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191 ー道の先ー
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抜け道を教えられるか。ってところなのか、それを誰かに言うのか。そんな疑う顔なのかと思っていた。
抜け道の場所は後宮内でも建物のない場所で、雑木林の中にあった。
雑木林の地面はあちこち隆起しており、理音の身長より大きな岩がごろごろしている。噴火した時に岩が飛んできたみたいだ。小さな石も埋まっていて、歩くのに難儀した。
そこまで行くのに結構な距離を歩いたのだが、地面にはうっすらと雪が積もっており、足元はひどくぬかるんでいて、腰近くまでの藪の中を進んできたせいで、着物がすっかり濡れてしまっていた。
歩くために男性が着るようなツーピースでパンツを履いたブーツ姿だったのだが、顔を見られないために頭から腰近くまであるベールを被っていたため、それすらぐっしょり濡れてしまって頭が重い。
そこに集まってきたのは、幾人かの兵士と、コウユウだった。
ものすごく久しぶりに見たコウユウ。
フォーエンはここに来ることができなかったらしく、代わりに迎えに現れたのがコウユウだった。皇帝陛下を死んだ人間、しかも後宮から出て行こうとした者の前に出せない。と言う考慮のようだ。
フォーエンが難しい顔をしたのはこれだろう。そろそろフォーエンもコウユウが理音に良い気持ちを抱いていないのに気づいたのかもしれない。
しかし、理音を他に任せられる人がいないようだ。後宮に入られる人間は限られている。
コウユウはここに理音を連れる前に、発言に気を付けるよう釘を刺してきた。もう微笑むなんて真似はしない。
黒に銀縁の刺繍のされたパンツ姿が似合っており、すらりとしてかっこいいが、雰囲気が怖い。
終始無言で後をついて歩き、辿り着いた場所、雑木林の中でコウユウは足を止めた。
「こちらがその道になります」
雑草が腰元まで伸びる茂みの中に、細い枝が密集している場所がある。兵士たちがその固まった枝を取り除くと、木々に囲まれた道が見えた。枝が絡んで人が一人入るくらいの道になっている。
外から見ると藪の中だが、枝の道の奥は土壁になっているように見えた。藪の中に小さな山があるようだ。
今いる場所から高い壁は近い。その壁を越え堀を抜けると後宮を抜けるのだろう。草木や岩が多すぎて壁までは歩けない。
穴を掘るとして、いい場所だと思う。ここの雑木林の周辺に兵士は一切いなかった。人が入るように手入れがされていないため、人気もないし、岩や木々が姿を隠してくれる。
「逆側はどうなっているんですか?」
「堀を出た付近もまた林となっており、そちらに穴がありました。もう封じてあります」
既に穴は封じられ、そちらからは入られないようだ。逆方向から入ってきた貴族とやらが入ってきた入り口になるわけだから、すぐに閉じなければならなかったのだろう。
しかし、堀の向こうの林はまだ城の中なので、そこから出るには城の門を出なければならない。迎えに行けるのは城の中に入られる者だけだそうだ。
「鳥を用意しております」
コウユウは小さなカゴに入った黄緑色の鳥を見せた。カナリヤ作戦を行う気だ。カゴの中で鳥が愛らしい声をして鳴いている。
兵士の一人が口元を布で隠して後ろで結んでいる。
一酸化炭素中毒のようになるならば、めまいや頭痛が起きるだろう。血液中のヘモグロビンに有害物質がついて呼吸困難になるはずだが、果たしてそれだけで済むのか、正直わからない。
どこまで歩いて倒れるのかはわからないが、即死とかはないはずだ。しかし中毒症を起こした場合、酸素吸入などができない。向かわせて大丈夫なのか不安になる。
「ゆっくり進んで、めまいや頭痛、もしくは鳥に異常が見られたらすぐ戻るようにさせてください。息を吸った際に有毒を含むものを吸い込む可能性があるので」
「…わかりました」
