群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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240 ー宮ー

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 スミアが死んだと聞いたのは、それからすぐ後だった。

「遺書があったそうです。マウォに加担していたため、処罰を受ける前にと」
 ツワはお茶を注ぎながら、今日聞いた話を教えてくれる。
 フォーエンは忙しく中々この離宮には来られない。情報はフォーエンからしか届かないため、フォーエンが人を介してツワに伝えたようだ。
 マウォと結託していた者たちの後始末なども忙しくさせている理由だろう。そして、スミアについても。

「それで自殺…」
「マウォとの手紙も出たとか」
「手紙ですか?シヴァ少将の部下について、何か依頼でも?」
 言うとツワは首を振った。

 シヴァ少将の正体を知った部下、その恋人であるグイの姫の女官シーニンが後宮にいた。
 後宮にいるスミアはファリアの元乳母。マウォとは知り合いなのだから、マウォからシヴァ少将の部下に対し口止めするための相談でもされていたかと思ったが、そう言った証拠が出たわけではなかったようだ。
 しかし、代わりにマウォから、妹のファリアがシヴァ少将が皇帝になれないことの嘆きを吐露していると言う旨の手紙が見付かったと言う。

「ファリアさんは、シヴァ少将が皇帝になることを反対してたのに…」
 精神を病んでいたとはいえ、彼女の言葉は本心だと思う。シヴァ少将が皇帝になることを望んでいなかったのだから、マウォはスミアに嘘の手紙を出したのだろう。
「それで、スミアさんはマウォを手伝うことにしたのかな…」
 元乳母で、その後も親交があったとして、ファリアを大切にしていたかもしれない。ならばマウォの手伝いをしようと、スミアは考えたのだろうか。
 だからこそ、罪もないシーニンに抜け穴の話を伝えたのだろうが。

「何か気になることはございますか?」
 ツワはにっこり笑顔で問うてくる。
「そもそも、何でマウォを手伝うに至ったのかなって。知り合いだからって気にしてなかったんですけど、よくよく考えたら、スミアさんには何の利点があったんだろう」
「お知り合いだったから、哀れに思い手伝ったわけではないと?」
「スミアさんとはそんなに話したことがあるわけじゃないですけど、何かしっくりこないと言うか」

 仕えていたレイシュンの婚約者を失った。当時使った抜け穴は安全だと思っていたとして、しかし婚約者は外に出たあと亡くなった。その時は、後宮から出られる手伝いを、純粋に行ったとする。
 その後スミアは後宮にい続けて、後宮を良く知ったことだろう。
 スミアにとって、後宮はどんな場所だったのか。

「レイシュンさんみたいに、後宮へのイメージは良くないと思うんだよな…」
 呟きにツワは黙ったま聞いていた。自分の考えを邪魔しないように耳を澄ましている。
 後宮に閉じ込められて彼女が仕えていた人は亡くなった。エンシが作った薬草園をよく知っていた。政治や女性たちのまとう濁った空気に身を置き続けていた。
 長い年月で清廉な心は持ち続けられなかったかもしれない。

 だから、ファリアのためにと言うのは、あまり納得ができない。スミアは後宮のことを誰よりも理解していただろう。
 シヴァ少将が皇帝になったとしても、ファリアが後宮で幸福になるとスミアは思うだろうか。

「ファリアさんがシヴァ少将に皇帝になって欲しいと嘆いていた。スミアさんは、それを信じたのかな…」
「信じていなかったのに、手伝いをされたのでしょうか?女官を殺すよう仕向けながら」
「そうですよね。シーニンさんは恋人に会いたくて外に出たがったわけで、死ぬことが分かっているのにそれを手伝うのも無慈悲すぎる」

 けれどスミアの心は冷え切っていた。シーニンが死のうと心にも留めない。
 シヴァ少将が皇帝になることを、スミアが望んでいたとも思えないのだが。
 しかし、結果論として、スミアはマウォを手伝った。マウォは失敗し、スミアは自殺した。

「自暴自棄になってたわけじゃないよね…」
「リオン様は思いもしないでしょうが、後宮に長く仕える者の中には、外に出られぬことを呪い自害する者も少なくありません」
 ツワは静かな声音を出した。

 人によっては若い頃に外に出られ、結婚し家庭を持つことができる。後宮の入れ替えで外に出られる者や、あらかじめ決められていた期限が終了し、出ることができる者もいる。
 しかし、人によっては帰る家もなく、頼る家もなく、家の命令や後宮内の命令によって一生外に出られない者もいる。

「それを望む者もおり、後宮で一生を過ごすことを幸福と思う者もありますが、そうでない者もいることは事実。後宮は恐ろしいところでございます。場合によっては死に至る事件もございます。華やかな場所ではございますが、その表裏は全く違うもの。裏にまみれた者の末路は、到底幸福ではないでしょう」
 外に出ることを許されなかった女性たち。その女性たちの幸福がどこにあるか分からない。
 ツワも同じなのだろうか。だからそんなことを言うのだろうか。

 何か言おうとして、外に出ている自分に何か言う資格はなく、口籠ると、ツワはにこりと笑った。
「それは人それぞれでございます。その者は、長きを後宮に置いている間に、闇にのまれてしまったのかもしれません。後宮の外にいる者に、不憫であるから中に入れろと言われ、何を思ったのか。その者にしか分からないのではないでしょうか」
 長い間後宮にいる人の言葉は、あまりに重さがあった。

 ツワはスミアがなぜマウォを手伝ったのか、何となくでも理解できるのだろう。
 自分には分からないが、どこかを恨まなければやるせない日々を過ごしていたのかもしれない。
 それならば、マウォを手伝いながら、シヴァ少将を皇帝にしようなどと思っていなかったのかもしれない。
 もう、真実を語る人はいないが。
 マウォが成功しようがしまいが、スミアにとっては重要ではなかったのだろうか。



 王都に戻ってきて数日。やっとレイセン宮へ戻ることになった。
 体調も治り頭痛や身体の痛みがなくなってもしばらく同じ離宮に住んでいたのだが、とうとう許しを得て戻ることが決まった。
 今までいた離宮からレイセン宮は結構遠かったらしい。馬車に長い時間揺られてやっと戻ると、そこには自分の知っているレイセン宮と随分雰囲気が変わっていた。

「お屋敷、リフォームしたんですか?」
「りふぉーむ…ですか?」
 つい問うと、ツワは意味が想像ついたか、にこにこと笑いながら、建物を塗り替えたのだと説明をくれる。
 前々から豪華な作りだと思っていたのに、廊下や壁の色が別の色に鮮やかに塗られ、作りたてのようになっている。
 全て塗り直したのだろう。通りでこの宮に戻れないはずだ。広大な建物なのに屋根の色まで違う。
 さすがに天井の絵まで色の変化はなかったが、磨き上げたらしく前よりもずっとはっきりとした色に変わっていた。

「どうぞ、陛下がお待ちです」
 入ったのはいつもの部屋ではなく、入ったことのない大部屋だ。来客用なのか広い机を中心にいくつかの長椅子が並べられていた。
 上座なのかそこだけソファーになっており、フォーエンが待っていた。

「戻ったか。長旅疲れただろうが、ここに座れ。話がある」
 フォーエンは二人でいる時の慣れた感じではなく、澄ました顔をして理音に指示した。座る場所は隣なのだが、長椅子に見覚えのある老人が座っている。
 ウの内大臣だ。ここに重役が入るのは初めて見た。

 隣に座ると、ツワが扉の方に目配せする。その合図で女性たちがぞろぞろと部屋に入ってきた。
 何事だろうか。女性たちは綺麗に装っているが皆同じ服色で、フォーエンの瞳の色と同じ濃い藍を基調にしたものだった。
 しかしかなり華々しく見えるのは差し色のせいだろう。金なども混じっており、暗い色には全く見えない。
 つい装いをまじまじ見てしまったが、女官たちの中に知っている顔がちらほらいて、慌ててフォーエンを見遣る。フォーエンは意味ありげに口端を上げただけだ。

「お前に新しくつける女官たちだ」
「リオン様にお仕えいたします」
 フォーエンの紹介に女官たちが一斉に挨拶をしてくる。一寸乱れぬ動きに、こちらがびくりとする。
 何せ女官たちのその顔が、紛れもなく、一緒に働いていた面子だったからだ。

 フォーエンを見上げても説明がない。お仕えしてくれると言う彼女たちに説明を得たいが、ウの内大臣がこちらを射るように見ているので、おかしな返事もできなかった。
「お前の養父となる、ショウエンだ。これからはショウエンを父とせよ」
 突然の言葉に理解が追いつかない。ショウエンと呼ばれたのはウの内大臣で、ゆっくりとこちらに頭を下げた。

「リオン様においては我がウ家の姫として、陛下にお仕えしていただきたく存じます」
 お仕えするってどう言う意味なのか。ぽかんとしていると、ウの内大臣がゴホンと咳払いをした。
「我が家にお迎えしておきながら、我が家の敷居を跨ぐことができぬことをお許しください。陛下においてはさっそくのお迎え心から感謝いたします。我が娘リオンは陛下に寄り添うことのできる唯一の娘となるでしょう」

 その言葉で、やっと意味がわかった。
 ウの内大臣がクスリと笑う。フォーエンが、緩やかな笑みをこちらに向けた。
「えっと、つまり…」

 ウの内大臣の娘は初めからいなかった。女官たちがその娘がいるように隠してきた。それが何のためだったのか、その理由は教えてもらえなかった。
「身分が必要だった。周囲を黙らせるには、この方法しかない」
 フォーエンが珍しく頬を染める。それをいつから算段していたのか。ウの内大臣の娘が後宮に入ることは、ラカンの城で初めて聞いた。
 それより前に、この話は出ていたのだ。

「名実とともに、私の妃となる」
 フォーエンの言葉に、引き寄せられた身体が急激に熱くなるのを感じた。
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