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186 ー後宮ー

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 眠れるわけがないと思っていたのに、眠れてしまう図太さよ。自分でも驚きである。

 もがくのも途中で諦めた。そうすると暖かさに眠りが誘われ、いつの間にかすよすよと眠っていた。
 いいのだろうか、女子高生としてその神経。
 いや、駄目だろ。


 目が覚めてフォーエンは隣にいなかった。代わりにツワが起こしにくる。むしろぐっすり眠ってしまった神経を自分で問いたい。

「リオン様、本日はこちらを召しませ」
 明らかにいつもとは違う着物。いつもならば桜色だったり紅色だったり、華やかな色が多いのだが、今日ツワが出してきた着物は、薄い青緑。しかもくすんだ青緑の着物だった。
 にっこり笑っているツワはいつも通りの顔だが、このにっこりの時は何かがある時である。
 素直に袖を通して感じたのは、それが皇帝の妃が着る着物ではないということだ。

「お仕事ですか?」
 理音の問いにツワは緩い笑みで返す。ツワがこの顔をする時は何も教えてくれない時なので、それ以上のことを質問するのはやめた。どうせ答えは返ってこない。
 ツワにされるがままに着物を着て、付け毛をされる。着物の裾の長さと重ねからいくと女官のようだが、ツワに比べればそれよりも身分が下がる、働く女性の服装だった。
 着替え終わると髪を結ってもらい、化粧をしてもらう。見る限りナチュラルメイクだが、目尻にアイラインが入り、目が大きくなったように感じた。シャドウやハイライターもつけられたので、ほっそりして見える。若干化けてはいるようだ。化粧、変幻自在すぎる。

 化粧が終わると、ツワしかいなかった部屋に一人女性が入ってきた。その女性も同じくすんだ青緑の着物を着ている。歳は二十歳前後か、理音より年上だ。
「本日午前中は、彼女と行動を共になさってください」
 ツワの言葉に女性がこちらへと近づいてくる。
「ユイと申します、リオン様」
「あ、はい。よろしくお願いします」
 跪き頭を下げて名乗った女性に挨拶をすると、ユイはツワと一瞬目を合わせた。

 あ、はい。がいけなかったのか、よろしくお願いします。がいけなかったのか。どちらにしても、返事が良くなかったのだろうと思う。
 そのアイコンタクトは一瞬で、何事もなかったようにユイは立ち上がった。
 良く見ると見たことのある顔だ。ラカンの城で着物を着せてくれたりお化粧してくれたりした、あの女性である。
 前に比べて化粧が薄い。薄いが美人だ。目鼻立ちが整っていて、色白美人である。黒のストレートの髪をしっかりと頭の後ろで結ってまとめており、すっきりとした印象がある。

「では、こちらへ」
 ユイは言うとリオンを部屋の外へ連れた。朝日が眩しいが、外は冷えてかなり寒い。羽織の袖を合わせて首元を隠す。寒い。
 ユイは人に会わないようにか、左右目線で鋭く見やりながら、理音についてくるように促した。
 レイセン宮の門から堂々と出た後、広い敷地の庭園に出ると、草木に隠れた通路を通る。
 後宮は案外隠れた通路が多いのだ。庭の作りに邪魔にならないように、庭園の道は草木や岩に隠されている。その庭園の通路や石壁でできた細い回廊を通り過ぎ、ユイは足早に進んだ。
 人気のない通路を歩きながら、ユイは人がいないことを確認してから口を開く。

「本日より午前のみ、一人の姫の下仕えとなります」
「姫…」
 つまり、フォーエンハーレムの一人に仕えると言うことだ。
 それは顔バレしないのだろうか。眉を潜めていると、ユイは足を止めた。
「午前のみです。陛下からの命令ですので、我慢なさってください」
 はっきりとした声音は少しきつめだ。急いでいるのかもしれない。しかし、説明がほしい。
「どんな仕事をすればいいんでしょうか。私こちらの常識がないので、お姫様に失礼のないようにできるか自信がないんですが」
 シュンエイのように大人しい子ならばいいが、後宮のお姫様となると思いつくのがウーランだ。
 同じ位の歳の子で、それが偉そうに命令しているのを見たら、自分でやれ!とか言ってしまうかもしれない。危険すぎる。

