6 / 50
6 ーロンの姿ー
しおりを挟む
王都エンリル。
山と川に囲まれた、自然豊かなアドビエウ王国の首都。
他国にはない特殊な薬草やその調合方法は独自に進歩を遂げ、薬だけに留まらず妖術に近い力も持ち続けた。
有能な薬師が多く集まる首都エンリルでは、王族直属の薬師がいる程だ。
同じ服装をした、数人の選ばれた薬師達。城の廊下に繋がった、薬師達の集まる建物。ロンの記憶に残る、鼻孔をくすぐる花の香り。薬師達の為に作られた庭園に、何度も足を運んだ。
何故、急に、そこから離れなければならなくなったのか、あまり覚えていない。
王族直属の薬師だった母親に連れられて、病気でベッドに横たわった父親に別れを告げた。まだ新米の兵士だったセウに先導され、水路を経てエンリルを離れた。
何度も現れる追っ手をふりきり、薬師であった母親の力とセウの剣で、とうとう追っ手から逃げ切った。
そう思っていた。
エンリルから薬師の追っ手が放たれて、見付かってしまったのだ。
町一つを巻き込み、火に包まれたその場所で、必死の応戦の末、ロンをセウに任せて母親は戦いに倒れた。
夜の町は大火となり混乱し、その錯綜した中二人で逃げた。
母親の手助けがなくなったセウには向かってくる相手を斬るしか手はなく、何度も倒れそうになって逃げ続け、やっとこの村に辿り着いたのだ。
本当なら、母親とロンを先導し、逃がすだけの役目だったセウ。母親が殺されて自分も殺される羽目になって、仕方なくロンと暮らすことになった。
セウは何も言わないけれども、彼は巻き込まれただけだった。物心がつき、状況が理解できる頃にはそれも分かっていた。
けれどセウはロンを優しくなでて、かわいがってくれる。
村に届いた噂にも、セウは動じなかった。
女薬師が、エンリルに保管されている薬師の秘術を解読し、王の暗殺を企てたと。
逃げた女薬師は共謀した若い男と町一つを襲い、追っ手に殺されたのだと。
そのことから、女の薬師はよくない。と言われはじめた。
噂は誇張されるもの、間違ったもの。気にしてはいけないよ。そう優しく諭されながら、何が本当で何が嘘なのか、ロンに真実は分からず、何度セウにすがって泣いたことか。
そんな噂、セウが一番辛いはずなのに。それでもセウはロンに母親のことを度々言って聞かせた。
ロン、ロンガニア。お前の母親薬師アリアは、最高の知識と最高の力で、人々を助けていた。逃げることになったのは、その力を逆恨みされた為のもの。アリアが恐ろしい真似をしたわけではないのだ。と。
数年経って、セウはとうとう王都へ足を運ぶようになった。
彼が何を思って王都に行くのかは分からない。顔が知られて危険も伴うのに、セウは王都へ訪れる。
ロンの知らない所で何かしているのかもしれないが、ロンは口を出さなかった。
あれから、もう十年。
セウがロンから離れても、誰も何も言わないだろう。
頬をつたう涙に、ロンはゆっくりと目蓋を上げた。
時は深夜を過ぎた頃だろうか。部屋の蝋燭もきれて、辺りは暗闇に包まれている。
眠りながら泣いていたのだろう。頬から流れた涙で、枕が濡れていた。
王都の薬師と兵士を見たせいだ。急に昔のことを思い出したのは。
眠りながら泣くなんてこと、久しぶりにした気がする。唇もいやに掠れて、喉が枯れていた。
起き上がると、髪の毛が肩からするりと落ちた。胸まで伸びたそれをかき上げながら、ランプを持ってロフトを隔てていた引き戸を開いた。その音に白豹がすぐに反応する。
セウの寝床はベッドではなく、板の間に布団をひいただけのものだ。白豹にはそれが丁度良かったか、我が物顔で寝そべっていたのだ。
「ごめん、起こしちゃった。ちょっと、喉乾いちゃって」
ランプの明かりに驚いたか、白豹は目を剥いた。あんぐりと口を開けて静止している。まるでロンが白豹を見付けた時のようだ。
視線の先がロンの胸元だと気付いて、ロンは頬を染めて笑った。
ふっくらとした胸元は少年のそれではなく、細い首や肩が昼間のロンよりも華奢に見せた。肩までしかなかった髪も胸元まで伸び、顔を傾けるとさらりと揺れた。
「言ってなかったな。私、普段は性別変えてるんだ。十五時間くらいしかもたない薬だから、朝いつも飲むんだよ。もういいんじゃないかってセウは言うんだけど、今更女の姿で村に下りられないしね」
追っ手をまく為に、男二人で旅をしていると偽った。子供の頃は気付かれなくとも、成長していくうちに言葉だけでは偽れなくなり、薬師の知識を幼い頃から教えられたロンは、苦もなく男の姿になった。
「姿を変えられる薬だってあるんだよ。作るのは大変なんだけどね。でも、ここは沢山の植物があるから、大抵のことはできるんだ。お前を人間に、とかはできないけどね。お前の言葉を人間の言葉にする、とかできたらいいけどな」
頭をなでると白豹の毛はとても柔らかく、喉を触ると鬚をひくひくさせた。
