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11−2 カリス
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「カリス。ここで野宿だけれど、大丈夫? テントは持ってきているの?」
「エヴリーヌ。こちらは大丈夫だ。それより君は、休憩小屋があるそうだが」
「毎年山道に結界を張るから、立ち寄れる建物があるの。近くには温泉もあるのよ」
「そういえば、微かに気になる香りが」
「聖女が入り終えたら、聖騎士たちも入れるのだけれど、……もし気にならないようならば、体を癒すためにも温泉に浸かるといいわ」
「そうさせてもらう。お前たち、聖騎士たちの邪魔にならないように、浸かりたい者は浸かるといい」
おそらく、泉が近くにあるのだろう。戦い中、微かに鼻に突く匂いを感じていた。魔物の多い場所には温泉も多いので、神殿の者は疲労回復に利用することが多い。
しかし、騎士たちはお互いの顔を見合わせて、遠慮の声を出した。
「いえ、俺たちは、なあ」
「遠慮しておきます」
「こんなところで臭い水に浸かるなんて」
反応はまちまちだが、せっかくエヴリーヌが勧めたのだから、試してみれば良いものを。
「無理に入らなくて大丈夫よ。あちらに温泉の混ざらない川があるから、体を拭くなりすればいいと思うわ。水を汲むから、入るなら下流でお願いね」
「承知しました!」
温泉より川の水が良いと、騎士たちは頷く。臭い水より、清流の方が良いのはわかるが、まったく効能が違うのに。
エングブロウ卿も遠慮して、川へ向かっていった。
「私は、後ほど入らせてもらう」
「無理に勧めちゃったかしら。聖女たちが入る前に案内するわ。こっちにあるのよ」
「そこまで匂いは感じないんだが」
「ここの温泉は、硫黄臭はそこまでしないのよ。他の人には言わない方が良かったかしら。貴族は外のお湯を嫌がるから」
「無知なだけだ。食わず嫌いのようなものだから。血も浴びているし、夜は冷える。温まれる方がいい」
「カリスは入ったことがあるんだものね。貴族が温泉に入るなんて、珍しいでしょう?」
「幼い頃、入る機会があったんだ」
エヴリーヌが珍しく興味津々と質問をしてきた。普段、カリスのことについて聞くことなどないのに。
それが、なぜか嬉しく感じた。たいしたことのない問いでも、自分に興味を持ってくれたような気がして。
「夜になったら足元に気をつけてね。魔物が来ないように結界が張ってあるから、安心して入るといいわ。私たちはそこから近くの休憩所で休むんだけれど、夜中の火は泉の近くに灯さないから。それと、」
エヴリーヌは言いながら、そろりとカリスの手を取った。温もりが手の中に入り、一瞬強張りそうになる。しかし、温かなものが体の中を通り抜け、痛んでいた手の甲から違和感が消えた。
「あ、ありがとう」
「小さな傷でも治さないとね。薬、ありがとう。あれって肌もすべすべになるのねえ。美容のクリームなんて、自作の物しか使ったことなかったから、感激だったわ」
怪我に気づかれていたのか。エヴリーヌは癒しをかけてくれたのだ。疲労も抜けて、足も軽くなる。
エヴリーヌは微笑む。傷は綺麗に消えたのだと、手を出して見せてくれる。
心や優しき清い心と、澄んだ笑顔。聖女と呼ばれるにふさわしい。
そう思った途端、エヴリーヌの笑顔を見て、なぜか急に恥ずかしくなった。
「はあ。なにをしているんだ。自分は」
夜も更けて聖女たちが寝静まった頃、案内をもらった露天風呂に足を伸ばした。
月が隠れてよく見えないが、触れればジンと痺れるような温かい温度だった。物陰で上半身裸になって入れば、こびりついた血や匂いが流れるように消えていく。
エヴリーヌは討伐を先導する聖騎士と行動を共にすることが多く、血の匂いにも慣れていた。しかし、彼女の前でそんな匂いを付けていたくなかった。川で洗うより、湯で洗った方がよほど匂いがなくなるのだから、温泉の方がいいだろう。
貴族たちが露天風呂を嫌うのは知っている。エヴリーヌも貴族たちの忌避感があるのをわかっているから、強く勧めてこなかった。
思慮深い女性だ。
エヴリーヌは本物の聖女だ。都の神殿で会った聖女たちは、能力が低いだけでなく、都に慣れて擦れた心を持つ者が多く、聖騎士にすり寄って欲心を持って接する者が多かった。
