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7 ーシェインという男ー

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 耳元に届くのは誰の声だったか。思い出そうとしても思い出せない。

 セウではない、誰かの声。

「おい、いつまで寝てる気だ?」

「う、ん。もうちょっと」
「昨日はこの時間に起きてたろう?」

「ん。セウだって起きないくせに」
「セウじゃない」
「ん?」

「襲われたくなかったら起きろ。俺は腹が減ったんだ」
「はいっ?」

 がばりと身を起こして、ここがどこなのか思い出そうとした。耳に入った言葉も意味も、全く分からなかったからだ。
 飛び起きたロンのすぐ横で寝そべっているのは、白い毛並みの豹…ではなく、透ける様な白い肌と、銀色の髪を持った、青年。
 気持ち程度にかけられた毛布から肌を出し、手足を出していた。

 瞬間、部屋中轟いたロンの大絶叫。
 響いた声に、男は嫌そうに耳を塞いだ。
「っ‥‥耳にきた。お前、女だと声も高くなるんだな」
 ロンは鯉のように飛び跳ねて、口をぱくぱくさせた。
 あまりにいきなり飛び跳ねたせいで、ロフトから転げ落ちるところだった。
「な、な、なに?誰、誰っ!」
「落ち着け。お前が昨日ここで寝たんだろう?俺も油断すると、元の姿に戻るんだ。お前みたいに時間制限じゃないけれども、怪我してる上に曝睡したから、人間の姿に戻っただけだ。安心しろ」
 さらりと言われた言葉を理解するまでに、ロンの頭はぐるぐる回った。
 考えている先から混乱の渦に巻き込まれて流される。

 何を、どう、安心しろと?

 男は起き上がってあぐらをかくと、ロンの反応など気にもせず欠伸をした。
 毛布がかかっていたが、あぐらをかいていたと思われる。
 まじまじと見られなかったので、あくまで思う、だ。下を見ないようにロンは顔に集中した。男は服を着ていなかったのだ。

「仮説として、動物が人間になるって言うのは、私達薬師でも無理な話で、まあそれはともかく、豹が人間に化けたとして、隣で寝てたとして…」
「何だ?また添い寝してほしいのか?」
「違うっ!まず、服を着ろ!」
 指差して命令したロンに男はきょとんとしたが、途端大爆笑して腹を抱えた。

 かつてないことだ。
 男女の性別を変更するのは、一定期間の限られた時間。
 身体の大小も、顔の作りも、差程変更がない。見た目で判断できる程度のぼやかした変更であって、身体の内部全てを変更しているわけではない。
 故に、男が女に化けても、子供ができる作りにはならず、女が男に化けても、月経だってくる。
 中身の性質は変わらない。だが、人間が他の動物に化けるとなったら、根本から話は別だ。
 身体の関節や筋肉の作り、脳みその大きさまで変更することになる。
 見た目をごまかすだけでは足りない、形状の変化だ。薬師にそこまでできる力はない。
 あり得ないことだ。

「気にするな。特異体質なんだ」
 そうあっけらと言ったこの男。名前はシェイン。元、白豹。
 銀髪に真っ白い肌。長い睫毛、端正な顔の作り。女には見えないが、美人薬師に張り合える程、美麗な男だ。
 だが、性格はこちらの方が、断然悪そうだった。
 服がないからとセウの服を貸してやれば、袖が足りないだの、裾が短いだの。落ち着いて考えようと黙って座っていれば、腹が減っただの、喉が乾いただの。
 白豹の時の方がよっぽどかわいくて、素直で大人しくて…。
「豹の姿でも話せるが、話したら驚くだろう?」
 と、にやりと笑って言い切った。
 朝、目覚めて見たら人間の姿に戻っている場合は、驚かないとでも言いたいのか。それを怒鳴って言えば、自分だって同じだろう。とふんぞり返った。

「頭が痛い…」
「同感だ。リングがうろついてるんじゃな」
「お前のことだ!」
「出ていきたいのは山々なんだ。だが、奴等にやられた腹が痛くてー」
 おどけた言い方だが、顔が真顔だ。あの美人同様顔に感情が表れない。冗談なのか本気なのか良く分からない。にやりと口角を上げて笑うくせに、心から笑っていない。切れ長の目がロンにはすわって見えた。
「兵士なら何とかなるが、リングが関わってくると、俺も簡単には逃げられない。傷が癒えるまではここにいる」
「決定すんなよ!」
「と、思ったが王都に戻らなければならない用ができた。だから、薬師として俺と一緒に来い」
「はいっ?」
「お前、王都に何か関わってるんだろう?リングは王族直属の薬師だ。ここに住み続けるのは危険なんじゃないのか?王都に行くのも危険だろうが、男と偽って王都に行くのと、今、女と知られてリングに捕まるのと、どちらがいい?」
 開いた口が塞がらないとはこのことだ。
 シェインはいけしゃあしゃあと、口端を上げて笑いながら言いのけた。

「脅す気か?」
「そうだな。俺も王族に関わる者は何人も知っている。奴等にお前のことを話せば、何か知っているかもな」
 明らかな脅しを含んで、ワナワナ震えるロンを横目に、我関せずと紅茶を飲み干した。
 あとでその紅茶に睡眠薬でも入れて簀巻きにしてけちょんけちょんにして、坂から転がしてやればよかったと後悔した。

 王族直属薬師、リングは、ロンがシェインをかくまったことに気付いている。
 シェインがどうして追われているか知らないが、シェインを助けたのは事実だ。豹が怪我をしていたのを見つけて助けてやっただけだと言っても、尋ねられて知らないと豪語した。
 ロンが昔何に関わってここに来たかは気付かれないだろうが、シェインと関わったことでその素性も調べられるかもしれない。ここに知らん顔で住むにも危険がある。
 十年経って王都の事情も変わったかもしれないが、それを証明する物はなかった。アリアの娘だと知られ再び追っ手が放たれれば、今度は王都から帰ってきたセウにまで影響が及ぶ。
 問題はそこだ。自分一人が追われるならばまだいい。だが、再びセウにその追っ手が入るのは耐えられない。
 王都に戻ればセウがいる。どこにいるかは分からないが、薬売りを捜せば見付けられるかもしれない。会えばひどく怒られるだろうが、捕まるよりましだ。

 王都を出て十年経ち、ロンも成長した。顔に面影が残っていても、男として王都に侵入すれば見付かりにくい。
 リングが王族直属薬師と聞けば、尚更彼に関わるのは危険だった。
 母親アリアは、王族直属の薬師だったのだから。

「決まりだな」

 シェインの言葉に、ロンは頷くことしかできなかった。
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