鳥には悪いが、他に方法がない。こちらではメジャーなやり方のようなので、山を掘削する際の鳥が用意されている。反応に関して問題はないだろう。
コウユウが兵士に目配せすると、兵士は強張った顔で頭を一度下げて鳥カゴを手にする。
他の兵士の緊張した面持ちに、理音も唾を飲み込んだ。
男が枝の道へと屈んで入っていく。土壁のある道にたどり着くと、段々と体が下へ沈んでいくように見えた。やはり地面が下がっている。
少しして兵士が見えなくなった。
「この道って、どうやって気付いたんですか?」
奥までは見えない。中に入らなければ人が入ったことに気づかないだろう。
「女官が行方不明になり捜索が出ておりました。ここを見つけたのは兵士ですが、一度その兵士も行方がわからなくなり、その兵士を探した際に気づいたのです」
コウユウは感情のない声で話してくる。
この人が自分を襲わせたのではないのか。
未だその疑問は心の中にあったが、それを調べるすべは理音になかった。
「…鳥の鳴き声が止まりました」
コウユウがふっと抜け道に目を向けた。小さくなっていたが鳴いていた鳥の声が聞こえない。
するとすぐに兵士が抜け道から戻ってくる。カゴに入っていた鳥は力なく転がっていた。
「鳥に変化がありましたので、すぐに戻ってまいりました。倒れていた兵士たちはそれよりも先におり、距離がございます」
それでは兵士たちを運ぶのは難しいだろう。倒れていた兵士たちは、女官を運ぼうとして力なく倒れていたようだ。貴族の男はかなり奥に倒れているらしく、そこまではとても距離があると、兵士は頭を振った。
逆側の入り口からでないと難しそうだ。
「中の兵士を運ぶには、どうすればよいでしょうか」
コウユウの問いに理音は口を閉じる。
助けに行っては危険だろう。酸素マスクがあるならばともかく、口元の覆いだけではほとんど役に立たない。溜まっているガスによって、どれほど害があるのかもわからない。
「難しいと思います。有毒を含んでいるものが溜まっているのであれば、ここでは治療するすべがありません」
「布を口に巻いただけでは、難しいということでしょうか」
「そうです。道に溜まっているものを、どの程度吸入すれば死に至るか、私にはわかりません。息を吸わずにそこから運べますか?」
理音の問いにコウユウは兵士を見遣った。無理にでもやれという視線だろうか。やれるか確認した視線だっただろうか。
どちらかわからないが、兵士は顔を強張らせたまま、静かに頷いた。
先ほどの兵士だけでなく、他の兵士たちも顔に布を巻く。もう一つの鳥の入ったカゴを持ち、抜け道へと入り込んだ。
「中には何人いるんですか?」
「六人です」
結構な人数だ。息を止めた程度で回避できるのかも分からない。
一酸化炭素中毒などの場合、酸素供給に障害が起きるわけだが、他の要因ならばどうなるのか、想像すらできない。
しばらくすると、鳥カゴを持った男が戻ってきた。すぐ後ろに担架に人を乗せた兵士が戻ってくる。
「お下がりください。見ない方が良いでしょう」
コウユウは言って理音を自分の背に隠した。担架の上に見えたのは、男性だと思う。兵士だろう。
死後数日経っているが、真冬で冷えているので、そこまで損傷はないだろう。地面に置かれた腕が見えて、理音は目を眇めた。
「運べられることはわかりました。後はこちらで。宮までお送りいたします」
「すぐに道に入らず、布をとって、よく息をするようにしてください。軽度の中毒になる可能性もありますから」
頷きながら理音は兵士に言うと、コウユウは微かに据わった目を見せたが、これくらい許してほしい。
「どうぞ、こちらへお送りします」
問答無用の低い声音に、理音は従うしかなかった。
「グイの方の女官、遺体は家族に渡されなかったって」
ルーシの言葉に皆がうつむくように頷いた。わかっていることだという雰囲気に、理音だけが眉を寄せる。
「後宮から逃げるなど、罪でしかないからよ」
ユイは火鉢に木炭を足しながら、わかっていない理音に説明をくれた。
