太古の花だ。これを持つ者も珍しい」
「貰いものなんだ。でも、あなたに貰ってほしい」
母から譲り受けた薬草の中の一つだ。
これをいつか使うことになるとしても、リングに持っていてほしかった。母アリアの師事を得ていたのならば、その使い方を知っているだろう。
リングはそれを袋に入れ直すと、何か考えるようにそれを握りしめてロンを仰いだ。
「名を、聞いていなかったな。私は、リング。リング・ヴェルだ」
「俺…、私は、ロン」
「ロン。薬師のロンか」
確かめるように言いながら、目蓋を頬に落として、リングはその水色の瞳を伏せた。
「やはりお前が、ロンガニアか」
確信を得た口調に、ロンは瞠目した。
「アリアの娘ロンガニア。本当にシェインについていたのか。道理で失敗が多いわけだ。アリアの娘が攻撃を緩和しているのでは、マルディンもうるさく言ってくるわけだな」
「あなたが…っ」
「最近、注文が多い。初めは気付かれない程度のものでいいと言っていたものが、今ではどんなものでもいいから奴を倒せるものと言ってきた。あの力を前に戦える怪異など、簡単に作れるものではないのに」
リングにしかできないよ。あんな化け物を作るのはね。
ティオの言葉を急に思い出して、ロンは身体が震えてきた。
恐ろしさにではない、怒りにだ。
母親はそんな調薬を教えたりしない。薬は助ける為にあるのだと言った母に、大きく反する行為だ。
「あなたは薬師なのに、人を攻撃することしかしないの?薬はそんな事の為にあるの?」
信じていた。そう、信じていたのだ。会って数日も経っていないリングを、そんな真似をするはずないと信じていた。
感情の表れない顔でも瞳の中には意志があった。他に諂い権力を手に入れる事を望む者の目には見えなかった。だから彼は違うと思っていたのに。
「薬師は、他を助ける為に存在する者。他を傷つけてはならない」
「え?」
リングはぽそりと呟いた。微かな声はロンの耳に届く。
「使い方を間違えるな…。お前は、アリアと同じことを言う」
「その言葉を覚えていながら、何故」
「専属薬師にその考えは浸透していない。王族を守る為には攻撃の力が必要だと説いている。けれど、アリアだけが薬師と逆のことを言った」
瞬きもせずに見つめられた瞳は、サファイアの輝きを持っていた。
見とれている暇などないのに、その瞳には力があり、逸らすことができない。
意志のある中に小さな哀しみを感じて、ロンは食い入るように見つめた。
「お前は、アリアだけに教わったんだな」
その声音は確かに穏やかな優しさを含んでいた。
まるで母親の教えを憂いていたような、ロンが母親と同じ意志を持っていたことに喜ぶような、暖かな響き。
「…あの人は、本当に死んでしまったのか?」
微かな月明かりがリングをひどく美しく見せた。
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