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178 ー出発ー

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「こちらでお着替えください」

 城へ戻ると、フォーエンは気にせず理音の部屋に入り込む。そこで待っていた見知らぬ女性が、寝台のある部屋に理音を促した。

「え。え?」
「さっさとしろ」

 フォーエンの冷たい一言に、女性は理音を寝台の部屋に引き摺り込んだ。
 ナミヤとアイリンは部屋の中に入ったが、扉の前で待機した。他の兵士たちは廊下にいるのだろう。
 女性は扉を閉めると、遠慮なく理音の服をひっぺ返し始めた。その速さ、ツワレベルである。

 理音が着ていた男物の服を取り上げて、女物の服を着せた。薄紫の着物でいくつもの合わせが似た色だが、上着だけが濃いめのサーモンピンクである。重ね着で暖かいけれど、この色は自分に似合わないと思う。
 女性はかなり若そうで、見た感じ二十代前半か十代後半だ。目尻に薄い赤のアイシャドウをしており、口紅は淡いピンクで可愛らしい。
 女性を見ながら着替えていると、理音ににこりと笑んでみせた。しかし手が止まっていない。帯を締めると、スツールに座らせた。肩までしかない髪の毛を結い上げて、どこから持ってきたか付け毛をつける。
 これ用意してきたのかな。そしてそんな付け毛しても今更感が半端ないんだが、一応女性としての装いはさせるようだ。

 これは本当に話してはダメなやつである。この女性にも聞きたいが、とりあえず黙って言うことを聞いた。
 ここで厚化粧しても仕方ないと思うのだけれど、化粧は施された。鏡を渡されて見ると、普通に薄い化粧である。装いとしては、皇帝の妃ほどの派手さはない。
 しかし、レイシュンが着せた着物よりも高価だろうか。頭の飾りが若干重い気がする。
 ハク大輔愛人説、王都に届いてしまったのかしら。と思わずにはいられない。もうハク大輔の顔見れない気がする。

 靴を履き替えて、女性は荷物を包む。
「どうぞ、こちらへ」
 高速で着替えさせて髪を結い化粧をしたけれど、結構待ったと思う。
 フォーエンは椅子に座って、相変わらずの真っ直ぐ姿勢で待っていた。理音が出てくるとすぐに立ち上がる。
 フォーエンが立ち上がると、ナミヤとアイリンがすぐに動く。扉を開き周囲を見回し、廊下に出た。

 すごく、緊張感があるのだけれど、それは気のせいではない。
 本当ならば、すぐにでもこの城を出たかったのではないだろうか。理音が熱を出してしまったので、フォーエンはこの城に留まざるを得なかった。

 外に出ると、広場に理音が乗ってきたような馬車があった。そこまで豪華ではないけれど、金の金具で装飾された朱色に塗られた馬車だった。
 すぐに城を出て行くつもりだったのだろう。用意が速すぎる。
 皇帝陛下が別人を名乗ってうろついているのだ。あまり長居したくないのは当然だった。
 フォーエンは皇帝になる前は皇太子であり、その前は皇帝の子供だったわけではないのだから、おそらく普通に王都で働いていただろうし、顔を知っている人も多いかもしれない。
 レイシュンは王都で働いていたので、顔見知りであってもおかしくないのだ。

 そのレイシュンは馬車近く、通る道を避けるように横におり、膝をついている。
 ずらりと並ぶ兵士たちもまた膝をつき、フォーエンが通る道を作っていた。
 馬車の後ろには、一緒に旅立つであろう兵士たちが待っている。馬を横にしている人数が、理音が旅立った時のお供よりかなり多い。
 さすがに付いている兵士が多い。お忍びとはいえ、ハク大輔と名乗っているのだ。伴う人が少ないはずない。

 このまま城を出るのだろう。だが、まだジャカがどうなるのか、わかっていないのだ。ここで何もせずに城を出ることに気が引けた。
 突然足を止める理音に、フォーエンが習うように足を止める。
 顔を見上げる理音に、フォーエンは目を眇めた。
 レイシュンたちから距離がある。ここで言葉を発しても大丈夫だろうか。そんな顔をしていたのか、元々何を言うのか想定していたのか、フォーエンは小さく理音に聞こえるだけの声で囁いた。

