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228 ーヒューウォー

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「名前は?」
「ヒューウォと申します」

 フォーエンから離れた、部屋の中央でうずくまっている男は、床に額を擦り付けたまま、ぶるぶると震えながら名を答えた。

 可哀想なほど萎縮している。それもそのはず、広い部屋にあるひな壇の上には布が垂れ下がり、いかにも偉い人が座っている雰囲気が漂っている。
 小さくなっているヒューウォは濃い灰色の着物を一枚着ているだけ。この冬に着物一枚だ。濃い灰色と言っても薄汚れた感じがするので、実際は薄い灰色なのかもしれない。
 そんな着物を着ている人が皇帝陛下を目の前にして、どうやって顔を上げると言うのか。平民からすれば神に近い人。恐れて当然だろう。

「エンシの弟子であることは間違いないか」
「弟子というほどのものではございません。エンシ様より医術の基礎を教えていただいていただけにございます。それも数年のことでございます」
 問うているのは近くに立っていたハク大輔だ。
 そして当然のようにコウユウもいる。フォーエンの隣には立たず、ひな壇の下でヒューウォを警戒しているように見えた。

 見窄らしい格好をしているし、剣などを持っているわけではないが、本当ならばああいう身分の人をフォーエンに会わせたくないのだろう。心無しか目つきが鋭く雰囲気が怖い。
「顔を上げよ」
 フォーエンからの声にヒューウォはびくりと肩を上げた。ゆっくりと顔を上げるが目線は地面におりており、フォーエンを視界に入れていない。
 そこまで怖いのか。平民の心情を知ってこちらが冷や汗をかきそうになる。

 ヒューウォは長い前髪を両頬に垂れさせ、頭の上にお団子を作っていた。額や目は出しているのだが、口髭と顎髭がずいぶん長いので、若いのか年老いているのかわかりづらい。
「緊張する必要はない。エンシの医師の技術を広めるために医師を集めているところだ」
「エンシ様のですか!?」
「エンシの医師としての技術はこの国にはないものだ。今後のために医師たちの学びを進めている。お前は王都で平民に医療を施していたそうだが」
「わたくしは、エンシ様より医療の道へ進むならば南の国へ学びに行けと勧められ、長く南の国におりました。故郷を離れて久しいため、戻ってきた次第にございます」
「平民の頭を縫ったそうだな」

 ヒューウォは顔を歪めつつも小さく頷いた。間違いありませんと。
 頭部を縫えるほどの腕ならば、外科の勉強をしてきたのだろう。フォーエンがこちらを見遣るので頷くと、するりと立ち上がった。
「リオン、後はお前が話を聞け」
 フォーエンが舞台から姿を消すとコウユウも姿を消した。残ったハク大輔は口を挟む気はないと、理音に話しかけるように促した。ヒューウォは怯えるように頭を下げてそのままだ。

「お話、聞かせてもらってもいいですか。私、ただの平民なのでもう頭上げて平気ですよ」
 理音の声に、ヒューウォはおどおどと頭を上げた。
「はじめまして、理音って言います。失礼ですが、お年はいくつですか?」
「二十八になります」
「十年前はどちらにいらっしゃいましたか?」
「ジ州。ラカンの街です」

「私、ラカンのお城で少しだけ薬草を作るお手伝いをしていたんです」
「そうなんですか!?まだ薬草園は無事でしょうか。あそこは設備がしっかりしていましたが、外の薬草園は厳しい環境でしたから」
「試行錯誤して増やしていましたよ。エンシさんが使っていた医療器具も残されていましたし、エンシさんの技術が少しでも残ればと、薬草園には力を入れていました」
「そうですか」

 医師を目指すために南の国へ旅立ったが、残された薬草園は気になっていたのだろう。少しだけ安堵した顔を見せて、口元の髭を動かすように笑った。
 笑い顔を見ると年相応に見える。

「エンシ様が作られた薬草園は多くの種類が植えられていました。あれだけの薬草を見ただけで使用できる知識と、エンシ様の医療技術を学ぶためにこの国を出たんです」
「たくさん学んで、戻っていらっしゃったんですね」
「エンシ様は素晴らしいお医者様です。南の国であればその知識を学べると伺って、この国を出る決心をしました。エンシ様にも援助をいただき、感謝しかありませんでした」

 満足げな笑顔は医者としての学びを多く取り入れられたからに違いない。エンシの元で学べれば良かっただろうが、エンシは手首がなかった。技術的に教えられることは多くなかったはずだ。
 それならば南の国に行ってその技術を学べと、背中を押されたのかもしれない。

「エンシさんが亡くなって、学ぶこともできなくなってしまいましたもんね」
「…エンシ様の死は、突然でした。心の臓が悪いとは聞いていなかったんですが、頓死されて」
 エンシの死は、他の人に聞いた通り、突然の死だった。机に突っ伏したまま、亡くなっていたそうだ。

「薬草の木札を作ったのはあなたですか?」
「まだラカンの城に残っているんですか?あの木札はエンシ様に遊びで学ぶ方法も伺ったので私が作りました。一部燃えてしまった物を作り直そうと思ってたんですが、結局その暇なく」
「燃えた?だから意味のない木札になっていたんですか?」
「そうなんです。絵の方の木札が全て燃やされてしまって。保管しておいた場所が放火されてしまったんです。幸い対の木札は別の場所に置いてあったので、無事だったんですけれど」
「放火…」

「お祭り中で医療用の部屋を開けっ放しにしていたから、何者かが入り込んで火を放ったみたいで。暇な時に勉強しようとしていたのが仇になりました。人が出払っていた時で、誰でも入られるようになっていたから、犯人もわからず」
 医療用の部屋を放火するとは、随分心ないことをする者がいる。祭り中であれば怪我をしたりした者が運ばれてきたのだろう。飲みすぎたり喧嘩したりとありそうだ。

「火を焚いていたので魔が差してしまったのかもしれません。荒らされたわけでもなく、火の近くにあった木札や薬草が燃やされただけなので」
 ヒューウォはそこで治療をするために待機していたそうだ。
 エンシが指示をし、治療をしていたわけである。

 そこを放火か。趣味が悪い。
 しかしこれで納得がいった。やはりあの木札は二枚一組で勉強するためのものだったのだ。それを大事に取っておいたのはいいが、片方だけになってしまい正確な情報でなくなってしまったのが残念だ。

「レイシュンさんってご存知ですか?今、ジ州の州侯をされている、ソウ・レイシュンさん。ヒューウォさんがラカンの城にいた頃には州侯ではないんですけれど」
「ソウ様ならば存じ上げています。ラカンの城にいらっしゃったことがあって。二ヶ月くらい滞在されておりましたから」
「それって、いつ頃ですか?エンシさんが亡くなる直前くらい!?」
「そうですね。少し前だったはずです」

 エンシがラカンの城にいた頃に、レイシュンが城に滞在していた。
 エンシがその城にいたと知ってその城に来たのか、それとも知らずに来たのか。しかしそれはエンシが亡くなる直前で、その後エンシは自殺したのだ。

「その頃、月桂樹が送られてきませんでしたか?」
「月桂樹なら、送られてきましたが…。それが何か?」
「月桂樹の花って咲いていましたか?」
「咲いていましたね。小さな黄色い花で、とても可愛らしい。そう言えばあの頃からエンシ様は何か考えるようになって…」
 ヒューウォはふと思い出したように言う。そして理音の顔を見つめた。

「月桂樹に何か?あの木は特に健康を害する要素はないはずですが」
 さすがにここまで話していれば何を聞きたいのか気付くだろう。それには答えずもう一つ聞きたいことを問う。
「では、花言葉ご存知ですか?」
「いえ、存じません。エンシ様ならご存知でしょうが」
「エンシさんが花言葉に詳しいのは間違いないですか?」
「間違いありません。南の国では花言葉の意味を考えて花を人に送るそうです」

「月桂樹の花言葉は、裏切りだそうです」
「裏切り…?エンシ様に恨みを持っている者が送ったと言うことですか!?わ、わたしではありません!」
 立ち上がりそうな勢いでヒューウォは聞いてくる。近くにまだハク大輔が残っているのに気づくと静かに座り直した。
「ヒューウォさんを疑ってるわけじゃないんです。その時のことを詳しく知っている人があなたしかいなかったので、確認のため聞かせてほしいだけですから」

 久しぶりに母国に戻ってきたのに、殺人容疑で連れられたと勘違いしたのだろう。それについて疑っているわけではないと伝えると、ヒューウォはほっと吐息をついた。
「エンシ様が亡くなった時、心の臓の病だったのか、毒だったのか、私は判別がつきませんでした」
 解剖までは行わなかったのだろう。その技術も知識もなかったかもしれない。エンシは原因不明の死で葬られたのだ。

「エンシさんが育てていた、誰にも触れるなと命令していた木はご存知ですよね?」
 それを言うと、ヒューウォはさっと顔色を変えた。
「あの木は!」
「効能を知っているんですか?」
「知ったのは、知ったのは南の国に行ってからです!この国にいた頃には知りませんでした!エンシ様より大切な木だから絶対に触るなと、水をやることも許されていませんでした。繊細な木なのだと言われて…」

 ヒューウォはそこまで言って口を閉じた。ぎゅっと握った拳が服に皺を寄せる。
 何の毒がエンシを殺したのか、すぐに気付いただろう。
 エンシは自国から毒の木を持ち込み、あの庭に植えた。十年で育った木は低木でやっと実をつけるほどの大きさだ。それでも実は毒を持ち、エンシは自らを殺めるために使ったのだ。

「エンシさんは自殺だと思います。月桂樹に意味があったんでしょう。エンシさんは王都では恨まれることもあったそうです」
「エンシ様が?あの方は、素晴らしい方でした。誰にでも分け隔てなく医療を教えてくださり、多くを与えてくださった方です」
「私もそう思います。王都でも医療に力を入れていくことになりました。ヒューウォさんの知識を得たいと思う人も多くいるはずです」
 ヒューウォはこくりと頷く。

「南の国で噂を聞きました。イー州では薬草や食料を集めていると。医療の力が必要かもしれないと思い、王都に入ろうと戻ってきたのです」

 自分が役に立つために王都に来たのだと言うと、ヒューウォは力強く拳を握った。
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