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192 ー噂の事実ー

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 そもそもあの抜け道をどうやって見つけるかだが、実際歩いていても見つけられるようなものではなかった。

 草木に隠れた場所で、わからないように枝を編んだもので蓋をしていた。岩陰であったし、何しろ人が入らない雑木林だ。偶然見つけられる場所ではない。

「気付くなら、後宮の外から?でも入ったらガスで死んでるから、後宮の中に繋がってるってわからない?」
 理音はぶつぶつ言いながら、タブレットの文字をなぞる。午後は文字の練習で、筆を使って紙を使うのは勿体無いので、写真で撮った文字をなぞっているのだ。

「十年前にも使われていると言う話だが、どこまで本当なのかは知らん。事実を知っている者がいないからな」
 フォーエンは持っていた本をぱらりとめくり、こちらに顔を向けずに返答してくる。
 珍しく日を空けずにフォーエンはやってきた。来る時間は変わらないが、二日も空けずにやってくるのは珍しい。
 だが忙しいのか、何かの資料を大量に持ってきていた。これを読んでいる間に自分は習字の練習だ。

「何でいないの?」
 姫が逃げるために抜け道を使い、その後死んだのだから、それについて知っている者はいるだろうに。
 しかしフォーエンは顔を上げると、首を左右に振った。
「その話の事実はない。姫が外に出て死んだと言われているが、外に出た姫は十年ほど前にはいない。それはただの噂だそうだ」
「そうなの??」

 後宮の噂など、どこからともなく現れるので、真実でないことが多いそうだ。その噂も曖昧で、抜け道を使ったとしても姫ではないらしい。姫ならば親に重大な罰が下されるので、曖昧な噂にならないのだ。そりゃそうだ。
「姫が外に出たと言う事実は残っていない。ただ、揉み消した可能性はあるがな」
「可能性があるの?」
「よほどの重役の娘ならあり得る」
「なるほどー」
 親に罰を下せないため、揉み消すことはあり得るのだ。例えばだが、前の内大臣などなら揉み消せる可能性があると言う。

「本当に誰にも知られずに抜け出したとして、後宮内で死んだことにすれば揉み消せはする」
「いなくなったのを隠すために、お葬式だけするとか?」
「そうだ。それならばごまかせる」
「お葬式でお顔とか見ないの?」
「顔に傷があるなど、理由はいくらでもつけられる」
 それを考えれば姫でも可能だと、フォーエンは軽く言った。やろうと思えば何でもできるとフォーエンは考えているようだ。
 ただ、事実がないだけで。

「その十年前後で、姫が死んだ例はあるの?」
「調べれば出るかもしれない」
 そう言いながらも、フォーエンはすでに調べを始めていると言った。さすがである。そこから抜け道を話した人間を探すのだろうが、どうやって探すのか。

 姫が死んでいる場合、関係者も後宮から出ることになる。その後宮から出た人間が、シヴァ少将の部下に話したかもしれない。後宮には抜け道があるのだと。
「でも外に出て死んじゃった姫って噂だったから、結局誰かに見つかったってことになるよね。外に出る頃に、症状が出て死んじゃったのかなあ」
「通り抜けられたと仮定して、通り抜けられれば死ぬことはないのでは?」
「もし、一酸化炭素中毒なら、重篤のまま何とか通り過ぎて、症状が重くて死ぬ、ってことはあるかもしれない」
「いっさんか?」

 練炭自殺や車の排気ガスなどで死ぬあれだ。初めはめまいや頭痛が起きる。軽度であればそこで新鮮な空気を吸えば問題ないだろう。しかし、さらに重度になれば、意識障害を起こし最悪死に至る。
 吸い込んだ一酸化炭素によって、血液中の酸素が行き渡らなくなるわけだが、何とか出口に辿り着いて、意識を失うこともあるだろう。
 症状が出ている状態で医師が見て、的確な対処ができなければ、そのまま死ぬかもしれない。