「ほんと、綺麗な白だね。目もすごく綺麗。昼間の美人もすごく綺麗な水色だったけど、私はお前の目の方が好きだな。深い緑。自然の緑色。毛並みもふかふか、あったかい」
両の手に包んだ豹はそのまま寝そべった。触ってなでても鳴き声一つあげない。ただ喉を擦ると気持ち良さそうに目を閉じるので、ロンはずっとその喉を擦ってやった。
微かに揺れる、ランプの色彩。光がちらちらして白豹の色も橙色に変えた。それがとても幻想的で、いつしかロンは目蓋を閉じた。
山と川に囲まれた、自然豊かなアドビエウ王国の首都。
他国にはない特殊な薬草やその調合方法は独自に進歩を遂げ、薬だけに留まらず妖術に近い力も持ち続けた。
有能な薬師が多く集まる首都エンリルでは、王族直属の薬師がいる程だ。
同じ服装をした、数人の選ばれた薬師達。城の廊下に繋がった、薬師達の集まる建物。ロンの記憶に残る、鼻孔をくすぐる花の香り。薬師達の為に作られた庭園に、何度も足を運んだ。
何故、急に、そこから離れなければならなくなったのか、あまり覚えていない。
王族直属の薬師だった母親に連れられて、病気でベッドに横たわった父親に別れを告げた。まだ新米の兵士だったセウに先導され、水路を経てエンリルを離れた。
何度も現れる追っ手をふりきり、薬師であった母親の力とセウの剣で、とうとう追っ手から逃げ切った。
そう思っていた。
エンリルから薬師の追っ手が放たれて、見付かってしまったのだ。
町一つを巻き込み、火に包まれたその場所で、必死の応戦の末、ロンをセウに任せて母親は戦いに倒れた。
夜の町は大火となり混乱し、その錯綜した中二人で逃げた。
母親の手助けがなくなったセウには向かってくる相手を斬るしか手はなく、何度も倒れそうになって逃げ続け、やっとこの村に辿り着いたのだ。
本当なら、母親とロンを先導し、逃がすだけの役目だったセウ。母親が殺されて自分も殺される羽目になって、仕方なくロンと暮らすことになった。
セウは何も言わないけれども、彼は巻き込まれただけだった。物心がつき、状況が理解できる頃にはそれも分かっていた。
けれどセウはロンを優しくなでて、かわいがってくれる。
村に届いた噂にも、セウは動じなかった。
女薬師が、エンリルに保管されている薬師の秘術を解読し、王の暗殺を企てたと。
逃げた女薬師は共謀した若い男と町一つを襲い、追っ手に殺されたのだと。
そのことから、女の薬師はよくない。と言われはじめた。
噂は誇張されるもの、間違ったもの。気にしてはいけないよ。そう優しく諭されながら、何が本当で何が嘘なのか、ロンに真実は分からず、何度セウにすがって泣いたことか。
そんな噂、セウが一番辛いはずなのに。それでもセウはロンに母親のことを度々言って聞かせた。
ロン、ロンガニア。お前の母親薬師アリアは、最高の知識と最高の力で、人々を助けていた。逃げることになったのは、その力を逆恨みされた為のもの。アリアが恐ろしい真似をしたわけではないのだ。と。
数年経って、セウはとうとう王都へ足を運ぶようになった。
彼が何を思って王都に行くのかは分からない。顔が知られて危険も伴うのに、セウは王都へ訪れる。
ロンの知らない所で何かしているのかもしれないが、ロンは口を出さなかった。
あれから、もう十年。
セウがロンから離れても、誰も何も言わないだろう。
頬をつたう涙に、ロンはゆっくりと目蓋を上げた。
時は深夜を過ぎた頃だろうか。部屋の蝋燭もきれて、辺りは暗闇に包まれている。
眠りながら泣いていたのだろう。頬から流れた涙で、枕が濡れていた。
王都の薬師と兵士を見たせいだ。急に昔のことを思い出したのは。
眠りながら泣くなんてこと、久しぶりにした気がする。唇もいやに掠れて、喉が枯れていた。
起き上がると、髪の毛が肩からするりと落ちた。胸まで伸びたそれをかき上げながら、ランプを持ってロフトを隔てていた引き戸を開いた。その音に白豹がすぐに反応する。
セウの寝床はベッドではなく、板の間に布団をひいただけのものだ。白豹にはそれが丁度良かったか、我が物顔で寝そべっていたのだ。
「ごめん、起こしちゃった。ちょっと、喉乾いちゃって」
ランプの明かりに驚いたか、白豹は目を剥いた。あんぐりと口を開けて静止している。まるでロンが白豹を見付けた時のようだ。
視線の先がロンの胸元だと気付いて、ロンは頬を染めて笑った。
ふっくらとした胸元は少年のそれではなく、細い首や肩が昼間のロンよりも華奢に見せた。肩までしかなかった髪も胸元まで伸び、顔を傾けるとさらりと揺れた。
「言ってなかったな。私、普段は性別変えてるんだ。十五時間くらいしかもたない薬だから、朝いつも飲むんだよ。もういいんじゃないかってセウは言うんだけど、今更女の姿で村に下りられないしね」
