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夫に相手にされない侯爵夫人ですが、記憶を失ったので人生やり直します。

番外編1:殿下から

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 微動だにせず、姿勢良く椅子に座り、虚空を見つめる。

 同い年の侯爵の息子は、いつもどこを見ているか分からないくらい、覇気のない子供だった。




「ラファエウさま、かあっこいい~」
 横からとぼけた声が届き、ちらりと見遣る。

 椅子にはしっかり座っていたが、足をスカートの中でぶらぶらさせていた妹のシャルロットが、俺の影から覗き見るようにしてラファエウに熱視線を送った。

「あの、何考えてるか分からない奴の、どこがかっこいいんだ?」
「あれは、大人っぽいって言うのよ。分かっていないわね、お兄様。お兄様のお友だちなんてみんな子供だものね。かけっことかして、さっきなんて女の子も一緒に走っていたのよ!」

 子供のお前に言われても。そう言いそうになるのを我慢する。

 第二夫人の子供であるシャルロットはまだ四歳になったばかりだ。
 俺と同じ空色の瞳と日に焼けやすい真っ白な肌。違うのは髪色だけで、第二夫人と同じ薄い金色をしている。

 黙っていれば深窓の令嬢に見えるが、どこで覚えたのかませた発言が止まらない。どうせ母親の第二夫人の影響だろうが。
 第二夫人は派手目な女で、近くに行くと香水が臭くて鼻を摘みたくなるほどだった。

 ラファエウも母親の影響が強いのだろう。隙のない雰囲気で周囲をよく見ている母親の隣で、目の前のお菓子に手を出すことなく静かに座っている。子供たちは人形のようなラファエウに話し掛けようともしない。

 病がちになってきた侯爵に代わり、侯爵夫人は次期侯爵になるラファエウを厳しく育てていると言う。王太子である俺の母親ですら、ラファエウへの厳しさを気にしていたほどだ。
 侯爵夫人と俺の母親は仲が良く会うことは多いが、ラファエウが少しでも姿勢を崩すとすぐに注意するのを見て、まるで教育係のようだと思った。




「————あれ、違った」

 ふいに足元を触れられて、びくりと肩を揺らす。地面を見ると俺の後ろにある生垣の隙間から、小さな女の子が手を伸ばしていた。椅子の下で目が合うと、口元を大きく広げて笑う。

「しー、ね。しー」
 小さくそう言って、ずぼっと生垣の中に戻った。生垣をがさがさと動かして移動すると、ラファエウの後ろで止まる。そうして、またずぼっと生垣から手を出した。

 その手に足首を掴まれたラファエウは、俺と同様びくりと肩を上げた。しかし誰が足首を掴んでいるのか確認すると、同じテーブルにいた者たちに挨拶をして席を立つ。

「お兄様?」
「少し、席を外す」
 不思議そうにするシャルロットを尻目に、俺はラファエウを追った。

「どこに行った?」
 生垣の裏側に入ると走ってラファエウを探した。迷路のようになった生垣は入れば迷子になりそうだ。

「あねうええ、まってえええ~」
 近くで泣きそうな男の子の声がする。その声がする方に行くと、大きな木に登っている女の子が見えた。
 先ほど俺の足に触れた女の子だ。

「あ、危ないよ。エラフィーネ。すぐに降りて!」
 ラファエウが木に登りながら笑っている女の子を心配げに呼びながら、その傍らで赤色の髪の男の子が木に登ろうとするのを抑えていた。

 女の子は登り続けようとしたが、俺に気付くとぱっと木から降りる。地面にいたラファエウがそれに驚いて、赤髪の男の子と一緒に尻餅をついた。あんな間抜けなラファエウを見るのは初めてだ。

「王太子殿下に、ご挨拶申し上げます」
 先ほどスカートで木登りをしていた女の子が、高貴な令嬢のごとく澄まして挨拶をした。

 漆黒の髪をしたオレンジ色の瞳の女の子。キラキラした瞳で口元をにこりと上げたその顔はとても印象的だった。

 それが、俺がエラフィーネに初めて会った日のことだった。




「ラファエウ、何か落ちたぞ」
 教科書からひらりと短冊のような物が落ち、それを拾った。花と葉っぱを挟んだしおりのようだ。

「押し花?」
 教科書に押し花のしおりとは、どこで手に入れたのか。随分とよれているので購入した物ではないだろうが、かなり下手な部類に入ると思う。

「貰い物ですので」
「どこの令嬢からの?」

 問うとラファエウは聞こえなかったかのように前を向いた。まだ教師は教室に入ってきていないのに。
 王太子を前にして不遜で、相変わらず澄ました奴だ。

 アカデミーに入学した俺は、当然のごとくラファエウと一緒にいた。同い年で侯爵の息子。母親同士仲が良い。一緒にいない理由はない。
 そのせいで常に比べられた。成績優秀なラファエウは剣術もレベルが高い。いつも教師に褒められるような男だが、褒められても昔と同じ無表情のままだった。

