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233 ー恋人ー

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 食事は一日二回。朝と夕方。持ってくる人はいつも同じだ。
 こちらをちろりと見るでだけで、一言も話さない三十代くらいの女性一人。何の表情も出さないままで、さっさと食事の乗ったお盆を置いて部屋を出ていく。

 部屋の外に見張りはいない。建物の外にも前回いなかったことを考えれば、おそらくいない。そして建物の外に出ても咎められないだろう。
 ここから出ても何を言う人もいないのが疑問だ。
 外に出て助けを求めれば誰か助けてくれるだろうか。

 それを試せないのは、体調が戻らないからだ。
 寝れば少しは良くなるかと思ったが、熱があるためぼんやりとしたままだし、時折ある頭痛がずっと続いている。
 めまいもあるので起きようと言う気力が起きない。食事をするのも億劫だ。
 レイシュンは理音を利用するつもりだと考えているようだったが、まだマウォには会っていなかった。
 あれからレイシュンには会っておらず、小河原だけが会いにきた。

「熱、ひどいよ。理音、めまいはひどい?」
「今はめまいはないけど、吐き気がちょっと」
「あの医者薬を持ってきたけど、あまり信用できないから。こっちの医療レベルが低すぎる」
 小河原も思うか。寝転がったまま理音はつい笑ってしまった。小河原は自分が飲まされたことのある薬湯なら飲んでいいと、確認して渡してきた。

「医療の改善も行なっていくから、これからもっとレベルの高いお医者さんも増えると思うよ」
「そんなことまで理音が関わったの?」
「まさか。南にある国はもっと医療が進んでるんだって。そっちで修行した人が戻ってきたから、その人中心に改革してく予定なんだよ」
 改革は長い目で見なければならない。そんな話をすると小河原はそろりと額を撫でた。
「タオル変えようか」
 額にある濡れタオルを新しくしてくれる。冷えたタオルが気持ちいい。そんなに熱があるように思っていなかったが、思ったより熱が高いようだ。

「要くん、ずっとこっちにいるの?宮廷に行ってないの?」
 行かなかったらすぐに疑われるのではないだろうか。理音に関わったと気付かれれば、どうなるか分からない。
 マウォは反対しただろう。宮廷に知らぬ顔でいなければ、関わっていると言っているようなものだ。
 しかし、小河原は頭を振った。

「ここに理音がいるのに、離れたりしないよ」
 小河原は苦笑いを浮かべた。何が起きるか分からないのに、一人になどできない。口にはしないが、その言葉が聞こえるようだった。

「マウォは私と要くんが知り合いだって知らなかったんでしょう?」
「…知らなかった。何を強要されるか分からなかったから、話さなかった」

 フォーエンの側にいる者と知り合いとは、口にはできないだろう。どんな知り合いかも説明が難しい。
 頭のいい小河原ならばすぐに状況も察したはずだ。シヴァ少将を演じる上でも、皇帝との関係を考えれば敵対する相手だとすぐに気付く。

「でも、言わなかったから、こんなことになった」
 小河原は拳を握った。
 後悔しているのかもしれないが、結局はここに連れられているだろう。
 マウォは自由にできるシヴァ少将を手に入れて、皇帝の席に座らせるつもりなのだ。そこで理音を手にしようと言うのは浅はかだが、これ以上フォーエンの行う改革によってウーゴの葉が増えていけばフォーエンの株は上がるばかり。
 本気で理音の力でウーゴの葉が増えていると考えれば、フォーエンから理音を離そうと考えるのは当然だった。

 フォーエンが今後功績を残したとしても、それは彼が考え進めていっただけで、自分はただほんの少しきっかけを与えただけにすぎない。
 同じことをしてマウォが同じ結果を出せるわけでもない。小河原が皇帝の座につけば理音など必要なく新しい知識を取り入れる。
 だからマウォが理音を狙ったのは失策だった。

 今回のせいでマウォは失脚する。
 それに、小河原にも影響が出るのだ。

「要くん、フォーエンのとこに逃げて。フォーエンはきっと、私がどこにいるのか、すぐに気付くよ」
 見付けるのが遅くなったとしても、一番怪しんでいるのはマウォだ。そこからすぐに足がつく。
 その時マウォがどう動くか分からない。

「フォーエンはシヴァ少将が偽物だって知ってる。だから、宮廷に行って、フォーエンに会って。このことを話して。フォーエンには要くんを傷付けないでって伝えてあるから」
「理音…」
 シヴァ少将が偽物だと、フォーエンに伝えていると思っていたのだろう。小河原は驚きはしなかった。ただ少しだけ眉を顰め、哀しそうな顔をした。
 それは一瞬だったが。

「黙っているつもりだったけれど、フォーエンはマウォを見張ってる。シヴァ少将と何かするんじゃないかと、少し前から考えてた。だから、ごめん。要くんが身代わりをしてることを伝えた。要くんを傷付けたりしないように」
 今更言い訳にしかならないが、黙っていたらシヴァ少将として殺される可能性も出てくる。
 それだけは避けたい。だから、フォーエンにこのことを伝えればすぐに動いてくれる。

