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記憶を失った侯爵夫人ですが、夫と人生やり直します。

休憩

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 あれからラファエウは王宮に行ったり外出したりと、忙しくしている。
 結局、王妃は謹慎のままで、王太子殿下も表立って動いてはいないようだが、ラファエウら王妃派たちはなにかと水面下で動いているようだった。

 私の周囲は警備も増えて、外出をしないように部屋に閉じこもっている。
 執務室でベルナールと仕事の相談をしたり、資料を読み耽ったりと、いつも通りの日々を過ごしていた。

 今回の事件について、王太子殿下には既に伝え済みである。しかし、ラファエウは私を襲ったシャルロット王女の騎士を王宮に渡すことはせず、侯爵家の牢に閉じ込めた。
 侯爵家に牢屋があったとは。そんなことを意外に思いながらも、地下にある牢屋は厳重に警備がなされていることをラファエウから耳にした。

(問題は、捕らえた男たちを王女に突き付けても、自分が命じたわけではないと言い切りそうなところなのよね……)

 シャルロット王女の命令により、私の乗る馬車を狙った。そんなことを言っても、知らぬ存ぜぬを突き通す可能性を感じて、ラファエウは牢に閉じ込めることにしたのだろう。捕らえた者たちだけではとどめを刺せないかもしれないが、一つのカードとしてしまっておくといったところか。

「どうすれば確実に追いやれるのか。難しいところね」

 さすがに何度も襲撃を受けてはこちらの心がもたない。巻き込んだメアリとエレーナに休みを与えたいのだが、彼女たちはそれを拒否した。特にメアリは二度も怖い思いをさせてしまったため、ゆっくりしてほしかったのだが。

(早く解決しないと、疲労と恐怖で倒れてしまうわ)

 そんなことを考えながら部屋で書類を眺めていたら、どこかで大きな物音と大声が聞こえた。

「……何かしら」
「奥様、失礼致します」

 ユーグがすぐに部屋に入ってくる。私は立ち上がり、机の上にあったナイフを念の為確認する。

「何かあったの?」
「火事があったようです。しばらく、お部屋で待機をお願いします」
「曲者でも……?」
「奥様は気にされずとも大丈夫ですよ?」

 扉の前を陣取って、ユーグはにっこり笑顔でそんなことを言ってきた。

 外は風が吹き、既に日が暮れて暗闇に包まれている。風に飛ばされては火事も大きくなるだろう。悠長にしている場合ではないと思うのだが。それに、夕食が終わったこの時間に火事というのも不思議で、何を間違えて火を出したのかと考える時間だ。
 屋敷の皆の夕食もとっくに終わっている時間。風呂に入るのに薪を使ってお湯を作っていたら、火事でも起きるかもしれないだろうか。

 しかし、扉の前にいるユーグは報告をしながら部屋を出ていく気はないようで、ただ笑顔でそこにいて、背筋を伸ばしたまま立ちはだかり、私が部屋を出るのを防ごうとしているように見えた。

「ユーグ?」
「前にお渡しした笛はお持ちですか?」
「首に掛けてあるわ。常に身に付けておくつもりよ。何があるか分からないもの」

 たとえ、屋敷の中でも、なんとも言えない現状。使うことがなければ良いが、まだ気は抜かぬ方が良いと、そのまま持ち歩いている。首元から見えないように工夫してあるので、一見分からない。
 お父様の件や、自分が襲われたことを鑑みれば、これくらいやっておいて損はないだろう。私はラファエウの足手まといになる気はないのだ。

「……奥様は、怖くないのですか。記憶もないままと聞いています」
「そうね……」

 「わたし」を知っている人たちには、申し訳ない気持ちはいっぱいだ。思い出を持っている人たちの気持ちを考えれば、なんとかして思い出せればとも思う。
 相手にとってあったことが、私にとってなかったことになっているのだから、その心の距離は計り知れないだろう。

 ラファエウとの子供の頃の話も、家族との話も、友人との話も、何もかも、私にとっては他人事で、共有できない話題だ。懐かしげに話されても、まったく共感できないのだから。
 ただ、それらを耳にするたび、新しいことを覚えているような感覚もあるので、そこは楽しむことにした。思い出についていけないことを残念に思っても、それに関しては仕方がないと新たな気持ちを持っている。
 気落ちしていてもどうにもならないからだ。

 立て続けにある事件については、怖くないと言ったら嘘になるだろう。命の危険を感じることなどないのだから、驚きを通り越した恐怖はある。
 だが、そのままでやられてなるものか、という反骨心の方が強いような気もする。実際、その時は無我夢中で、抵抗することに必死だった。

 運良くたいした事なく済ませられ、運が良かっただけかもしれないが、二度目は準備も行っており心構えもできていた。

「あとは、皆が協力してくれたから、大丈夫と思っていたからかしらねえ。今も皆が守ってくれているから、そこまでの心配はないわ。ラファエウもいるし、今はあなたもいてくれるしね」
 それを口にすると、ユーグは力が抜けたような、呆れるような顔をした。

「どこからその強さが出てくるのでしょう」
「深く考えたりしないからかしら。記憶がなくても、思い出せないのだし、しょうがないでしょう? 悩んだって無駄なのだから、現実を見なければ。何事も、なるようになるものよ。ただし、自らが動く必要があるの。悩んでいるのならば、動いた方が良いでしょう?」