(表情があるのは、エラフィーネの前だけだな)

 どうせあのしおりもエラフィーネにもらったのだろう。エラフィーネは伯爵家の娘で、侯爵家のラファエウとは家同士の繋がりが深い分、よくお互いの屋敷を行き来していたようだ。婚約の話でも出ているのかもしれない。

(まったく、面白くない)

「よし、今度妹の茶会に来い」
「脈絡がありませんが? シャルロット様のお茶会に参加ですか?」
「お前が来れば妹が喜ぶ。拒否権はない」
 言うとラファエウは表情を変えなかったが、小さく吐息をついた。

 子供の頃はともかく、年頃の男になれば他の女の子に興味を持つだろう。妹の茶会のため年下の女の子ばかりだが、女の子は俺やラファエウに興味津々だ。
 茶会が行われていたサロンに入れば、きゃあっと小さな悲鳴が上がり、何人かの女の子は頬を染めるほどだった。

「やあ、お邪魔するよ」
「お兄様。ラファエウ様!」
「王太子殿下。ラファエウ様だわ」

 挨拶をすると妹や女の子たちが浮き足立つように口にする。さて、その声にどう反応するかと思えば、ラファエウは興味がないと、用意された席に静かに座った。
 周囲の女の子たちはどう話し掛けようかとたじろいでいるのに、その相手をするつもりはないと座ったままだ。

 塩対応すぎる。

 笑顔も何もない。ただ居るだけ。あれでは女の子たちが不憫だ。

「もう少し優しくしたらどうだ。お前は侯爵になるのだろう。彼女たちの顔や名を覚えるのも仕事だぞ」
「そうですか?」
「社交界に入れば情報を得るにも必要になる」

 間違ってはいない。噂話を耳にするのも派閥を知るための重要な情報の一つになる。そうぼそぼそ話をすると、「なるほど」と真面目な顔で返事をした。

 本気で女の子に全く興味がない。
 予定外の来訪者に対して浮かれる女の子たちが一層哀れだった。




 アカデミー卒業後はパーティの参加が増えた。王太子である自分だけでなく、ラファエウも同じだ。ラファエウの父親は病を押して何度か城へ訪れていたが、最近ではその姿をとんと見せなくなっていた。

 そのせいだろう。ラファエウは積極的に社交界へ出ていた。ラファエウが幼い頃から父親の侯爵引退の話はあったが、闘病生活を続けていても登城することがあるので、まだ長生きできるのではないかと言う話があった。
 しかし、いよいよもって難しくなってきたのだろう。そろそろ侯爵を継ぐのではないかと言う噂も耳にした。

 おかげでラファエウの周りには令嬢方が列をなして挨拶に来る。俺のついでと言いたいが、ラファエウ目当ての令嬢は多かった。

「ラファエウ様。今日のお召し物とても素敵ですわ。ラファエウ様の瞳に合った、素敵なお召し物ですわね」
「ありがとうございます」

(褒めるのはお前の方だろう!)

 大人しそうな令嬢が頬を真っ赤に染めて捻り出した会話がラファエウの衣装を褒めることである。それをラファエウがしれっと対応しているのを目の当たりにして、会話に入っていないのに突っ込みそうになった。

 令嬢たちと話すようにはなったが、塩対応は昔のままだ。ラファエウは女性たちに声を掛けつつも、本当に当たり障りない会話を進めていた。
 それでも素っ気ないのはご愛嬌か。その対応に令嬢たちがきゃっきゃ言うのを頭痛を覚えながら眺めていたが、もう黙ってはいられないとついラファエウを構う。

「お前は、もう少し令嬢方に優しくすることはできないのか!?」
「何がです?」

 さすがにイラつくのだが、この男はこういう男だと分かっている。何年経っても感情が伴わない。冷静を通り越して冷淡ですらある。

「もう少し、気の利いた言葉を掛けてやれ。少しでも饒舌になるように練習しろ。そうすれば令嬢方も楽しく過ごせるだろう?」
「楽しくする必要などないでしょう」

(こ、の、や、ろ、う!)

