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208 ールファンー
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「ここで待っていらっしゃい」
庭園を少し歩いたところ。池が見える小道でスミアは言うと、建物の方へ行ってしまった。ポツンと残されてしまったが、言うことを聞くしかないので、そこに突っ立ったまま待つことにした。
残された場所は木々が天井を覆う小道で、少し行けば池になる。そこには四阿があった。池を中心にしてぐるりと一周散歩コースのようになっているのか、小道が続いている。所々に四阿、ポイントとなるような大木、大きな岩などが見えたが、大半が草木に隠れて一望できない。
庭園の先にあるのは住まい用の建物だろう。コの字型で庭を囲むような形をしており、少し高台に造られていた。ほとんどが一階建てで、飾り程度に二階があった。お金持ちは土地をふんだんに使うのだろう。平屋で土地使いまくりである。
ここからは見えないが、建物の後ろにも庭や建物があるのかもしれない。奥の林が遠目に見えたからだ。
だが、人がいない。レイセン宮にも庭園に人はいないが、建物付近には女官たちが歩き回っている。自分は部屋にいるか部屋近くの四阿にいるかだが、歩いている女官はよく見かけた。理音を見る女官たちもいて、人がいないところは庭園の奥深くくらいだ。
こちらは広さもあるので女官の人数も少ないのだろうか。謎である。
「しかし、いつまで待てばいいんだろう」
バケツを片手に放置されると、立たされている感がある。気のせいだろうか。水が入っていないだけましか。少し風が吹くと足元が寒い。近くに池が見えるからか、背筋が冷えた。風があると水辺の近くは寒く感じる。
寒さに足元を踏み続けていると、池に舟が見えた。屋根のある小舟で装飾がなされている。淡いピンク色の布がカーテンのように、屋根から垂れ下がって中を隠していた。ゆらゆら揺らめいて、そこだけ春のように明るい。
池に船があるのは初めて見た。広い池だからだろう。日本庭園でも小舟が寄せてあるのを見たことがある。ただ小舟の装いは豪華仕様だ。人が乗っているのか、船頭が岸へと小舟を止めた。
赤の入った紫色の着物を着た女官がカーテンの中から出て二人降りると、一人が中にいる人に手を伸ばす。その手に引き寄せられるように、女性が一人小舟からするりと降りた。女性は黒髪を頭の上でまとめているか、この距離でもわかるような飾りが頭の上で揺れる。着ている着物はサーモンピンクと明るい紫を合わせに使った着物で、袖が揺れると際立って見えた。
顔は遠目で見えないが、線の細い女性だ。この宮で特別良い装いをしている女性ときたら、もうまごうことなき、フォーエンのお母さんではなかろうか。
顔を見たいが近寄るわけにはいかない。と言うより、ここにいるのに気づかれたら良くない気がする。こっそり後退り、岩陰に隠れようとした。まあ、そんな時には何故か気づかれるのである。
女官の一人がこちらに気づいたのだろう。何だか騒がしさを感じて、理音は後退りした。スミアがいない今、自分は明らかに不審者だ。しかもここで逃げたらもっと大惨事になる気がする。逃げたいのを我慢して、バケツを持ったまま女官の二人がこちらに近寄ってくるのを黙って見つめた。
「何者だ!ここに何しに来た!」
女官だと思ったのだが、女性でも剣を持っている。珍しいなと思いつつ、しかし睨みつけてくる形相が女官のそれではない。笑えない話、変な動きでもすれば簡単に斬られてしまう迫力があった。
「スミア様に連れられてここで待つように言われております。リンと申します」
理音は頭を下げ、不審者ではなく抵抗するつもりもないと態度を表したが、女官たちは剣をこちらに向けているだろう。嘘をつくな!と意味もなく怒鳴られた。
勝手に人の庭に入り込んでいるのだ、普通警戒する。しかし門番にも顔は通したし、スミアが自分を連れたのだ。ここで攻撃されるのは勘弁してほしい。バケツを持つ手を握りしめて、理音は顔を上げた。女官二人は剣のきっ先をこちらに向けて警戒したままだ。
「スミア様に待つように言われております」
それしか言えない。同じことを二度言うと、女官たちの後ろから、フォーエンのお母さんであろうルファンがこちらに近づいて来た。
「ルファン様!危のうございます!」
「ルファン様!」
他にも小舟に乗っていた女官がいたらしい。ルファンがこちらに近寄るのを、女官たちが前に立ち塞がって止めようとしたが、ルファンはふわりと笑って近寄って来た。剣を持った女官たちも焦ったようにルファンを尻目にこちらを警戒する。
「お近づきあそばれませぬよう!ルファン様、この者賊でございます!」
違うと大声を上げれば斬られそうだ。理音はバケツで何とか止めようと、手に持っていたバケツをそっと手前に寄せた。
「リンと申します。スミア様よりここで待つよう命じられ、スミア様をお待ちしていた次第です」
頭を下げて、理音はルファンに向かって言った。その言葉にも女官たちは否定をし、ルファンに近づかないように理音の前を二人で塞いだ。
「お客様なの?」
この緊張感の高まる中、可愛らしい鈴の音のような声が響いた。子供のような、明るく楽しげな声だ。
「いいえ、賊でございます。近寄ってはなりません!」
「ぞく?」
ルファンはよくわからないと、明るい声で問うた。小さな子供が、はしゃいで何かを問うような声だった。
何だ?声の質や雰囲気が、何だかおかしい。女官たちは理音をひどく警戒しているのに、ルファンは全くその気がない。それどころか楽しい遊び相手が訪れたような雰囲気だ。
「遊びにいらっしゃったの?」
ルファンは、ふふ、と嬉しそうに笑って、理音に問うた。女官たちがルファンの名を呼ぶ勢いと違う、のんびりとした声だった。
理音は理解した。これがルファンの話題を出さない理由だと。
「その者はわたくしの客ですよ。下がりなさい」
緊張が高まる中届いたのはスミアの声だ。理音が頭を上げると女官たちが困惑げに剣を下ろした。
「スミア様」
「花の種をやる約束をしているのよ。ウの方の女官です。下がりなさい」
スミアの言葉に女官たちが頭を下げると剣をしまう。彼女たちの背後にいたルファンは、近寄ってもいいのだと嬉しそうに理音へ寄って来た。
「遊びにいらっしゃったの?」
「ええ、そうですよ。ルファン様。リンと申します。花が好きな女官ですよ」
「まあ、お花が好きなの?わたくしと一緒ね?」
ルファンは笑顔で理音の前へ遠慮なく寄った。後ろの女官たちがぐっと力を入れたのがわかったが、スミアは止める気がないようだ。ルファンは楽しそうな笑顔を携えたまま、するりと頭の簪を手にして、理音の手を取った。
「お花が好きな方。これを差し上げるわ。綺麗なお花なのよ」
渡された簪は、いかにも高価そうな宝石のついた物だった。ピンク色の大きな宝石を軸にして花の模様が金属に彫られている。銀の簪だがその彫りは細かく、理音が見ても相当な物だとわかる。
こんな物受け取れない。スミアに目線を泳がせると、受け取るようにと頷いた。
だが、これを持って帰るのは無理だ。
「ありがとうございます。ですが、私の髪には美し過ぎて似合いそうにないので、ルファン様の髪にさされた方が良いでしょう。ルファン様にとてもお似合いです」
そう言ってルファンに握り返すと、ルファンは一瞬ぽかんとした顔を見せた。後ろの女官たちも眉を寄せたが、自分がそんな高価な物をもらうわけにはいかないのだ。そっと簪を持った手を離すと、ルファンは戻された簪を手にしたまま止まった。
やはりまずかっただろうか。ルファンは泣きそうな顔をしたので、あやしたくなるが、そんなことしたら女官たちに殺される気がする。既にスミアの威圧的な無表情に殺されそうだ。
「いらないのかしら?」
「いえ、いただきたいですが、ルファン様に似合う簪をいただくわけにはいきません。その簪はルファン様の髪にこそ似合う物です。ルファン様だけがさせる物です」
「そうなのかしら?」
押しに弱いか。大きく頷いて、髪にさしてもらうといいですよ。と言うと、ルファンはほんわりと柔らかく笑んだ。その顔が、あまりに美しく、フォーエンにそっくりだと思ったのは、おかしいだろうか。
フォーエンはそんな笑い方はしない。笑っても笑いを堪え他所を向いてばかりだ。だが、ルファンはフォーエンに驚くほど似ていた。女性にして柔らかみを持たせれば、フォーエンもこれほどの柔らかな美しさを持つのだろう。
「嬉しいわ。わたくしに似合う簪をどうもありがとう」
渡されたものを返しただけなのに、もらったと勘違いしたらしい。ルファンは喜んで女官に髪へさすよう言った。そのあどけない表情が少女のようで、年を感じさせない。実際若いのだと思う。フォーエンとそこまで変わらないのではないだろうか。こちらは結婚が早そうであるし、十代でフォーエンを産んだのだろう。
溢れるような笑顔が眩しいほどで、さされた簪を触れる仕草に色っぽさを感じながらも、あどけない表情が麗しく美しい。子供のように見えるのにゆるりと笑むと色気のある雰囲気が溢れてくる。
フォーエンとの血縁がよくわかる人だ。ルファンとフォーエンを並べれば、美人姉妹である。しかし、フォーエンは身長があるので隣同士でいればフォーエンが女に見えることもないだろうか。ルファンは理音より若干身長が低かった。
「さあ、ルファン様。お屋敷に戻りましょう。池は寒かったでしょうに。暖かくしませんと」
「うふふ。お水が綺麗だったの」
ルファンはもう理音のことを忘れたかのようにスミアに向くと、笑いながら女官に促され屋敷の方へ歩んだ。しかし、ふと思い出したように、くるりと回った。
「あの子は来ないのかしら?」
「あの者はまた参りますよ」
「そうなの?また遊びましょうね。ねえ、わたくしお腹が減ったわ」
「お部屋にお菓子を用意しております」
スミアはルファンに言いながら近くの女官に何かを渡して耳打ちした。女官がそれを持ったまま理音にそれを持ってくる。
「これを持って来た道を戻るようにとのことです。どこにも寄らずすぐに立ち去りなさい」
半ば強制的に女官が理音に布袋を渡した。睨まれて手のひらに入るほどの小袋を与えられ、理音も言う通りに踵を返す。一本道ではなかったが多分道は覚えている。ここはさっさと退場した方が良さそうだ。
言われたままに理音は小道を戻った。一度後ろを見やったがもうルファンたちの姿は遠くこちらを振り向きもしなかった。
あれがフォーエンの母親だ。通りでルファンの話が出た時に、あまり口にしてはいけないような雰囲気になったわけである。
「精神的に、何かあったのかな…」
それとも前からああだったのだろうか。
いいところのお嬢様の話し方をするが、子供のような無邪気なことを口にする。それは状況を理解できないからだ。体調が悪く宮にこもっているわけではない。皇太后として外に出せないのだろう。
「話が出ないはずだよ」
このことはユイからフォーエンに話が行くだろう。時間も時間だ。そろそろ昼の鐘が鳴る。早く戻り午後の仕事に行かなければならない。あとでユイに呼ばれて何をしていたか問われるかもしれない。
隠されるような場所に皇太后の宮がある。隠されているのだろう。他の者たちが近づかないように。
フォーエンの複雑な家庭環境に、ただため息しか出なかった。
庭園を少し歩いたところ。池が見える小道でスミアは言うと、建物の方へ行ってしまった。ポツンと残されてしまったが、言うことを聞くしかないので、そこに突っ立ったまま待つことにした。
残された場所は木々が天井を覆う小道で、少し行けば池になる。そこには四阿があった。池を中心にしてぐるりと一周散歩コースのようになっているのか、小道が続いている。所々に四阿、ポイントとなるような大木、大きな岩などが見えたが、大半が草木に隠れて一望できない。
庭園の先にあるのは住まい用の建物だろう。コの字型で庭を囲むような形をしており、少し高台に造られていた。ほとんどが一階建てで、飾り程度に二階があった。お金持ちは土地をふんだんに使うのだろう。平屋で土地使いまくりである。
ここからは見えないが、建物の後ろにも庭や建物があるのかもしれない。奥の林が遠目に見えたからだ。
だが、人がいない。レイセン宮にも庭園に人はいないが、建物付近には女官たちが歩き回っている。自分は部屋にいるか部屋近くの四阿にいるかだが、歩いている女官はよく見かけた。理音を見る女官たちもいて、人がいないところは庭園の奥深くくらいだ。
こちらは広さもあるので女官の人数も少ないのだろうか。謎である。
「しかし、いつまで待てばいいんだろう」
バケツを片手に放置されると、立たされている感がある。気のせいだろうか。水が入っていないだけましか。少し風が吹くと足元が寒い。近くに池が見えるからか、背筋が冷えた。風があると水辺の近くは寒く感じる。
寒さに足元を踏み続けていると、池に舟が見えた。屋根のある小舟で装飾がなされている。淡いピンク色の布がカーテンのように、屋根から垂れ下がって中を隠していた。ゆらゆら揺らめいて、そこだけ春のように明るい。
池に船があるのは初めて見た。広い池だからだろう。日本庭園でも小舟が寄せてあるのを見たことがある。ただ小舟の装いは豪華仕様だ。人が乗っているのか、船頭が岸へと小舟を止めた。
赤の入った紫色の着物を着た女官がカーテンの中から出て二人降りると、一人が中にいる人に手を伸ばす。その手に引き寄せられるように、女性が一人小舟からするりと降りた。女性は黒髪を頭の上でまとめているか、この距離でもわかるような飾りが頭の上で揺れる。着ている着物はサーモンピンクと明るい紫を合わせに使った着物で、袖が揺れると際立って見えた。
顔は遠目で見えないが、線の細い女性だ。この宮で特別良い装いをしている女性ときたら、もうまごうことなき、フォーエンのお母さんではなかろうか。
顔を見たいが近寄るわけにはいかない。と言うより、ここにいるのに気づかれたら良くない気がする。こっそり後退り、岩陰に隠れようとした。まあ、そんな時には何故か気づかれるのである。
女官の一人がこちらに気づいたのだろう。何だか騒がしさを感じて、理音は後退りした。スミアがいない今、自分は明らかに不審者だ。しかもここで逃げたらもっと大惨事になる気がする。逃げたいのを我慢して、バケツを持ったまま女官の二人がこちらに近寄ってくるのを黙って見つめた。
「何者だ!ここに何しに来た!」
女官だと思ったのだが、女性でも剣を持っている。珍しいなと思いつつ、しかし睨みつけてくる形相が女官のそれではない。笑えない話、変な動きでもすれば簡単に斬られてしまう迫力があった。
「スミア様に連れられてここで待つように言われております。リンと申します」
理音は頭を下げ、不審者ではなく抵抗するつもりもないと態度を表したが、女官たちは剣をこちらに向けているだろう。嘘をつくな!と意味もなく怒鳴られた。
勝手に人の庭に入り込んでいるのだ、普通警戒する。しかし門番にも顔は通したし、スミアが自分を連れたのだ。ここで攻撃されるのは勘弁してほしい。バケツを持つ手を握りしめて、理音は顔を上げた。女官二人は剣のきっ先をこちらに向けて警戒したままだ。
「スミア様に待つように言われております」
それしか言えない。同じことを二度言うと、女官たちの後ろから、フォーエンのお母さんであろうルファンがこちらに近づいて来た。
「ルファン様!危のうございます!」
「ルファン様!」
他にも小舟に乗っていた女官がいたらしい。ルファンがこちらに近寄るのを、女官たちが前に立ち塞がって止めようとしたが、ルファンはふわりと笑って近寄って来た。剣を持った女官たちも焦ったようにルファンを尻目にこちらを警戒する。
「お近づきあそばれませぬよう!ルファン様、この者賊でございます!」
違うと大声を上げれば斬られそうだ。理音はバケツで何とか止めようと、手に持っていたバケツをそっと手前に寄せた。
「リンと申します。スミア様よりここで待つよう命じられ、スミア様をお待ちしていた次第です」
頭を下げて、理音はルファンに向かって言った。その言葉にも女官たちは否定をし、ルファンに近づかないように理音の前を二人で塞いだ。
「お客様なの?」
この緊張感の高まる中、可愛らしい鈴の音のような声が響いた。子供のような、明るく楽しげな声だ。
「いいえ、賊でございます。近寄ってはなりません!」
「ぞく?」
ルファンはよくわからないと、明るい声で問うた。小さな子供が、はしゃいで何かを問うような声だった。
何だ?声の質や雰囲気が、何だかおかしい。女官たちは理音をひどく警戒しているのに、ルファンは全くその気がない。それどころか楽しい遊び相手が訪れたような雰囲気だ。
「遊びにいらっしゃったの?」
ルファンは、ふふ、と嬉しそうに笑って、理音に問うた。女官たちがルファンの名を呼ぶ勢いと違う、のんびりとした声だった。
理音は理解した。これがルファンの話題を出さない理由だと。
「その者はわたくしの客ですよ。下がりなさい」
緊張が高まる中届いたのはスミアの声だ。理音が頭を上げると女官たちが困惑げに剣を下ろした。
「スミア様」
「花の種をやる約束をしているのよ。ウの方の女官です。下がりなさい」
スミアの言葉に女官たちが頭を下げると剣をしまう。彼女たちの背後にいたルファンは、近寄ってもいいのだと嬉しそうに理音へ寄って来た。
「遊びにいらっしゃったの?」
「ええ、そうですよ。ルファン様。リンと申します。花が好きな女官ですよ」
「まあ、お花が好きなの?わたくしと一緒ね?」
ルファンは笑顔で理音の前へ遠慮なく寄った。後ろの女官たちがぐっと力を入れたのがわかったが、スミアは止める気がないようだ。ルファンは楽しそうな笑顔を携えたまま、するりと頭の簪を手にして、理音の手を取った。
「お花が好きな方。これを差し上げるわ。綺麗なお花なのよ」
渡された簪は、いかにも高価そうな宝石のついた物だった。ピンク色の大きな宝石を軸にして花の模様が金属に彫られている。銀の簪だがその彫りは細かく、理音が見ても相当な物だとわかる。
こんな物受け取れない。スミアに目線を泳がせると、受け取るようにと頷いた。
だが、これを持って帰るのは無理だ。
「ありがとうございます。ですが、私の髪には美し過ぎて似合いそうにないので、ルファン様の髪にさされた方が良いでしょう。ルファン様にとてもお似合いです」
そう言ってルファンに握り返すと、ルファンは一瞬ぽかんとした顔を見せた。後ろの女官たちも眉を寄せたが、自分がそんな高価な物をもらうわけにはいかないのだ。そっと簪を持った手を離すと、ルファンは戻された簪を手にしたまま止まった。
やはりまずかっただろうか。ルファンは泣きそうな顔をしたので、あやしたくなるが、そんなことしたら女官たちに殺される気がする。既にスミアの威圧的な無表情に殺されそうだ。
「いらないのかしら?」
「いえ、いただきたいですが、ルファン様に似合う簪をいただくわけにはいきません。その簪はルファン様の髪にこそ似合う物です。ルファン様だけがさせる物です」
「そうなのかしら?」
押しに弱いか。大きく頷いて、髪にさしてもらうといいですよ。と言うと、ルファンはほんわりと柔らかく笑んだ。その顔が、あまりに美しく、フォーエンにそっくりだと思ったのは、おかしいだろうか。
フォーエンはそんな笑い方はしない。笑っても笑いを堪え他所を向いてばかりだ。だが、ルファンはフォーエンに驚くほど似ていた。女性にして柔らかみを持たせれば、フォーエンもこれほどの柔らかな美しさを持つのだろう。
「嬉しいわ。わたくしに似合う簪をどうもありがとう」
渡されたものを返しただけなのに、もらったと勘違いしたらしい。ルファンは喜んで女官に髪へさすよう言った。そのあどけない表情が少女のようで、年を感じさせない。実際若いのだと思う。フォーエンとそこまで変わらないのではないだろうか。こちらは結婚が早そうであるし、十代でフォーエンを産んだのだろう。
溢れるような笑顔が眩しいほどで、さされた簪を触れる仕草に色っぽさを感じながらも、あどけない表情が麗しく美しい。子供のように見えるのにゆるりと笑むと色気のある雰囲気が溢れてくる。
フォーエンとの血縁がよくわかる人だ。ルファンとフォーエンを並べれば、美人姉妹である。しかし、フォーエンは身長があるので隣同士でいればフォーエンが女に見えることもないだろうか。ルファンは理音より若干身長が低かった。
「さあ、ルファン様。お屋敷に戻りましょう。池は寒かったでしょうに。暖かくしませんと」
「うふふ。お水が綺麗だったの」
ルファンはもう理音のことを忘れたかのようにスミアに向くと、笑いながら女官に促され屋敷の方へ歩んだ。しかし、ふと思い出したように、くるりと回った。
「あの子は来ないのかしら?」
「あの者はまた参りますよ」
「そうなの?また遊びましょうね。ねえ、わたくしお腹が減ったわ」
「お部屋にお菓子を用意しております」
スミアはルファンに言いながら近くの女官に何かを渡して耳打ちした。女官がそれを持ったまま理音にそれを持ってくる。
「これを持って来た道を戻るようにとのことです。どこにも寄らずすぐに立ち去りなさい」
半ば強制的に女官が理音に布袋を渡した。睨まれて手のひらに入るほどの小袋を与えられ、理音も言う通りに踵を返す。一本道ではなかったが多分道は覚えている。ここはさっさと退場した方が良さそうだ。
言われたままに理音は小道を戻った。一度後ろを見やったがもうルファンたちの姿は遠くこちらを振り向きもしなかった。
あれがフォーエンの母親だ。通りでルファンの話が出た時に、あまり口にしてはいけないような雰囲気になったわけである。
「精神的に、何かあったのかな…」
それとも前からああだったのだろうか。
いいところのお嬢様の話し方をするが、子供のような無邪気なことを口にする。それは状況を理解できないからだ。体調が悪く宮にこもっているわけではない。皇太后として外に出せないのだろう。
「話が出ないはずだよ」
このことはユイからフォーエンに話が行くだろう。時間も時間だ。そろそろ昼の鐘が鳴る。早く戻り午後の仕事に行かなければならない。あとでユイに呼ばれて何をしていたか問われるかもしれない。
隠されるような場所に皇太后の宮がある。隠されているのだろう。他の者たちが近づかないように。
フォーエンの複雑な家庭環境に、ただため息しか出なかった。
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