後宮から逃げることは、皇帝陛下を否定すること。それは大きな罪で、その死んだ女官の家ごと罰を受けるそうだ。そして、遺体は戻されず遺棄される。
「遺棄って、どこに…」
「町の外に捨てるのよ」
捨てるって、道端に遺体を放置するのか。とんでもない話だ。予想外の話に理音は嫌悪感を露わにした。
「何ですか、それ」
「当然よ。陛下をないがしろにする者を、手厚く葬ることはない」
捨てる場所があり、そこに遺体を運ぶ。町から近い場所ではなく、崖のような場所から落とすそうだ。
遺体の遺棄後、拾いに行くのは罪になるわけだが、家族が遺体を取りに行くこともあると言う。
ユエインは、遺体が親元に届けばいいのにね。とぽつりと呟いた。
罪は重い。だとしても、フォーエンは望んでいないだろうに。
皆もそれについては思うところがあるようだ。特にユエインが肩を下ろしているのが気になる。
ユエインとルーシは布を引っ張りあっている。そこにミアンが熱した金属の入れ物を押し付けていた。どうやらアイロンをしているようだ。
面白そう、と眺めていたところ、その暗い話に突入したわけだが、真剣にアイロンがけをしていたミアンがそれを終えると、やっと顔を上げた。
「ユエイン、その女官の子と話したことあったんでしょ?」
「うん。すごく控えめな子。グイの姫の女官ってみんなつんけんしてるけど、その子だけちょっと違かったんだよね」
だから元気がないのか。ルーシと着物を折りたたみながら、小さく吐息を吐いた。
「結婚したい人がいたけど、姫の女官になったから諦めたって言ってた。グイの姫は陛下のことでいつもイライラしてるし、他の女官も厳しいからつらいって」
「いつのまにそんなに仲良くなってたのよ」
ミアンが呆れるように言った。嫌がらせをしてきた姫の女官と、どうしてそんな話ができるのか疑問に持ったようだ。
「可愛い花を持っていたことがあったから、どこにあるのか聞いたことがあるの。それから時々話すようになったんだけど」
ウの姫が入内したばかりで、女官のユエインも後宮の右も左もわからない。不安もある時に小さな花を持っていた女官を見つけた。それで声を掛けてから、後宮の話を良く聞いていたらしい。
「他の女官と親しくなるなと言ったでしょう?」
ミアンが目くじらを立てる。仲良くなったふりをして何かをされるのが困るそうだ。そんなことまで気にしなければならないとは、後宮の道徳心はどうなっているのだろう。
「ジョアン様にも言われたでしょう。情報を得るためには構わないけれど、親しくなることはないようにと」
ウの方は内大臣になり敵も多い。その姫が入内したのだから、姫にも敵は多いのだ。何かあってはならないと、きつく命令されていたようだ。
しかし、ユエインも情報を得ようと思いつつ、不安はあったため親しくなりつつあった。
「だからって、ダメよ。わかるでしょう?」
ミアンの言葉に、項垂れる。
「グイの姫の女官って人多いから、誰がいなくなったのか知らなかったけど、あの子だとは思わなかったな」
別の姫に仕えている女官同士、親しくなってもそう相手の棟に行ったりはしないらしい。連絡する手立てもないので、たまにその辺で会うしかないそうだ。
確かに、友達の家に遊びに行くようにはできなかったのだろう。そのため行方不明者がその子だとも判断できない。
「相手の男って、偉い人の部下だったんでしょ?」
ルーシは話を変えた。ユエインが泣きそうな顔をしていたので、話を逸らしたようだ。
ユエインが目元をこする。
「シヴァの方の部下だそうよ」
「シヴァ?」
ユイの答えに、理音はつい顔を上げた。シヴァってあのシヴァ少将か。
「陛下の従兄弟でいらっしゃる方よ。今回の事件で、免責は避けられないとか」
監督不行き届きと言うところだろうか。後宮の抜け穴を使って、女官を迎えに行ったのだ。それは罰せられるだろうが、その上司にも罰は及ぶらしい。
「グイの方も姫も罰せられるでしょうね。まあ、謹慎とかくらいだろうけれど」
あと罰金だよね、とルーシが鼻で笑う。それほど重い罰ではないようだ。
しかし、その程度の罰だとしても、調査が及ぶだろう。
誰が、後宮の抜け道を知っていたかをだ。
抜け道の場所は後宮内でも建物のない場所で、雑木林の中にあった。
雑木林の地面はあちこち隆起しており、理音の身長より大きな岩がごろごろしている。噴火した時に岩が飛んできたみたいだ。小さな石も埋まっていて、歩くのに難儀した。
そこまで行くのに結構な距離を歩いたのだが、地面にはうっすらと雪が積もっており、足元はひどくぬかるんでいて、腰近くまでの藪の中を進んできたせいで、着物がすっかり濡れてしまっていた。
歩くために男性が着るようなツーピースでパンツを履いたブーツ姿だったのだが、顔を見られないために頭から腰近くまであるベールを被っていたため、それすらぐっしょり濡れてしまって頭が重い。
そこに集まってきたのは、幾人かの兵士と、コウユウだった。
ものすごく久しぶりに見たコウユウ。
フォーエンはここに来ることができなかったらしく、代わりに迎えに現れたのがコウユウだった。皇帝陛下を死んだ人間、しかも後宮から出て行こうとした者の前に出せない。と言う考慮のようだ。
フォーエンが難しい顔をしたのはこれだろう。そろそろフォーエンもコウユウが理音に良い気持ちを抱いていないのに気づいたのかもしれない。
しかし、理音を他に任せられる人がいないようだ。後宮に入られる人間は限られている。
コウユウはここに理音を連れる前に、発言に気を付けるよう釘を刺してきた。もう微笑むなんて真似はしない。
黒に銀縁の刺繍のされたパンツ姿が似合っており、すらりとしてかっこいいが、雰囲気が怖い。
終始無言で後をついて歩き、辿り着いた場所、雑木林の中でコウユウは足を止めた。
「こちらがその道になります」
雑草が腰元まで伸びる茂みの中に、細い枝が密集している場所がある。兵士たちがその固まった枝を取り除くと、木々に囲まれた道が見えた。枝が絡んで人が一人入るくらいの道になっている。
外から見ると藪の中だが、枝の道の奥は土壁になっているように見えた。藪の中に小さな山があるようだ。
今いる場所から高い壁は近い。その壁を越え堀を抜けると後宮を抜けるのだろう。草木や岩が多すぎて壁までは歩けない。
穴を掘るとして、いい場所だと思う。ここの雑木林の周辺に兵士は一切いなかった。人が入るように手入れがされていないため、人気もないし、岩や木々が姿を隠してくれる。
「逆側はどうなっているんですか?」
「堀を出た付近もまた林となっており、そちらに穴がありました。もう封じてあります」
既に穴は封じられ、そちらからは入られないようだ。逆方向から入ってきた貴族とやらが入ってきた入り口になるわけだから、すぐに閉じなければならなかったのだろう。
しかし、堀の向こうの林はまだ城の中なので、そこから出るには城の門を出なければならない。迎えに行けるのは城の中に入られる者だけだそうだ。
「鳥を用意しております」
コウユウは小さなカゴに入った黄緑色の鳥を見せた。カナリヤ作戦を行う気だ。カゴの中で鳥が愛らしい声をして鳴いている。
兵士の一人が口元を布で隠して後ろで結んでいる。
一酸化炭素中毒のようになるならば、めまいや頭痛が起きるだろう。血液中のヘモグロビンに有害物質がついて呼吸困難になるはずだが、果たしてそれだけで済むのか、正直わからない。
どこまで歩いて倒れるのかはわからないが、即死とかはないはずだ。しかし中毒症を起こした場合、酸素吸入などができない。向かわせて大丈夫なのか不安になる。
「ゆっくり進んで、めまいや頭痛、もしくは鳥に異常が見られたらすぐ戻るようにさせてください。息を吸った際に有毒を含むものを吸い込む可能性があるので」
「…わかりました」
鳥には悪いが、他に方法がない。こちらではメジャーなやり方のようなので、山を掘削する際の鳥が用意されている。反応に関して問題はないだろう。
コウユウが兵士に目配せすると、兵士は強張った顔で頭を一度下げて鳥カゴを手にする。
他の兵士の緊張した面持ちに、理音も唾を飲み込んだ。
男が枝の道へと屈んで入っていく。土壁のある道にたどり着くと、段々と体が下へ沈んでいくように見えた。やはり地面が下がっている。
少しして兵士が見えなくなった。
「この道って、どうやって気付いたんですか?」
奥までは見えない。中に入らなければ人が入ったことに気づかないだろう。
「女官が行方不明になり捜索が出ておりました。ここを見つけたのは兵士ですが、一度その兵士も行方がわからなくなり、その兵士を探した際に気づいたのです」
コウユウは感情のない声で話してくる。
この人が自分を襲わせたのではないのか。
未だその疑問は心の中にあったが、それを調べるすべは理音になかった。
「…鳥の鳴き声が止まりました」
コウユウがふっと抜け道に目を向けた。小さくなっていたが鳴いていた鳥の声が聞こえない。
するとすぐに兵士が抜け道から戻ってくる。カゴに入っていた鳥は力なく転がっていた。
「鳥に変化がありましたので、すぐに戻ってまいりました。倒れていた兵士たちはそれよりも先におり、距離がございます」
それでは兵士たちを運ぶのは難しいだろう。倒れていた兵士たちは、女官を運ぼうとして力なく倒れていたようだ。貴族の男はかなり奥に倒れているらしく、そこまではとても距離があると、兵士は頭を振った。
逆側の入り口からでないと難しそうだ。
「中の兵士を運ぶには、どうすればよいでしょうか」
コウユウの問いに理音は口を閉じる。
助けに行っては危険だろう。酸素マスクがあるならばともかく、口元の覆いだけではほとんど役に立たない。溜まっているガスによって、どれほど害があるのかもわからない。
「難しいと思います。有毒を含んでいるものが溜まっているのであれば、ここでは治療するすべがありません」
「布を口に巻いただけでは、難しいということでしょうか」
「そうです。道に溜まっているものを、どの程度吸入すれば死に至るか、私にはわかりません。息を吸わずにそこから運べますか?」
理音の問いにコウユウは兵士を見遣った。無理にでもやれという視線だろうか。やれるか確認した視線だっただろうか。
どちらかわからないが、兵士は顔を強張らせたまま、静かに頷いた。
先ほどの兵士だけでなく、他の兵士たちも顔に布を巻く。もう一つの鳥の入ったカゴを持ち、抜け道へと入り込んだ。
「中には何人いるんですか?」
「六人です」
結構な人数だ。息を止めた程度で回避できるのかも分からない。
一酸化炭素中毒などの場合、酸素供給に障害が起きるわけだが、他の要因ならばどうなるのか、想像すらできない。
しばらくすると、鳥カゴを持った男が戻ってきた。すぐ後ろに担架に人を乗せた兵士が戻ってくる。
「お下がりください。見ない方が良いでしょう」
コウユウは言って理音を自分の背に隠した。担架の上に見えたのは、男性だと思う。兵士だろう。
死後数日経っているが、真冬で冷えているので、そこまで損傷はないだろう。地面に置かれた腕が見えて、理音は目を眇めた。
「運べられることはわかりました。後はこちらで。宮までお送りいたします」
「すぐに道に入らず、布をとって、よく息をするようにしてください。軽度の中毒になる可能性もありますから」
頷きながら理音は兵士に言うと、コウユウは微かに据わった目を見せたが、これくらい許してほしい。
「どうぞ、こちらへお送りします」
問答無用の低い声音に、理音は従うしかなかった。
「グイの方の女官、遺体は家族に渡されなかったって」
ルーシの言葉に皆がうつむくように頷いた。わかっていることだという雰囲気に、理音だけが眉を寄せる。
「後宮から逃げるなど、罪でしかないからよ」
ユイは火鉢に木炭を足しながら、わかっていない理音に説明をくれた。
後宮から逃げることは、皇帝陛下を否定すること。それは大きな罪で、その死んだ女官の家ごと罰を受けるそうだ。そして、遺体は戻されず遺棄される。
「遺棄って、どこに…」
「町の外に捨てるのよ」
捨てるって、道端に遺体を放置するのか。とんでもない話だ。予想外の話に理音は嫌悪感を露わにした。
「何ですか、それ」
「当然よ。陛下をないがしろにする者を、手厚く葬ることはない」
捨てる場所があり、そこに遺体を運ぶ。町から近い場所ではなく、崖のような場所から落とすそうだ。
遺体の遺棄後、拾いに行くのは罪になるわけだが、家族が遺体を取りに行くこともあると言う。
ユエインは、遺体が親元に届けばいいのにね。とぽつりと呟いた。
罪は重い。だとしても、フォーエンは望んでいないだろうに。
皆もそれについては思うところがあるようだ。特にユエインが肩を下ろしているのが気になる。
ユエインとルーシは布を引っ張りあっている。そこにミアンが熱した金属の入れ物を押し付けていた。どうやらアイロンをしているようだ。
面白そう、と眺めていたところ、その暗い話に突入したわけだが、真剣にアイロンがけをしていたミアンがそれを終えると、やっと顔を上げた。
「ユエイン、その女官の子と話したことあったんでしょ?」
「うん。すごく控えめな子。グイの姫の女官ってみんなつんけんしてるけど、その子だけちょっと違かったんだよね」
だから元気がないのか。ルーシと着物を折りたたみながら、小さく吐息を吐いた。
「結婚したい人がいたけど、姫の女官になったから諦めたって言ってた。グイの姫は陛下のことでいつもイライラしてるし、他の女官も厳しいからつらいって」
「いつのまにそんなに仲良くなってたのよ」
ミアンが呆れるように言った。嫌がらせをしてきた姫の女官と、どうしてそんな話ができるのか疑問に持ったようだ。
「可愛い花を持っていたことがあったから、どこにあるのか聞いたことがあるの。それから時々話すようになったんだけど」
ウの姫が入内したばかりで、女官のユエインも後宮の右も左もわからない。不安もある時に小さな花を持っていた女官を見つけた。それで声を掛けてから、後宮の話を良く聞いていたらしい。
「他の女官と親しくなるなと言ったでしょう?」
ミアンが目くじらを立てる。仲良くなったふりをして何かをされるのが困るそうだ。そんなことまで気にしなければならないとは、後宮の道徳心はどうなっているのだろう。
「ジョアン様にも言われたでしょう。情報を得るためには構わないけれど、親しくなることはないようにと」
ウの方は内大臣になり敵も多い。その姫が入内したのだから、姫にも敵は多いのだ。何かあってはならないと、きつく命令されていたようだ。
しかし、ユエインも情報を得ようと思いつつ、不安はあったため親しくなりつつあった。
「だからって、ダメよ。わかるでしょう?」
ミアンの言葉に、項垂れる。
「グイの姫の女官って人多いから、誰がいなくなったのか知らなかったけど、あの子だとは思わなかったな」
別の姫に仕えている女官同士、親しくなってもそう相手の棟に行ったりはしないらしい。連絡する手立てもないので、たまにその辺で会うしかないそうだ。
確かに、友達の家に遊びに行くようにはできなかったのだろう。そのため行方不明者がその子だとも判断できない。
「相手の男って、偉い人の部下だったんでしょ?」
ルーシは話を変えた。ユエインが泣きそうな顔をしていたので、話を逸らしたようだ。
ユエインが目元をこする。
「シヴァの方の部下だそうよ」
「シヴァ?」
ユイの答えに、理音はつい顔を上げた。シヴァってあのシヴァ少将か。
「陛下の従兄弟でいらっしゃる方よ。今回の事件で、免責は避けられないとか」
監督不行き届きと言うところだろうか。後宮の抜け穴を使って、女官を迎えに行ったのだ。それは罰せられるだろうが、その上司にも罰は及ぶらしい。
「グイの方も姫も罰せられるでしょうね。まあ、謹慎とかくらいだろうけれど」
あと罰金だよね、とルーシが鼻で笑う。それほど重い罰ではないようだ。
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