群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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155 ー刺客ー

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 夜になると冷えるので、二重の窓はしっかりと閉められていた。

 窓が二重なのは防犯もあるが、寒さ対策でもある。少しでも暖かな空気を外に逃すまいと、厚く作られていた。
 網戸というものはないが、草模様の格子が二重窓の外側に飾りのように閉じている。つまり三枚開けば外に出られる。

 庭に面した一角で、誰にも見られずそこをくぐることはできるだろう。ただし外から中に入るのは難しい。
 この部屋の場所は高さがあった。石を積み重ねた基礎は高く、実際ある一階の部屋は二階建てより高い場所に位置している。

 石の基礎なのだから、隙間にでも足を引っ掛けて登れそうな気もするが、研磨された石はつるりとしており、豪邸にあるような大理石のように真っ平らにされていた。階高もあり、二階になれば一般的な二階よりずっと高い場所に位置している。

 だから窓を開けても、誰も入ってこられないと思うのだ。
 窓に鎖でも引っ掛けられない限り。

 カチリ、と小さな金属音が耳に届く。微かだが同じリズムの音が、じりり、じりり、と聞こえてくる。
 とても微かだったのが、間違いのない音になり、その音が一度や二度ではないと気付いた。
 ひたりと地を踏む音もまた微かで、月の光が届かないこの冬曇りでは、人影すら見えない。

 暗闇に混じった影が寝台へと近付く。
 煌めく得物を胸元から取り出すと、勢いよくそれを突き刺した。

「ーーーっ!」

 深い水の中から勢いよく顔を出すように、理音は息を吐き出した。
 影にもならない何者かが、自分の胸に小剣を突き刺す夢を見たのだ。

 布団に転がったまま眠ってしまったのか、変な時間に目が覚めてしまったようだ。まだ窓の外は闇で、月明かりもない。窓は閉まったままで、誰かが侵入した痕跡はなかった。

 嫌な夢だ。ゆっくり起き上がると、粘るような汗をかいていた。寝覚めは最悪である。
 身体を拭きもせず眠ってしまったからだろうか。浅い眠りだったせいで、おかしな夢を見たのだろう。

 武道大会は結局、あのバラク族の長セオビが優勝した。
 出来レースだったのではないかと思うほど、セオビの戦いは圧倒的で、他の部族も貴族も手を出せないほどだった。

 レイシュンにとっては、誰が優勝するかは問題ではなかったようだ。武道大会を楽しんだような様子を見せながら、おそらくただ冷静に部族や貴族たちの様子を伺っていた。武道大会が終わった頃は冷めた目線を送り、冷ややかに笑んでその場を後にした。

 問題が起きなかったことに安堵したようではなかった。けれど、確かに何かを見ていたのだろう。
 側にいたギョウエンも同じようだったのだから、武道大会自体に全く興味がないことは明白だ。あくまで楽しんでいるふりである。

 こちとら席に戻って、血しぶき舞う舞台を直視するのに、耐えようとしていっぱいいっぱいだったと言うのに。
 その興奮冷めやらぬ前に寝台に寝転んだからか、うたた寝してしまったようだ。頭の中は冴えているのに体が疲れていたのだろう。そんな時に夢は見やすい。

 するりと寝台から下りると、理音は暗闇の中服を着替えようとした。真っ暗でよく見えなかったが、しばらくすれば目は慣れてくる。長椅子に置かれた寝巻きは誰かが置いておいてくれたのだろう。理音が眠っているので、起こさずに気をきかせてくれたわけだ。
 その代わり食事を口にできなかったので、お腹が空腹でぐう、と鳴る。

 ナイトテーブルに水差しがあったので、それを口に含んだ。水に何か入っているか、ほんのり柑橘系の味がした。
 何だかんだでしっかり客人扱いだ。水を飲み干すと器を置いた。その音に反応したか、廊下への扉の前から人の気配を感じた。

 いや、客人に見張りはつけないか。

 この部屋は二部屋で奥に寝台、手前にリビングのような部屋があった。1Lの部屋みたいなものだ。そのリビングに扉があり、その扉の向こうの廊下に見張りが二人いる。
 夜中でもしっかり立っているようだ。布の擦れる音が聞こえた。

 廊下は寒かろうに。
 そう思っても彼らの仕事をやめさせることはできない。
 理音が寝巻きに着替えてもう一度眠ろうとした時だ。遠くで人の声がしたのは。

 廊下を走る音、それから何かが割れる音。
 どこから聞こえるのだろう。

 こんな夜更けに、皿でも割ったのだろうか。何時かわからないが、まだ朝には早いのは確かだ。
 その内音は、建物の外からも聞こえ始めた。
 そこでやっと気付いたのだ。

 侵入者だ。

 篝火を焚いてそれを追う。物音は奇声となり、叫び声が空にこだまする。嫌な音が鳴り響く。
 剣を交わす音だ。耳を塞いでもその高音は微かに届いてくる。

 どこに侵入したのだろう。狙われたのはレイシュンだろうか。それとも、
「リオンちゃん、起きてる?」
 扉の向こうでノックの音と共にレイシュンの声が聞こえた。
 理音は急いで立ち上がる。

「入るよ」
 返事をする前にレイシュンは部屋に入り込んだ。灯りが目に入って、眩しさに片目を瞑る。
「遅くにごめんね」
「いえ…」

 レイシュンは普段通りの服を着ていた。寝ていて物音で目が覚め、こちらに来たと言うわけではなさそうだ。後ろにいつも通りギョウエンがいて、理音の部屋に灯りを入れた。
 いつもこの時間まで起きているのか、それとも今日は待機していたのかはわからない。
 ただ、後ろには剣を持った鎧の男たちを従えていた。こんな夜更けに武具を纏い、鍛錬でもしてるのか。
 そんなわけがない。

