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30 王宮
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「ラシェル。大丈夫だったか!?」
ヴァレリアンが、ラシェルに走り寄ってきた。
『ラシェル! ごめんー! 反応遅れちゃったよー!』
「ヴァレリアン様、大丈夫です。トビアも、大丈夫よ。マクシミリアン王子もご無事です」
「ラシェル様、助かりました」
マクシミリアンは礼を言ってきたが、抱きしめて転がってしまったので、マクシミリアンの方は怪我がないだろうか。心配したが、怪我はないとマクシミリアンは笑顔を見せる。しかし、ナディールは怪訝な顔をしていた。
「どうして、クリストフ王子が、王妃を刺すなど。不利だとわかり、王妃を殺して終わりにしようとなさったのかしら」
「いえ、そうではなく」
ヴァレリアンはちらりとラシェルを見やった。唇をかみしめて、なんとも言えない表情をしてくるあたり、どうしてクリストフが王妃を攻撃したのか、ヴァレリアンはなんとなくでもわかっているのだろう。
ラシェルも、わかるような気がする。
クリストフは連れていかれる間、ラシェルを見つめていた。
王妃はマクシミリアンを狙ったが、ラシェルがマクシミリアンを庇った。
もし、騎士の攻撃がラシェルに当たっていたら、クリストフは怒りを持って、王妃を殺していただろう。
(だったらどうして、もっと早く、別のことができなかったのよ)
王妃を攻撃できるのならば、ラシェルが宮にいる間に、できることはあったのに。
「ラシェル、立てるか」
ヴァレリアンが伸ばした手に、そっと手を乗せる。握られた手を握り返して、ラシェルは立ち上がった。
王妃の手当てはここではできないと、すぐに運ばれていく。王妃の手下たちもなにをすべきかわからずに、王妃の後を追った。アーロンの姿はない。クリストフを追ったのだろう。聴衆たちは次の王がマクシミリアンであると理解し、ナディールとマクシミリアンを歓迎した。
裁判は閉廷し、ヴァレリアンの王殺害の疑いも、まったくの事実無根であったと、周知された。
「最初から、みなは信じていなかったのでしょうが」
「王妃が生贄にした犯人となれば、無実だろうがなんだろうが、犯人に決定される。それを確認したかったのだろうな」
これからの未来が、あの裁判で決まるところだった。
ヴァレリアンが罪人の判決を受ければ、次に裁判にかけられるのは誰なのか。貴族たちは戦々恐々とするだろう。
クリストフが王妃を刺したことにより、その可能性は一切なくなったのだ。
「ブルダリアス公爵、怪我の具合はいかがですの?」
「大したことはありません。魔法で攻撃されたわけではありませんから」
「それでも、手加減などされなかったでしょうに。しばらくは、公爵邸にいらっしゃるのよね?」
「マクシミリアン様が王になる姿を、拝見させていただきます」
ナディールはヴァレリアンに微笑みながら、マクシミリアンを細目で見つめた。
今まで、離宮で隠れるように住んでいた第二王子が、突然王に即位するのだ、これからも多くの試練があるだろう。
しかし、マクシミリアンは希望に満ちた瞳をしていた。
「少々ですが、ヴァレリアン様に似ていらっしゃるでしょう。王とブルダリアス公爵は、よく似ていらしたから」
マクシミリアンは黒髪で、少し癖毛だ。やや垂れ目だが、先を見る瞳は凛然としていて、聡明に見えた。二人並べば、年の離れた兄弟にも見える。
「従兄弟ですものね。似ていて当然ですよね……」
なんだか変な感じがする。ヴァレリアンが子供の頃は、こんな感じだったのだろうか。
ヴァレリアンはこのくらいの年には、両親を殺されて、妹のラモーナを守っていたのだ。
その犯人の王妃が行ったことは、これから明らかにされていく。王妃は命を取り留めたからだ。クリストフは、母親殺しの罪を背負うことはなかった。
それがよかったと思うのは、彼をあそこまで狂わせてしまった原因が自分だと、考えてしまうからだろうか。
「ラシェル様も、公爵邸に住まわれているのかしら? よろしければ、また宮に滞在していただければいいのですけれど。野良の精霊を得た者同士、またお話ししたいわ」
「え、あ、その、それは」
「母上、おやめください。令嬢は虫が苦手でいらっしゃるのですから」
「そうなのだけれど。そうね、残念だわ。また、ゆっくりお話ししましょうね」
「は、はい。もちろんです」
マクシミリアンのおかげで助かった。
ナディールは残念そうにするが、また誘われないように、今日は早々に引き上げたい。その空気を感じて、ヴァレリアンは立ち上がる。
ナディールとマクシミリアンを後にして、帰路につこうとする。王宮内は人事異動もあったため、バタバタと移動したり、物を運んだりしている者たちを見かける。ナディールとマクシミリアンの宮の移動もあり、やけに賑やかだ。
王妃の手の者たち。特に暗殺に関わる者たちはクリストフが始末していたが、それでも王妃に偏る貴族たちは多い。そういった貴族まわりを、ナディールは手綱を締めなければならない。そのため、関わる貴族たちの謁見も行っていた。
今日はヴァレリアンが呼ばれたわけだが、ただの世間話だったようだ。
「ラシェルに会いたがったのではないのか? やけに仲良くなったんだな。彼女たちの離宮に避難していたとはいえ」
王宮で閉じ込められて、逃げた後、ラシェルはナディールの宮に隠れた。ヴァレリアンから言われたからである。
ヴァレリアンは、ヒューイット侯爵と連絡を取り合っていた。彼が事実を知ったのは最近で、そのきっかけは、王だった。
王が死を覚悟した頃、ヒューイット侯爵からヴァレリアンへ手紙を送らせたのだ。はじめ、ヴァレリアンは、ただの協力関係を築くための誘いと思っていたそうだ。しかし、建国記念パーティでヴァレリアンが会ったのは、ナディール。ナディールの力を使い、王はヴァレリアンと話をしたのである。
そのため、王が今後をどうするのか、決断していたことを知った。
まさか、離宮に追いやられていた第二夫人が、精霊使いなどと、誰も想像しないだろう。
その関係で、ナディールの離宮に隠れたわけだが。
「あの離宮、箱がいっぱいあるんですよ……」
「箱?」
「土の入った箱が、庭園に、いえ、そこら中に、あちこちに、たくさん、置いてあるんです」
「おお、ああ。なるほど」
「お部屋にも、あるんです。土の入った、箱が」
「うん。よくわかった」
「いろん、な、虫を、育てているんです。あの、離宮で! 人が少ないことをいいことに! 客間にですら、土入りの箱があって、そこで、なにかしらが、かさこそかさこそ、ころころ、ごろごろ、かりかり、言ってるんですよ!」
「うん、わかったから」
『僕もさすがに怖かったー。部屋の中、飛んでる虫とかいるからさー。当たるんだよね。間違って。水で溺れさせちゃいそうになったし。廊下にもさー、いるんだよね。なんか、見たことのない、巨大な虫とかさー」
「足が、足がいっぱいあって、すっごく走るの早いのが、廊下走ってるんです。踏みそうになるんですよ!?」
「うん、すまない。そんなところに、隠れろと言って」
「マクシミリアン様は、とっても素敵な方で、ずっと謝っていてくれていたんですけれどね」
母親の虫に対する無邪気さを、マクシミリアンは申し訳なさそうにしてくれていた。メイドたちは慣れているのか、食事を運びながら、いきなり片足を上げたりする。
慣れって、怖い。
「あれをすべて操れるとしたら、脅威ですよ。ほん、とうに、脅威です!」
「わかった。わかったから」
本当に怖かったのだ。ベッドで安心して眠れない。部屋の端っこでなにかが固まって、こちらを見ているのだから。
王にとって、ナディールは強力な仲間だった。彼女にとって王太子という立場はあまり現実的ではなかったそうだが、王宮で虫を飼えると聞いて、承諾したという。
「あの方は、変わり種ですよ。来年あたり、王宮は虫だらけです!」
「それは、できるだけ近づきたくないな」
「できるだけ、そうしたいです!!」
ラシェルは力説する。ヴァレリアンはクスリと笑った。少しは元気が出たな、と口にして。
あれからしばらくの間、考えてばかりだった。
どうして、自分たちは、もう少しまともに対話できなかったのか。自分が悪かったのだろうか。クリストフは悪くとも、もう少しなにか、うまくできることはなかったのか。と。
「君が気にすることじゃない。すべてはあの男の責任で、あれを育てた母親と、……王にも問題があった」
王は、クリストフの心が離れていることを知りながら、彼を愛そうとしなかった。母親と共に切り捨てていた。
それを認めないまま、クリストフに殺されたのだ。
自業自得というには、悲しく、そして愚かな話だろう。結局最初の問題は、王だったのだから。ある意味クリストフも被害者だった。
「それでも、クリストフが行ったことは、正しいわけではない。君と会ってそれなりの幸福を感じて、あそこまでこだわるようになったのだろうが、やり方はいくらでもあった。失ってから後悔しても遅い。もっと早く、クリストフが別の行動を起こしていれば、こんなことにはならなかった。……そして、そうであれば、俺が君に会うこともなかったな。それだけは、感謝したいが、君が失うものが多すぎた」
ヴァレリアンは冗談まじりに言いながらも、失ったものへの無念さを語る。
クリストフの行為により、多くの者が殺された。ラシェルを助けてくれたシェリーまで犠牲になった。それは、どうしても許せない行為だ。
それとは別に、それがなければ、ラシェルはヴァレリアンに会うことになった。
「それについては、私もよかったと思います」
「なにについてだ?」
今自分で言ったのに。そんなことを返されるとは思わなかったか、ヴァレリアンは問い返してくる。すぐに察すると、軽く頬を染めて、口元を変に動かした。
「あー、ごほん。マクシリミアン様が王の座に座った後は、すぐに公爵領に帰る。そうしたら、正式に、ボワロー子爵令嬢として、婚約式を行わないか?」
ヴァレリアンは視線をさまよわせ、照れるように咳払いをすると、ラシェルをまっすぐ見つめた。
初めて見るような、余裕のない顔に、なんだか心が浮き立ちそうだ。
「私は、死んだ身ですが」
「はは。そうだったな。すぐに死亡届を破棄しないと。両親への挨拶は……」
「いりません。すぐにボワローの名は変わりますから」
「……それもそうだ。ならば、戻った際に急ぎ婚約式を行えるように、公爵領に連絡しておこう。すぐに準備を行うように」
「そうしてください」
馬車の中で、ヴァレリアンはラシェルの手を握る。この手に、こんなに安心することになるとは、思いもしなかった。
『僕がいないとこでやってよねー』
トビアが現れて、水飛沫を辺りに撒き散らしながら、すぐに姿を消す。ヴァレリアンの髪や衣装に、水が滴った。
「あいつ、ラシェルを取られて嫌がらせか?」
「これから、ハンカチを多めに持ち歩きます」
ヴァレリアンは憎々しげに前髪を掻き上げる。ラシェルは苦笑いをしながら、ヴァレリアンの頬に流れる水滴を、優しくハンカチで拭き取った
「まあ、それもいいかもな」
そう言って近づいた、ヴァレリアンの黒曜石のような瞳に吸い込まれるように、ラシェルはゆっくりと瞼を下ろした。
ヴァレリアンが、ラシェルに走り寄ってきた。
『ラシェル! ごめんー! 反応遅れちゃったよー!』
「ヴァレリアン様、大丈夫です。トビアも、大丈夫よ。マクシミリアン王子もご無事です」
「ラシェル様、助かりました」
マクシミリアンは礼を言ってきたが、抱きしめて転がってしまったので、マクシミリアンの方は怪我がないだろうか。心配したが、怪我はないとマクシミリアンは笑顔を見せる。しかし、ナディールは怪訝な顔をしていた。
「どうして、クリストフ王子が、王妃を刺すなど。不利だとわかり、王妃を殺して終わりにしようとなさったのかしら」
「いえ、そうではなく」
ヴァレリアンはちらりとラシェルを見やった。唇をかみしめて、なんとも言えない表情をしてくるあたり、どうしてクリストフが王妃を攻撃したのか、ヴァレリアンはなんとなくでもわかっているのだろう。
ラシェルも、わかるような気がする。
クリストフは連れていかれる間、ラシェルを見つめていた。
王妃はマクシミリアンを狙ったが、ラシェルがマクシミリアンを庇った。
もし、騎士の攻撃がラシェルに当たっていたら、クリストフは怒りを持って、王妃を殺していただろう。
(だったらどうして、もっと早く、別のことができなかったのよ)
王妃を攻撃できるのならば、ラシェルが宮にいる間に、できることはあったのに。
「ラシェル、立てるか」
ヴァレリアンが伸ばした手に、そっと手を乗せる。握られた手を握り返して、ラシェルは立ち上がった。
王妃の手当てはここではできないと、すぐに運ばれていく。王妃の手下たちもなにをすべきかわからずに、王妃の後を追った。アーロンの姿はない。クリストフを追ったのだろう。聴衆たちは次の王がマクシミリアンであると理解し、ナディールとマクシミリアンを歓迎した。
裁判は閉廷し、ヴァレリアンの王殺害の疑いも、まったくの事実無根であったと、周知された。
「最初から、みなは信じていなかったのでしょうが」
「王妃が生贄にした犯人となれば、無実だろうがなんだろうが、犯人に決定される。それを確認したかったのだろうな」
これからの未来が、あの裁判で決まるところだった。
ヴァレリアンが罪人の判決を受ければ、次に裁判にかけられるのは誰なのか。貴族たちは戦々恐々とするだろう。
クリストフが王妃を刺したことにより、その可能性は一切なくなったのだ。
「ブルダリアス公爵、怪我の具合はいかがですの?」
「大したことはありません。魔法で攻撃されたわけではありませんから」
「それでも、手加減などされなかったでしょうに。しばらくは、公爵邸にいらっしゃるのよね?」
「マクシミリアン様が王になる姿を、拝見させていただきます」
ナディールはヴァレリアンに微笑みながら、マクシミリアンを細目で見つめた。
今まで、離宮で隠れるように住んでいた第二王子が、突然王に即位するのだ、これからも多くの試練があるだろう。
しかし、マクシミリアンは希望に満ちた瞳をしていた。
「少々ですが、ヴァレリアン様に似ていらっしゃるでしょう。王とブルダリアス公爵は、よく似ていらしたから」
マクシミリアンは黒髪で、少し癖毛だ。やや垂れ目だが、先を見る瞳は凛然としていて、聡明に見えた。二人並べば、年の離れた兄弟にも見える。
「従兄弟ですものね。似ていて当然ですよね……」
なんだか変な感じがする。ヴァレリアンが子供の頃は、こんな感じだったのだろうか。
ヴァレリアンはこのくらいの年には、両親を殺されて、妹のラモーナを守っていたのだ。
その犯人の王妃が行ったことは、これから明らかにされていく。王妃は命を取り留めたからだ。クリストフは、母親殺しの罪を背負うことはなかった。
それがよかったと思うのは、彼をあそこまで狂わせてしまった原因が自分だと、考えてしまうからだろうか。
「ラシェル様も、公爵邸に住まわれているのかしら? よろしければ、また宮に滞在していただければいいのですけれど。野良の精霊を得た者同士、またお話ししたいわ」
「え、あ、その、それは」
「母上、おやめください。令嬢は虫が苦手でいらっしゃるのですから」
「そうなのだけれど。そうね、残念だわ。また、ゆっくりお話ししましょうね」
「は、はい。もちろんです」
マクシミリアンのおかげで助かった。
ナディールは残念そうにするが、また誘われないように、今日は早々に引き上げたい。その空気を感じて、ヴァレリアンは立ち上がる。
ナディールとマクシミリアンを後にして、帰路につこうとする。王宮内は人事異動もあったため、バタバタと移動したり、物を運んだりしている者たちを見かける。ナディールとマクシミリアンの宮の移動もあり、やけに賑やかだ。
王妃の手の者たち。特に暗殺に関わる者たちはクリストフが始末していたが、それでも王妃に偏る貴族たちは多い。そういった貴族まわりを、ナディールは手綱を締めなければならない。そのため、関わる貴族たちの謁見も行っていた。
今日はヴァレリアンが呼ばれたわけだが、ただの世間話だったようだ。
「ラシェルに会いたがったのではないのか? やけに仲良くなったんだな。彼女たちの離宮に避難していたとはいえ」
王宮で閉じ込められて、逃げた後、ラシェルはナディールの宮に隠れた。ヴァレリアンから言われたからである。
ヴァレリアンは、ヒューイット侯爵と連絡を取り合っていた。彼が事実を知ったのは最近で、そのきっかけは、王だった。
王が死を覚悟した頃、ヒューイット侯爵からヴァレリアンへ手紙を送らせたのだ。はじめ、ヴァレリアンは、ただの協力関係を築くための誘いと思っていたそうだ。しかし、建国記念パーティでヴァレリアンが会ったのは、ナディール。ナディールの力を使い、王はヴァレリアンと話をしたのである。
そのため、王が今後をどうするのか、決断していたことを知った。
まさか、離宮に追いやられていた第二夫人が、精霊使いなどと、誰も想像しないだろう。
その関係で、ナディールの離宮に隠れたわけだが。
「あの離宮、箱がいっぱいあるんですよ……」
「箱?」
「土の入った箱が、庭園に、いえ、そこら中に、あちこちに、たくさん、置いてあるんです」
「おお、ああ。なるほど」
「お部屋にも、あるんです。土の入った、箱が」
「うん。よくわかった」
「いろん、な、虫を、育てているんです。あの、離宮で! 人が少ないことをいいことに! 客間にですら、土入りの箱があって、そこで、なにかしらが、かさこそかさこそ、ころころ、ごろごろ、かりかり、言ってるんですよ!」
「うん、わかったから」
『僕もさすがに怖かったー。部屋の中、飛んでる虫とかいるからさー。当たるんだよね。間違って。水で溺れさせちゃいそうになったし。廊下にもさー、いるんだよね。なんか、見たことのない、巨大な虫とかさー」
「足が、足がいっぱいあって、すっごく走るの早いのが、廊下走ってるんです。踏みそうになるんですよ!?」
「うん、すまない。そんなところに、隠れろと言って」
「マクシミリアン様は、とっても素敵な方で、ずっと謝っていてくれていたんですけれどね」
母親の虫に対する無邪気さを、マクシミリアンは申し訳なさそうにしてくれていた。メイドたちは慣れているのか、食事を運びながら、いきなり片足を上げたりする。
慣れって、怖い。
「あれをすべて操れるとしたら、脅威ですよ。ほん、とうに、脅威です!」
「わかった。わかったから」
本当に怖かったのだ。ベッドで安心して眠れない。部屋の端っこでなにかが固まって、こちらを見ているのだから。
王にとって、ナディールは強力な仲間だった。彼女にとって王太子という立場はあまり現実的ではなかったそうだが、王宮で虫を飼えると聞いて、承諾したという。
「あの方は、変わり種ですよ。来年あたり、王宮は虫だらけです!」
「それは、できるだけ近づきたくないな」
「できるだけ、そうしたいです!!」
ラシェルは力説する。ヴァレリアンはクスリと笑った。少しは元気が出たな、と口にして。
あれからしばらくの間、考えてばかりだった。
どうして、自分たちは、もう少しまともに対話できなかったのか。自分が悪かったのだろうか。クリストフは悪くとも、もう少しなにか、うまくできることはなかったのか。と。
「君が気にすることじゃない。すべてはあの男の責任で、あれを育てた母親と、……王にも問題があった」
王は、クリストフの心が離れていることを知りながら、彼を愛そうとしなかった。母親と共に切り捨てていた。
それを認めないまま、クリストフに殺されたのだ。
自業自得というには、悲しく、そして愚かな話だろう。結局最初の問題は、王だったのだから。ある意味クリストフも被害者だった。
「それでも、クリストフが行ったことは、正しいわけではない。君と会ってそれなりの幸福を感じて、あそこまでこだわるようになったのだろうが、やり方はいくらでもあった。失ってから後悔しても遅い。もっと早く、クリストフが別の行動を起こしていれば、こんなことにはならなかった。……そして、そうであれば、俺が君に会うこともなかったな。それだけは、感謝したいが、君が失うものが多すぎた」
ヴァレリアンは冗談まじりに言いながらも、失ったものへの無念さを語る。
クリストフの行為により、多くの者が殺された。ラシェルを助けてくれたシェリーまで犠牲になった。それは、どうしても許せない行為だ。
それとは別に、それがなければ、ラシェルはヴァレリアンに会うことになった。
「それについては、私もよかったと思います」
「なにについてだ?」
今自分で言ったのに。そんなことを返されるとは思わなかったか、ヴァレリアンは問い返してくる。すぐに察すると、軽く頬を染めて、口元を変に動かした。
「あー、ごほん。マクシリミアン様が王の座に座った後は、すぐに公爵領に帰る。そうしたら、正式に、ボワロー子爵令嬢として、婚約式を行わないか?」
ヴァレリアンは視線をさまよわせ、照れるように咳払いをすると、ラシェルをまっすぐ見つめた。
初めて見るような、余裕のない顔に、なんだか心が浮き立ちそうだ。
「私は、死んだ身ですが」
「はは。そうだったな。すぐに死亡届を破棄しないと。両親への挨拶は……」
「いりません。すぐにボワローの名は変わりますから」
「……それもそうだ。ならば、戻った際に急ぎ婚約式を行えるように、公爵領に連絡しておこう。すぐに準備を行うように」
「そうしてください」
馬車の中で、ヴァレリアンはラシェルの手を握る。この手に、こんなに安心することになるとは、思いもしなかった。
『僕がいないとこでやってよねー』
トビアが現れて、水飛沫を辺りに撒き散らしながら、すぐに姿を消す。ヴァレリアンの髪や衣装に、水が滴った。
「あいつ、ラシェルを取られて嫌がらせか?」
「これから、ハンカチを多めに持ち歩きます」
ヴァレリアンは憎々しげに前髪を掻き上げる。ラシェルは苦笑いをしながら、ヴァレリアンの頬に流れる水滴を、優しくハンカチで拭き取った
「まあ、それもいいかもな」
そう言って近づいた、ヴァレリアンの黒曜石のような瞳に吸い込まれるように、ラシェルはゆっくりと瞼を下ろした。
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は〜、ハラハラさせられるけどヒロインちゃん男前で好きです!頑張れ〜
面白かったです、完結ありがとうございました。
公爵よりも、第二妃の方が素敵なヒーローでした…すごい、無敵やん!惚れてまうわ〜
次の作品を楽しみにしています!
ありがとうございます。
第二夫人は私の趣味で〜。男がかっこよくならないのなんでだろうか。。。
楽しんでいただけたらよかったです!
裁きの場に玉璽を運んできたのが蝶々で本当に良かったです
あ、よかったです。カナブンとかにしようかなって、最初……。