「理音、顔色が悪くなってきた。そろそろ眠って」
 小河原が腰を上げようとした。それを袖を引いて止めようとする。
 小河原は、ここを捨てられないのだ。けれど、いつまでもここにいたら、いくら小河原でもフォーエンが庇えなくなってしまう。

「私と同じ場所にいちゃだめ。フォーエンに会いに行って。フォーエンはきっと気付いたらすぐにここに来てしまうから」
 きっとまた助けに来てくれる。身分を偽ってでも助けに来るだろう。
 その時小河原が理音と一緒ならば、もう小河原を助けられない。理音を誘拐した犯人ではなくとも、一緒にいれば終わりなのだ。

「マウォは俺が偽物だと知られたら、シヴァ少将の部下でも殺した。…最初は気付いていなかったんだ」
 小河原はぽつぽつと話し始める。
 ここを逃げれば理音が殺されてしまうと思ったのだろうか。一人でここを離れることに頷いてくれない。

「周囲が騒がしくなって、気付いた時には、俺を殺そうとする奴らまで現れた」
 シヴァ少将の周囲で何人も死んでいる。彼らはシヴァ少将が偽物だと知りマウォと諍いになったのだ。そのせいでマウォに殺された。

「彼らもマウォに殺されただろう。俺はそれで何人が犠牲になったか知らない。一人は恋人と逃げようとしていたと聞いてる。それも失敗して死んだ。他にも色々いるんだろうな。俺が知っている人数より、皇帝の方が知っているかもしれない」
「恋人…」
 それは、後宮から逃げ出した女の話だろうか。シヴァ少将の部下が地下道に迎えに行き、そこで倒れてしまった。

 やはりそこも繋がっていたわけだ。それにスミアも関わっているとなると、協力者は広範囲になる。尚更、小河原が巻き込まれる前にここを離れた方が良かった。
「要くん、それをフォーエンに話し…」
「だから、一度、皇帝と話したことがある」
「フォーエンと?」
 フォーエンはシヴァ少将が意見をはっきり発言するようなことは言っていたが、その時のことだろうか。その頃はまだシヴァ少将が小河原だと話していなかった。

「死んだシヴァ少将の部下を知っているかと、聞かれたんだ」
「それって…」
 小河原が、死んだ者たちを知っているのか、フォーエンは問うたのか。

「何で、そんな質問」
「部下たちを覚えてもいないのに、その席に座っているのか?って言われたんだと思うよ」
「それは…」

 それは、小河原のせいではない。いや、確かに偽りを続けているが、小河原には選択肢がなかっただけではないか。
 もし自分もその立場ならば、他人のフリをしていたかもしれない。
 しかし、

「俺は何も言えなかった。俺が偽物を演じていたから、彼らは犠牲になったわけだからね」
「それは、そうかもしれないけど!」
 いや、もし犠牲になった者だったとすれば、当然出る言葉だ。偽物になどならなければ、死ぬことなどなかったのに。
 立場が違えば、自分もきっと非難する。

 フォーエンの問いは、理音にも同じ意味を持つだろう。
 もっと早く、真実を伝えるべきだったと。

「理音、皇帝はすぐに助けに来るよ。俺が急に朝議を休んだ。皇帝はすぐに気付く。そうしたら、理音がどこにいるかぐらいすぐに分かるだろう」
「要くん、それでここにいるの?」
「それだけじゃないけれどね。理音のことが心配だった。それは本当だよ」

 だが、マウォも危険を察しているだろう。どの程度気付いているか分からないが、シヴァ少将が休み続ければさすがに焦り始める。
 マウォがシヴァ少将を盾にする前に、フォーエンに庇護を求めた方がいい。

「要くん、だったら尚更、フォーエンに会いに行って!」
「ダメだよ。ここは離れられない」
「どうして!」
「理音を一人にはできない」
「私より、要くんの方が危険でしょ!?私は、フォーエンが助けに来るのを待てるから!」
 きっと来てくれる。だから、小河原はここから逃げた方がいいのだ。

「理音…、俺は、友達にしかなれなかった?」
 ぽつぽつと、雨が降り始めていた。
 窓の外で風の音が聞こえる。窓は閉まっていたが、強風が吹き始めたのがわかった。

 何と答えればいいのか、そう考えることもできないくらい、周囲の音が耳に入った。
「信じてるんだね。皇帝を。こんなに危険な目にあってるのに」
 小河原は気付いていただろう。理音が一度として小河原を恋人として扱ったことがなかったことを。

「俺と、恋人にはなれなかった?」
「あのまま、ずっと向こうにいたら、違ったかもしれない」
 なんて卑怯な言い方だろう。
 けれど、あちらにいたままならば、もう少し小河原を大切にできた気がする。
 進みは遅くとも、とてもゆっくりだとしても、進みはしたかもしれない。
 けれど、

「ごめん。私はフォーエンが好き。今もそれは変わらない」
「知ってる。知ってたよ」

 小河原はか細い声でそれを口にした。
 雨音が激しくなってきた。遠くで雷の音も聞こえる。

 話す声を消すように、激しい雨が吹き荒れてきた。
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