「その当時は、そこまで空気中の濃度が高くなかったかもしれないね。十年経って蓄積されているのはあり得るから」
「十年ほど前ならば、通り抜けられた可能性はあると言うことか」
 その後死んだかなんて誰がわかるのか。助けた者しか知り得ない情報なので、真実は定かではない。
「どちらにせよ、抜け道を知り得た理由は、確認せねばならない」
 まあそうなるよね。
 フォーエンの言葉に頷いていると、フォーエンがタブレットの電源を切ってきた。

「え、何??」
「足の具合はどうだ?」
 今日はお互い勉強中なので、卓上で対面していたわけだが、目の前にいるフォーエンが問うてくる。
 足の具合は治ったり悪化したりしていたが、歩く分にはもう問題ない。ただ走ると若干痛みを感じるくらいだ。
 それを言うと、一度目線を斜にしてみせた。
「もう眠れ。明日から午後はエンセイのところに行くようにしろ」
「え、いいの!?」

 ヘキ卿のところでお仕事の許可が出た。もう行けなくなるのではないかと思っていたが、意外にも早くお許しが出て、理音は立ち上がりそうな勢いで確認する。
「…嬉しそうだな」
「ヘキ卿のとこで、ほとんど何もできてなかったから」
 帰ってきたらまたよろしくお願いしますと言っておいて、結局怪我で戻れなかったのだし、戻ってもう少しお役に立ちたかった。ついでに言えば、午後お勉強ばかりでちょっとつらい。

 それは言わず、理音はデバイスを片付け始める。しかし、フォーエンがスマフォに手を置いた。今それ持って行こうとしたのに。
「なんか使う?」
 目覚ましが入っているので、使うならばお布団に持ってきてもらいたい。そう思ったが、フォーエンはどうもぶすくれているように見えた。
 表情に出ているわけではないのだが、無言でこちらを見上げて、口を閉じる。それがどうにも不機嫌だ。

「何にお怒りでしょうか」
 一応丁寧に言ってみる。
「怒ってなどいない」
 言って目を逸らす。嘘つけよ。急に不機嫌になっただろうが。
 本人わかっていないのか、スマフォから手をどかすと本に視線を戻した。
 言いたいことがあれば言えばいいのに。言うとまた怒りそうなので言わないが。

「…忙しいの?」
「忙しくない」
 面倒臭い男、フォーエンは本を読んでいるふりをして、人の話をかわしてくる。
 理音はスマフォを立ち上げた。ついでにカメラも起動する。
 カシャ。と言う撮影音にフォーエンは怪訝そうに顔を上げた。

「何だ?」
「別に。おやすみー」
 あとでいたずら書きして保存してやる。印刷できないのが残念なところだ。
 怒られる前にいそいそと隣の部屋に入ってベッドに入り込む。保存された写真は本を読んでいるくせに顔が下を向いていない。この直立の姿勢たるや、真似できない。

 白皙の肌に赤で渦巻きを描いて、おでこにアホと描いてやった。
 これホーム画面にしようかな。そう思いながら保存して、理音は不機嫌なフォーエンをそのままにして眠りについた。



「リオン、心配していたんだよ!」
 ヘキ卿は案の定眉根を下げて、部屋に現れた理音に駆け寄ってきた。
「ひどい怪我をしたとか。歩けるほどに治ったのかい?」
 どこを怪我しているのか、まるで探すように理音をあちこちの方向から見てくる。見られるところに傷はないが、ヘキ卿は心配げに理音を確認した。

「大丈夫です。元気です。今日からまたよろしくお願いします」
 笑って返すと、ヘキ卿はやっと安堵の顔見せて、小さく笑う。部屋にメイラクがおり、もう一度メイラクにも同じ挨拶をすると、にこりと笑顔を向けた。
 久しぶりのヘキ卿の部屋には四つ足の火鉢があり、とても暖かい。しかし前よりも本などが乱雑に置いてあり、どうにも忙しそうに見えた。仕事の邪魔にならないように、さっさと退散した方がいいだろう。
 ちらりとメイラクを見ると、それに気づいてか隣の部屋に入るように言い、ヘキ卿にしっかり仕事をするよう釘を刺した。