 ユイは想像していた返事と違っていたのか、拍子抜けしたような顔を一瞬して、すぐに顔を戻す。
「お仕えする方は新しく内大臣になられたウの方の養女で、後宮に入られたばかりの方です。しかし、お会いすることはほとんどないと思って結構です。人見知りされる上、気の弱い方なので、お部屋から出ることはありません」
「そうですか。でしたら何とか頑張ります」
 とは言え下仕えの女官の仕事が自分に務まるかだが、それは見よう見まねでやるしかない。話し方と仕草と、いや、言動全てだ。できるだけ会話をするのはやめておこう。
 頷くと、ユイはやはり気の抜けたような顔をしてみせた。

「何か、思われることは?」
「何がですか?」
 思うことって何だろうか。内大臣のウの方は覚えている。レイシュンと王都から来たマウォが話していた人物だ。
 確かに養女を出すような話しはしていた。大臣の一人になるのだし、皇帝であるフォーエンに娘を差し出すのは、この国では良くありそうな感じがする。
 偉い人と婚姻関係になり、繋がりを持つのは定石だろう。
「陛下からは後宮内で他の姫に付き、後宮内の様子を見ながら所作を学ぶようにとの言付けをいただいておりますが…」
 成る程。普段妃として後宮にいては、他のお姫様がどんな動きをしているか分かりにくい。お姫様に仕えれば言動を学ぶことができる。
 ただ、お姫様にあまり会わないようだが、周囲の女性がどんな動きをしているか知るのはいい機会だ。

「じゃあ、ユイさんが教えてくれる感じですか?」
「え、ええ。そうなります」
「分かりました。よろしくお願いします」
 軽く頭を下げてお願いすると、ユイは呆気に取られたような顔をした。やはり変なことを言っただろうか。首を傾げると、微かに困ったような顔をされてしまった。
「何か変ですか?」
「…いえ、陛下のお側に上がっていらっしゃるのですから、他の姫に仕えることを嫌がられるかと」
 遠慮げに言われて、こちらが困る。
 ユイは自分が囮であることを知らないのだろうか。問うわけにはいかないので、コメントがとてもしづらい。

「私は、こちらの所作がまともに行えませんから、勉強できれば助かります。皇帝陛下もそのようにお考えなんでしょう」
 なんて、それっぽいことを言っておく。フォーエンからすれば、他の女性の所作を見て、まともになれ。当たり前だろう。くらいに思っていそうだ。本当のことなので反論もできない。
 これは真面目にやらなきゃ駄目なやつである。言葉遣い気を付けよう。
 リン大尉のところで働いていたように、雇い主に失礼のないようにしなければ。

「で、では。これからリオン様を呼び捨てさせていただきます。今から私が言うことを覚えてください」
 ユイは他の人に質問をされた際の、その答えを覚えるように言った。
 名前はリンに変更だ。リン大尉と同じだが、リオンをリンにしてくれただけ助かる。他の名前では返事をしそうにない。
 出身はラカン。フォーエン、人の頭を理解しすぎだ。城で働いていたと言っても問題ないように、分かっている土地の名前で誤魔化す。
 ユイとは親戚で、そのつてでお姫様に仕えることになった。お姫様からは了承を得ているし、他の女官たちもその設定で受け入れられているようだ。
 働くのは午前中のみ。午後は別の仕事を受け持っていることになっている。別の姫につくのではなく、後宮自体の仕事をしていることになった。

「午後は医官の手伝いと言えば良いとのことです。今後そのような話をいただけるかと」
 木札の件だろう。それではヘキ卿のところへ仕事はなしになるだろうか。医官であるお爺ちゃん先生には話がついているので、午後は医官のところと言う。それを頭に入れた。
 妃候補の女官ともなれば、色々査定があるのかと思うのだが、お付きの女性を連れるのには、身分がしっかりしていれば問題ないそうだ。フォーエンの命令なので、どうにでもなるのだろう。
 ただ、ウの方のお姫様に仕えている女性たち以外の女官に会うこともあるため、そこを気をつけなければならない。もし問われたら、ラカンの田舎から出てきている設定で通せばいいとのことだ。
 ただし馬鹿にされる可能性は高いので、短気を起こさないようにとの注意をもらう。一番心配されているのはそこな気がする。

「リンの言葉遣いは、丁寧にお願いいたします。ですが私は、敬語は控えさせて頂きます。同僚、教える方が敬語を話しますと、疑問に思われてしまいますので」
「わかりました」
「…では、参りましょう」
 ユイはどこか納得できていないような、困ったような顔をして、歩み始めた。

 これは、フォーエンの妃として見られているのは間違いない。
 実際、まあ、複雑だよ。妃候補のお姫様に仕えるって。
 だが、それを自分が言ってもだ。自分は囮。その他の何でもない。自分が役に立つのだと言っているのだから、フォーエンの指示には従って当然である。
 そう言い聞かせていなければ、やっていられない。

 ウの方の養女がいる棟は、レイセン宮から離れた場所にあった。
 自分のいるレイセン宮は一つの棟になっており、その周囲を庭が囲んでいて、更に壁に囲まれている。
 一つの門からしか入れなく、他から侵入することができない作りだ。隠し通路があることはおいておいて、普通に入るには一箇所しかない。
 そこから出ると庭園が続くが、建物がぽつぽつと建っている。低い壁と、小さな庭で区切られていた。その建物は渡り廊下で繋がっており、板の間の廊下には屋根がついている。
 こちらの建物はレイセン宮と違って門などなく、外廊下で全て繋がっているようだ。低い壁で仕切られてはいるが、門があるわけではない。レイセン宮のように高い壁に囲まれているわけでもなかった。

 後宮の広さがどんなものか考えたことはなかったが、広さで行くとそれこそ何とかドーム何個分くらいありそうである。
 歩くだけで疲れる距離で、渡り廊下と建物の外廊下を歩き続けた。
 やっと辿り着いた建物、他と変わらない平屋の広い建物へと入り込む。ここも門などはなく、他から自由に入り込める場所となっている。
 渡り廊下や外廊下は共有の通り道だ。その廊下に玄関らしきポーチがあるので、マンションなどの外廊下みたいである。専有廊下ではないので、誰でも入れるのではないだろうか。
 低い壁の仕切りから考えると、一つの建物に一人の姫が住んでいるのかもしれないが、その建物は隣の建物の近くに作られている。集合住宅のような大きな建物もあるが、それも低い壁に仕切られているだけだ。
 こう見ていくとレイセン宮は特別なのだろう。レイセン宮だけ離宮になっているのだ。

「リン、こちらへ」
 ユイに促されて入った部屋は、あまり飾り気のない部屋で、義務的にタンスや机が置いてあった。そこに一人の女性が座って書き物をしている。
「あら、来たの?」
 焦げ茶色の髪をした少し癖っ毛の女性がこちらに気づいた。
 立ち上がると身長が高く、真っ赤な口紅が焦げ茶色の髪に似合っている。歳はユイより上かもしれない。二十代半ばくらいだろうか。

「こちらがリンになります。リン、こちらジョアン様。ウの姫君の筆頭女官になられる」
「よろしくお願いします」
 つまりツワみたいな存在だろうか。そう思いながら礼をすると、ジョアンは真っ赤な口を小さく上げた。 
「話は聞いているわ。作法を学ぶためにも、しっかり頑張ってちょうだい」
 ジョアンはにっこりと笑う。しかし眉がつり上がっているので、鋭い印象と迫力を感じた。

 田舎の娘が働きに来ていると思われているのだから、手厳しそうだ。これは気合を入れたい。
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