「罪びとをお前が裁くわけではない」
 ぐっと息が詰まりそうになった。
 ジャカとの話を黙って聞いていたのだ。理音がジャカの心配をしているくらい、知っている。それに対して理音がどう動きたいかも、フォーエンは分かっているのだろう。
 刑法はある。罪びとは裁かれる。理音が口を挟む話ではない。
 フォーエンは切り捨てた。この国の裁きは、理音がとかく言うことではない。
 実際、理音が何かできることはなかった。毒の処分ができただけましなのだろう。

 理音はぎゅっと唇を噛みしめる。
 何かもっといい方法がなかっただろうか。ジャカがどうにかして逃れられる方法が。
 そう思っているのに、罪であると言われれば何も口にできない。ウルバスが何をしようと、罰を裁くのはジャカではなかった。
「唯一の方法を知る者を、殺めることもないだろう」
 その呟きはとても小さな声で、理音にも微かにしか聞こえなかった。けれど、ジャカが殺される要素は少ないとフォーエンは考えている様だ。

 確かにここで理音がいなくなれば、あの毒の使用方法を知るのはジャカだけで、ジャカがもしも口を割らなかった場合、知る者はいなくなるのかもしれない。
 エンシを殺した者が誰だかわからないため何とも言えないが、今の所知っているのはジャカだけだ。

 理音が黙ったまま納得したのを見て、フォーエンは足を進める。
 この城を出るのに時間を掛けたくないと、フォーエンは理音を先に馬車に促した。
 従者が開いた馬車の扉。その前で理音は後ろを振りかぶる。レイシュンにもギョウエンにも礼は言っていない。ジャカもリンネとも話せない。
 しかし、ここで言葉は発せなかった。

 レイシュンもギョウエンも膝をついて下を向いたまま、こちらの顔は見えていないだろうが、理音はくるりと二人に向くと、深々と頭を下げた。
「顔を上げよ。其方らの助け、礼を言う」
 理音が頭を下げていると、フォーエンが口にした。頭を上げた瞬間、顔を上げたレイシュンと目が合う。ギョウエンもこちらを見上げた。

 二人が何を思ったかはわからない。表情はなくこちらを見ているだけだ
 理音はもう一度頭を下げて、馬車に乗り込む。後ろからフォーエンが入り込み、従者が扉を閉めた。
 別れも言えないが、フォーエンが迎えに来たのだから当然だっただろう。目覚めてジャカのところに行った時、よく許されたなと、今更思う。

 ナミヤの号令で馬が動きだす音が聞こえた。馬車がカタコトと動き始める。
 窓は小さな窓で、ブラインドのようになっている。若干外が見えたが、レイシュンたちは逆側にいるので、姿は見えなかった。
 フォーエンは隣でまだ黙ったままだ。何か言わない限りしばらく黙っていた方がいい。
 馬に乗った兵士やアイリンが見えた。後ろに建物が見えるが、他には何も見えない。細い隙間から見えるこの城の風景が、静かに通り過ぎた。




 城を出て街を過ぎ、山が見える道まで来ると、フォーエンがやっと一息付いた。

「もう、話して平気?」
「ああ」
 言って、フォーエンは理音の顔に、そろりと長い指を伸ばした。
 触れた先、頰に届くと、途端、ぎゅっとひねる。

「ふえええっ!?」
 いきなり捻りを入れた摘みに、理音が悲鳴を上げた。もう片方も添えて、両頬を捻ってくる。
「いひゃいっ、いひゃいっ!」
 捻りながら、眉を逆立てるのかと思ったら、フォーエンは眉根を下げた。

「迎えに来るのが遅くなって、悪かった」
 言動が合っていない。謝るならば、そのつねるのを止めてほしい。
 しかし、その言葉が胸にきた。ぐっとつまって、目頭が熱くなる。

 フォーエンはつねる手を止めて、理音をその両手で包んだ。
 温もりは本物で、熱にうなされた夢ではない。
 会えれば気を失い、目が覚めたら話す間もなく行動するものだから、フォーエンは何も言えなかったのだろう。
 ぎゅっと抱きしめられた腕に、やっと安堵できる。

「無事で、良かった…」
 憂いたその言葉に、涙が出そうになった。心配していてくれたことに、嬉しさがこみ上げる。

「お前が眠っている間に話は聞いたが、…先に、これを」
 そう言ってフォーエンはゆっくりと腕の力を抜くと、袂からシルバーの時計を取り出した。理音がしていた、お高い時計である。
「これ、届いたの?」
「ああ、エンセイから私に」

 理音のお高い時計。実は、前にギョウエンにお願いしておいたのだ。木札と一緒に、ヘキ卿に送ってくれと。
 一か八かと言うより、まず難しいと考えていた。ハク大輔へ送付はしてくれないと思っていたので、ヘキ卿にだったのだが、まさか本当に送ってくれるとは思わなかった。
 理音に助言をしてくれるならばとお願いしたわけだが、レイシュンには黙って送ったのではないだろうか。
 フォーエンは理音の腕をとり、その時計をはめると、一度息を付いてみせた。話は長くなると言って。

 理音が王都を出る時、フォーエンも同行するはずだった。行けなくなった理由が、暗殺の情報である。
 その情報を確かめるために、別々に行動することにしたそうだ。そして行く方向を変更した。

「元々、行く方向を二分していた。当初行く方向で襲撃の可能性があったため、もう一方の方向に変更させた。言っていた場所と変わったのは、直前になって行き先を変更したからだ」
 元々行く予定の方向で、暗殺が行われる計画があったようだ。そのため、フォーエンは行き先をもう一方に変更した。
 そして、そこでフォーエンは出発するふりをして出発せず、理音だけを出発させた。暗殺計画に気付いていないと思わせるために。
 そこは当然コウユウの計画だった。しかし、ここで囮はもう一人いたそうだ。

「当初行く方向に、別の囮を向かわせた。そこで敵を罠にかけるために」
 理音ともう一人の囮を出発させて、もう一人の囮で罠をかけたそうだ。結果として、襲撃は行われた。
「襲撃した者たちは捕らえたが、首謀者がわからない。ただのごろつきで、依頼されただけだった」
 フォーエンは淡々と話す。その間フォーエンは城に留まり、首謀者を捕らえるために調べさせていたそうだ。

 その後すぐに首謀者がわかる。捕えられたのは内大臣の関係者で、大した者ではなかったようだ。
 フォーエンは理音を追い、すぐに合流する予定だったそうだ。しかし、ここでイレギュラーが起きた。
 フォーエンの叔父の死去である。

 叔父ってまだいたのか。と呟きそうになった。フォーエンの伯父たちは、皇帝となって連続で亡くなっているはずだ。つまり、末弟が生きていたわけである。
 皇位継承の順番どうなっているんだろうか。兄弟で続いていたのに、他に弟がいながら息子のフォーエンに回ってくるとは。謎だ。
 聞けば、シヴァ少将のお父さんが亡くなったとか。親子揃って身体が弱く、ほとんど寝たきりだったが、急死したらしい。

 身内が亡くなると忌中となり、外出ができなくなり休暇に入る。そのため、フォーエンは出発することができなくなってしまったのだ。
 しかもその忌中、結構な日数がいるらしい。引っ張られることを恐れ、九十日の忌引きに入るのだ。
 引っ張られるって、何それ、怖い。四十九日みたいなものか。
 しかも、皇帝で九十日も休暇ってどうなの。と思ったわけだが、仕事はできるらしい。ただ、人に会わないようにしたり、食事に制限が起きるようだ。大変だね。

 ふと疑問に思ったのは、ウルバスのことである。
 亡くなってすぐ家に訪問したわけだが、怒られるわけだ。悼みに行くのではなく、犯人探し。それは怒るよ、レイシュンさん。
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