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9−2 シモン
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「侯爵子息が、なんで手伝いを買って出るんだよ」
「エヴリーヌ聖女様の役に立つために決まっているだろう?」
「は? なんだ、こいつ」
聖騎士ではないシモンに、ビセンテが食ってかかる。気持ちはわかるが、相手は侯爵子息。シモンは子爵の称号を持っている。聖騎士で得たビセンテの身分は男爵になるので、喧嘩を売ったら負ける。
「ビセンテ。それよりも、私はしばらく神殿に滞在するからね。小さい群れが出没してるって聞いたわ」
割って入れば、シモンはこれ以上喧嘩はしないと、身を引いた。エヴリーヌを立てたようだ。素直に下がり、にこりと微笑む。従順なのはありがたいが、ビセンテが鼻につくと、シモンを睨みつける。喧嘩はしないでほしい。
「魔物の繁殖期だからな。エヴリーが常駐してくれるならありがたいが」
神殿は魔物が出没しやすい場所に建てられている。神殿を越えられたら、近くの町に魔物がなだれ込む。それを押さえるための神殿なので、魔物の繁殖時期は警戒しなければならなかった。
この時期、聖女たちは皆で魔石に魔力を込める。山道に結界を張るためだ。魔物の繁殖時期は人の多い場所に餌を求めに降りてくることがあるので、普段は行わない結界を張らなければならない。はぐれ魔物に遭遇する危険も増えているので、この時期の神殿は忙しかった。
エヴリーヌはその手伝いで神殿に滞在するつもりだ。
「はーあ。久しぶりの神殿のベッドー。あー、気楽ー」
総神殿の自分の部屋がそのままで、エヴリーヌは安心してベッドに寝転がった。もう戻れないと思っていたが、案外早く戻ることができた。公爵夫人になっても聖女仕事はそのまま行えるのだから、心配をして損をした。神殿長も安心していることだろう。
なんといっても、メイドがいない。公爵夫人の威厳を、威厳などないが、カリスに恥をかかせない程度には、静かにしていなければならない。その気遣いをしないでいい。
そして、この総神殿には温泉がある。部屋の洗面所でもお湯は出るが、規模が違う。大浴場があるのだ。
「よし、入るぞー。のんびり入るぞー!」
「エヴリーヌ聖女様! どちらに行かれるのですか?」
「……エングブロウ卿」
風呂だよ! 邪魔しないでくれ! とか言いたいが、我慢する。まさかシモンも滞在するとは思わなかった。王に命令でも受けているのだろうか。そこまでして古い話の謝罪をしたがるとは、どうも考えられない。
シモンの滞在は問題はないと言いたいが、気になる点がある。なんといっても、シモンの顔が良すぎた。ここで聖女たちに恨まれたくない。すでにあれは誰だと皆から追求されて、面倒だったのに。
癖のある銀髪、その髪色に似合った空色の瞳。整った顔に長い手足と均整のとれた体。汗臭さをまったく感じない、その見目。聖騎士たちは泥まみれになって戦うことが常なので、男臭いことこの上ない。それなのに、この神殿でそんな爽やかな香りさえ立ちそうな、甘い顔をした若い男がうろつくのだから、聖女たちも鼻の下が伸びても仕方がないと思うのだ。
目立つ。とにかく目立つ。だから、あまり話しかけないでほしい。
「体を流しに行くんです。エングブロウ卿、明日も早いから、早めに就寝することをお勧めしますよ。戦いはまだ続きますから」
「お背中流しましょうか?」
「はっ!?」
「冗談です。風呂上がりにワインでも、と思うのですが、いけませんか? ワインは得意でいらっしゃらない? 領地で採れた葡萄で作ったワインをお持ちしました。エヴリーヌ聖女様の好みであればいいのですが、甘いお菓子や果物などもあります」
「えーと、それは、」
「お風呂上がりに用意させておきますね。お待ちしています」
「はっ、ちょっと!?」
なぜ自分の好みを知っているのか。酒飲みだということは、カリスにも話していないのに。
酒好きだが甘いものも果物も大好きだ。風呂上がりにワインとか、最高の薬である。
「なんなの、調査されてるの?」
シモンは逃げるようにいなくなってしまった。ワインはありがたいが、シモンと二人で飲むわけにはいかない。二年後離婚が決まっているとはいえ、こちらは人妻だ。神殿で浮気していたなどと噂されたくない。
ワインに釣られるわけにはいかないのだ。
「はー。おいしー。これ、最高です」