 そろそろ首を絞めたくなる。そう思った時だった。
 ラファエウの視線が揺れた。人混みの中を追う視線の先は離れた場所で、そこに見えたのは黒髪の女性だった。

「失礼します」

 ラファエウはそう言うと同時、素早く令嬢たちを避けて人混みの中に入っていく。

 今日のパーティには黒髪の女性が何人いるだろうか。

 テラスに出る黒髪の女性を追い掛けるラファエウを、珍しげに見ていたのは俺だけではない。多くの令嬢がその様子を目で追っていた。



 エラフィーネのデビューは瞬く間に噂になった。

 伯爵令嬢のエラフィーネがどれだけ美しく、ダンスに長け、話せば他の令嬢に似て非なる聡明さを持っていたか。彼女のデビューが成功だったのは言うまでもなく、ラファエウがその彼女を追い掛けたことは、皆が周知している話だった。




「エラフィーネ嬢。城の中で会うとは珍しいな」
「王太子殿下、父に忘れ物を渡しに参りました。これから帰るところです」

 エラフィーネは涼しげなドレスを身に纏い、するりとスカートを上げて挨拶をする。
 普段彼女に会うことはほとんどないが、良い偶然もあるようだ。

「少し、話をしないか? 帰りを見送ろう」
「まあ、光栄に存じます」

 エラフィーネはくすりと笑う。ラファエウとの縁もあり、俺も子供の頃エラフィーネに会う機会は多かった。アカデミーに入りその機会は失われたが、久しぶりに会っても俺に対する彼女の態度は変わりがなかった。
 王太子相手に、彼女は常に自然体だった。繕うような真似はせず、相手によって態度を変えないのだ。

「君のデビューでは、皆君に釘付けだった」
「うふふ。お世辞がお上手ですね」
「嘘ではない」
「殿下もご令嬢方に囲まれて、楽しそうでした」
「気にしていただけたのかな?」
「目立たれておりましたので、気付かぬ者はいないでしょう」

(相手にされていないか)

 エラフィーネは軽やかに答えてくる。照れる要素などどこにもないのだろう。

「こうして話すのは久しぶりだ。初めて会った時、君が庭を走り回っていたのを思い出す」
「まあ、殿下。子供の頃は誰しも無茶をするものですわ。おかげで病気ひとつせず健康ですのよ」

 これならばどうかと少々古い話を持ち出したが、エラフィーネはそつなく答えた。
 無茶のレベルが他と違うようだが、それを言ってもエラフィーネはきっと動じない。

「君は随分と美しくなった。周囲の男が黙っていないだろう」
「嬉しい限りですわ。ですが、望まぬ方からのお声など、何の意味がありましょう」

 ならば、誰ならば良いのか、問うても意味はないか。

 エラフィーネが魅力的なのは、令嬢に多い弱々しさや儚さを持ち合わせているかのように見えてそうでもなく、堂々とした佇まいと存在感を持っていても嫌味に見えないからだ。のんびりとした雰囲気な割に度胸があると言うべきか、いい根性をしていると言うべきか。

 他の令嬢とは一線を画する人だ。

(ラファエウがぞっこんなわけだな)

「時間があるのなら茶でも…」
「あら、お兄様! —————エラフィーネ様」
「王女殿下にご挨拶申し上げます。それでは、私はこれで失礼させていただきます」

 タイミング悪く妹が通り掛かってしまった。じっと睨むシャルロットの視線が好意的でないと理解しているかのように、エラフィーネはさっさと去っていく。
 せっかく茶でもと思ったのだが、妹のせいで逃げられてしまった。

「お兄様、あの方と結婚されたらいかが?」
 意地悪く言うのは、ラファエウの話をどこかで耳にしたからだろう。相手のエラフィーネを知っているシャルロットは、不快そうな顔を隠しもしない。

「彼女には他にいい相手がいるだろう」
 その言葉に、シャルロットは大きく眉を逆立てた。




 ラファエウの父親が長い眠りについたと聞いたのは、それから間もない頃だった。

「お兄様! ラファエウ様がご結婚て、本当なの!?」
「どこから聞いた。喪が明けたら内輪で式を行うそうだ。侯爵になるのだから夫人がいた方がラファエウにとっても良いだろう」
「そんな! 早すぎだわ! 男性でしたら、もう少しご結婚は後になるでしょう!?」

