12 / 50
12 ー逃亡すればー
しおりを挟む
「大丈夫か?殆ど休憩とらなくて走ってきたけど」
シェインは川に顔をつっこんで、がぶがぶと水を飲み続けた。
水を飲み終えると肩で息をしながらよろよろと歩いて、茂みにぺたりと座り込んだ。相当疲れたのだろう。
翠嵐に日が隠れはじめ、辺りは赤色に染まってきていた。
もう夕方だ。下に見えるふもとの町も、赤色の屋根と白壁に朱がうつり、とても美しかった。
位置にして、山を下った町の近く。町には寄らず、次の山を少し登った所だった。
この辺りは山が続き、一つ山を下りても大きな町はない。入り込んで人々に混じって旅人のふりをするにも無理がある。その為町には入らずに山麓を走り、滝近くの川でシェインは足を止めた。
滝の下から町に向かって川が続いているが、人気はない。
だから、今晩はこの辺りで休むことにした。水も補給しておきたい。
ロンは水袋に水を入れて、眠れる場所を探した。シェインはぐったりしていて、今動くのは無理だと寝転んでいる。そこでずっと休ませてやりたいが、川に近すぎて追っ手に見付かりやすかった。
ロンは少々川から離れた場所に幹の太い木を見付け、シェインをそちらに呼んだ。
「風が出てきたね」
夕日はすぐに落ち、空が薄暗くなってくると少し肌寒くなってきて、ロンはシェインのマントを出すと上にかけてやった。
火を焚きたいが煙が出るので、そこは我慢だ。
携帯食の芋とハムを出してシェインとわけながら食べた。水でおとした薬草入りの紅茶を飲ませると、シェインもやっと落ち着いたようだった。
「香り高いけど、ちゃんと飲んどけよ。これ疲れをとる効能あるから。傷、平気か?」
「ああ、何ともない」
治療の術は成功しているが、随分長く走ったのでロンは気になるのだ。無理するなと言っても、やはり無理する形になった。
先程戦った薬師が技の少ない薬師で良かったと、心底ほっとしていた。あれがもしリングであれば、抵抗できても逃げる余裕はなかっただろう。そう思って、ロンは唇を噛んだ。
実のところ、逃亡している現実味がなかったのだ。
逃亡することがどんなことか分かっていたのに、それを忘れていた。追われ続ける苦しみをあれ程体験したのに、深く遠い所に閉じ込めて思い出さないようにしていた。
もっと早く、思い出すべきだったのに。
「俺、薬師としての知識はある方だと思ってたけど、駄目だな。あんな簡単な罠、すぐ気付くのに、考えてなかった」
あの罠が存在すると分かっていたのに、警戒しなかった。薬師として知識が豊富でも、その能力を応用しなければ何の意味もない。
「俺がお前に頼んだのは、俺の傷を見ることだけだ。誰もお前に戦いの手助けをしろとは言っていない」
「でも…」
母がセウの補助をしたようにはいかないが、少しくらいなら助けは出せるはずだ。シェインの傷を増やさない為に、手助けができるかもしれない。
シェインは立ち上がると身をすり寄せて、ロンの背中を包むように寝そべった。
「お前は、本当に腕がいいんだな」
「え?」
「リングが人を誉めたのは初めて聞いた。世辞で言っているとは思わなかったが、そこまで信じていなかった」
「そんなに、褒められたわけじゃないし」
リングがロンに言った言葉は、確か、中々、だ。中々腕がいい。その程度の誉め方だった。
「いや、それだけでかなりの賛美だ。リングは他人に感想を述べたりしない。俺の怪我を一瞬で治した力も、結構驚いた」
ロンは頬を染めた。セウや村人に感嘆されたり誉められたりはするが、王都から来たシェインに言われると、本当に腕がいいのだと信じられる気がした。
近くに他の薬師がいないので、目指しているのは母だけだ。まるで母の腕がとてもいいのだと言われている気がして、素直にうれしくなった。
「お前は薬師の本業だけやってくれればいい。無理に戦いの手助けをして、お前に怪我をされたら俺が困る。もしお前が怪我をしても、俺はお前を治してやる力はないんだから」
背中がほんのり温かくなって、ロンは無言で頷いた。再び守られる立場になっても、薬師としての手伝いはできる。怪我をされるのは嫌だが、治療ができるのはロンだけなのだ。
シェインの言葉は確信をついている。それだけに納得して、もう一度深く頷いた。
「いい子だ」
瞬いた瞳は相変わらず綺麗な緑で、暗闇の中でもはっきりと見えた。立ち上がって顔にすり寄ってくるので、シェインの頭をなでてやった。ごろごろ鳴らす喉は猫みたいだ。
人間の姿で会った時から話を続けて、シェインが何か悪事を働いたようには感じなかった。兵士に追われ薬師に狙われるような何かをシェインがしたとしても、それはきっと倫理に基づいたことなのではないかと思った。
