29 / 73
17 アティの悩みについて
しおりを挟む
フレデリクの屋敷に足を踏み入れるのは久しぶりだった。
幼馴染でもあり、年が近いこともあって、兄弟のように育った相手。よくブラシェーロ公爵家で剣の相手をしあった。二つ年上のフレデリクは体格も良く、幼い頃はまったくと言ってもいいほど勝てなかった。
「相変わらず、図体がでかいな」
「カリス、お前は会うたびそれしか言えないのか?」
実際に一回りくらい大きくなっていないか? 喉元までその言葉が出そうになって、隣にいた聖女アティを前に呑み込んだ。夫の悪口を言われていると感じたら、気分が悪いだろう。
長い金髪が肩から流れて、まるで金糸のように美しかった。琥珀色の瞳はこちらをとらえ、口元を綻ばす。
幼い頃、彼女に助けられたと思っていた。面影はないとは思ったが、年の近い金髪の聖女が彼女しかいなかったため、そこまで気にしなかった。なにせゆうに十年以上前の話だ。幼い頃の記憶なので、正確に記憶していない。
(一度会っただけだからな)
それでも、あの少女だけが心の中に残った。緩やかなウェーブのある金髪。花が咲いたような金の瞳。暗がりで会った、愛らしい救世主。
探して、諦めそうになって、やっと見つけたと思ったのに、その人は別人で、本物はどこかに隠れたまま。今では探すこともできない。
(助けられた時に、探していれば)
王の許可を得て神殿の聖女たちを調べたが、金髪かどうかを調べる術がなかった。聖女の登録は十四歳からで、それより下の年は記されていない。リストを手に入れても、名前だけ見てどうにかなるものではなかった。
当時の人たちに聞ければいいのだが、詳しく聞くのに、エヴリーヌでは気が引けた。
「それでは、ゆっくりなさっていってください」
聖女アティが布の擦れる音を出しながら去っていく。背中を向けた聖女は、記憶の中の聖女とは別人だった。衝撃的な事実だったのに、どこか安堵している自分がいた。
「それで、どうかしたか?」
「つま、から、」
「あ?」
「ゴホン。妻から、夫人の悩みについて聞いたんだ。茶会に元婚約者が現れて、面倒があったと」
「アティが? 茶会? ああ、あの日か」
思い出すことがあったか、フレデリクは苦虫を潰したような顔をして、頭をかいた。
茶会から帰ってきた聖女が、いつもより顔色が悪く、気になっていたそうだ。いつも笑顔を絶やさないのに、どこかぎこちない笑いをしていたのを不思議に思い、招待客を調べさせるように伝えていたところだった。
「あの女が参加していたとはな。まったく、どこまでもしつこい。情報を表に出さなかったために、好き勝手するとは。なめられたものだな」
フレデリクは強面にすごんだ。なまじ体格があるので迫力がある。この顔で迫られたら女性は恐怖でうちひしがれるだろう。下手をした令嬢が悪いわけだが、睨まれるのはその両親もだ。今後、表舞台には出られなくなる。
「未だ手紙が届いて、困っているところだったんだ。妻には話したんだが、そんなことがあったとは思いもしなかった」
元婚約者のことは話していたのか。
あまり気にしていない風だったのだが、気にしていたのかもしれない。と落胆を見せる。
「大切にしているんだな」
「お前は違うのか?」
問われて、息が詰まりそうになった。フレデリクが怪訝な顔をしてくる。
「聖女エヴリーヌは性格でも悪いのか?」
「そんなことはない!」
「ならば、なにが気に食わないんだ?」
「気にくわないことなどない」
「だが、大切にできないんだろう?」
本質を迫られて、言葉が出なかった。
大切にしたくとも、大切にできないと言ってしまった。妻になる予定の女性に、共に生きることはできないのだと。
「お前が女を理解できないのは仕方がないと思うが」
「そんなんじゃない。エヴリーヌは素敵な女性だ。私にはもったいないほどの」
「ふうん。なにに引っ掛かっているか知らんが、今までお前の周りにいた女にそんな言葉は出なかったから、お前は彼女を認めているのだろう? 聖女エヴリーヌは民に公平な子爵令嬢だと聞いている。都嫌いなところがあるらしいから、むしろ彼女の方が公爵家を望んでいないのか?」
「それは、わからないが。……エングブロウ侯爵子息が、付きまとってはいる」
「シモン・エングブロウ? また面倒なのに付きまとわれているな。エングブロウ侯爵の命令か?」
「本人がエヴリーヌを好いている。あれは、命令で来ているわけではないだろう」
「恋人だったのか?」
「違う!」
つい大声を出すと、フレデリクは笑い出した。嫉妬するなよ。と。
(そんなことではない。いや、これは嫉妬なのか?)