 シャルロットは結婚の早さをしつこく言ってくるが、決定は決定だ。侯爵が亡くなってすぐに結婚を決めるとは思わなかったが、若い侯爵のために味方を増やす必要がある。
 家同士の繋がりを考えれば結婚によって伯爵家が侯爵家を補ったと言えた。至って不思議な話ではない。

「おかしいわよ! ラファエウ様だって、私のような王女と結婚した方が良いでしょ!? 私に合う方なんてあの方しかいらっしゃらないのよ!」

 どこからそんな自信が出てくるのか。そもそもデビューを終えてもいないのに、よくそんな台詞が出てくるものだ。呆れて物が言えないが、シャルロットは本気だ。

 第二夫人もその方がありがたいのだろう。娘を次期侯爵に嫁がせるのは都合がいい。息子の第二王子の後ろ盾にもなる。
 だが、侯爵夫人は正妃である母上と懇意にしている。侯爵が倒れた時からエラフィーネをラファエウの相手にと考えていたのは母上も同じだった。今回の結婚が早く決まったのも、母上が後押ししたからかもしれない。

 シャルロットは涙をぼろぼろ流しながら悔しがっている。純粋にラファエウに憧れているため正直に感情を吐露していた。何も考えずにそこまで思い詰めるのも感心するが、第二夫人は別のことを考えているはずだ。




「今日もパーティに連れて来ていないのか?」
 結婚してからエラフィーネを連れていたラファエウが、最近一人でパーティに参加することが増えていた。令嬢方が遠巻きにしてラファエウを気にしているのは、エラフィーネが隣にいないからだろう。

 ラファエウは少しだけ疲れたような顔をしていた。いつも通りの無表情で普段と変わりないと言えば変わりないのだが、時折吐くため息が違いを気付かせる。

「屋敷のことなど、彼女に頼んでいることが多いので」
「侯爵を継いだばかりのお前もかなりの仕事量だろう」
「私は、それほど大したことはありませんが」

 ラファエウの仕事量が多いのは言うまでもない。侯爵が倒れたことで幼い頃からそれなりに学んで来ていただろうが、準備をしていてもいざ亡くなれば現実は厳しいものだ。

 まだ若い侯爵ということで、周囲には態度の横柄な者がいる。高を括っている者も多いだろう。様子見で遠巻きにしている者もいれば、あからさまに媚びてくる者もいた。
 特に王からの信頼もあるラファエウに嫉妬する者は多い。それらの古狸たちを相手にしながら物事を処理しなければならないのだから、疲労が溜まって当然だ。

 ラファエウの疲労を見ればエラフィーネも心配するだろうに。彼女ならば疲れなど気にせずラファエウに付き添うだろうが、ラファエウからしたら彼女に休んでもらいたいのだろう。

「それに、母上が、少々…」
 言葉を濁して言うが、状況は察した。

「お前の母君は厳しい方だからな。エラフィーネを夫人に迎えれば彼女にも厳しくするのは当然だ。無理にパーティに連れるわけにはいかないわけだな」
 だからと言って連れて来ないのも問題になりそうだが。そう言うのはやめた。ラファエウなりに彼女を気遣っているのだから、自分が何か言う必要はないだろう。

 城に寝泊まりすることも増えているほど忙しいのだから、自分の言葉で疲れさせるのも気が引けた。
 そう思っていたのだが、




「お前、ラファエウが参加するパーティを全て調べているのか!?」
「だから何よ!? ラファエウ様、エラフィーネ様と不仲なのよ!? この機会を逃せるわけないじゃない!!」

(まだ諦めていないのか)

 デビューをやっと終えたシャルロットが、秘密裏にラファエウの行動を監視させていた。参加するパーティのリストを手にして満悦のところを気付いたわけだが。

 通りで最近やたらドレスや宝石の購入を増やしていると思った。機嫌が良いのはラファエウとエラフィーネの噂を聞いていたからか。

 パーティにエラフィーネを同行させない。それは政略結婚のせいで不仲だからという噂がまことしやかに囁かれていた。それが事実だと信じて疑わないシャルロットは、パーティに一人で参加するラファエウに会いに行く気なのだ。