あのような聖女たちとはまったく違う。聖女の誇りを持っている人だ。
「あれほどの方なら、すぐに誰かと一緒になれるはず」
離婚した後、彼女ならば相手になる男は数多といるだろう。子爵令嬢というだけでなく、大聖女と呼ばれるほどの能力を持っている。聖騎士の一人は彼女を心から信頼しているのがわかった。親しいだけではなく、仕事仲間として信じている。
ビセンテ。平民だが聖騎士になって男爵の地位を得た。聖騎士と聖女の結婚はよくある話だ。
「いや、エヴリーヌならば、もっと身分の高い男に」
すぐに別の男の顔が頭に浮かぶ。その顔をはっきりと思い出して、水面を叩きつけた。無性に腹が立ったからだ。
「くそ。なんで苛つくんだ」
シモン・エングブロウ侯爵子息。父親のエングブロウ侯爵は噂のよくない男で、その息子は陰に隠れて、能力は知られていない。女性に人気で、婚約者候補として名を上げられることは多いと聞くが、未だ婚約者はおらず、恋人もいないとか。女性に囲まれてばかりのパーティではそんな雰囲気はないが、不特定多数の女性といるだけで、個人的に会っている女性はいなさそうだった。
それなのに、エヴリーヌの側で、やたら見ている気がする。
いつも笑顔のエングブロウ卿。剣や魔法の腕があるとは知らなかった。悪目立ちする侯爵の後ろで能力を隠していたのかもしれない。それなのに、どうしてエヴリーヌの周りをうろつくのか。本当に恋人同士なのか? エヴリーヌは親しい雰囲気ではなかったが。
それならば、ビセンテの方が余程親しいだろう。ビセンテはエヴリーヌを愛称で呼ぶ。
「エヴリー」
呟いて、なぜか急激に恥ずかしくなってきた。
温泉のせいか顔が熱くなる。これ以上浸かっていたらのぼせそうだ。上がって岩場に腰掛けて、体に風をあてる。
このところ、妙に心が騒がしいのだ。落ち着かず、仕事に集中できない。実のところ、まだ仕事が終わっていないのに、放り出してここまで来てしまっていた。残りの仕事を押し付けてやって来たのだ。そこまでしてここまで来ているのに。
「エヴリーヌの邪魔になっていなければいいのだが」
風が流れて、雲間から月がのぞいた。月明かりに照らされた泉は湯気に混じって青白く見える。
「美しいな」
子供の頃、ここに似たような場所で、少女に助けられたことがあった。
「エヴリーヌ。こちらは大丈夫だ。それより君は、休憩小屋があるそうだが」
「毎年山道に結界を張るから、立ち寄れる建物があるの。近くには温泉もあるのよ」
「そういえば、微かに気になる香りが」
「聖女が入り終えたら、聖騎士たちも入れるのだけれど、……もし気にならないようならば、体を癒すためにも温泉に浸かるといいわ」
「そうさせてもらう。お前たち、聖騎士たちの邪魔にならないように、浸かりたい者は浸かるといい」
おそらく、泉が近くにあるのだろう。戦い中、微かに鼻に突く匂いを感じていた。魔物の多い場所には温泉も多いので、神殿の者は疲労回復に利用することが多い。
しかし、騎士たちはお互いの顔を見合わせて、遠慮の声を出した。
「いえ、俺たちは、なあ」
「遠慮しておきます」
「こんなところで臭い水に浸かるなんて」
反応はまちまちだが、せっかくエヴリーヌが勧めたのだから、試してみれば良いものを。
「無理に入らなくて大丈夫よ。あちらに温泉の混ざらない川があるから、体を拭くなりすればいいと思うわ。水を汲むから、入るなら下流でお願いね」
「承知しました!」
温泉より川の水が良いと、騎士たちは頷く。臭い水より、清流の方が良いのはわかるが、まったく効能が違うのに。
エングブロウ卿も遠慮して、川へ向かっていった。
「私は、後ほど入らせてもらう」
「無理に勧めちゃったかしら。聖女たちが入る前に案内するわ。こっちにあるのよ」
「そこまで匂いは感じないんだが」
「ここの温泉は、硫黄臭はそこまでしないのよ。他の人には言わない方が良かったかしら。貴族は外のお湯を嫌がるから」
「無知なだけだ。食わず嫌いのようなものだから。血も浴びているし、夜は冷える。温まれる方がいい」
「カリスは入ったことがあるんだものね。貴族が温泉に入るなんて、珍しいでしょう?」
「幼い頃、入る機会があったんだ」
エヴリーヌが珍しく興味津々と質問をしてきた。普段、カリスのことについて聞くことなどないのに。