 あとはじっとしていられない質なのだろう。そして面倒ごとはさっさと終わらせたいという気質もある気がする。短気なのかもしれない。
 私の言葉にユーグは眉を細めた。

「ラファエウ様は今回の事件について、ひどくお怒りです。あまり表情を出されない方が、近くに寄るのも憚れるほど、険しい顔をしていらっしゃいました」

 それは分かっている。私から見れば分かりやすい表情ではあるが、今回のことでラファエウはずっと眉間に皺を寄せていた。

「奥様の器が広く、何事にも動じない鋼の心の持ち主だとは周囲から耳にしておりましたが、ラファエウ様は気が気ではないでしょう」

 鋼の心とは誰が言ったのか気になるが、私はとりあえず頷く。ラファエウにも心労があっただろう。言うことを聞かない妻にため息ばかりだ。
 そう思っているのが分かったかのように、ユーグは口元を上げた。

「ですから、奥様はもうゆっくりなされるのが良いと思います」
「……前置きが、長いように思えるのだけれど?」
「なんのことでしょう。あ、どなたかいらっしゃいましたね」

 ユーグはとぼけるようして、ノックされた音と同時に扉を開いた。
 既に帰ってきて執務室にいたはずのラファエウが、なぜか髪の毛を濡らして部屋に入ってくる。ユーグは頭を下げるとさっさと出ていき扉を閉めた。

「火事があったみたいですね?」
「騒がしくしたな。もう鎮火して、問題ない」
「そうですか。ところでラファ、この時間にお風呂に入ったのですか?」

 風呂に入って髪を乾かさずに急いで私の部屋に来たと思いたいところだが、ラファエウは普段眠る前にお風呂に入るので、今の時間は少々早めのお風呂である。

「あ、火事で煙がひどかったからな」

 そんなにひどい火事だったのならば、もっと大騒ぎしてもおかしくないように思うのだが、思ったより早く鎮火したのだろうか。私がじっとラファエウを見ていると、案の定、ごまかすように濡れた髪をなでて目元を隠し、何事もないかのようにソファーに座った。

 しかし、視線は他所に向けたままである。

「皆は、大丈夫かしら?」
「すぐに消しとめたから、大丈夫だ」

 ラファエウは視線を合わせずに、どこかを横目で見ながらも、緊張しているようにソファーにもたれることなく姿勢よく座っていた。

「なにも、心配することはない」
 どうか、聞いてくれるな。そんな声が聞こえそうな、断言の仕方である。

(まったく。追及するなってことなのね)

 ユーグもごまかしてきたのだから、聞かれたくないことは分かっている。これ以上虐めてはラファエウが可哀想だ。しつこく聞くことはやめておこう。

(間違いなく、何者かがいたのでしょうけれど)

「皆が無事なら良かったです」
「ああ、問題ない」

 澄ました顔をしているつもりだろうが、視線が泳いでいるのだから、突っ込みたくなるだろうが。しかし、ここは我慢しなければならない。ラファエウは服も着替えて髪も洗ってきた。香水も付けてきたのか、ふんわりシトラスの香りがする。

「無事ならいいのです。みんな、無事で、あなたも、私も」

 私はそう言いながらラファエウにもたれかかった。
 王女の騎士である牢屋にいる男を助けにきたのか、始末しにきたのか。それは分からないが、ラファエウが直接手を下したのかもしれない。

 自ら対処して、血の匂いを消してきたのだろう。急いで私の元に駆け付けたのだ。これ以上は問うまい。
 ユーグの言い方から察するに、ラファエウはこれ以上私に負担を掛けたくないのだ。
 ラファエウのせいではないのだが。

「エラ? 少し顔が赤いんじゃないか?」
「そうですか?」

 ここ最近事件が多くて、知恵熱でも出ただろうか。自分の首に触れたがそこまで熱くはない。しかし、ラファエウはお風呂に入ったばかりのくせに、冷たい手をして私の額に触れた。ひんやりとするので、確かに熱があるのかもしれない。

「やはり、少し熱っぽいのではないのか?」

 途端、ラファエウがおろおろし始めた。メアリを呼ぶか、ベッドに私を運ぶか、右往左往するように手を浮かせたり下ろしたりしている。
 戦いの時の冷静さはどこへ行ったか、私の前ではいつもこのような感じのラファエウに、なんとも愛しさが込み上げてくる。

「眠れば大丈夫ですよ。ラファも疲れているでしょう? 早めに休んでください」

 最近色々なことが起こりすぎて、さすがの私も体調が良くないのかもしれない。ラファエウもあちこち行き来し襲撃に緊張ばかりで、心が休まることもないだろう。あなたも早めに休んで、と言う前に疲れからか生あくびが出て、私は手のひらでそれを抑える。

 すると、ラファエウが急いで私を抱き上げた。悲鳴を上げる暇もなく、そそくさと私をベッドに運ぶ。自分は椅子を側に寄せて座り込むと、私に眠るよう毛布を掛けた。
 憂えた顔を見るたびに、これが私の特権だと思うのは少々意地悪だろうか。この夫を独り占めできるのは私だけである。

「あなたも早く眠ってくださいね」
「分かった」
「ずっとそこにいる気ですか?」
「君が眠ったら、出ていく」

 まだ対処することがある。その意味を感じ取って、私はおとなしく眠ることにした。早く事が終わればいい。

「落ち着いたら、旅行にでも行きましょうか」

 私の提案にラファエウは一度驚いて見せたが、すぐに頬を染めてうんうん頷いた。
 結婚してから旅行など行ったことないだろうし、ゆっくりする暇もなかったはずだ。
 仕事を落ち着かせたら、たまにはのんびりできるだろうか。

 ラファエウは照れた顔をしながら、私の前髪に触れると、不慣れな手付きで私の額に口付ける。

「おやすみなさい、ラファ」
「おやすみ、エラ」

(ゆっくりできる日はすぐに来るかしら?)

 そう思っているうちにすぐに睡魔に襲われて、私は眠りについたのだ。
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