群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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181 ー儀式ー

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 馬車の外は木枯らしが吹いている。馬車の中でも寒さを感じた。

 時刻はすでに夕闇が迫る頃になり、松明を焚きながら馬を走らせていた。
 夕方になって暖かくなるようにと、湯たんぽがわりの温められた石をくるんだものと、膝掛けに厚手の上着をいただいているが、時折強風が吹いてかたかたと馬車の扉が揺れ、若干足元が冷えた。

 ちょっと冷えるなあ。と思っても、文句は言えない。
 何せお付きの人々は皆馬の上だ。風を遮るものはないし、いくら厚着をしていても、長く乗っていれば体が芯から冷えるだろう。見ているだけでこちらが寒い。

 夜になって温度ががくっと下がったか、完全に冬の気候である。このままラカンの城にに留まっていれば、雪を見るのはすぐだっただろう。
 本当に冬になっているのだな。と実感する。こちらに来た時はそこそこ暖かかったが、とうとう冬になってしまった。

 こちらに来てから何日経ったか既にわからなくなっていた。星の流れは満期を過ぎただろうし、それからまた約二ヶ月半をカウントすることがもうできない。
 元の世界に帰るには、おそらく外にいて星を見なければならない。これは毎日夜空を見上げていなければならないかな。と窓から空を見て思う。

 理音の荷物は、レイシュンからフォーエンに渡されていた。ノートパソコンもスマフォも手元に戻り、しがみつきたいくらい安堵した。
 やはり自分の荷物があると、意味もなく安心感がある。制服もしっかり入っており、無くなっていたものはなかった。

「そろそろ到着する」
 フォーエンの言葉の後すぐ、馬車は走る音を変えた。地面が土から石に変わったようだ。
 城壁か、窓の外に高い壁が見える。今日泊まる町に着いたようだ。

 扉が開かれると風が入り込んだ。いつも昼間は外にいるが、夜になって外に出ることはない。こんなに寒いのかと思うほど、冷たい風が肌を切る。こんな中馬に乗って走り続けて、風邪を引いてしまうのではないだろうか。
 ナミヤとアイリンは周囲を注意深く確認する。兵士たちはフォーエンが馬車から降りているのに、馬に乗ったまま警戒していた。背後から追ってきていないか確認しているように思える。
 警戒はまだ続いているのだ。この場合レイシュンを警戒しているのだろうか。それとも、理音を狙った者だろうか。
 どちらにしても、皇帝陛下を連れるには兵士が少ないのだろう。

 扉を開いてくれた従者の隣で、フォーエンは手を伸ばすように促した。
 そろりとその手に自分のそれを合わせて、ゆっくりと馬車から降りる。
 地面は石だったが、丸石が埋め込まれた地面で、雪が積もっているかのように見える。こちらでは見たことのない舗装の仕方だ。ぽこぽこしていて歩きにくい。
 フォーエンは理音の手を握ったまま、その丸石の地面をゆっくりと歩んだ。理音も足元を確認しつつ、周囲の景色と建物を見回した。

 どこかで見たような、不思議な場所。
 不思議と思うのは、壁や屋根が真っ白に塗られているからだろうか。
 しかも、一本の道を中心に、両脇に建物が連なっており、その道の突き当たりにある建物自体がドームのような円形だった。
 こちらの建物は朱色や黒、金を使うことが多い。白の壁はあるけれど、それが全体を覆うことはなかった。
 そして、球体の屋根は初めて見る。
 どこか宗教的な雰囲気を感じたが、それは間違いではないようだ。

 その建物より手前に、3メートルほどの高さの壁がある。その壁にある門の前に兵士が立っていた。門は開いていたが、槍や剣を佩く兵士たちがその建物を守っている。フォーエンが通る前に頭を下げ、その道を譲った。
 開いた門を過ぎた先は、白色丸石が並ぶ石畳の続きである。馬車が入られないように、時折数段の階段があった。平坦な道を歩いて、再び階段が現れる。これは歩かねば進めない。
 何度かそれが続き円形の建物の前に行くと、更に数段階段があった。どこまでも真っ白な階段を上りきって円形の建物の前に行くと、門のような扉が開かれた。

 フォーエンと手を繋いだまま連れられて、同じく白色の地面を進むと、建物の中はエントランスのように広い空間があった。その円形の壁に同じ服を着た者たちがずらりと並んでいる。
 一瞬不気味さを感じたが、それよりどこかで感じた雰囲気だった。
 どこでだろう。フォーエンは理音の手を引いたまま奥の廊下へと進んだ。
 廊下はロウソクで仄かに明るい。一定間隔で置かれたロウソクは、フォーエンや理音が歩くとふらりと揺れた。
 このロウソクたちを見て思い出した。

「ここって…」
 その後の言葉を言おうとした時、フォーエンは廊下の途中、大きな扉の前で足を止めた。
 扉の前にいた従者が仰々しく扉を開ける。

 ああ、やっぱりな。
 扉の先、遠目に見える植物を見て、理音は納得した。
 この世界で初めに来た、あの場所に似ているのだ。
 白の枝を伸ばして、置物のように佇む、ウーゴの木。
 フォーエンと彦星がいた、あの場所のように、円形の天井には星が描かれ、その下にウーゴはあった。
 ウーゴの木の側には、彦星と似たような格好をした老齢の男が一人、小さく首を垂れた。

 前にフォーエンは彦星を星見と言った。
 言うならば、ここはウーゴを宗教的シンボルとして捧げる、星見のいる場所なのだろう。
 ウーゴの木が植わる台座のようなところへ、フォーエンは無言で理音を連れた。数段階段を登り、ウーゴの木の前で足を止める。
 前に一度、フォーエンは理音を王都にあるウーゴの前に連れた。
 その時、何かが起こるはずだったのか、しかし何もなく、フォーエンは星見に何かを強めの口調で言ったことを思い出す。

 繋いでいた手は振り払われて、その場に置いていかれた。
 同じことが起きるのではないか。そのせいか階段を登るのに、少しだけ勇気がいった。

「リオン、上がれ」
 足を止めると、フォーエンはそのまま手を引く。ウーゴの前まで来ると、老齢の男を見遣った。
「儀式を始めよ」
 その声に、老齢の男がこうべを垂れてから、前と同じようにナイフでウーゴの枝に傷をつけ、銀の盃でその樹液をすくった。
 やはりウーゴの樹液を飲むらしい。あの血液のような鉄分を含んだ樹液だ。少しなめただけで物凄く嫌な味だと思ったのに、フォーエンは表情を出さず盃を受け取ると、そのまま飲み干した。

 うわあ。と声に出そうになる。
 盃はそこまで大きくないし、ショットグラスのように小さなものだが、一気飲みしないと飲み込めないだろう。まずすぎる。
 フォーエンはなんて事のないように飲み終えて、盃を返した。
 このまま何かを待つのだろうか。そう思いながら手を繋いだままフォーエンを見遣っていると、なぜか老齢の男が再び盃に樹液を入れて、フォーエンにもう一度渡す。
 おかわり?

「リオン」
 二杯目を飲むのかと思ったら、フォーエンはまさかのこちらに盃を渡してきた。
「え、飲むの!?」
 絶対、嫌。そんな表情が出ていたか、フォーエンが片眉をぴくりと上げる。
 いやだって、それ物凄くまずいもの。ショットグラスでも無理無理。

「いいから、飲め」
 フォーエンは半ば強引に理音の口元にショットグラスを近付ける。ぷうんと匂う香りは間違いなく鉄の錆びたような匂いで、錆びた外の蛇口の水を飲まされる気がした。
「うええ、やだよ。すっごくまずいのにっ」
 理音の反応にフォーエンが眉を逆立てる。怒ったってお断りだ。絶対美味しくない。

 フォーエンは眉を逆立てたまま、ショットグラスを自らで煽った。代わりに飲んでくれたらしい。それってアリなんだ。
 なんて、安堵していたら、繋いでいた手がするりと腰に伸びて、上から覆いかぶさった。
 否、がっしりと腕で頭を固定したかと思うと、一気にフォーエンの顔がアップになったのだ。

 何事、と思う瞬間、口の中に錆びた鉄のような味がして、白皙の肌を眺めている余裕もなく、口内に入ってきた液体を、ごくり、と飲み込んだ。
 飲み込んだ瞬間、吐き気のするサビの味が口の中いっぱいに広がる。

「うえええっ。まずいーっ!!」
 口移しで飲まされたのに、驚くより味の酷さに悶えそうになった。

 フォーエンは何事もなかったように口元を布で拭いている。澄ました顔で、こちらを向きもしない。
 人のファーストキスを奪っておいて、何の感慨もなさそうな顔して、一体どう言うことなのか。
 嫌がって飲まないからと、口移しで飲ますとか、デリカシーゼロにもほどがあるんだが!?

 恥ずかしいやら悔しいやらで、何か言おうと思ったその時、目の前が、がくん、と揺れた。
 急激に胸が焼けるように熱くなり、心臓が痛むように動悸が速まる。それが息もできないような速さで、理音は崩れるように地面に座り込んだ。

「リオン!?」
 フォーエンが近くで呼んだのに、耳が遠くなったかのように、水の中の音のように耳に響いて聞こえる。

 息ができない。胸が苦しくて、言葉も出ない。
「リオン!」
 足の力も抜けて転がりそうになる。フォーエンが抱きかかえると、理音はぱくぱくと呼吸のできない魚のように口を開けた。

 フォーエンが何度も名を呼んでいるのに、声が薄れていくのがわかった。
 医師を呼べとか、リオン、とか、フォーエンが叫ぶ声を、まるで遠くにいる声のように聞いて、焦りを隠しもしないフォーエンの顔が見えた。

「リオン!!」

 フォーエンの背中から、ウーゴの枝が見える。長い枝には葉はなく、寂しい枯れた枝なのに、そこに芽吹きが見えた。
 それがまるで早送りされた映像のように芽吹き始め、今まで葉の一つもついていなかったウーゴが緑色の葉に包まれたのだ。
 その新緑のウーゴに、ピンク色の蕾がいくつもなっていく、それが一斉に花を綻ばせた。

「…なんと」
「ウーゴが…」

 桜が満開になったかのように、ピンクの花が咲き乱れる。
 暖かい日差しを浴びて花を開ききる、桜のようだった。

 何て、綺麗なのだろう。

 フォーエンもウーゴを見上げていた。呆気にとられた顔を眺めて、そうして、全てが闇に飲み込まれるのを見た。


 フォーエンの呼ぶ声が遠ざかっていく。
 闇の中にフォーエンが叫ぶ顔が見えたが、数度暗闇に混じり、そのまま消えた。
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