それが、なぜか嬉しく感じた。たいしたことのない問いでも、自分に興味を持ってくれたような気がして。
「夜になったら足元に気をつけてね。魔物が来ないように結界が張ってあるから、安心して入るといいわ。私たちはそこから近くの休憩所で休むんだけれど、夜中の火は泉の近くに灯さないから。それと、」
エヴリーヌは言いながら、そろりとカリスの手を取った。温もりが手の中に入り、一瞬強張りそうになる。しかし、温かなものが体の中を通り抜け、痛んでいた手の甲から違和感が消えた。
「あ、ありがとう」
「小さな傷でも治さないとね。薬、ありがとう。あれって肌もすべすべになるのねえ。美容のクリームなんて、自作の物しか使ったことなかったから、感激だったわ」
怪我に気づかれていたのか。エヴリーヌは癒しをかけてくれたのだ。疲労も抜けて、足も軽くなる。
エヴリーヌは微笑む。傷は綺麗に消えたのだと、手を出して見せてくれる。
心や優しき清い心と、澄んだ笑顔。聖女と呼ばれるにふさわしい。
そう思った途端、エヴリーヌの笑顔を見て、なぜか急に恥ずかしくなった。
「はあ。なにをしているんだ。自分は」
夜も更けて聖女たちが寝静まった頃、案内をもらった露天風呂に足を伸ばした。
月が隠れてよく見えないが、触れればジンと痺れるような温かい温度だった。物陰で上半身裸になって入れば、こびりついた血や匂いが流れるように消えていく。
エヴリーヌは討伐を先導する聖騎士と行動を共にすることが多く、血の匂いにも慣れていた。しかし、彼女の前でそんな匂いを付けていたくなかった。川で洗うより、湯で洗った方がよほど匂いがなくなるのだから、温泉の方がいいだろう。
貴族たちが露天風呂を嫌うのは知っている。エヴリーヌも貴族たちの忌避感があるのをわかっているから、強く勧めてこなかった。
思慮深い女性だ。
エヴリーヌは本物の聖女だ。都の神殿で会った聖女たちは、能力が低いだけでなく、都に慣れて擦れた心を持つ者が多く、聖騎士にすり寄って欲心を持って接する者が多かった。
あのような聖女たちとはまったく違う。聖女の誇りを持っている人だ。
「あれほどの方なら、すぐに誰かと一緒になれるはず」
離婚した後、彼女ならば相手になる男は数多といるだろう。子爵令嬢というだけでなく、大聖女と呼ばれるほどの能力を持っている。聖騎士の一人は彼女を心から信頼しているのがわかった。親しいだけではなく、仕事仲間として信じている。
ビセンテ。平民だが聖騎士になって男爵の地位を得た。聖騎士と聖女の結婚はよくある話だ。
「いや、エヴリーヌならば、もっと身分の高い男に」
すぐに別の男の顔が頭に浮かぶ。その顔をはっきりと思い出して、水面を叩きつけた。無性に腹が立ったからだ。
「くそ。なんで苛つくんだ」
シモン・エングブロウ侯爵子息。父親のエングブロウ侯爵は噂のよくない男で、その息子は陰に隠れて、能力は知られていない。女性に人気で、婚約者候補として名を上げられることは多いと聞くが、未だ婚約者はおらず、恋人もいないとか。女性に囲まれてばかりのパーティではそんな雰囲気はないが、不特定多数の女性といるだけで、個人的に会っている女性はいなさそうだった。
それなのに、エヴリーヌの側で、やたら見ている気がする。
いつも笑顔のエングブロウ卿。剣や魔法の腕があるとは知らなかった。悪目立ちする侯爵の後ろで能力を隠していたのかもしれない。それなのに、どうしてエヴリーヌの周りをうろつくのか。本当に恋人同士なのか? エヴリーヌは親しい雰囲気ではなかったが。
それならば、ビセンテの方が余程親しいだろう。ビセンテはエヴリーヌを愛称で呼ぶ。
「エヴリー」
呟いて、なぜか急激に恥ずかしくなってきた。
温泉のせいか顔が熱くなる。これ以上浸かっていたらのぼせそうだ。上がって岩場に腰掛けて、体に風をあてる。
このところ、妙に心が騒がしいのだ。落ち着かず、仕事に集中できない。実のところ、まだ仕事が終わっていないのに、放り出してここまで来てしまっていた。残りの仕事を押し付けてやって来たのだ。そこまでしてここまで来ているのに。
「エヴリーヌの邪魔になっていなければいいのだが」
風が流れて、雲間から月がのぞいた。月明かりに照らされた泉は湯気に混じって青白く見える。
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