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3−2 公爵領

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「王太子殿下は無害かもしれませんが、調査の中に王妃の手が入っているやもしれません」

 ヴァレリアンの横に控えていたコンラードは、王子の騎士を見送ってから、ヴァレリアンに向き直る。
 ヴァレリアンは書類に目を通したまま、コンラードの声は届いていると、眉間に皺を寄せて目をすがめた。

「この城にも王妃のスパイは多いからな。やつらの監視と、殺された女の身元は調べておけ」
 同じことを考えているヴァレリアンは、騎士たちの監視を命じる。行方不明となった令嬢の行方も、再確認が必要だ。
 王は関わりないが、王妃は何をしてくるか分からない。
 コンラードは頭を下げると、執務室を出る。

(かつての事件を思い出されているのだろうか)

 扉を閉めてから、コンラードはヴァレリアンの両親を思い浮かべた。
 前ブルダリアス公爵。フリューデン王国の王の弟であるヴァレリアンの父親は、夫人と共にフリューデン王国の王宮へ移動中、事故に遭い、死亡した。

 フリューデン国王は、前公爵夫妻と幼い頃から仲が良く、前公爵が公爵夫人と結婚する前は、公爵夫人に恋慕しているという噂があった。仲睦まじい三人だったが、結婚したのは王弟と公爵夫人。王は王妃と結婚した。
 王は王弟結婚後、二人の幸せを願い、子供が産まれれば、二人の子供であるヴァレリアンを、我が子のように可愛がった。
 実の子であるクリストフ王子よりも気にしていたほどだ。

 その王の愛情を、王妃がよく思うはずがなかった。表立ってその感情は出してはいなかったが、王不在の時のヴァレリアンを見る目は鋭く、公爵夫妻のことも歓迎していなかったのは確かだ。

 そして、公爵夫妻は王宮への道途中、事故に遭う。
 当時、事故とされた公爵夫妻の死亡には事件性はなかったが、その後、賊に襲われたことにより馬が暴れ、事故になった可能性が出てきたのだ。

 それが王妃の仕業ではないかと分かったのは、ずっと後だ。

 その頃、ヴァレリアンは十四歳になったばかり。公爵を引き継ぐには若く、後ろ盾になる者がおらず、公爵領をまとめるにも苦労があった。優しげな声を掛けてくる王妃の裏の声は、公爵領をどうにかしようという思惑が見え隠れしていた。
 王妃の命令で賊に襲われた証拠はない。だが、公爵家を乗っ取ろうとする者たちや、陥れようとする者たちが、王妃に繋がっている可能性は、消すことができなかった。

 王がいれば、しっかりと調査されただろう。しかし、ちょうどその頃、王が病に伏し、事件はうやむやになってしまった。
 今でも王は病に伏しており、その病も本当なのか、怪しむところだ。ヴァレリアンは王宮にスパイを放っているが、事故の決定的な証拠は出ていない。
 それでも、公爵夫妻を殺そうとしたのは王妃だと、ヴァレリアンは確信していた。

 そして、今度はクリストフ王子の婚約者候補が、馬車ごと川へ落ちた。何の証拠もないが、それも王妃の仕業かもしれない。
 王妃に目を付けられたのが、子爵令嬢の不幸の始まりだろう。

(先程の騎士たちの中に、王妃の手下も混じっているかもしれない。警備を厳重にした方が良いだろうな)
 調査隊は滞在中、街にも訪れる。妙な動きをしないか、確認する必要があった。

 公爵領にやってきた、クリストフ王子の騎士たち。
 国の者たちは、ヴァレリアンを若くして公爵になったため、社交界に馴染めず、領土に引きこもった陰鬱な公爵だと勘違いしているが、ヴァレリアンはそんな気弱な男ではない。
 クリストフ王子の騎士も、それに気付いただろう。

 王宮との確執を勘違いしたまま、行方不明の婚約者候補を探しに、この公爵領までやってきた。
 指揮をしているのは、人の良さそうな顔をした騎士だった。赤い髪をしていてよく目立つ男である。本当に婚約者を探しにきたのだろう。こちらは警戒を露わにし威嚇したのだから、あの騎士も部下に注意はするはずだ。

「客間を用意させたんだが、必要なかったな」
 コンラードは白髪の混じった金髪を軽くなでる。季節の変わり目は雨が多い。冬から春にかけて雨が続き、先日も大雨が降って、髪が湿気でぼさついた。

 騎士たちが探す川は、最近また大雨が降ったせいで、水量も増し、今も荒れている。一ヶ月ほど前も同じように大雨が降っていた。馬車は、確かに村の近くに流木などのゴミと一緒に流れ着いたが、人は乗っていなかった。遺体は上がっておらず、今頃、海まで流されているに違いない。

 しばらく騎士たちが滞在することになると思うと、コンラードは面倒を感じて、小さく息を吐く。
(当分、ヴァレリアン様は不機嫌だろうな)

 そう思いながら廊下を歩いていると、お茶を運びながら、きょろきょろと辺りを見回しているメイドが目に入った。

「おい、そちらはお前のような者が入る場所ではないぞ」
「申し訳ありません。こちらに入ったばかりで、迷子になってしまったようで。お茶を、冬の間に持っていけと言われたのですが」

 メイドは軽く結んだ焦茶色の髪を背中に流し、長い前髪で、大きな黒縁の丸いメガネを掛けていた。スパイなら逆に目立つ風体だ。だが、見るのは初めての顔である。

「冬の間は、あちらを右に曲がった、奥の部屋だ」
「ありがとうございます。失礼します」
「待て、お前、名は?」
「ミシェルと申します」
「客間はもう使わなくなったから、それは必要ないと思うぞ」
「そうなんですか? あ、でも、一応確認してきます」

 騎士を待たせるつもりで、客間をゆっくり整えるように伝えたが、すぐに執務室に通すように言われ、客間の使用が必要なくなった。それを伝えるように言うと、ミシェルはぎこちなく頭を下げて、冬の間へと歩いていく。

 あんなに目立つメガネをして、堂々と屋敷の中をうろつくようなスパイはさすがにいないか。新しいメイドが入ったとは聞いているから、問題はないだろう。

 コンラードはもう一度ため息をついて、メイドを背にし、歩き始めた。
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