「今日、何か起きる予定だったんですか?」
「今日の予定ではなかったけれどね」
 何かが起きる前提はあったのだ。含んだ言葉にレイシュンは否定しない。

 レイシュンが理音を椅子に座るよう促すと、ギョウエンは後ろの兵士たちを扉を締めることで部屋の外へ封じた。
「もう少し、後で起きると思っていたんだよ。けれど、予想以上に早く出てきた。危なかったね。一日遅ければ、君が犠牲になるところだった」

 その言葉に納得した。
 だから、部屋を変えさせたのか。


 レイシュンは武道大会を終えた後、唐突に言った。部屋を変えるから、と。
 何故急に部屋を変えるのか、疑問に思わなかったわけではないが、理音にとってそれはどうでもいいことだった。そもそも拒否するような立場ではない。
 わかりました。と軽く相槌をうつと、「次はもっといい部屋だから安心してね」と、微笑みながら言われて、逆に唸ってしまった。

 そもそもだ。そんないい部屋に似合う人間ではない。
 お布団さえあればどこでも寝られる、無神経な人間である。綺麗に越したことはないが、そこまで華美な部屋は分不相応である。まあ、最近ずっと後宮の奥に住んでいるので、その感覚もずれ始めているのは否めないわけだが。

 新しく通されたその部屋は、前の部屋より豪華な気がした。
 ハク大輔愛人疑惑がまだあるのか、それで部屋を華美にしたとか、そんなことをちらりと考える。そこを疑っている限り、邪険にできないのもあるのかもしれない。それでもレイシュンの理音に対する構い方は、また別に思えるが。
 考えても答えはないので、それはやめた。

 天蓋のある寝床にごろりと転がって、その布団の感触を確かめる。掛け布団が羽布団のようにふわふわだった。
 寒さに合わせて布団を変えられたのだろう。本格的に冬が近付いているわけだ。
 冬は星が見えていい。寒いのは苦手だが、星を見えるためになら我慢できる。
 しかし、この城で冬の空を見上げるのは遠慮したい。それこそいつ帰られるのかわからなくなってしまうのだから。

 暖かなお布団に潜り込むと、ごろごろしているだけでうとうとし、あっと言う間に睡眠へと誘われる。
 眠るつもりはないのにお布団で丸くなったら終わりである。

 それで眠った後、この騒ぎだ。

 レイシュンはわかっていたのだ。刺客が来ることを。
 言っていいだろうか、やっぱりあの宴とか武道大会とか、囮だったよね?
「じゃあ、武道大会で私を狙った相手がいたってことですよね?」

 理音はそうであれと口にした。来ることがわかっていたのならば、その主犯もわかっているのではないかと。
 一番怪しいのは、王都から来たマウォだ。コウユウ関係ではなく、シヴァ少将関係かもしれない。
 理音を敵視しているかのように見る、小河原似のシヴァ少将。彼が犯人だとすれば、フォーエンを皇帝から引きずり落とすつもりだ。

「残念だけれど、そうとも言えないんだ」
 レイシュンは首を横に振る。
「うちにね、手引きをした者がいたんだよ。城の下女で、昨日それを捕らえた。前からおかしな態度をしていてね。問い詰めたら、君の部屋の場所を何者かに知らせた可能性があった。だから部屋を変えさせたんだ。下女の動きは前から探っていたから、君を表に出して犯人が気付いたとは限らない」
「そう、ですか…」

 がっかりを顔に書いて肩を下ろすと、レイシュンはゆるりと理音の頭を撫でた。
「けれど、その日の内に来るとは思わなかった。相手は急いでいるみたいだ」 
 そうだろうな。と思う。

 理音がここに来てから、一体何日経っているだろうか。さすがに理音の行方がわからないことはフォーエンも知っているはずだ。フォーエンの命令が行使されていれば、理音を探す兵は出ている。
 理音を襲った暗殺者たちは、理音が川に落ちて命を落としたと思っただろう。死体が上がらずとも、暗殺者たちにはどうでもよかったかもしれない。川に落ちれば死ぬだろうと思っていたのなら。
 そして、暗殺者たちは仕事を終えたことを主犯に告げただろう。その後暗殺者は殺された。理音が川に飛び込んだかは伝えていなかったかもしれない。暗殺者は早くに殺されていた。

 しかし、主犯は理音の死体がないことをどこかで知った。
 レイシュンの統治する場所で死体があれば、死体の数は調べられるだろう。そこに女の死体が無いことは、スパイでもいれば気付く。

 だとしたら、理音を殺そうとした主犯は、何者かが理音を助けていないか調べたかもしれない。そう予想して、助けられそうな場所を特定すれば、ここにたどり着くのは容易だ。しかもレイシュンのような高位の者が何者かを拾えば、そんな噂すぐに広まる。

 主犯は、どの部屋に理音が匿われているのか探すだろう。
 その下女が主犯に理音の居場所を告げた。

 城のどこにいるのかわかった時、早めに始末をつけたいと思うはずだ。暗殺から時間が経ち過ぎているのだから。
 主犯は急いで次の刺客を放つだろう。それが今夜だったわけだ。
 レイシュンは内通者が主犯に居場所を知らせ、何者かが入り込むことを予想していたのだ。

「とりあえず、何人捕まったんですか?」
 理音の言葉に、レイシュンはピクリと瞼を上げた。
「残念ながら…」

 口ごもったレイシュンの代わりに、ギョウエンが言った。
「逃げられなかった者は皆、自害しました」

 その言葉に、理音は肩を下ろすしかなかった。 
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