だから、聞かなかった。
パンドラ、と言う言葉の意味を。
聞けばすごく恐くなる気がしたから。
「お前の薬は、あとどれくらいもつんだ?」
「え?」
唐突に言われて、ロンはシェインの緑と目を合わせた。
「男になる薬」
「えっと」
今日は何時頃薬を飲んだだろうか。
「あと一、二時間くらいかな。何で?」
シェインの喉を触ると、更にごろごろ言った。触るのが気持ち良くて、腕の中に抱き締めたくなるぐらいだ。
「一度町によりたい。これからは男二人組として追っ手がかかるだろうから、女の姿でいてもらった方が助かる」
「人間の姿に戻るのか?そりゃ、一日経てば少しは違うだろうけど」
「豹の姿じゃお前を守れない。それに…」
「それに?」
間をおくと、目の前にいるシェインの目が笑った気がした。
「キスができないから」
そう言って軽く口付けると、目が点になったロンを気にせずその唇を優しく舐めた。
「豹の姿じゃ難しい」
ロンの頭の中で何かが破裂して、そこから平手が飛ぶのに時間はかからなかった。
その後、ロンが鞄を離さず眠ったのは言うまでもない。
シェインは川に顔をつっこんで、がぶがぶと水を飲み続けた。
水を飲み終えると肩で息をしながらよろよろと歩いて、茂みにぺたりと座り込んだ。相当疲れたのだろう。
翠嵐に日が隠れはじめ、辺りは赤色に染まってきていた。
もう夕方だ。下に見えるふもとの町も、赤色の屋根と白壁に朱がうつり、とても美しかった。
位置にして、山を下った町の近く。町には寄らず、次の山を少し登った所だった。
この辺りは山が続き、一つ山を下りても大きな町はない。入り込んで人々に混じって旅人のふりをするにも無理がある。その為町には入らずに山麓を走り、滝近くの川でシェインは足を止めた。
滝の下から町に向かって川が続いているが、人気はない。
だから、今晩はこの辺りで休むことにした。水も補給しておきたい。
ロンは水袋に水を入れて、眠れる場所を探した。シェインはぐったりしていて、今動くのは無理だと寝転んでいる。そこでずっと休ませてやりたいが、川に近すぎて追っ手に見付かりやすかった。
ロンは少々川から離れた場所に幹の太い木を見付け、シェインをそちらに呼んだ。
「風が出てきたね」
夕日はすぐに落ち、空が薄暗くなってくると少し肌寒くなってきて、ロンはシェインのマントを出すと上にかけてやった。
火を焚きたいが煙が出るので、そこは我慢だ。
携帯食の芋とハムを出してシェインとわけながら食べた。水でおとした薬草入りの紅茶を飲ませると、シェインもやっと落ち着いたようだった。
「香り高いけど、ちゃんと飲んどけよ。これ疲れをとる効能あるから。傷、平気か?」
「ああ、何ともない」
治療の術は成功しているが、随分長く走ったのでロンは気になるのだ。無理するなと言っても、やはり無理する形になった。
先程戦った薬師が技の少ない薬師で良かったと、心底ほっとしていた。あれがもしリングであれば、抵抗できても逃げる余裕はなかっただろう。そう思って、ロンは唇を噛んだ。
実のところ、逃亡している現実味がなかったのだ。
逃亡することがどんなことか分かっていたのに、それを忘れていた。追われ続ける苦しみをあれ程体験したのに、深く遠い所に閉じ込めて思い出さないようにしていた。
もっと早く、思い出すべきだったのに。
「俺、薬師としての知識はある方だと思ってたけど、駄目だな。あんな簡単な罠、すぐ気付くのに、考えてなかった」
あの罠が存在すると分かっていたのに、警戒しなかった。薬師として知識が豊富でも、その能力を応用しなければ何の意味もない。
「俺がお前に頼んだのは、俺の傷を見ることだけだ。誰もお前に戦いの手助けをしろとは言っていない」
「でも…」
母がセウの補助をしたようにはいかないが、少しくらいなら助けは出せるはずだ。シェインの傷を増やさない為に、手助けができるかもしれない。
シェインは立ち上がると身をすり寄せて、ロンの背中を包むように寝そべった。
「お前は、本当に腕がいいんだな」
「え?」
「リングが人を誉めたのは初めて聞いた。世辞で言っているとは思わなかったが、そこまで信じていなかった」
「そんなに、褒められたわけじゃないし」
リングがロンに言った言葉は、確か、中々、だ。中々腕がいい。その程度の誉め方だった。
「いや、それだけでかなりの賛美だ。リングは他人に感想を述べたりしない。俺の怪我を一瞬で治した力も、結構驚いた」
ロンは頬を染めた。セウや村人に感嘆されたり誉められたりはするが、王都から来たシェインに言われると、本当に腕がいいのだと信じられる気がした。
近くに他の薬師がいないので、目指しているのは母だけだ。まるで母の腕がとてもいいのだと言われている気がして、素直にうれしくなった。
「お前は薬師の本業だけやってくれればいい。無理に戦いの手助けをして、お前に怪我をされたら俺が困る。もしお前が怪我をしても、俺はお前を治してやる力はないんだから」
背中がほんのり温かくなって、ロンは無言で頷いた。再び守られる立場になっても、薬師としての手伝いはできる。怪我をされるのは嫌だが、治療ができるのはロンだけなのだ。
シェインの言葉は確信をついている。それだけに納得して、もう一度深く頷いた。
「いい子だ」
瞬いた瞳は相変わらず綺麗な緑で、暗闇の中でもはっきりと見えた。立ち上がって顔にすり寄ってくるので、シェインの頭をなでてやった。ごろごろ鳴らす喉は猫みたいだ。
人間の姿で会った時から話を続けて、シェインが何か悪事を働いたようには感じなかった。兵士に追われ薬師に狙われるような何かをシェインがしたとしても、それはきっと倫理に基づいたことなのではないかと思った。
だから、聞かなかった。
パンドラ、と言う言葉の意味を。
聞けばすごく恐くなる気がしたから。
「お前の薬は、あとどれくらいもつんだ?」
「え?」
唐突に言われて、ロンはシェインの緑と目を合わせた。
「男になる薬」
「えっと」
今日は何時頃薬を飲んだだろうか。
「あと一、二時間くらいかな。何で?」
シェインの喉を触ると、更にごろごろ言った。触るのが気持ち良くて、腕の中に抱き締めたくなるぐらいだ。
「一度町によりたい。これからは男二人組として追っ手がかかるだろうから、女の姿でいてもらった方が助かる」
「人間の姿に戻るのか?そりゃ、一日経てば少しは違うだろうけど」
「豹の姿じゃお前を守れない。それに…」
「それに?」
間をおくと、目の前にいるシェインの目が笑った気がした。
「キスができないから」
そう言って軽く口付けると、目が点になったロンを気にせずその唇を優しく舐めた。
「豹の姿じゃ難しい」
ロンの頭の中で何かが破裂して、そこから平手が飛ぶのに時間はかからなかった。
その後、ロンが鞄を離さず眠ったのは言うまでもない。
18
お気に入りに追加
96
あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】転生したぐうたら令嬢は王太子妃になんかになりたくない
金峯蓮華
恋愛
子供の頃から休みなく忙しくしていた貴子は公認会計士として独立するために会社を辞めた日に事故に遭い、死の間際に生まれ変わったらぐうたらしたい!と願った。気がついたら中世ヨーロッパのような世界の子供、ヴィヴィアンヌになっていた。何もしないお姫様のようなぐうたらライフを満喫していたが、突然、王太子に求婚された。王太子妃になんかなったらぐうたらできないじゃない!!ヴィヴィアンヌピンチ!
小説家になろうにも書いてます。

【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。

今更「結婚しよう」と言われましても…10年以上会っていない人の顔は覚えていません。
ゆずこしょう
恋愛
「5年で帰ってくるから待っていて欲しい。」
書き置きだけを残していなくなった婚約者のニコラウス・イグナ。
今までも何度かいなくなることがあり、今回もその延長だと思っていたが、
5年経っても帰ってくることはなかった。
そして、10年後…
「結婚しよう!」と帰ってきたニコラウスに…
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません

虐げられた皇女は父の愛人とその娘に復讐する
ましゅぺちーの
恋愛
大陸一の大国ライドーン帝国の皇帝が崩御した。
その皇帝の子供である第一皇女シャーロットはこの時をずっと待っていた。
シャーロットの母親は今は亡き皇后陛下で皇帝とは政略結婚だった。
皇帝は皇后を蔑ろにし身分の低い女を愛妾として囲った。
やがてその愛妾には子供が生まれた。それが第二皇女プリシラである。
愛妾は皇帝の寵愛を笠に着てやりたい放題でプリシラも両親に甘やかされて我儘に育った。
今までは皇帝の寵愛があったからこそ好きにさせていたが、これからはそうもいかない。
シャーロットは愛妾とプリシラに対する復讐を実行に移す―
一部タイトルを変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる