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244 ー日記ー

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 ルファンの宮に行った後、彼女の宮に再び行くことはなかった。
 一般常識の勉強や宮廷での仕事、後宮にいる女性たちをまとめる役目など、行わなければならいことが大量にあったからだ。
 そして、今一番大変だったのが、婚姻の儀式の用意である。

 皇帝の妃となるための用意。後宮にいれば妃じゃないのと思うのだが、正式な妃、つまり一夫多妻制であるこの後宮で一番の妃であると言うお披露目が必要なのだ。
 フォーエンは他の女性を娶る気はないと宣言しているため、そんな儀式も必要ない気がするのだが、多くのルールを無視してきただけあって、妃を娶ると言う宣言を行わなければならなかった。

 その用意、服装や髪飾りだけでなく、理音磨きが特に念入りで、人生初めてのエステ三昧を経験した。
 何せ相手があのフォーエンである。できる限り、出来うる限り、そこそこに見られるようにしなければと、女官たちの意見が一致したのだと思われる。
 そのため美容にいい食事から、肌を美しく見せるマッサージやら、美容液やらをつけられ、かつ美しく見せる姿勢や笑顔まで練習させられたのである。

「おっも…」
 花嫁衣装。十二単とは言わないが、何枚もの重ね着で理音は腰を屈めそうになった。
 まだ春先とは言え少し冷えるから何枚重ねもしなければならないのかと思えば、本来婚姻にはそれくらい重ね着をするらしい。

 これ夏だったら拷問だよね。と思うほど重ねられ、最後に羽織ったのが白の布地に金刺繍の着物だった。中は赤に金糸の刺繍がされたもので、白にとても映える。
 顔を見せないためのベールは細かな刺繍の施されたもので、それを固定するための冠や髪飾りは既に首をもたげたくなるほど。
 しかし、我慢である。
 化粧は前々よりずっと薄めだったが、身支度を整えるのにゆうに四時間は掛かったと思う。

「リオン様、こちらへ…」
 輿に乗って運ばれてから促されて歩むと、円柱の並んだ天井高のある広間に一段と重ね着をしたフォーエンが見えた。
 理音と同じ赤の着物で、同じく金刺繍が細かに施されている。地面にたれさがった長い着物を踏みそうにならないか心配したくなる着物は、いつも以上に豪華で黒髪を結い上げたフォーエンに良く似合っていた。

「写真撮りたい…」
「ああ、そのような使い方もあるのか。コウユウに撮らせようか」
 冗談で言っているのだろうが、本気で撮りたい。さすがにこの場にスマフォを持ってこようとは思わなかった。朝から髪が抜けるほどとかされたりしながら、女官たちが戦いのように目つきを悪くさせて走り回っていたのを見ていたからだ。

「よく似合っている。美しいな」
 さらりとそんなことを言ってきて、こちらの反応を楽しんでいるのだろうか。
 顔が赤くなるのを感じるが、その言葉、そのままそっくり返したい。
 フォーエンが歩くと、皆がほうっと吐息をついた。いや、美人すぎだよ、フォーエン。絵画を見ているようだよ。
 女官たちに混ざってほんわり見ていたいが、隣を歩むのは自分である。ここは堂々と図太く、遠慮なく顔を上げて隣に立たせていただく。

 扉が開き、外の空気を感じると、わっと耳に届く歓声がどこかの競技場にでもいるように思えるほど、大きく響いた。
 皆がこちらを見上げ、歓声を上げる。フォーエンがそっと理音を押し、その声が更に届くように先へ進ませた。
「すごいね…」
「久しぶりの祝い事だ。皆が祝っている」
 舞台は城壁の上にいるような高台で、長く広い階段の下の広間にヘキ卿やハク大輔、サウェ卿が見える。ヘキ卿は泣いているのか、袖で頬を拭った。

 今まで見てきた集まりよりずっと多くの人々が集まっている。今まで来たことのない広場で、低い壁の後ろには民衆らしき人たちも見えた。
 フォーエンが手を上げると、歓声が更に鳴り響く。フォーエンが同じように手を振るよう促すので、軽く手を上げて振って見せると、耳につんざくほどの歓声が届いた。

「お前にはこれから多くの苦労を掛けるだろう。全てがうまくいくとは限らない。困難も多く、理不尽なことに振り回され続けるかもしれない」
「フォーエン…」
「それでも、側にいて欲しい。私と共に」
「…うん。うん。ちゃんと側にいるよ。何があっても、どんなことがあっても」

 この世界に降りてからずっと、多くのことがあった。挫けるようなことがあっても、それで終わりだと思ったことはない。
 多くの慣例を無視して強引に進める政に不満は少なくはなく、フォーエンを支える手が万全であるわけではない。
 その中で、自分は助けられながらも隣にいることを許された。そうであれば怯むことなく、どんな理不尽なことが起きても乗り越えなければならない。
 一緒にいたい人が側にいるのだから。

 フォーエンはそっと理音の手を握った。見つめた紺の瞳はこの世界で初めて見た色だ。
 深い闇の中、暗闇でありながら光刺す宇宙の色。
 自分の大好きな、美しい色。

「あ、フォーエン、あれ、」
 自分たちのいる高台から離れてはいるが、その長い道の先に華やかな女性の一行が見えた。遠目だが集団の女性たちの中で一際美しく装っている女性がいる。
「来てくれたんだ。ね。ちゃんと、来てくれた」
 顔ははっきりと見えない。しかしルファンはこちらを見ているだろう。その視線の先がフォーエンであることは間違いない。

「フォーエンを、思っていないわけじゃないよ。ずっと、どう接すればいいのかわからなかっただけ。ちゃんと、見てくれてたよ。これからも、ちゃんと」
 フォーエンはルファンの方を見たまま、ぐっと唇を噛み締めた。
 フォーエンこそ呑み込むことは多く、簡単に彼女を許したりはできないだろう。それも当然で、ルファンはそれを乗り越えなければならない。
 お互いに簡単にはいかない気持ちを持っているだろうが、いつかその心が溶けていけばいいと思う。長く時間は掛かるだろうが、きっかけは作れたはずだ。

「ちゃんとね、幸せにするから見てろって、言っといたから」
「…なんだ、それは」
「私が、フォーエンを幸せにするからって」
 ルファンに断言したと伝えると、フォーエンはぽっと頬を赤らめた。珍しい表情につい目を丸くする。もしかしなくても、照れている。

「それを、お前が言うのか?」
「言うよ。わたくし、東雲理音は、フォーエンを幸せにすると、誓います」
 そう宣言すると、フォーエンは頬を染めたまま、耳打ちするように言った。
「私も誓おう。お前を、理音を幸せにすると」

 そっと寄せられた唇に、おそらくそう言う風習のないここで、歓声と共に悲鳴のような声が轟いたのは言うまでもない。



 今日のことは一生忘れられないと思う。
 悦びに満ちた人々の顔が多くある中、眉間に大量の皺を寄せていたコウユウが目に入り、つい目を逸らしたことなど、きっと忘れられない。
 すごい睨みつけていた。男の嫉妬は見苦しいぞ。とか言ったら殺されると思うけど言いたい。

「こんなところにいたのか」
「ん。ちょっと、休憩」
「湯浴みも済ませて休憩か」
「ちょ、ちょっと、星が見たくて」
 長い宴の後、レイセン宮に戻り、みんなの生暖かい目を向けられながらお風呂に入った。
 この後のことを考えて、のぼせそうになったのを治めるために、外で顔を冷やしていたとは言わない。

 少しばかり木々に隠れた四阿で柱を背にして空を見上げる。
 空気が澄んでいるため星の瞬きがよく見えた。
 ほかほかだった身体が少々冷えてきたか、フォーエンが当たり前のように羽織を肩に掛けてくれる。
 優しい手に触れて頬を染めそうになるが、フォーエンは無表情でどこか不機嫌な雰囲気があった。
 何故なのか。そう思うとすぐに頬をぎゅっと捻ってくる。
 何故なのか。

「いだだたっ。ちょ、何!?」
「お前に手紙がある。エンセイの部署に届いた」
「ヘキ卿のとこにお手紙?」
 脈絡なく捻られたが、その手紙のせいで機嫌が悪くなっているようだ。無表情ながら声音が低い。
 懐から出された手紙の内容は、親しい友人に書くような気易い言葉を使ったものだった。
 読み終えて顔を上げると、フォーエンは目を眇めている。

「お前が心配していた者は生きているようだな」
「そうだね。それは、本当に良かった」
 手紙にはラカンの城の状況が書かれていた。リンネとジャカのことだ。二人とも薬草作りに専念し、王都にも販売を勧める予定をしているそうだ。
 ジャカは罰を与えられたまま、薬を作り続けている。
 二人が元気なことに安堵する。
 しかし、確かに二人のことは気になっていたが、一番気になっていることが書かれていない。

「何が、また遊びにおいで。だ」
「あはは…」
 ヘキ卿の元で働いている者に宛てる手紙だけある。ウの姫宛にはできないだろう。皇帝の妃に送るには怒られる内容だ。
 簡単な状況を知らせるだけの手紙。友人に送るような、気軽な手紙。
 手紙はレイシュンから、ヘキ卿の下で働く者への手紙。
 レイシュンは最後に、皆に会いたければ遊びに来ればいい。と手紙を締めていた。

「みんなに会いたければ、か」
 そう呟くと、フォーエンが分かりやすく眉根を逆立てた。
「…行かないよ。無事だってことだと思う」
「そうしろ。お前に何かしらの恩を売りたいだけだ」
 手紙には、マウォの反乱や手助けをしてくれたギョウエンのことすら一切書いていない。最近の報告と言っても理音がいた頃のラカンの城の状況だけ。
 手紙などで話せる内容でしか書かれていないのは当然だった。

 逃げたシヴァ少将とその妻と子供。それらが無事であるのかどうか、そんな話はできるはずがない。
 けれど、レイシュンが匿ってくれるのならば、三人とも安全だろう。
 それが、レイシュンにとってどんな意味を持つのか、考えたくはないが。
「リーレンはシヴァ少将の血を継いでるから、今後問題になる?」
「ソウが問題にする気ならばな」

 今のところその真似はしないと思いたい。小河原が言った通り、ウーゴの木の今後の成長によっては、フォーエンを狙う真似はできないだろう。
 レイシュンが小河原やファリアたちを匿うとは思わなかったが、小河原は理音と同じく似た思想の人間だ。それを必要としたのか、シヴァ少将の血を継ぐ者を利用したいのか、あるいは、
 シヴァ少将の大切にしていた者たちを、守ろうとしたのか。
 後者ならばいいけれど。

「ソウならば使えると思って引き取るのだろう」
 フォーエンは楽観視するわけにはいかないと鼻を鳴らす。
 リーレンが大人になった時、この国が変わっていなければ、レイシュンは何かをするかもしれない。
 しかし、おそらく、リーレンが大人になる頃には、この国は大きく変わっているだろう。

「身体が冷えている。風邪を引くぞ」
「ん。そだね」
 フォーエンがそっと肩を抱いた。温もりを感じて、その腕にもたれる。
「あ、流れ星」
 夜空に煌めいたのは一筋の光。曲線を描いてさっと消える。
 この世界は星がよく見える。光の少ない地上と澄んだ空気は夜空を見上げるのに最適だった。
 一筋、二筋。流星群とは言わないが、いくつかの星が流れたのをぼんやり眺めていると、がっと腕をきつく握られた。

「フォーエン?」
「…星が流れれば、帰ることになるのではないのか?」
 あのくらいの星、何も起きないよ。
 そう軽く返そうと思ったのに、フォーエンはひどく怯えるように不安げな面持ちを向けた。
「お前が、いなくなったら…」
「フォーエン、私はここにいるよ。どこにも行かない。言ったでしょ。ずっと側にいるって」

 帰りたいと思わなければ帰らずにすんだ。それに、ウーゴに導かれこの世界に来てから、この国を変えるために遣わされたとすれば、自分はこの国のため、フォーエンのため、この世界から戻ることはないだろう。
 帰ることはない。もう戻れないかもしれないと言う覚悟もあったけれど、この世界にとどまると誓った。

「だから、一緒にいてね。嫌だって言ってもいるし。一人にしたら怒るから」
 ぎゅっと腰に巻きつくようにして見上げると、フォーエンは一瞬驚きを見せながらもゆっくりと微笑んだ。
「それはこちらの台詞だ」
 起き上げられるように抱きしめられて、フォーエンの顔が近付いた。
 重なった唇からぬくもりが感じて、それが離れるともう一度触れた。

 こちらを見つめる優しい瞳は深い紺色で、深い夜の色に捕らえられた。
 それを後悔することはないだろう。
 帰られる時期が分からなくなっても、日数を数えるために日記はつけていた。向こうの世界の時間でつけていた日数はもう必要ない。

 これからは、こちらの世界で進む時間で日記をつけよう。
 私は、この世界で、フォーエンの隣で、共に生きていく。
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みんなの感想(1件)

スパークノークス

おもしろい!
お気に入りに登録しました~

MIRICO
2021.08.21 MIRICO

わああ。
ありがとうございます!

解除

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