追っ手をまく為に、男二人で旅をしていると偽った。子供の頃は気付かれなくとも、成長していくうちに言葉だけでは偽れなくなり、薬師の知識を幼い頃から教えられたロンは、苦もなく男の姿になった。
「姿を変えられる薬だってあるんだよ。作るのは大変なんだけどね。でも、ここは沢山の植物があるから、大抵のことはできるんだ。お前を人間に、とかはできないけどね。お前の言葉を人間の言葉にする、とかできたらいいけどな」
頭をなでると白豹の毛はとても柔らかく、喉を触ると鬚をひくひくさせた。
「ほんと、綺麗な白だね。目もすごく綺麗。昼間の美人もすごく綺麗な水色だったけど、私はお前の目の方が好きだな。深い緑。自然の緑色。毛並みもふかふか、あったかい」
両の手に包んだ豹はそのまま寝そべった。触ってなでても鳴き声一つあげない。ただ喉を擦ると気持ち良さそうに目を閉じるので、ロンはずっとその喉を擦ってやった。
微かに揺れる、ランプの色彩。光がちらちらして白豹の色も橙色に変えた。それがとても幻想的で、いつしかロンは目蓋を閉じた。
22
お気に入りに追加
96
あなたにおすすめの小説
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!
カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。
前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。
全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
処刑された王女は隣国に転生して聖女となる
空飛ぶひよこ
恋愛
旧題:魔女として処刑された王女は、隣国に転生し聖女となる
生まれ持った「癒し」の力を、民の為に惜しみなく使って来た王女アシュリナ。
しかし、その人気を妬む腹違いの兄ルイスに疎まれ、彼が連れてきたアシュリナと同じ「癒し」の力を持つ聖女ユーリアの謀略により、魔女のレッテルを貼られ処刑されてしまう。
同じ力を持ったまま、隣国にディアナという名で転生した彼女は、6歳の頃に全てを思い出す。
「ーーこの力を、誰にも知られてはいけない」
しかし、森で倒れている王子を見過ごせずに、力を使って助けたことにより、ディアナの人生は一変する。
「どうか、この国で聖女になってくれませんか。貴女の力が必要なんです」
これは、理不尽に生涯を終わらされた一人の少女が、生まれ変わって幸福を掴む物語。
婚約破棄された地味姫令嬢は獣人騎士団のブラッシング係に任命される
安眠にどね
恋愛
社交界で『地味姫』と嘲笑されている主人公、オルテシア・ケルンベルマは、ある日婚約破棄をされたことによって前世の記憶を取り戻す。
婚約破棄をされた直後、王城内で一匹の虎に出会う。婚約破棄と前世の記憶と取り戻すという二つのショックで呆然としていたオルテシアは、虎の求めるままブラッシングをしていた。その虎は、実は獣人が獣の姿になった状態だったのだ。虎の獣人であるアルディ・ザルミールに気に入られて、オルテシアは獣人が多く所属する第二騎士団のブラッシング係として働くことになり――!?
【第16回恋愛小説大賞 奨励賞受賞。ありがとうございました!】
【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?
雨宮羽那
恋愛
元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。
◇◇◇◇
名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。
自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。
運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!
なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!?
◇◇◇◇
お気に入り登録、エールありがとうございます♡
※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。
※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
酒の席での戯言ですのよ。
ぽんぽこ狸
恋愛
成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。
何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。
そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる