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162 ー木札ー
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ジャカは城の中央から離れた小さな一棟にいた。園林を跨いだ先、石の回廊を抜けて、小さな門をくぐる。
客もいなければ城の者もいない。そこは城壁に近い場所に位置した、シンプルな建物だった。だが品の良い造りである。白を基調としていたが、金や赤の装飾はない。薄い碧の屋根瓦が印象的で、落ち浮いた雰囲気が気持ちを楽にした。匂いも独特で、けれど嗅ぎ慣れた匂いだと思った。
草の香りだ。
「あ、あなたは!」
会ってすぐにジャカは膝を地面に落とした。理音は慌ててそれを止める。誤解だと口にして信じてくれるのか、そんな疑問も過ったほど、ジャカは突然の理音の訪問に驚愕していた。
「ギョウエン様より、王都から薬を学びたい方がいらっしゃると伺っておりましたが、」
その後の言葉が続かないと、ジャカは口籠った。
「レイシュン様の奥方となられる方が、このような薄汚い場所においでいただくとは思わず」云々と焦った口上を上擦ったまま続けそうだったので、理音は言葉を遮った。
「その奥方の話は、レイシュンさんのおふざけですから。薬草の勉強をさせてもらうつもりでこちらに来たんですが、賊に襲われてしまって、レイシュンさんに助けてもらったんです。だから、ただの一般庶民なんです!」
「ですが、レイシュン様の隣に侍っておいでで」
「や、あれもすごい嫌がらせで。レイシュンさんが楽しんでただけですから。大体、無理あるでしょう。この私がどこぞの姫になど見えますか?あの格好で外に出るなど、嫌がらせにも程があるでしょう!私は、植物の研究に来ただけです!」
堂々と大きく言ってみると、ジャカは若干納得のいかなそうな顔をした。動きやすく男の格好もしているのだし、姫のはずなかろうと説得する。理音は無理にジャカの肩を引いて立たせると、やっと膝をつくのをやめた。
「レイシュンさんは人を面白がる傾向あるみたいですからね。しかも、周りに誤解されても気にもしない」
「それは、わかりますが。けれど、族長の集まる前であなたを連れたわけですし」
連れるのである。皇帝陛下の名代が来ても、正体のわからない理音を隣に置く男である。囮にする気満々で、全く迷惑な話だ。
「お陰で私がレイシュンさんの周りの人に怒られそうです。ギョウエンさんも適当だし、ほんと適当。ところで、喉にいい薬があると聞いてお尋ねしたんですが」
「ああ、はい。どうぞこちらへ」
ジャカはリンネに足の土を落とすように言ってから、理音を部屋に迎えた。部屋はあまり暖かくはなかったが、空気がこもっている。部屋の中は草を煮た匂いが充満していた。
どこで煮炊きしているのだろう。部屋自体は机や椅子、調度品などが置かれて、客を入れる部屋のように思えた。しかし随分質素で、飾る物は何もない。あるのはずらりと並ぶ棚で、引き出しだらけだった。
まるで茶葉を売る紅茶屋のようだな。と思った。おそらく全て薬草が入っているのだろう。
ジャカが棚から黄色い干物のようなものを出してくる。
湯呑みに入れて、部屋の中にあった七輪で沸騰させたお湯を注いだ。柑橘系の香りがふわりとして、差し出されたそれを理音はまじまじと見つめた。おそらくみかんの皮か金柑の皮だろう。
「喉にいいので、ゆっくりと飲んでください。熱いですよ。身体も温まります」
礼を言って理音はそれを口に含んだ。懐かしい味がする。
風邪を引いた時はもっぱら金柑入りの蜂蜜を紅茶に入れて飲んだものだ。母親の趣味もあって材料には事欠かない。庭には金柑だけでなくレモンもカリンも植えてあった。秋にはカリンを漬けるし、レモンは蜂蜜漬けにしてこれも紅茶と一緒に飲む。お湯を入れてレモネードにするのもいい。喉が痛い時に丁度いい。
もらった飲み物は、ただ乾かしただけの皮で甘くもなかったが、すっきりした味がした。
「これは、ジャカさんが作ったんですか?」
「はい。リンネさんが育てたものを、乾かして切っただけですが」
「後ろの棚って、全て薬草なんですか?見てもいいですか?」
理音の言葉にジャカは一瞬眉を傾げたが、リンネの頷きを見やってから理音を促した。
管理をしているのはジャカのようだが、使用はリンネに尋ねるようだ。植物を育てているのはリンネだろうが、薬草として調合しているのはジャカだろう。爪が綺麗に切られ、手も汚れていない。薬草を清潔な手で扱うことは心得ているようだ。リンネも汚れた身体で土間から上がろうとしない。
理音はそろりと棚の引き出しを一つ開けた。引き出しの中は何かが紙に包まれており、その下にも紙が敷いてある。湿気や埃を防ぐために紙を使用しているのだ。
さすがにしっかりしている。王都の薬草庫がどうなっているのか知らないが、このくらいしているのだろうか。
ちらりちらりといくつかの引き出しを開けて理音は中身を確認する。見てわからない草もあるが、わかる草もあった。
壁際に目をやれば、薬草を細粉する薬研や、薬草を刻むためのナイフやまな板が机の上にあった。摺鉢もあるので、ここで薬を作ることもあるのだろう。
しかしなぜこんな城の端っこで薬を作っているのか疑問に思ったが、薬草を分類するには土が付いたり枯れたりする物を退かなければならないので、庭園の近くの小屋を使っているのかもしれない。
「この匂いも草を煮てるんですよね。何を作っているんですか?」
公園で大勢の人が草を刈っているような匂いがする。若干甘い香りはおそらく知っている香りだった。念のため見せてもらうと知っている草がぐつぐつ煮られている。
ういきょう。つまりフェンネルだ。胃痛などに使われるハーブである。茶褐色の果実には甘い香りがあり、肉や魚を調理する時のスパイスにもなる。効能は消化不良や便秘改善だ。
「胃が痛いと言う衛兵に、薬を煎じているんです。今、別の部屋で寝ているのですけれど。煮ていると匂いが充満してしまうんです」
「病人もいるんですか?」
「たまに、直接ここに来る方もいるんです。ここは城の医局に比べて来やすいのでしょう」
城の端っこに位置するこの建物ならば、下っ端の兵士たちは来やすいだろう。城の中には入られない場所も多いはずだ。医局となればレイシュンに近い場所にあるだろうし、ただの胃痛でそこに行くのも気が引ける。だとしたら民間療法のようなこの場所に来た方が気が楽だ。
この程度の治療であれば理音もできる。大体の薬草の効能はわかるし、煎じることもできる。しかしそれはおばあちゃんの知恵袋的な、民間療法までのものだ。エンシはそれ以上のことをしていたのだろうか。
毒を薬に変える。やり方がわかるものもあるが、それが確実に薬になるかは理音にはわからなかった。それを行えばなるとわかっていても、人にまだ毒であるかもしれないものを飲ます勇気はない。それを考えればエンシは別物だったのだろう。
「こういう薬って、城の外でも使われているんですか?」
「薬師はいますから、煎じる者はいます。けれど真似事であることは多いです。僕も見よう見真似ですし、リンネさんも覚えている限りなので、それを伝えた者が別の伝え方をしていると、どんどん間違った伝え方になることもあります」
口伝えではさもありあん。独自の方法になって正しいものが失われることもあるだろう。そもそも薬草を正確に作っても、病を診る医師に知識がなければまともな薬も役に立たない。
ジャカはそれもあるのだと口にした。医師のレベルも低いので、薬が効かずに死んだのか、そもそも薬が要を為さなかったのかがわからないのだと。
「薬草の種類は豊富なので、ある程度の病は防げると思っています。軽い風邪とか、軽い怪我とか。けれど、それ以上の病や怪我の場合、薬だけではどうにもならないこともあります」
エンシの医師の力は偉大だったらしい。リンネは項垂れてジャカの言葉に頷いた。
薬草だけではどうにもならないことはある。それをわかっている。医師エンシはそれ以上の技術があった。外科手術も行っていたと言うのだから、本当にレベルが違ったのだろう。それが皇帝の力によって絶たれ、なおかつこの地で殺された。
エンシの知識と技術があれば、フォーエンだってあんな風邪で何日も苦しむことはなかったはずだ。
フォーエンはこの州の知識を知っているのだろうか。薬草だけでも広く使えるようにできればいいのに。
「ここにある薬草って、全てこの城で取れるんですか?」
「いえ、輸入品もあります。薬草の質は他国の方がいいですから。もちろん、しっかりとした品も作っています。リンネさんの目標は、町の人々にも安価で譲れる薬をつくることですから」
ジャカの話を耳にしながら、のほほんと学生生活を送る自分たちの境遇を、情けなく思う。
この国は困窮することがあるからか、何かを目指そうとする意識が自分の年齢のそれとは全く違う気がする。そもそも、学校に行かず働いているので、大人の世界に嫌でも入る必要があった。
それがいいのか悪いのか、何とも言えないが、その姿は学ばなければと思う。
「王都の知識がどんなものかだよな」
「王都、ですか?」
理音の呟きにジャカは首を傾げた。理音は急いで頭を振る。
「こっちの知識の方が王宮より上っぽいなー、なんて」
「そうなのでしょうか?確かに南の国の方が医術の技術は上だと言われていて、その南の国から物資が最初に届くのはこの州ですけれど」
「その南の国行ってみたいな。何て名前の国なんですか?」
「ショウ国です。医師エンシ様もその国の出身だと伺っています」
なる程。この国より余程進んでいるのだろう。尚更行ってみたくなるものだ。医術のレベルが上であるならば、文化もさぞレベルが高いに違いない。
だが行くには何日かかるやら。飛行機のない時代に国と国を移動していた人の気が知れない。
「まー、まずは民間医療かなー。ジャカさんは薬作る作業方法、何かに書き記してたりします?」
「…いえ。なぜですか?」
「正確な作業方法を記して、他の人にも等しく同じ作業ができるようにならないと、意味ないかなって。医師エンシって人も、そういうの作ってないか…」
言いながら自分の目的が脱線していることに気付く。ここに来たのはフォーエンのために薬剤師を増やしたいとかではなく、変な人がうろついていないか、ついでに薬草の使い方を知りたかっただけである。
つい、フォーエンに役立つことはないかと考えてしまうのは、もはや癖になっているとしか思えない。
「あります」
「え?」
今、ありますと聞こえたのだが。
「あります。正確には、別の方が書いた物ですが」
ジャカは言うと部屋を出て、何かを持って帰ってきた。持っていたのは木の札の束だ。木簡である。そこに薄い墨の文字がつらつらと描かれている。
「エンシ様について助手をしておられた、医官の方の手記です。書かれているのは作業方法ではなく、効能ですが」
手渡された木札は多くの人が触っていたか、端が黄色くくすんでいる。
余程のことが書いてあるのか。そう思って文字をなぞるように読むと、理音はワナワナと震えた。
「な、何これ…?」
木札の表には番号と植物の詳細な絵が、裏には効能が書かれている。時折理音には理解できない文字があったが、読めるところを読んでいるだけでも、ぞっと寒気がした。
「これ、この木札だけですか?他にはないの?」
「ありません。それだけです」
「ありませんって。これ、このまま信じたら…」
理音は言葉を紡げなかった。これを信じて薬草として使用していたら、どんなことになるのか。医学を知らない理音でもわかる。
「薬草に、お詳しいんですね。僕にはそれがなぜ駄目なのかわかりませんが、それを使うなと、リンネさんから言われています。リンネさんも、城の医師の方から聞いただけです」
木札には、確かに植物の絵と効能が描かれている。それに間違いはないだろう。おそらく理音も知っている知識で、その植物の効能は確かなものだ。
しかし、
「手順が抜けていたら、ただの毒だわ」
理音の言葉に、ジャカは俯いた。この木札に描かれた植物はそのまま摂取すれば毒にしかならないことを知っている。
「何で、こんな書き方。誤解させるつもりで書いたとしか思えない」
「そうかもしれません。医官の方はエンシ様の指示通り書かれたらしいので」
なぜそんな真似をさせたのか。理音は眉を潜めた。書き記させておきながら、薬として使用できないものだ。
「何で、こんな物をエンシって人は作ったんですか。これをわざと作ったのなら、悪意しかない」
植物と効果はイコールではない。そこには毒抜きの方法が入っておらず、そのままではただの猛毒なのだ。なのに、毒の抜き方が書いていないのだから、もしこのまま効能を信じてただ口に入れた場合、大きな被害が起きるだろう。最悪死に至る。
例えば猛毒を持つフグがいるが、そのフグの絵を描き、味は淡白だが濃厚とか書いてあるようなものである。うまいが毒の話が一切ない。知らずに食べていたら頓死する、そんな書き方だ。ただの嫌がらせである。しかも、死に至る嫌がらせだ。
これでは、エンシが本当に薬を作るために毒のある植物を植えていたのか、疑わしくなる。薬を作るためと称して毒を植えていたと言う方が、余程納得がいった。
「これを書いた医官って、ここにいるんですか?」
「その方はもういらっしゃいませんが、その木札を見つけた方は、その方を知ってらっしゃいます。城の医師で、エンシ様が亡くなった後に、この城の医師として働かれている方です」
実際、この木札の効能に疑問を持っていた医師は、それを動物で試していた。小動物のサイズによっては簡単に死んでしまうこともあり、今はどうやってその効能が得られるのかを考えている。その効能自体が嘘ではないかと疑っているわけではないのだ。
「リンネさんもその効能を信じているので、リンネさんがずっとここにしまっていました。たまに僕がその効能を調べたりするくらいです」
ジャカはか細い声で言った。つまりここで動物実験を行なっているのだ。
「でも、あなたは見ただけでそれが嘘だとわかるんですね」
描かれた植物の効能は間違いはなかった。ただし、その方法が特殊で、それをしなければただの毒だと言うことだ。
一般の植物でも調理方法によっては腹を下すことがある。豆は生で食べられない物があり、食べれば腹を下す。ジャガイモだって同じだ。生で食せば腹痛、嘔吐、下痢に目眩を起こす可能性がある。
この木札には、それ以上の症状を起こすものが、さも体にいいかのように書かれている。
「そのまま口にすれば、麻痺を起こしたり、死に至るものも書かれています。適切に処置して、適量を使用することが必要です。ですが、この書き方では、人に害をなすことしか考えてないように見えます」
これではエンシが本当に悪意を持って薬と称したとしか思えない。
技術力の高い医師でも、両手を奪われ心が壊れてしまったのかもしれない。だから毒ばかりを植えていたのだろうか。そうとしか思えなかった。
「この木札を見つけた方って、どこにいますか?」
許せないと思った。この卑怯な残し方は、信じる者全てを裏切る行為だ。
客もいなければ城の者もいない。そこは城壁に近い場所に位置した、シンプルな建物だった。だが品の良い造りである。白を基調としていたが、金や赤の装飾はない。薄い碧の屋根瓦が印象的で、落ち浮いた雰囲気が気持ちを楽にした。匂いも独特で、けれど嗅ぎ慣れた匂いだと思った。
草の香りだ。
「あ、あなたは!」
会ってすぐにジャカは膝を地面に落とした。理音は慌ててそれを止める。誤解だと口にして信じてくれるのか、そんな疑問も過ったほど、ジャカは突然の理音の訪問に驚愕していた。
「ギョウエン様より、王都から薬を学びたい方がいらっしゃると伺っておりましたが、」
その後の言葉が続かないと、ジャカは口籠った。
「レイシュン様の奥方となられる方が、このような薄汚い場所においでいただくとは思わず」云々と焦った口上を上擦ったまま続けそうだったので、理音は言葉を遮った。
「その奥方の話は、レイシュンさんのおふざけですから。薬草の勉強をさせてもらうつもりでこちらに来たんですが、賊に襲われてしまって、レイシュンさんに助けてもらったんです。だから、ただの一般庶民なんです!」
「ですが、レイシュン様の隣に侍っておいでで」
「や、あれもすごい嫌がらせで。レイシュンさんが楽しんでただけですから。大体、無理あるでしょう。この私がどこぞの姫になど見えますか?あの格好で外に出るなど、嫌がらせにも程があるでしょう!私は、植物の研究に来ただけです!」
堂々と大きく言ってみると、ジャカは若干納得のいかなそうな顔をした。動きやすく男の格好もしているのだし、姫のはずなかろうと説得する。理音は無理にジャカの肩を引いて立たせると、やっと膝をつくのをやめた。
「レイシュンさんは人を面白がる傾向あるみたいですからね。しかも、周りに誤解されても気にもしない」
「それは、わかりますが。けれど、族長の集まる前であなたを連れたわけですし」
連れるのである。皇帝陛下の名代が来ても、正体のわからない理音を隣に置く男である。囮にする気満々で、全く迷惑な話だ。
「お陰で私がレイシュンさんの周りの人に怒られそうです。ギョウエンさんも適当だし、ほんと適当。ところで、喉にいい薬があると聞いてお尋ねしたんですが」
「ああ、はい。どうぞこちらへ」
ジャカはリンネに足の土を落とすように言ってから、理音を部屋に迎えた。部屋はあまり暖かくはなかったが、空気がこもっている。部屋の中は草を煮た匂いが充満していた。
どこで煮炊きしているのだろう。部屋自体は机や椅子、調度品などが置かれて、客を入れる部屋のように思えた。しかし随分質素で、飾る物は何もない。あるのはずらりと並ぶ棚で、引き出しだらけだった。
まるで茶葉を売る紅茶屋のようだな。と思った。おそらく全て薬草が入っているのだろう。
ジャカが棚から黄色い干物のようなものを出してくる。
湯呑みに入れて、部屋の中にあった七輪で沸騰させたお湯を注いだ。柑橘系の香りがふわりとして、差し出されたそれを理音はまじまじと見つめた。おそらくみかんの皮か金柑の皮だろう。
「喉にいいので、ゆっくりと飲んでください。熱いですよ。身体も温まります」
礼を言って理音はそれを口に含んだ。懐かしい味がする。
風邪を引いた時はもっぱら金柑入りの蜂蜜を紅茶に入れて飲んだものだ。母親の趣味もあって材料には事欠かない。庭には金柑だけでなくレモンもカリンも植えてあった。秋にはカリンを漬けるし、レモンは蜂蜜漬けにしてこれも紅茶と一緒に飲む。お湯を入れてレモネードにするのもいい。喉が痛い時に丁度いい。
もらった飲み物は、ただ乾かしただけの皮で甘くもなかったが、すっきりした味がした。
「これは、ジャカさんが作ったんですか?」
「はい。リンネさんが育てたものを、乾かして切っただけですが」
「後ろの棚って、全て薬草なんですか?見てもいいですか?」
理音の言葉にジャカは一瞬眉を傾げたが、リンネの頷きを見やってから理音を促した。
管理をしているのはジャカのようだが、使用はリンネに尋ねるようだ。植物を育てているのはリンネだろうが、薬草として調合しているのはジャカだろう。爪が綺麗に切られ、手も汚れていない。薬草を清潔な手で扱うことは心得ているようだ。リンネも汚れた身体で土間から上がろうとしない。
理音はそろりと棚の引き出しを一つ開けた。引き出しの中は何かが紙に包まれており、その下にも紙が敷いてある。湿気や埃を防ぐために紙を使用しているのだ。
さすがにしっかりしている。王都の薬草庫がどうなっているのか知らないが、このくらいしているのだろうか。
ちらりちらりといくつかの引き出しを開けて理音は中身を確認する。見てわからない草もあるが、わかる草もあった。
壁際に目をやれば、薬草を細粉する薬研や、薬草を刻むためのナイフやまな板が机の上にあった。摺鉢もあるので、ここで薬を作ることもあるのだろう。
しかしなぜこんな城の端っこで薬を作っているのか疑問に思ったが、薬草を分類するには土が付いたり枯れたりする物を退かなければならないので、庭園の近くの小屋を使っているのかもしれない。
「この匂いも草を煮てるんですよね。何を作っているんですか?」
公園で大勢の人が草を刈っているような匂いがする。若干甘い香りはおそらく知っている香りだった。念のため見せてもらうと知っている草がぐつぐつ煮られている。
ういきょう。つまりフェンネルだ。胃痛などに使われるハーブである。茶褐色の果実には甘い香りがあり、肉や魚を調理する時のスパイスにもなる。効能は消化不良や便秘改善だ。
「胃が痛いと言う衛兵に、薬を煎じているんです。今、別の部屋で寝ているのですけれど。煮ていると匂いが充満してしまうんです」
「病人もいるんですか?」
「たまに、直接ここに来る方もいるんです。ここは城の医局に比べて来やすいのでしょう」
城の端っこに位置するこの建物ならば、下っ端の兵士たちは来やすいだろう。城の中には入られない場所も多いはずだ。医局となればレイシュンに近い場所にあるだろうし、ただの胃痛でそこに行くのも気が引ける。だとしたら民間療法のようなこの場所に来た方が気が楽だ。
この程度の治療であれば理音もできる。大体の薬草の効能はわかるし、煎じることもできる。しかしそれはおばあちゃんの知恵袋的な、民間療法までのものだ。エンシはそれ以上のことをしていたのだろうか。
毒を薬に変える。やり方がわかるものもあるが、それが確実に薬になるかは理音にはわからなかった。それを行えばなるとわかっていても、人にまだ毒であるかもしれないものを飲ます勇気はない。それを考えればエンシは別物だったのだろう。
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口伝えではさもありあん。独自の方法になって正しいものが失われることもあるだろう。そもそも薬草を正確に作っても、病を診る医師に知識がなければまともな薬も役に立たない。
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エンシの医師の力は偉大だったらしい。リンネは項垂れてジャカの言葉に頷いた。
薬草だけではどうにもならないことはある。それをわかっている。医師エンシはそれ以上の技術があった。外科手術も行っていたと言うのだから、本当にレベルが違ったのだろう。それが皇帝の力によって絶たれ、なおかつこの地で殺された。
エンシの知識と技術があれば、フォーエンだってあんな風邪で何日も苦しむことはなかったはずだ。
フォーエンはこの州の知識を知っているのだろうか。薬草だけでも広く使えるようにできればいいのに。
「ここにある薬草って、全てこの城で取れるんですか?」
「いえ、輸入品もあります。薬草の質は他国の方がいいですから。もちろん、しっかりとした品も作っています。リンネさんの目標は、町の人々にも安価で譲れる薬をつくることですから」
ジャカの話を耳にしながら、のほほんと学生生活を送る自分たちの境遇を、情けなく思う。
この国は困窮することがあるからか、何かを目指そうとする意識が自分の年齢のそれとは全く違う気がする。そもそも、学校に行かず働いているので、大人の世界に嫌でも入る必要があった。
それがいいのか悪いのか、何とも言えないが、その姿は学ばなければと思う。
「王都の知識がどんなものかだよな」
「王都、ですか?」
理音の呟きにジャカは首を傾げた。理音は急いで頭を振る。
「こっちの知識の方が王宮より上っぽいなー、なんて」
「そうなのでしょうか?確かに南の国の方が医術の技術は上だと言われていて、その南の国から物資が最初に届くのはこの州ですけれど」
「その南の国行ってみたいな。何て名前の国なんですか?」
「ショウ国です。医師エンシ様もその国の出身だと伺っています」
なる程。この国より余程進んでいるのだろう。尚更行ってみたくなるものだ。医術のレベルが上であるならば、文化もさぞレベルが高いに違いない。
だが行くには何日かかるやら。飛行機のない時代に国と国を移動していた人の気が知れない。
「まー、まずは民間医療かなー。ジャカさんは薬作る作業方法、何かに書き記してたりします?」
「…いえ。なぜですか?」
「正確な作業方法を記して、他の人にも等しく同じ作業ができるようにならないと、意味ないかなって。医師エンシって人も、そういうの作ってないか…」
言いながら自分の目的が脱線していることに気付く。ここに来たのはフォーエンのために薬剤師を増やしたいとかではなく、変な人がうろついていないか、ついでに薬草の使い方を知りたかっただけである。
つい、フォーエンに役立つことはないかと考えてしまうのは、もはや癖になっているとしか思えない。
「あります」
「え?」
今、ありますと聞こえたのだが。
「あります。正確には、別の方が書いた物ですが」
ジャカは言うと部屋を出て、何かを持って帰ってきた。持っていたのは木の札の束だ。木簡である。そこに薄い墨の文字がつらつらと描かれている。
「エンシ様について助手をしておられた、医官の方の手記です。書かれているのは作業方法ではなく、効能ですが」
手渡された木札は多くの人が触っていたか、端が黄色くくすんでいる。
余程のことが書いてあるのか。そう思って文字をなぞるように読むと、理音はワナワナと震えた。
「な、何これ…?」
木札の表には番号と植物の詳細な絵が、裏には効能が書かれている。時折理音には理解できない文字があったが、読めるところを読んでいるだけでも、ぞっと寒気がした。
「これ、この木札だけですか?他にはないの?」
「ありません。それだけです」
「ありませんって。これ、このまま信じたら…」
理音は言葉を紡げなかった。これを信じて薬草として使用していたら、どんなことになるのか。医学を知らない理音でもわかる。
「薬草に、お詳しいんですね。僕にはそれがなぜ駄目なのかわかりませんが、それを使うなと、リンネさんから言われています。リンネさんも、城の医師の方から聞いただけです」
木札には、確かに植物の絵と効能が描かれている。それに間違いはないだろう。おそらく理音も知っている知識で、その植物の効能は確かなものだ。
しかし、
「手順が抜けていたら、ただの毒だわ」
理音の言葉に、ジャカは俯いた。この木札に描かれた植物はそのまま摂取すれば毒にしかならないことを知っている。
「何で、こんな書き方。誤解させるつもりで書いたとしか思えない」
「そうかもしれません。医官の方はエンシ様の指示通り書かれたらしいので」
なぜそんな真似をさせたのか。理音は眉を潜めた。書き記させておきながら、薬として使用できないものだ。
「何で、こんな物をエンシって人は作ったんですか。これをわざと作ったのなら、悪意しかない」
植物と効果はイコールではない。そこには毒抜きの方法が入っておらず、そのままではただの猛毒なのだ。なのに、毒の抜き方が書いていないのだから、もしこのまま効能を信じてただ口に入れた場合、大きな被害が起きるだろう。最悪死に至る。
例えば猛毒を持つフグがいるが、そのフグの絵を描き、味は淡白だが濃厚とか書いてあるようなものである。うまいが毒の話が一切ない。知らずに食べていたら頓死する、そんな書き方だ。ただの嫌がらせである。しかも、死に至る嫌がらせだ。
これでは、エンシが本当に薬を作るために毒のある植物を植えていたのか、疑わしくなる。薬を作るためと称して毒を植えていたと言う方が、余程納得がいった。
「これを書いた医官って、ここにいるんですか?」
「その方はもういらっしゃいませんが、その木札を見つけた方は、その方を知ってらっしゃいます。城の医師で、エンシ様が亡くなった後に、この城の医師として働かれている方です」
実際、この木札の効能に疑問を持っていた医師は、それを動物で試していた。小動物のサイズによっては簡単に死んでしまうこともあり、今はどうやってその効能が得られるのかを考えている。その効能自体が嘘ではないかと疑っているわけではないのだ。
「リンネさんもその効能を信じているので、リンネさんがずっとここにしまっていました。たまに僕がその効能を調べたりするくらいです」
ジャカはか細い声で言った。つまりここで動物実験を行なっているのだ。
「でも、あなたは見ただけでそれが嘘だとわかるんですね」
描かれた植物の効能は間違いはなかった。ただし、その方法が特殊で、それをしなければただの毒だと言うことだ。
一般の植物でも調理方法によっては腹を下すことがある。豆は生で食べられない物があり、食べれば腹を下す。ジャガイモだって同じだ。生で食せば腹痛、嘔吐、下痢に目眩を起こす可能性がある。
この木札には、それ以上の症状を起こすものが、さも体にいいかのように書かれている。
「そのまま口にすれば、麻痺を起こしたり、死に至るものも書かれています。適切に処置して、適量を使用することが必要です。ですが、この書き方では、人に害をなすことしか考えてないように見えます」
これではエンシが本当に悪意を持って薬と称したとしか思えない。
技術力の高い医師でも、両手を奪われ心が壊れてしまったのかもしれない。だから毒ばかりを植えていたのだろうか。そうとしか思えなかった。
「この木札を見つけた方って、どこにいますか?」
許せないと思った。この卑怯な残し方は、信じる者全てを裏切る行為だ。
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ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
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