「ラファエウは若くして侯爵になったせいで、周囲に負担を強いられているんだ。王女であるお前がそれを増やしに行くな! あいつの足を引っ張りたいのか!?」
「なぜよ! 離婚した方がいいじゃない! ラファエウ様だって、伯爵の娘より、王の娘を選ぶでしょう!!」
「あいつは夫人にぞっこんだ。諦めろ!」
「パーティにだって連れて来ないくせに!?」

 話にならない。自分勝手な思いで相手を破滅させる気か。
 シャルロットに入れ知恵した者もいるだろう。第二夫人を取り巻く勢力も関わっているかもしれない。
 看過できない。エラフィーネのためにもシャルロットを近付けさせない対策が必要だった。

「ラファエウ。女は他に紹介する。連れて行くならその女を連れていけ。問題ない人を紹介してやるから」
「私は一人で問題ありませんが」

 お前はそうだろうが、周囲はそう思っていない。エラフィーネを連れて来られないのならば、代理を任せられる人を探した方が良い。
 一人でいれば必ずシャルロットがしゃしゃり出てくるだろう。常に側にいれば嫌でも噂になる。それくらいならば他の女性を連れた方が安全だ。

「妹に目を付けられている。面倒になるぞ。離婚させられたいのか」

 ラファエウはシャルロットの想いなど知りもしなかったか、少しだけ途方に暮れる顔をした。幼い頃王女との結婚が噂されたことはあったが、ただの噂にしかならず、シャルロットが本気でラファエウを狙っているなど、今の今まで気付いていない顔だった。

 そして、ラファエウは現状エラフィーネと上手くいっていないことを吐露した。仕事の忙しさと侯爵の役目をこなすことに一杯で、エラフィーネとの会話もままならなくなっていると、珍しく弱音を吐く。

 この男がここまで弱っているのを見ると、あながち噂も嘘ではなかったことになる。
 だが、エラフィーネは離婚など望んでいないだろう。興味のない男に嫁ぐ気などないと、断言した女だ。

「それを表に出すなよ。すぐに付け入れられる」
「申し訳ありません。ご助力感謝いたします。殿下」

 ラファエウは了承し、紹介した女性を何度か連れた。立場を弁えてシャルロットの邪魔に立ち向かえそうな女性を。
 シャルロットがラファエウの相手に立候補しないだけでいい。それだけを案じて提案したことが、後で更なる面倒を引き込むとは、その時は思いも寄らなかったが。




「侯爵が夫人を連れているぞ」
「珍しいな。不仲ではなかったのか? 体調でも崩していたのか?」
「母君の看病が続いて、パーティに連れて来られなかったのではないのか?」

 パーティ会場では、ラファエウが久し振りにエラフィーネを連れて来たことを、皆が口々に言い始めていた。

(やっと連れて来られたのか)

 安堵しながらも、少しだけ複雑な感情を持つ。それには気付かないふりをして、二人に声を掛けた。

 相変わらずエラフィーネは美しい。前に会った時より顔色が良かった。エラフィーネはただ久しぶりだと静かに挨拶をする。
 元の関係に戻れたのならばそれでいい。これでシャルロットもラファエウにちょっかいを出すのを諦めるだろう。

 そう思いながら見守っていたところ、ラファエウはエラフィーネがよそに目を配っている時に限り、エラフィーネをぼうっと眺めていた。そして視線がラファエウに注がれると、さっとよそを向いた。

「何やってるんだ、あいつ…」

 結婚してから結婚生活がどんなかを聞いても答えてこなかったが、今見る限り、まるで初恋の人を眺めているだけで幸せなウブな対応しかしていないように思える。

 エスコートをする時もどこか緊張しているか、視線が泳いだ。

「……嘘だろ?」

 ラファエウはエラフィーネに近付く男を牽制しながら、それをエラフィーネに気付かれないように知り合いに挨拶をする。今もエラフィーネに近寄りそうな男を避けるため、方向を変えた。
 それだけ周囲を警戒しながら、なぜかエラフィーネが顔を上げるとその視線から逃げるように別の者に挨拶をする。

(照れているのか? 女性を前に塩対応しかしたことのないあいつが?)