「最高級のワインです。こちらのお菓子もどうぞ」
「えー、あまーい。幸せー」
「釣られるの早いだろ、お前」
「ビセンテ、これすっごくおいしい。神殿じゃ食べれない。食べておいた方がいい」
見たことのないお菓子が並べられて、ワイン片手にそこからお菓子を一つ摘んだ。アティがここにいればよかったのに。酒盛りしながらお菓子に果物。最高すぎる。
食堂に用意されたそれらを前にして、エヴリーヌが断れるわけがなかった。甘い香りと柑橘系の匂い、そして鼻腔をくすぐる渋めのワインの香り。逃げられない。
他の聖女たちや聖騎士たちまで集まって、まるでパーティだ。賄賂と思うほどの量があるため、みんなで食い尽くしても残りそうだった。
(これがお詫びなら、今日で終わりでしょう。神殿の暮らしは貴族には難しいし、すぐに帰ってくれるはずだわ)
明日は山登りをして、魔物たちの巣へと近づく。村の側で繁殖される前に倒す必要があるのだ。卵でもあれば、孵らないようにしなければならない。その作業が、幾分不快で、匂いもひどいことになる。あれを経験して聖騎士を辞めたくなる者もいるくらいだ。都でのうのうと生きているおぼっちゃま貴族には耐えられないだろう。
「あらかたいただいて、部屋に戻ろう」
「やめられなくなる前にな。お前は酔わないが、他の奴らが」
「神殿長が来る前に撤収するわよ」
「怒られる前にな。おら、お前ら! 部屋に戻れ! 明日も早いぞ! 最後のやつが片付けろ!」
「ちょ、号令早い、早い!」
「お前、どっちだよ!」
「あと一杯だけ!」
「エヴリーヌさまあ、戻ってきてくださいー! 寂しいですー!」
「誰よ、この子に飲ませたの!」
「あいつです。あいつ」
こんな賑やかさも久しぶりだ。飲んで笑って、そして次の日には討伐に行く。
シモンが側でにこにこしながらこちらを見ているのに気づいて、そそとワイングラスを置いた。公爵夫人となったからには、貴族にこんな姿を見られるのはまずい。
「エングブロウ卿。こんなに用意してくれてありがとう。皆喜んでいるわ。明日もあるので失礼させていただくわね」
「お前、今さらだぞ」
やかましい。ビセンテの呟きに足先を踏むことで黙らせて、エヴリーヌは静々と自分の部屋に戻った。シモンの嬉しそうな笑顔は、見なかったことにする。
明日には帰ってくれる良いのだが。しかし、シモンは予想外に忍耐強かった。
「エヴリーヌ聖女様の役に立つために決まっているだろう?」
「は? なんだ、こいつ」
聖騎士ではないシモンに、ビセンテが食ってかかる。気持ちはわかるが、相手は侯爵子息。シモンは子爵の称号を持っている。聖騎士で得たビセンテの身分は男爵になるので、喧嘩を売ったら負ける。
「ビセンテ。それよりも、私はしばらく神殿に滞在するからね。小さい群れが出没してるって聞いたわ」
割って入れば、シモンはこれ以上喧嘩はしないと、身を引いた。エヴリーヌを立てたようだ。素直に下がり、にこりと微笑む。従順なのはありがたいが、ビセンテが鼻につくと、シモンを睨みつける。喧嘩はしないでほしい。
「魔物の繁殖期だからな。エヴリーが常駐してくれるならありがたいが」
神殿は魔物が出没しやすい場所に建てられている。神殿を越えられたら、近くの町に魔物がなだれ込む。それを押さえるための神殿なので、魔物の繁殖時期は警戒しなければならなかった。
この時期、聖女たちは皆で魔石に魔力を込める。山道に結界を張るためだ。魔物の繁殖時期は人の多い場所に餌を求めに降りてくることがあるので、普段は行わない結界を張らなければならない。はぐれ魔物に遭遇する危険も増えているので、この時期の神殿は忙しかった。
エヴリーヌはその手伝いで神殿に滞在するつもりだ。
「はーあ。久しぶりの神殿のベッドー。あー、気楽ー」
総神殿の自分の部屋がそのままで、エヴリーヌは安心してベッドに寝転がった。もう戻れないと思っていたが、案外早く戻ることができた。公爵夫人になっても聖女仕事はそのまま行えるのだから、心配をして損をした。神殿長も安心していることだろう。
なんといっても、メイドがいない。公爵夫人の威厳を、威厳などないが、カリスに恥をかかせない程度には、静かにしていなければならない。その気遣いをしないでいい。
そして、この総神殿には温泉がある。部屋の洗面所でもお湯は出るが、規模が違う。大浴場があるのだ。
「よし、入るぞー。のんびり入るぞー!」
「エヴリーヌ聖女様! どちらに行かれるのですか?」
「……エングブロウ卿」
風呂だよ! 邪魔しないでくれ! とか言いたいが、我慢する。まさかシモンも滞在するとは思わなかった。王に命令でも受けているのだろうか。そこまでして古い話の謝罪をしたがるとは、どうも考えられない。
シモンの滞在は問題はないと言いたいが、気になる点がある。なんといっても、シモンの顔が良すぎた。ここで聖女たちに恨まれたくない。すでにあれは誰だと皆から追求されて、面倒だったのに。
癖のある銀髪、その髪色に似合った空色の瞳。整った顔に長い手足と均整のとれた体。汗臭さをまったく感じない、その見目。聖騎士たちは泥まみれになって戦うことが常なので、男臭いことこの上ない。それなのに、この神殿でそんな爽やかな香りさえ立ちそうな、甘い顔をした若い男がうろつくのだから、聖女たちも鼻の下が伸びても仕方がないと思うのだ。
目立つ。とにかく目立つ。だから、あまり話しかけないでほしい。
「体を流しに行くんです。エングブロウ卿、明日も早いから、早めに就寝することをお勧めしますよ。戦いはまだ続きますから」
「お背中流しましょうか?」
「はっ!?」
「冗談です。風呂上がりにワインでも、と思うのですが、いけませんか? ワインは得意でいらっしゃらない? 領地で採れた葡萄で作ったワインをお持ちしました。エヴリーヌ聖女様の好みであればいいのですが、甘いお菓子や果物などもあります」
「えーと、それは、」
「お風呂上がりに用意させておきますね。お待ちしています」
「はっ、ちょっと!?」
なぜ自分の好みを知っているのか。酒飲みだということは、カリスにも話していないのに。
酒好きだが甘いものも果物も大好きだ。風呂上がりにワインとか、最高の薬である。
「なんなの、調査されてるの?」
シモンは逃げるようにいなくなってしまった。ワインはありがたいが、シモンと二人で飲むわけにはいかない。二年後離婚が決まっているとはいえ、こちらは人妻だ。神殿で浮気していたなどと噂されたくない。
ワインに釣られるわけにはいかないのだ。
「はー。おいしー。これ、最高です」
「最高級のワインです。こちらのお菓子もどうぞ」
「えー、あまーい。幸せー」
「釣られるの早いだろ、お前」
「ビセンテ、これすっごくおいしい。神殿じゃ食べれない。食べておいた方がいい」
見たことのないお菓子が並べられて、ワイン片手にそこからお菓子を一つ摘んだ。アティがここにいればよかったのに。酒盛りしながらお菓子に果物。最高すぎる。
食堂に用意されたそれらを前にして、エヴリーヌが断れるわけがなかった。甘い香りと柑橘系の匂い、そして鼻腔をくすぐる渋めのワインの香り。逃げられない。
他の聖女たちや聖騎士たちまで集まって、まるでパーティだ。賄賂と思うほどの量があるため、みんなで食い尽くしても残りそうだった。
(これがお詫びなら、今日で終わりでしょう。神殿の暮らしは貴族には難しいし、すぐに帰ってくれるはずだわ)
明日は山登りをして、魔物たちの巣へと近づく。村の側で繁殖される前に倒す必要があるのだ。卵でもあれば、孵らないようにしなければならない。その作業が、幾分不快で、匂いもひどいことになる。あれを経験して聖騎士を辞めたくなる者もいるくらいだ。都でのうのうと生きているおぼっちゃま貴族には耐えられないだろう。
「あらかたいただいて、部屋に戻ろう」
「やめられなくなる前にな。お前は酔わないが、他の奴らが」
「神殿長が来る前に撤収するわよ」
「怒られる前にな。おら、お前ら! 部屋に戻れ! 明日も早いぞ! 最後のやつが片付けろ!」
「ちょ、号令早い、早い!」
「お前、どっちだよ!」
「あと一杯だけ!」
「エヴリーヌさまあ、戻ってきてくださいー! 寂しいですー!」
「誰よ、この子に飲ませたの!」
「あいつです。あいつ」
こんな賑やかさも久しぶりだ。飲んで笑って、そして次の日には討伐に行く。
シモンが側でにこにこしながらこちらを見ているのに気づいて、そそとワイングラスを置いた。公爵夫人となったからには、貴族にこんな姿を見られるのはまずい。
「エングブロウ卿。こんなに用意してくれてありがとう。皆喜んでいるわ。明日もあるので失礼させていただくわね」
「お前、今さらだぞ」
やかましい。ビセンテの呟きに足先を踏むことで黙らせて、エヴリーヌは静々と自分の部屋に戻った。シモンの嬉しそうな笑顔は、見なかったことにする。
明日には帰ってくれる良いのだが。しかし、シモンは予想外に忍耐強かった。
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