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26 ーリングの許しー

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 ユタを襲っているのは、人間並の身長を持つ、棒。
 薄茶色の棒だ。

 しかもそれは地面を走らず、四つ足を使って壁を蜘蛛のように駆けてくる。
 足の先が鋭いのか、壁に穴をあけて進んでくる姿が強烈だ。どこに目があるのか、手首くらいの太さの棒は一直線にユタへ近付いた。
 壁をつたっていた棒が飛びかかってくる。その身体を袈裟懸けに振り抜くと、棒が前足を使って受け止めた。棒はその鋭い先をユタに串刺す。すぐに打ち付けて返すと、棒は中心の芯だけで身体を支え、後ろ足も使って攻撃をくり出してきた。反転してひっくり返ると、先程前足だったのが今度は地面に刺さり、後ろ足で手のように攻撃する。

 いきなり現れた怪異に辺りは騒然とした。あちこちに悲鳴があがり、その中でユタは一人で応戦した。
 あんな妙な怪異見たことがない。堅い皮に鋭い爪がつき、スピードもかなり早い。
 ロンは鞄の中をあさったが何を出すべきか迷った。スピードが早いのでユタに当ててしまう可能性があったのだ。
 しかし、ここでゆっくり考えている暇はない。
 鞄から出した小瓶には赤い石が入っていた。ロンはそれを瓶ごと地面に叩き付けて割り、おもむろに割れた瓶で自分の手の平を切り裂くと、その手で赤い石を掴んで投げた。
「そこから飛んでっ!」
 ロンの叫びにユタが反応した。後方へ飛び上がると、赤い石が落ちた地面が泥のようにぬかるんで、棒の足が埋まったのだ。
 地面から生えた赤い色が棒に絡み動きを止めた。その瞬間、ユタは棒をまっ二つに斬り落とした。降り立った地面は既に固まり、ユタはもう一度棒を斬り付けた。
 地面に転がった半身はぼろりと枯れて、腐葉土に包まれた小木のように脆く崩れ去って消えてしまった。

「大丈夫ですか!」
 ロンが走りよると、ユタは地面に座り込んで、大きく空にため息をついた。
「たーすかったあ。ええーと、あーれ、こないだ会った…、子じゃないよな?双児?」
 ロンは一瞬止まってしまった。ユタに出会った時は女の姿だ。今のロンは男で、あの時のロンとは違う。苦笑いをしてごまかしたが、叫んで近寄ってくる者がいた。振り向いて声を出す前に、ユタが反応した。
「てめっ!何でここにいんだーっ!」
「ユタ、何やってるんだ、お前」
「そりゃこっちの台詞だ!捜しに行ってやったのに、てめえはいねーし、帰ってきた途端変なのに襲われるしで、最悪なんだよっ!」
 ユタの癇癪も気にせず、シェインは息をせりながら近付くと、有無を言わさずロンの血のついた手を引いた。長く捜していたのか、汗が額から流れている。
「悪いがお前と話している暇はない。ロン、店に戻るぞ」
 そう言うと、ユタが問う間もなく、途端に走り出したのだ。
 もつれる足に転びそうになったが、シェインの焦躁は尋常ではない。顔色を失ったままでその顔の理由を問う余裕を与えなかった。ロンも彼にならって走ると、後ろからユタも勢い良く走ってくる。
 開いていた店の中の客を押し退け、酒くさい部屋をぬけて、さっきと同じように小部屋まで辿り着いてその扉を開いた。
 息も切れ切れで辿り着いた先に待っていたのは、ティオとお付きの三人。
 それから。

「セウッ!」
 部屋の隅に置かれていたベッドに眠っているのは、セウで間違いなかった。
 けれど、彼はロンの姿を見ても何も言わず、ただ早く短い呼吸を繰り返すだけで、その目蓋も閉じている。
 上着に付着したどす黒い赤色は、頬にもついて、ベッドにもしみていた。
「何で…」
 服の下は包帯で血止めされているが、顔色が悪すぎる。
 黒く乾いた血は時間が経っていた。腹部の包帯の染みだけがまだ朱で、そこから血が流れているのが分かった。
「セウ、セウ?薬、薬は!」
 シェインが手渡したロンの鞄をロンはひったくるように受け取ると、中の薬を探した。
「血止めをしたが、止まらないんだ」
 知らない男が言った。この男も傷だらけで顔には固まった血がこびり付いている。
「怪我をしてからどれくらい?」
「一時は経っている」
「一時‥?長すぎる」
 包帯をとれば血が流れ、ロンは瓶から液体を傷口にぶちまけてそれを拭きとった。まだ流れる血に何枚もの葉をのせて、茶色の液体をしみ込ませガーゼで押さえた。
「駄目、これじゃ、間に合わない」
 体力を失いつつあるセウに、シェインに使った薬は使えない。もっと強力な、重病人を助ける薬がなければ。
 ロンは思い立つとすぐに立ち上がってその部屋を飛び出した。肩で息をするユタとすれ違い、シェインが叫んで呼んでいても、振り返らずにロンは走った。

 説明している暇はない。一刻も早くあの薬を調合して、セウに煎じて飲ませなければ。
 客を押し退け外へ出ると全速力で足を動かした。水路にかかる橋を迂回せず、柵を跨いで水路を飛び越え階段を駆け下りた。

 急がなければ。早くしなければ。


 人気のない街灯に照らされた植物達。虫の音が聞こえるだけの静寂。道から下がった場所にあるそこに飛び込むと、あまりの高さに足に痛みが響いて、ロンは地面に手を着いた。
 息を競りながらそれでも立ち上がって走りだすと、あの人の姿を捜した。
 大きな木の隙間に白銀の髪が目に入り、ロンはそちらに走った。ロンに気付いたリングは、一度驚きに見張ったが、また元の無表情に戻り、冷静なままロンを見つめた。

「ここに入れば、警備を呼ぶと言った筈だ」
「お願い。レストリアの葉を分けて」
 吐き出した息で言葉が掠れた。
「大切な人が、死にそうなの。お願い、あの葉を分けて。あの葉でなければあの人は死んでしまう。もう他に手がないの。時間がない。お願い」
 懇願するだけで与えられる品ではない。レストリアは高額で、育てるにも根気のいる薬草だ。一年に一回も取れない場合だってある。時価で取り引きされる特別な薬草なのだ。頭を下げたくらいでもらえる物ではなかった。
 分かってはいるけれども、この葉の力でなければセウの傷を塞げない。
「大切な人なの。助けて、お願い」
 涙で溢れて、前が見えない。喉が詰まって咳き込んで、何度も大きく呼吸した。
「あの人が死んだら、私は、私は…」
 嗚咽が混じって言葉が続かない。
 大切な人なのだ。死んでほしくない。今まで育ててくれた分も、共に逃げてくれた分も、何も彼に返していない。貰ってばかりで何も返していないのだ。
「私はもう城へ戻る」
 はいた自分の息で、リングの言葉は良く聞こえなかった。
「葉を数える者などいない。私が戻れば警備が来るぞ」
 リングはそのままロンに背を向けると、手にしていた薬草を木箱に入れてロンを尻目に歩いていった。耳を疑ったが、潤んだ目をこすって大声で言った。
「あ、ありがとう」
 ロンは急いで手の平大の葉を一枚千切った。
 城へ向かうリングにもう一度大声で礼を言って、ロンは壁に向かって走りながら小瓶から小枝を出すと、それを壁へ放り投げた。小枝がはしごの形になると、それを上って元来た道を走った。

 リングがその様を見つめ続けていても、振り返ることなく走り、痛む足と止まりそうな呼吸にむち打ってセウの元へ戻った。
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