 もしかしなくても、エラフィーネと目を合わせられないようだ。

 吹き出しそうになる。いや、つい吹き出してしまった。これは後でからかわねばならない。
 だが、ラファエウはエラフィーネを一人にすると、人混みの中を進んだ。視線の先はとある貴族だ。最近ラファエウに調べさせていた者ではなかったが…。

「おい、ラファエウに付いていけ。何かに気付いたみたいだ」

 近くにいた部下に知らせてラファエウを追わせる。パーティの中仕事をするあたり、さすがに真面目な男だ。こんな時くらい誰かに任せれば良いものを。だがラファエウはそんな真似は絶対にしないだろう。

 そのせいでエラフィーネが一人になる。周囲の男たちは彼女を一人にすべきではないと思うだろう。じりじりと近付く輩が増えていた。




「ラファエウはどうした」
 報告を聞くために部屋に行こうとすると、ラファエウは途中で面倒な者に捕まっていた。

 妹である。

「シャルロット様がお声を掛けられ、足止めを食らっています」
 どうやらシャルロットの前にも別の者に声を掛けられ、報告するために戻ることができなくなっていたようだ。それなりの相手ならば捨て置けるだろうが、ラファエウより高位の相手ではそうはいかない。

 しかもシャルロットはしつこくラファエウに付き纏おうとしている。

「いつも一緒にいらっしゃらないではないですか。それなのに、私とのダンスは出来ぬとおっしゃるの!?」
「申し訳ありません。それに、これから殿下にお伝えしなければならないことがありますので」

 ダンスが踊りたいと駄々を捏ねているようだが、ラファエウは報告を先に済ましたいとシャルロットに断りを入れている。シャルロットはそれが嘘の断りだと思っているのだろう。引き下がろうとしない。

 相手にされていないことに、いい加減気付けばいいものを。シャルロットは未練がましく大声を上げた。

「私を馬鹿にしていらっしゃるの!?」
「ラファエウ! 何をしている。報告はまだか!」
「申し訳ありません、殿下! 王女殿下。失礼させていただきます」

 シャルロットの言い合いに割ってラファエウを呼ぶと、後ろでシャルロットはひどい形相をしてこちらを睨み付けていた。


「申し訳ありません。ご報告を…」
「それは別の者から聞く。あいつがお前の邪魔をしたのは偶然か?」
「おそらく、誘導された可能性があります」
「分かった。夫人のところへ行け。お前が戻らないから他の男とダンスをしていたぞ」

 言うとラファエウは急ぎ足でダンスホールへ戻っていった。

 全く手が掛かる。だが、今日のパーティはおかしな動きをしている者が参加しているようだ。ラファエウの真面目さのおかげでそれが分かるかもしれない。

「エラフィーネには詫びの一つでもしなければならないな…」




「お兄様! 一体なぜ、私の邪魔をするのよ!!」

 状況を分かっていないシャルロットが、親の仇でも討つかのような形相をして人の部屋にやって来た。剣呑な顔付きが護衛をも動かすほどだ。
 さっと手を振って警戒した皆を外へ出す。

「ラファエウは仕事中だった。お前はあいつの邪魔をしたんだ。それが分からないか?」
「エラフィーネとパーティに参加していただけじゃない!!」

 とうとう侯爵夫人を呼び捨てにしてきた。
 こいつはここまで激情的だったか。周囲の者が甘やかしすぎだ。第二夫人はシャルロットにあまり愛情がなく好きにさせているところはあったが、我が儘に育てた結果がこれだ。

「お兄様だって、あの人のこと好きなんでしょ!」
 さすがに兄妹か。余計なことを口にしてくる。

「お前の他に誰がいた。ラファエウの邪魔をしたのはどいつだ」
「邪魔なんてしていないわ! 先にゴドルフィン侯爵が話していらしたのよ。私はゴドルフィン侯爵に呼ばれてあそこに行っただけだもの!」

 面倒な名前がもう一人出てきた。王の側近だ。母上ではなく第二夫人派で、第二王子を推している男である。そこでシャルロットが呼ばれたのならば、間違いなく第二夫人の差金だろう。

 ラファエウには第二夫人に関する調査をさせていた。パーティで追ったのも第二夫人と懇意にしている可能性のある者だった。妙に周囲を見回してホールを出て行ったのに気付き、ラファエウはその男の跡を追ったのだ。

 それに気付かれたのだろう。ゴドルフィン侯爵がその行く手を邪魔し、シャルロットを呼んだのだ。

 恋は盲目とはよく言ったものだ。それで思う相手に迷惑を掛けていれば世話がない。

「お前はもうラファエウに関わるな。あいつの邪魔にしかならない」
 勘違いをした嫉妬深さ。碌なものではない。シャルロットは顔を真っ赤にして部屋を飛び出していった。




「おい、暗いぞ」
「私のことでしょうか?」

 報告があると言って、ラファエウは重い空気を背負ったまま、謁見を待っていた。待つ間、いつも以上の集中力を発揮しながら書類を捌き続けていた。待つ間である。待つ間まで書類仕事をするのは構わないが、その鬼気迫る雰囲気は、絶対何かあったやつだ。
 謁見を許しじっとり見続けると、ラファエウは観念したかのようにぽつぽつ話し始めた。

「つまり、夫人と買い物中に、前にパーティに同伴した令嬢が現れて、夫人はさっさとお前を置いて行ってしまったと」
「その通りです」
「その後、追わなかったのか?」
「追うつもりでしたが、令嬢の誘いを断った後に、公爵の使いが偶然現れました」
「公爵?」
「王弟です」

 その公爵は父親の弟。つまり私の叔父である。それがなぜラファエウに使いをやるのか。

「急用だからと呼ばれ、そのまま参りましたところ、前に治めた貴族同士の争いについてお褒めの言葉をいただいたり…、その意味のない会話が続いた後に第二夫人と王女がいらっしゃいました」

 ため息しか出ない。とうとう第二夫人は王弟まで仲間に抱き込んだか。確かに第二夫人の力が増えているのは分かっていたが、王の側近だけでなく王弟まで取り込むとは。
 それらがラファエウをシャルロットの相手として推すのならば問題だ。

「お前は、難儀だな…」
「若いため使い勝手が良いと思われているのでしょう。しかしそれでも、最近は手が強引のように思えます」
「夫人と不仲と思っていたらパーティに参加したので、焦ってきたのではないのか。そもそも街で出会った令嬢も本当に偶然だったのか? そこが既に謀られていたのではないのか?」
「そうかもしれません」

 王弟や第二夫人から夕食の誘いもあり、断ることもできずに食事をして帰れば、屋敷の者たちに総スカンを食らったそうだ。不幸すぎて慰めの言葉も出てこない。

「お前、本当に振られるぞ」

 ラファエウはぐっと唇を噛み締めた。エラフィーネに気を遣おうと考えながら、それが全て裏目に出ている。その上エラフィーネへの対応が夫としてヘタレすぎていた。

「わ、分かっています! ですが、彼女の前ではどうにも…」

 いつもの塩対応はどうしたと突っ込みたいが、女性と意識できるのがエラフィーネだけである。ごにょごにょ言い出す姿が子供のようで、これほど情けない姿は見たことがない。

「第二夫人はやはり何とかしなければならないだろうな。集まっている者たちも怪しくなってきた。王弟まで引き入れるとなると、本気で第二王子を推す気か」
「その可能性は十分にあると思われます。ご命令あればもう少し詳しく調査します。私もこれ以上妻を蔑ろにしたくないので」

「別れて良いぞ」
「別れませんから」
「今一番怪しいくせに何を言っている」

 ラファエウが喉を詰まらせる。再び暗い雰囲気を纏うのでうっとうしい。

 シャルロットを避けるために女性を紹介したのが間違っていたか。問題ない者を会わせたつもりが、女性ならば誰でもいいという思考になるとは思いもしないだろう。
 そもそもシャルロットの茶会に呼んだのが悪かっただろうか。

「息の根を止めたいから、もう少し楽しそうな者を探してきてくれ」
「承知しました」

 エラフィーネに関わるポンコツぶり以外は優秀な男だ。第二夫人が犯そうとする罪の一つや二つ、それに関わる者を頑張って探してきてくれるだろう。第二夫人の周辺は不穏に満ちている。



 ラファエウは許しがあればしばらく屋敷で仕事をしたいと申し出てきた。
 何とかエラフィーネとの関係を修復したいと考えているようだ。

 どうせ屋敷にいてもまともに声を掛けられず悶々とすることだろう。
 それを放置するエラフィーネはわざとのようにも思えるが、まあ勝手にするが良い。

(私にもあれほど愛せる女性がいればいいがな)

 今日こそはと急いで帰るラファエウを眺めながら、それを羨ましくも思った。

 その後の顛末は、推して知るべし。
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