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31−2 心づもり

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 こうなるとわかっていたから、自分の物は片付けておいた。ドレスや宝飾品など多くを贈ってもらったが、偽りの妻のため、それらはすべて残してきた。自分が持って帰る物などたかが知れている。物に固執するような人間ではないので、神殿から持ってきた薬草を作る道具くらいしかない。

 もらった庭園は誰でも手入れができるだろうし、与えられたテラスの植物も、庭師がそのまま世話をできるだろう。
 だから、実質、持って帰る物などほとんどなかった。

「離婚を早めたいのでしょう!? すぐに出てけって言われてもいいように、ちゃんと用意してきましたから。大丈夫ですよ! ここにきて楽しかったですし。良い思い出になりました」
 きっぱり言いやると、カリスは口を開きっぱなしにして、呆然とした。そしてすぐに、顔が真っ青になる。

「ち、違う! 私は! ああ。どうか、私の話を聞いてほしい」
「違うの?」

 カリスは何度か首を振って、頭を押さえて、青白い顔をしたまま立ち上がる。どこか座れる場所に行こうと言って。

 この話でなければ、話したいことなど、なにについてだと言うのだろう。カリスの表情は暗く、先ほどまでの笑顔は隠れてしまった。落ち着ける場所を見つけるとエヴリーヌだけを座らせて、カリスはもう一度地面に膝を突いて、覚悟を決めたように顔を上げた。

「私は子供の頃、魔物に襲われ、森の中を一人逃げたことがあるんだ」

 話し始めたのは、古い話。
 幼い頃、一人になって森をさまよい、魔物に襲われそうになった。森の中で迷子になり、精魂疲れ果てた時、少女に助けられた。ただそれだけの、幼い聖女との出会い。

 その後、成長したカリスは公爵の後継者として見られながら成長していく。けれど、周りに集まる女性たちは、カリスの心を苦しませるほど身勝手な真似をし続けてきた。そして、カリスにとって女性は忌むべき存在になってしまったのだ。

 しかし、公爵子息として結婚しなければならない時が来る。それならば、あの時の少女がいい。貴族だと気づいても特別扱いをしない、礼を欲しがることもない。幼い記憶でも、近寄ってくる女性たちとは違うはずだから。
 だから、結婚するならばあの少女であればと考えていた。けれど、それがエヴリーヌだったのだ。

「謝らせてほしい。あなたを妻として認めなかったことを」
 真剣な面持ちでそう言われて、面食らった。

 幼い頃? 聖女のアティを見て惚れたのではないのか?
(アティに会って、一目惚れしちゃって、ずっと想っていたから、結婚したくなかったんじゃないの?)
 それに、

「ちょ、ちょっと、待って。カリス? あれが、カリス!?」

 幼い頃も幼い頃。あれは何歳の頃の話だ? シモンの父親に監禁されて、貴族が怖くなって総神殿に引き籠ってから、癒しを求めて動物たちと一緒にいたあの頃。魔物に襲われそうになって、座り込んでいた金髪の男の子を助けた。

(かわいらしい子だったのは覚えている。でも、あれが、カリス??)

 正直なところ、助けた男の子の顔ははっきり覚えていない。当然だと思う。なにせあの時エヴリーヌは六、七歳とか、それくらいだったような気がする。カリスも十歳に満たない年だったのではなかろうか。

 あの、たった一度だけ。あの時のことで、聖女がいいと言っていたのか? しかも、金髪だと勘違いをしてアティだと思っていた。

「あ、呆れていいですか?」
 ついぽろりと口に出た言葉に、カリスががくりと肩を下ろした。

(あ、失言だった)
 だが、呆れていいだろう。あの一瞬の話で、あの時の少女ならばいいと、普通思うか?

(嫌だったことははっきり覚えているから、そんな感じ? 私もあの時のシモンの父親の顔はよく覚えているもの)

 よくそんな古い記憶で結婚するならその子がいいと思い詰められるものだが、それよりもどれだけのことをされたら、そんな幼い頃の記憶を求めてまで、他の女性を嫌がるのだろう。

「そんな風に思い込むまで、女性たちになにをされたの?」
 問うとカリスは息を止めるように静止した。ふいと横を向く辺り、口にできないようなことをされたようだ。女性不審になった理由があるとして、エヴリーヌはそんな扱いを受けなかったが。そこは聖女だから許されたのだろうか。

 覚悟を決めて話を聞きに来たのに、そんな話をされるとは思わなかった。あの時のエヴリーヌをアティと勘違いをし、アティならば結婚してもいいと思ったとは。

「同情するって言い方は良くないと思うけど、それくらい思い詰めたってことよね」
「馬鹿にしてくれて構わない。実際そうだと思うから」

 さすがに馬鹿にはしない。カリスにとってそれほどのことだったのだろう。パーティで睨んでくる女性たちを考えれば、度を過ぎた好意を向けられて嫌気がさすのかもしれない。なまじ真面目だから、女性たちを退けるのも下手そうだ。女性たちが苦手になったとはいえ、幼い時の記憶が補正されすぎな気もするが。

(アティも結構すごいことされていたけれど、よく男嫌いにならなかったわよね。あとで愚痴るついでに呪ってたけど)

「聖騎士になったのは、アティのためだったの?」
「それは、違う!」

 カリスが顔を真っ赤にして反論した。違うのか? 聖女を探すために聖騎士になったのではないのか? しかし、カリスは慌てるようにして首を振った。

「その頃は、そこまで女性たちがひどかったわけではなく。いや、ひどかったが、もっとひどくなったのが聖騎士になってからで。いや、そうではなくて!」
「落ち着いて。女性たちがひどかったのはわかったから」
「聖騎士になったのは、王太子の要請だ! その頃から、都の神殿の金回りを懸念していたことがあり、抑止力に聖騎士になれと命令されて、調査もさせられて」
「そうなの? そんな頃から計画していたのね」

 しかし、近寄りがたい公爵子息から聖騎士になり、そのせいで女性たちの接近を増やしてしまったようだ。だが、アティに会えると喜んでいたのではと、疑いのまなこを向ける。

「き、たいは、していた、が」
「そうよねえ」
「都で聖騎士になっても、聖女アティには会うことはほとんどない。私は神殿に住んでいるわけではなかったから」
「なるほどお」
「信じていないな」

 あはは。と空笑いしておく。都の神殿に行くのに、アティは地方の聖騎士を伴っていた。都に訪れても都の神殿の聖騎士は近寄れなかったのだろうか。遠目から見る程度だったのか。謎だ。泊まりで神殿に入らない限り、近くで話すこともできないというのはわかる気がする。アティは聖騎士にも興味がない。身分が低いからだ。まさか、公爵子息が聖騎士になっているとは思わないだろう。

(アティが知っていれば、カリスに近づいていたかもね)
 そうなっていたら、カリスはアティに助けられたことについて礼を言っていただろう。その時に事実を知ったかもしれない。アティがあの時の少女ではないと。

 むしろ、アティだと思っていたらエヴリーヌだったことに落胆したのではないだろうか。
 だから、わざわざそんな風にもったいぶって話そうと思ったのか。

 二年の契約を短くしようという話ではないことに、安堵している自分もいるが。

「じゃあ、二年はそのままってことね」
「そうではない! エヴリーヌ。そうではなくて、」

 そうではなかったら、なんの話なのか。女性が苦手ならば、夫として行動するのが苦痛ということか? よくわからず眉をひそめると、カリスはエヴリーヌの両手に触れ、意を決したようにエヴリーヌを見つめた。

「怒りが湧いても仕方がないと思う。断られても当然だとも。けれど、伝えておきたい。二年で離婚としたが、改めさせてほしい。過去の話とは関わりなく、私は君に惹かれていた。夫として接していくうちに、いつの間にか本当に君に惹かれていたんだ。言い訳がましいが、あの時の少女であると気づく前に、君への気持ちを持っていた」
 カリスは握りしめた手に力を入れる。

「すぐに答えを出してくれとは言わない。ゆっくり考えてほしい。呆れられるのはわかっているし、嫌悪されるとも思っている。だから、私は君に愛される努力をしたい。それを伝えたかったんだ」

 カリスはそう言って立ち上がると、ぎこちなく小さな笑みを見せた。
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