「公爵家まで押しかけてくるのか?」
「神殿に押しかけてくるんだ」
「聖女は神殿に行くふりをして、シモンと会っているのか?」
「違う! 忙しいだけだ!」
「怒鳴らなくていい。恋人との逢瀬に神殿を使っているのではないなら、やはり、公爵家が嫌なのか?」
言われて、そうかもしれないと思い直す。結婚してからというもの、ほとんど神殿に通い詰めだ。聖女の仕事をしなければならないのはわかっているが、他の聖女がいるのに、エヴリーヌは呼ばれすぎだった。それほどの能力者なのは間違いないが、ここまで公爵家を空けるとは思っていなかった。
「忙しいのは確かだ。総神殿の周囲だけでなく、他の神殿からも呼ばれる。聖騎士の討伐に同行するからだ。その討伐も、危険な状況の時ばかり」
「大聖女再来と言われている聖女だろう。それは当然ではないか。公爵家を空けてばかりでも仕方がないな。アティは都の神殿に呼ばれてばかりだ。これは王の指示なのだから、避けることはできない。妻が側にいなくて寂しいわけではないのだろう? 神殿まで追いかけているのだから。それで、大切にできないと?」
「危険が伴うとわかっているから、昔聖騎士だったこともあって、彼女の手伝いをしたいだけだ。王にも許可をとっている。大切にできないのは、そういったことではなくて」
「お前は深く考えすぎなんだ」
フレデリクは呆れ声を出す。それだけ追いかけていて、なにを言っているのかと。
そうではない。離婚を前提にした関係だからだ。
そんなこと、口にできない。
(なんて、卑怯な真似をしたのだろう)
幼馴染でもあり、年が近いこともあって、兄弟のように育った相手。よくブラシェーロ公爵家で剣の相手をしあった。二つ年上のフレデリクは体格も良く、幼い頃はまったくと言ってもいいほど勝てなかった。
「相変わらず、図体がでかいな」
「カリス、お前は会うたびそれしか言えないのか?」
実際に一回りくらい大きくなっていないか? 喉元までその言葉が出そうになって、隣にいた聖女アティを前に呑み込んだ。夫の悪口を言われていると感じたら、気分が悪いだろう。
長い金髪が肩から流れて、まるで金糸のように美しかった。琥珀色の瞳はこちらをとらえ、口元を綻ばす。
幼い頃、彼女に助けられたと思っていた。面影はないとは思ったが、年の近い金髪の聖女が彼女しかいなかったため、そこまで気にしなかった。なにせゆうに十年以上前の話だ。幼い頃の記憶なので、正確に記憶していない。
(一度会っただけだからな)
それでも、あの少女だけが心の中に残った。緩やかなウェーブのある金髪。花が咲いたような金の瞳。暗がりで会った、愛らしい救世主。
探して、諦めそうになって、やっと見つけたと思ったのに、その人は別人で、本物はどこかに隠れたまま。今では探すこともできない。
(助けられた時に、探していれば)
王の許可を得て神殿の聖女たちを調べたが、金髪かどうかを調べる術がなかった。聖女の登録は十四歳からで、それより下の年は記されていない。リストを手に入れても、名前だけ見てどうにかなるものではなかった。
当時の人たちに聞ければいいのだが、詳しく聞くのに、エヴリーヌでは気が引けた。
「それでは、ゆっくりなさっていってください」
聖女アティが布の擦れる音を出しながら去っていく。背中を向けた聖女は、記憶の中の聖女とは別人だった。衝撃的な事実だったのに、どこか安堵している自分がいた。
「それで、どうかしたか?」
「つま、から、」
「あ?」
「ゴホン。妻から、夫人の悩みについて聞いたんだ。茶会に元婚約者が現れて、面倒があったと」
「アティが? 茶会? ああ、あの日か」
思い出すことがあったか、フレデリクは苦虫を潰したような顔をして、頭をかいた。
茶会から帰ってきた聖女が、いつもより顔色が悪く、気になっていたそうだ。いつも笑顔を絶やさないのに、どこかぎこちない笑いをしていたのを不思議に思い、招待客を調べさせるように伝えていたところだった。
「あの女が参加していたとはな。まったく、どこまでもしつこい。情報を表に出さなかったために、好き勝手するとは。なめられたものだな」
フレデリクは強面にすごんだ。なまじ体格があるので迫力がある。この顔で迫られたら女性は恐怖でうちひしがれるだろう。下手をした令嬢が悪いわけだが、睨まれるのはその両親もだ。今後、表舞台には出られなくなる。
「未だ手紙が届いて、困っているところだったんだ。妻には話したんだが、そんなことがあったとは思いもしなかった」
元婚約者のことは話していたのか。
あまり気にしていない風だったのだが、気にしていたのかもしれない。と落胆を見せる。
「大切にしているんだな」
「お前は違うのか?」
問われて、息が詰まりそうになった。フレデリクが怪訝な顔をしてくる。
「聖女エヴリーヌは性格でも悪いのか?」
「そんなことはない!」
「ならば、なにが気に食わないんだ?」
「気にくわないことなどない」
「だが、大切にできないんだろう?」
本質を迫られて、言葉が出なかった。
大切にしたくとも、大切にできないと言ってしまった。妻になる予定の女性に、共に生きることはできないのだと。
「お前が女を理解できないのは仕方がないと思うが」
「そんなんじゃない。エヴリーヌは素敵な女性だ。私にはもったいないほどの」
「ふうん。なにに引っ掛かっているか知らんが、今までお前の周りにいた女にそんな言葉は出なかったから、お前は彼女を認めているのだろう? 聖女エヴリーヌは民に公平な子爵令嬢だと聞いている。都嫌いなところがあるらしいから、むしろ彼女の方が公爵家を望んでいないのか?」
「それは、わからないが。……エングブロウ侯爵子息が、付きまとってはいる」
「シモン・エングブロウ? また面倒なのに付きまとわれているな。エングブロウ侯爵の命令か?」
「本人がエヴリーヌを好いている。あれは、命令で来ているわけではないだろう」
「恋人だったのか?」
「違う!」
つい大声を出すと、フレデリクは笑い出した。嫉妬するなよ。と。
(そんなことではない。いや、これは嫉妬なのか?)
「公爵家まで押しかけてくるのか?」
「神殿に押しかけてくるんだ」
「聖女は神殿に行くふりをして、シモンと会っているのか?」
「違う! 忙しいだけだ!」
「怒鳴らなくていい。恋人との逢瀬に神殿を使っているのではないなら、やはり、公爵家が嫌なのか?」
言われて、そうかもしれないと思い直す。結婚してからというもの、ほとんど神殿に通い詰めだ。聖女の仕事をしなければならないのはわかっているが、他の聖女がいるのに、エヴリーヌは呼ばれすぎだった。それほどの能力者なのは間違いないが、ここまで公爵家を空けるとは思っていなかった。
「忙しいのは確かだ。総神殿の周囲だけでなく、他の神殿からも呼ばれる。聖騎士の討伐に同行するからだ。その討伐も、危険な状況の時ばかり」
「大聖女再来と言われている聖女だろう。それは当然ではないか。公爵家を空けてばかりでも仕方がないな。アティは都の神殿に呼ばれてばかりだ。これは王の指示なのだから、避けることはできない。妻が側にいなくて寂しいわけではないのだろう? 神殿まで追いかけているのだから。それで、大切にできないと?」
「危険が伴うとわかっているから、昔聖騎士だったこともあって、彼女の手伝いをしたいだけだ。王にも許可をとっている。大切にできないのは、そういったことではなくて」
「お前は深く考えすぎなんだ」
フレデリクは呆れ声を出す。それだけ追いかけていて、なにを言っているのかと。
そうではない。離婚を前提にした関係だからだ。
そんなこと、口にできない。
(なんて、卑怯な真似をしたのだろう)
972
お気に入りに追加
2,376
あなたにおすすめの小説
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
あの子を好きな旦那様
はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」
目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。
※小説家になろうサイト様に掲載してあります。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
彼を追いかける事に疲れたので、諦める事にしました
Karamimi
恋愛
貴族学院2年、伯爵令嬢のアンリには、大好きな人がいる。それは1学年上の侯爵令息、エディソン様だ。そんな彼に振り向いて欲しくて、必死に努力してきたけれど、一向に振り向いてくれない。
どれどころか、最近では迷惑そうにあしらわれる始末。さらに同じ侯爵令嬢、ネリア様との婚約も、近々結ぶとの噂も…
これはもうダメね、ここらが潮時なのかもしれない…
そんな思いから彼を諦める事を決意したのだが…
5万文字ちょっとの短めのお話で、テンポも早めです。
よろしくお願いしますm(__)m
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
【完結】側妃は愛されるのをやめました
なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」
私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。
なのに……彼は。
「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」
私のため。
そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。
このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?
否。
そのような恥を晒す気は無い。
「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」
側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。
今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。
「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」
これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。
華々しく、私の人生を謳歌しよう。
全ては、廃妃となるために。
◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです!
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる