群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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194 ー医学書ー

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 ナラカは一通り話をして姿を消したが、ナラカから出てこなかった話がある。

 一つ目は、理音がウの姫の女官を手伝っていること。
 二つ目は、フォーエンがラカンの城へ行ったこと。
 それから、ウーゴの木の葉が生えたこと。これについて何も言ってこないのならば、自分が災いとして現れたことを知らない。なぜ囮をやり始めたかの理由を、ナラカは知らないのだ。
 情報が漏れていないのは、セイオウ院とレイセン宮の中だけだ。

 やっぱり漏れているのはフォーエンの情報なんだよなあ。それをフォーエンに言うかだが、こう言う時に限って現れたのが昨夜なので、また二日後辺りだろうか。
 そんなことを思っていた、午後の仕事中、メイラクに呼ばれた。

「リオン、こちらへ来てください」
「はいっ」
 チェックはまだ途中の紙を置いて、理音は立ち上がった。別の仕事があるので、場所を移動するそうだ。まだ終わっていなかったが、仕事をそのままにしてメイラクについていく。
「別のお仕事ですか」
「ええ。大事な仕事なので、そちらを先にお願いしますね」

 頷いてメイラクについて行くが、かなり歩くようだ。棟を出て渡り廊下で別の棟へ行く。隣の棟に行くのに兵士がうろついているが、ここで移動を止められたりはしない。
 ある程度の場所までは許可がなくても行けるのだ。
 ここのルールもいまいちわからないが、時折止められている人を見かけるので、着ている服で判別しているのだろう。前と同じだ。

 メイラクは警備の多い棟へと入って行く。大きな扉をくぐると、柱だけの部屋に入り通り過ぎた。そこにも兵士がおり、厳重に警備がされている。
 いくつかの警備を通りすぎて進んだ先、棟と棟を隔てる壁と門が見えた。兵士が開く扉を潜ったが、かなり厳重だ。

 もしかして、フォーエンがいる場所に近いのではないだろうか。
 前にヘキ卿をフォーエンに会わせるために王宮に入ったが、自分が入れた場所よりずっと奥に進んでいる気がする。
「リオン、中で人がお待ちですから、中の方を手伝ってください」
 メイラクは真っ赤な大きな扉の前で足を止めた。兵士が数人扉を守っている。
 メイラクがその兵士に何かを告げると、兵士が部屋の中へメイラクの到着を告げるために入って、少しして戻った兵士に扉が開けられた。

「どうぞ」
 メイラクは入らないと、そこで足を止めたままだ。促されて中に入ると、後ろの扉が閉められる。
 広い部屋の中、豪華な装飾が施された壁の前には、豪華な机を前にしたフォーエンがいた。

 フォーエン、と呼びそうになったのを堪えられたのは、その少し離れた脇に男性が座っていたからだ。こちらも机を前にしている。
 フォーエンの席が一番奥の壁際で、扉からまっすぐにレッドカーペットのような濃い赤の長い絨毯が続いて、フォーエンの前で途切れていた。
 フォーエンの机はそこから段差のある場所にあり、完全に近づけない距離が保たれている。

 その絨毯をあけて、左右に対面で机がいくつか並んでいる。部屋がだだっ広いくせに、机の数は少ない。しかしどれも細かい彫刻と装飾がなされた机で、座っている人の着物も重厚に感じた。ヘキ卿のように、刺繍の細かい着物を着ている。
 座っていたのは三十前後くらいの男性で、髪はきっちり結ばれて、頭の上のお団子は金属の装飾品で留められていた。瞳は鋭くこちらを見る目が厳しい。面接前の面接官のようだ。キリッとした眉をして、凛とした表情が印象的である。

 周囲を見回す限り、もしかして、ここはフォーエンの執務室なのではないだろうか。
「リオン、こちらへ」
 フォーエンは緊張する理音を気にせず呼び、フォーエンの近くへ来るように言う。
 部屋にはフォーエンと男性しかおらず、広い部屋の中には二人しかいなかった。
 いいのかな。と思いつつ、そろりと近くまで寄ったが、男の手前で歩むのをやめた。これ以上フォーエンに近づくと怒られそうだ。

 フォーエンの机から、段差を降りて二メートルほど開けたところで、理音は立ち尽くした。
「構わず話せ。この間の話だ」
 言われてほっと肩の力を抜く。こちらを見ている男は事情を知っているのだろう。
 ところでこの間の話とは、どの話のことだろうか。
「食物の、研究の話だ」
 とぼけた顔をしていたのに気づいて、フォーエンが付け足してくる。そう言えばまた別で話したいと言っていた。

「どうやって研究させるかってこと?」
「いくつかの方法を考えたい。前に言っていた権利だが」
「著作権を持たせて、その人にお金が入るようにするとか、って話?でも著作権こっちないんでしょ?」
「ないな。物を作るのに権利はない」
 それでは、元祖とか本家とか、誰が始めたかわからなくなるやつである。

「例えば、何か新しい物を研究して作った場合、その物の品質に価値があるわけじゃない?でも、誰かがそれと似たようなものを作って、似たような名前にしたり、同じ物だと言って売っちゃったら、その本物の価値が薄れたり、売り上げに関わる可能性があるじゃん?」
 言いながら、この口調大丈夫なのか、急に不安になる。隣で鋭くこちらを見ている目が痛い。敬語にするべきだっただろうか。
 しかし今更フォーエン相手に敬語が難しい。うまく説明できる気がしない。
 フォーエンは気にしていないか、説明に頷いている。まあ、いいか。いいかな?

「そうならないために、権利を得るの。他の人が作ったらお金が得られたり、同じ名前使ったら罰金になったり。他の人が考えなかった物に、特許っていう権利を得られるんだよね。ただ申請しなきゃなんだけど。でも、他の人に盗まれる前に特許を取っとかないと、他の人が自分が作ったって言われても反論できなくなる」
「知識の盗難を防ぐためもあるのか」
「せっかく研究したのに、横取りされたら嫌でしょ。努力が無駄になっちゃうから。そのために権利があって、その人の権利を使うには、お金を払って使わせてもらう」
 簡単な説明だが、フォーエンはわかるだろう。要はそんな権利をどう利用するか、どう役立てるかである。

「研究費を政府が出して、新しいものを作ることもあるし、個々に作った人が権利を得るのもあるよ。国の研究費で研究したら権利は国になって、個々で作ればその権利はその人ものになるから、利益は違うけどね」
 会社と個人で権利は違うので、それで問題になることもある。
 しかし、その権利を浸透させるのは時間がかかると思う。何せ土地が広すぎて情報を広げるにも時間がかかるからだ。申請しても勝手に使われては意味がないので、監査委員が必要になる。市場のチェックをしなければならない。
 広大な土地を持つこの国で、どこまでできるかだ。

「称号ならばこの国にもございますが、それで良いのではないのですか?」
 理音を睨んでいた男が、フォーエンに問いかけた。称号って、国のお墨付きみたいなものがあるのだろうか。
「その称号にはどんな利益があるんですか?」
「皇帝陛下からの名誉です」
 問いにすぐ返されたが、理音は口を山なりにした。価値観がわからない。

「名誉って利益になるの?」
 理音がフォーエンに問うと、フォーエンは吹き出すように口元を拳で抑えた。咳をするふりでごまかしている。
 しかし男は大きく眉根を寄せた。言ってはいけないことを言ったのかもしれない。コウユウが聞いていたら、怒られる話だっただろうか
 皇帝陛下をないがしろにした発言かもしれない。

「お前の感覚では、利益にはならないだろうな」
 フォーエンは苦笑している。その顔を見て男が眉を潜めていたが、すぐにそれを消した。フォーエンが笑っているので、理音に非難するような目はやめたようだ。
「箔が付くってことはわかるけど。その人に与えられるんでしょ?」
 それでは意味がないと思う。その人自身が名誉を得られて格が上がるのかもしれないが、今ここで問題にしているのは商品だ。人ではない。

「その商品だけにつけるならいいと思うよ。でも人に与えちゃうと、それだけで大したことないもの売られても困るじゃない?」
「なるほど。悪用するかもしれないか」
「もっとたくさん出してくれた店にはやっていいと思う。皇帝陛下お墨付き」
 フォーエンは納得したか、男を見やる。男は頷いて、何かを筆で書き始めた。書記だ。

 フォーエンは前に自分では捌き切れないと言っていたので、そう言った役職の専門家なのだろう。
 しかも理音のことを他に漏らさない、信用のある者に違いない。
 男が書記をしている間に、フォーエンは別の話をしてくる。

「これを」
 机の上に出された本を取りに来るように言われて、理音は男を横目にしながらフォーエンに近づく。
 濃いめの赤茶色の机に置かれた本は糸で綴じられており、表紙には何も書かれていない。薄く黄ばんだ紙の色だけが表紙の本だった。

「エンシの手記を写した物だ」
「あったの?」
 ナラカが協力する者がいるのかと言っていたが、見つかったのならばよかった。
「やっぱり隠してる人いたね」
「死んだ医官の息子が隠していた。内容が内容だからな」
 どんな内容なのか、理音が首を傾げると、フォーエンは本に手を置いて、本当に見るのか確認してきた。

「遺体の詳細が載っている」
「遺体?」
 死に方とか細かく描かれているのだろうか。写真だったら見たくないが、絵なら気にならないと思う。
「絵だが、かなり詳細だ」
 カラーで描かれていたら嫌だが、多分墨一色だろう。頷くと、フォーエンが差し出した。
 厚さのある本だ。机の上に置かれたまま開いてみると、確かに遺体の詳細だった。

「わお、解体新書だ。ターヘル・アナトミアー!」
「かいたいしんしょ…?」
 それは人間の身体の詳細な絵と記述がされたもので、筋肉やら血管やらが事細かに描かれていた。
「へー、結構細かいね。骨も全身。断面図まで。うわ、神経まである」
 解体新書などまともに読んだことはないが、ページ数がかなりある分情報量は多い。それなりのレベルで描かれているのではないだろうか。脳の断面図もあるので相当遺体を調べて記したのだろう。

「死体を見聞して残すのはどこでも同じだね。亡くなった人を解剖する。本当に外科医だったんだ。生きててもやったかもだけど」
 内臓の動きなんてものがあるので、死んだ人間だけを解剖したとは思えない。人体実験は行ったのではないだろうか。

 フォーエンは、少しだけ嫌悪感を出すように顔をしかめた。
「軽く言うな」
「ダヴィンチなんか、絞首刑見に行って、死体描いてたって言うし」
「だびんち?」

 ぺらぺらめくりながら、本を端から端まで開いてみる。頭蓋骨がいくつかの角度から見た状態で描かれていた。
 いつも思うが、絵が上手くないとどうにもならない本だ。
 植物の木札も細かく描かれていた。絵師がいないと大変そうである。筋肉の詳細が美術絵レベルだ。
 理音が物怖じせずページをめくるので、フォーエンは若干引き気味に見てきた。

「お前の常識が想像できない…」
 そんなことを言われても、保健室や実験室に模型はあるし、病院にいけばイラストもある。絵であれば何も思わない。
 見慣れているわけではないと思うが、常識として知っているので特に何も思わなかった。やはり慣れだろうか。

 こちらでは外科は特異な職業なので、解剖の本など持っていたら気が狂ったように思えるようだ。死体を切り刻んで調べるなど狂気の沙汰なのだろう。
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