 隣の部屋のいつものメンバーに挨拶をし、自分にあてがわれた机に座る。
 隣の一番若い男性、名前はヨウ。色白の塩顔で、にっこり笑うと口が大きくて可愛い。そのヨウが理音の机に今日の仕事を置いた。
「前と同じだよ。二つの数字が合っているか確認して、間違っていたら朱で修正してくれ」
「わかりました」

 前回同様数字チェックだが、今回順番がばらばららしく、同じ項目を探しながらのチェックである。結構面倒で量もあるので、雑務としてきてくれて助かるそうだ。それは頑張らねば。
 お偉い人たちに混じってできる仕事など、たかがしれている。自分に仕事を捻出する方が面倒だろう。なのであるからには間違いなくさっさと終わらしたい。

 筆を持って集中するとヨウが棚から不思議な道具を出してきた。抱えるくらい大きな正方形の板の中に縦にいくつかの仕切りがあるものだ。
 そこに十円サイズの木の球体がいくつも入っている。黒と白の色が塗られており、ヨウはそれを移動させては、木札に数字を書いた。

 もしかしなくても、そろばんではないだろうか。計算機だ。
 広い机だが、そのそろばんのせいで机のスペースが奪われている。でかすぎだろう。
 自分が知っているそろばんと違うのは、球体が繋がっていないことだ。一個一個を動かしているので、転がって数字がわからなくならないのだろうか。疑問である。
 スマフォの計算機貸してあげたい。文明の利器に感謝しなければ。

 黙々と仕事を始めると、隣で木の音がカチカチして、すごく可愛い。木炭が爆ぜる音とカチカチ音が眠気を誘いそうだ。寝てはいけない。
 ばりばりチェックしていると、隣からチェックリストが追加された。やる量を見ながら仕事を割り振ってくるようだ。

「リオンは、文字を読むことは全く問題ないんだね。それで書けないのも珍しい」
 ヨウは不思議そうに言うが、苦笑いしかできない。文字を読むことに関しては、ほとんど不正な感じがする。
 こちらの言語は縦書きで記号のような文字だが、筆で書くのでとめやはね、はらいがある。ローマ字の筆記体の大文字を複雑にしたような、梵字に似た文字だ。
 日本語のように、ひらがなカタカナ漢字と三種類あるわけではないので、覚えるのにそこまで苦労はないと思うが、上手く書くには慣れるまで時間がかかりそうだった。

 黙々と仕事を行えば、終わりはすぐにくる。
 仕事は午後だけなので時間が短い。移動で忙しくなるが、部屋にこもっているよりずっと良かった。
 怪我明けなので、仕事量もかなり少なくしてもらっているのだろう。ヘキ卿や他の人たちはまだ仕事中なのに、一人だけ戻るように言われた。気を遣われすぎだ。

「あんまり、役に立たないしなあ」
 元気ならば荷物運びでもどんどんするのに。怪我をしていると聞いているせいで、動くような雑務を与えられないのだろう。役立たずすぎる。
 外はすでに暗くなっており、空は暗闇に包まれていた。雪は降っていないが星は見えない。寒くなってきてから、星空を全く見ていなかった。

 ほうっと息を漏らすと、白くなって消えた。冬空の下は結構冷える。
 見上げた空は雲に覆われているので、大小の月すら見えない。
 こちらの冬は、ほとんど日照量がないのではないかと思わずにいられない。これで食物が育つのだろうか。
「フォーエンが心配するはずだよな」

 てくてくと薄暗い中歩いて、レイセン宮への抜け道の方向を進んでいく。こちらは人気がない上に松明すらないので、月明かりがないと真っ暗になるのだ。ここでスマフォのライトかざしたい。

「おい」
「うあっ、むごっ!」
 突然肩に手を置かれて、理音は雄叫びを上げそうになった。すぐにその口を手でふさがれる。

「静かにしろよ。でかい声出すな」
 後ろから口をふさがれて黙っていられるかと思ったが、聞いたことのある声に後ろを見る。

 短い髪の男、ナラカだ。
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